2016年4月26日火曜日

ニュー・ファミリーとは何であったか

カロジェロ「新しい世界」
Calogéro "Le monde moderne"
From album "LES FEUX D'ARTIFICE"(2014)

 2016年4月25日にVEVOに新しいヴィデオクリップが発表になりました。同日にそのクリップを「独占公開」した日刊紙パリジアンのWEBページによると、2年前に発売されたこの"LES FEUX D'ARTIFICE"というアルバムは、2年間で70万枚を売っている大変なヒット作品です。ヒットもさることながら、確かに良い曲の多いアルバムで、拙ブログでちゃんと紹介しなかったことを後悔しています。
 で、アルバム3曲めに収められたこの「新しい世界 Le monde moderne」という歌、私は2年前には全然引っかからなかったのですよ。ふし穴の耳。詞は作詞家でカロジェロの伴侶でもあるマリー・バスティードが書いています。彼女はこのアルバムの12曲のうち4曲の詞を提供していて、そのうちの1曲がこのアルバム最大のヒット曲であり、2015年ヴィクトワール賞のオリジナル楽曲賞に輝いた "Un jour au mauvais endroit"(ある日悪い場所で)(2012年グルノーブル郊外で起った2人の若者の惨殺事件をテーマにした歌です。↓ヴィデオはその現地で撮影されていて出演は現地の人たちです)でした。


 さて「新しい世界」です。新しい世界というのは、私の年代の人たち(現在60歳代)が作ってしまった世界のようです。1970年代以降。端的に言うと、離婚がとても簡単にできるようになってできた世界です。私自身も1982年に離婚しています。とても簡単でした。子供はいませんでした。しかしいつの間にか子供がいても簡単に離婚できる社会になってしまったのです。離婚権、女性の自立、養育権、保育システム...いろいろなものが整って、離婚が「悲劇的ドラマ」ではなく、ひとつの「手続き」になっていきました。
 フランスで娘を育てて、小さい頃から娘の友だちの家庭のことを知るようになったのですが、離婚、再婚、シングルマザー、シングルファザー、普通にたくさんいました。子供たちは週末によって別れた親の新家庭で過ごしたり、ヴァカンスを半分割りにして、向こうとこっちで、というようなことをやっているわけです。特別なことではありません。みんなやってることですから。それほど別離・離婚・再婚は当たり前のことになってしまったのです。不幸になるよりはずっといいですよ。男女の関係が本当におかしくなったら、大不幸を避けて離れるべきですよ。私はそう思います。と、これは大人の理屈です。ところが、この理屈が子供に通るのか、ということです。
 親が憎しみあったり、新しい恋が始まったり...。これがこの歌の「新しい世界」なのです。大人はこの「新しい世界」でうまくやっていけるかもしれない。パパとママは別れても、どっちも幸せになれるかもしれない。ところが子供は同じなのだ、とこの歌は歌っているのです。大人は「新しい世界」に順応して、新しい幸せを作ろうとし、それがダメならまた新しい世界へと入っていけばいい。ところが子供は同じひとりの子供なのだ。
 この歌に、離婚が簡単になった世の中を疑問視するようなモラリテはありません。子供も「新しい世界」に入っていくのです。傷つくこともあり、うれしいことだってある。しかしこの傷つき方は、「子供だから」という程度のものではない。
 素晴らしいアニメーションによるクリップは女流映画作家アメリー・アローの手になるものです。レ・パリジアン紙が「ジョルジュ・メリエスとジュール・ヴェルヌを想わせる」と評してますが、まさに過去から見た近未来が、私たちの「新しい世界」なんでしょう。「ニュー・ファミリー」などという日本語、もはや誰も使わないでしょうが、あの頃の新しさは、一体何だったんでしょうね?

クリスマスと1月1日の間
駅のホームでは子供たちが
学習かばんと歯磨きセットを
パパからママに手渡す

寝る前のおとぎ話は変わった
救い出すべきプリンセスの数は増えた
僕には二人のパパがいて、二人のママがいる
でも僕はいつだってひとりの子供

ここは新しい世界だけれど
人々はみな同じ
喜びだって苦しみだってある
血を流して傷つく心もある
歌だって同じものさ
この新しい世界でだって
愛し合う人たちがいる

ここは新しい世界だけれど
僕は同じ僕さ
僕には喜びも苦しみもある
僕の心は血を流して傷ついている
でも僕には同じこと
きみだって新しい世界に
去っていってしまったんだ

夏の人々でごった返すビーチでは
たくさんの家族が組み合わせを変える
みんなが好きだった女がいて
みんなからその女を奪った男がいる

その男のことをいつか許す日が来るなんて
誰も考えなかっただろう
でも時と共に人はわかってくるんだ
子供たちの喜びが見えてくるとね

ここは新しい世界だけれど
人々はみな同じ
喜びだって苦しみだってある
顔面から血を流すことだってある
歌だって同じものさ
この新しい世界でだって
愛し合う人たちがいる

ここは新しい世界だけれど
僕は同じ僕さ
僕には喜びも苦しみもある
僕の心は血を流して傷ついている
でも僕にはきみは同じきみで
この新しい世界でも
僕はきみを愛していたんだ

ここは新しい世界だけれど
僕は同じ僕さ
僕には喜びも苦しみもある
僕の心は血を流して傷ついている
でも僕には同じことで
この新しい世界でも
僕はきみを愛していたんだ
("Le monde moderne" 詞マリー・バスティード/曲カロジェロ)

2016年4月24日日曜日

何をそんなにありがたがルノー

Renaud "Renaud"
ルノー『ルノー』

 2016年4月8日の発売以来、これを書いているその2週間後には40万枚を売っている、まさにCD黄金時代(1990年代)以来見たことのない売上を記録しているアルバム。
 63歳、これまでの23枚のアルバムは総数で2千万枚を売っているそう。その点においてルノーは20-21世紀において最重要のフランス語表現音楽アーチストの一人と言えます。詳しいバイオは割愛しますが、1970年代にコリューシュ等の小劇場運動の中から出てきて、野卑な町言葉(アルゴ)を含んだ独特の歌詞で世相風刺や政治的プロテストソングを歌って大衆的な人気を獲得しました。明白に左翼のポジションで、アナーキストにも近く、反骨・反抗の歌い手として40年以上やってきた人です。第一線にいて、ヒット曲も多く、テレビにも出る。(日本的意味での)芸能人的な振る舞いもする。メガヒット、メガコンサートツアーで巨万の富が入ってきてしまう。この辺は一部のコアな左翼系のファンは逃げていくんでしょうが、大丈夫、ほとんどのファンは許容していました。ミッテランと親交を持つ。大丈夫。1985年、フランス版バンドエイド(「国境なき歌手たち」)を組織してエチオピア飢饉の救援ソングを録音する。大丈夫。盟友コリューシュの「心のレストラン」を支援する(チャリティー・ショー「レ・ザンフォワレ」には6度参加、後にこれを「道化師ショー」と嫌悪を露わに)。中略。1995年から2002年、アルコール依存症期。2002年から2007年、ルネッサンス期(アルバム『Boucan d'Enfer』2002年、220万枚。アルバム『Rouge sang』2006年、70万枚)。2008年から2015年、再びアルコール依存症期。
 それから再復活までの事情については、拙ブログの「ミストラル・ガニャン」のところで触れています。 それを書いた後で2015年10月に発表されたのが、グラン・コール・マラードのコンセプトアルバム "IL NOUS RESTERA ÇA"(「私たちにはこれが残されるだろう」という一句を含むテクストをシャルル・アズナヴール、フェリックス=ユベール・ティエフェーヌ、リシャール・ボーランジェなど11人のゲストアーチストに自作させ、それを歌うなり朗読するなりで参加させた。作編曲をバビックスが担当している)でした。このアルバムに、グラン・コール・マラードは、まだ再起できるか不安だった頃のルノーに参加を依頼したのです。ルノーはロマーヌ・セルダ(2005年から2011年まで妻)との息子マローヌに捧げた詩「Ta Batterie おまえのドラム」を書き上げ、スタジオに現れます。アルコール依存症の後遺症のようなものですが、声が思うように出ない、耳が自分の声をうまく聞きとれないという状態だったそうで、それを朗読できるかどうかも確かではなかった。ところがバビックスが編曲したバックトラックを聞いた途端、ルノーはリズム感を取り戻し、さらに(危うい)音程まで取り戻してしまった。スラム朗読で録音する予定が、ルノーは "tape tape sur tes tambours (叩け叩け太鼓を)"というリフレイン部を即興で歌ってしまったのです。

 (この歌はルノー新アルバムに再編曲の上、再録音され、13曲めに収められています)
  このグラン・コール・マラードのアルバムへの参加で、ルノーは長い眠り(何も書けない、何も歌いたくない)から醒めて、再び歌を作り歌うという欲求を取り戻すのです。2015年晩秋、ルノーは新アルバムの準備制作を宣言。

 忘れてはいけないのが、2015年1月7日のシャルリー・エブド編集部銃撃テロ事件です。ルノー自身、1992年から1996年まで同誌の執筆者であり、この身内のような人々を殺害された衝撃は甚大で、当時(依存症治療などで)人前に出れるような状態でなかったのに、1月11日のレピュブリック広場の大行進には泣き腫らした顔で参加していました。これも新アルバムを作る非常に大きなきっかけとなっていて、それが証拠に新アルバムはその「1月11日」を主題にした歌を冒頭に持ってきています。

俺たちは数百万の群衆だった
レピュブリックとナシオンの間
プロテスタント、カトリック、
ムスリム、ユダヤ、無宗教者…
シャルリーの人々に連帯する
数千人の警官たちの
暖かい目に守られて

次に俺は世にも有名な悪党たちが
行進していくのを見た
大統領たち、下っ端の大臣たち
栄光のない小さな王たち
そして俺は見たんだ、しっかりと
舗道に沿って立っているひとりの警官を
彼はとてもいい感じだったんだ

だから俺は近づいて行って
そして彼を抱きしめたんだ

俺は警官を抱きしめた
レピュブリックとナシオンの間
俺は警官を抱きしめた
乱暴に扱うのとは大違いだ
30年前だったら信じられないことさ
力まかせに彼らに舗石を投げつける代わりに
そのひとりを我が身に抱きよせるなんて

俺は近寄って行ったんだ
そうとも近づいて行って
警官を抱きしめたんだ

俺たちはナシオンに向かって歩いていた
仲良く、平和に
数千人の警官たちの
暖かい目に守られて

そしたら屋根の上にいたスナイパーたちが
俺たちに腕を大きく振って
友情と連帯のジェスチャーを
送ってきたんだ
だから俺は彼らに感謝したくて
俺のアナーキストの人生において
初めて
警官を抱きしめに行ったんだ

そうとも近づいて行って
警官を抱きしめたんだ
  
("J'ai embrassé un flic" 詞ルノー・セシャン、曲ミカエル・オアイヨン)




 これだけで大変エモーショナルなアルバムの始まりです。7曲めにシャルリー・エブド襲撃に連続して起こったヴァンセンヌ門のユダヤ食品マーケット「イペル・カシェール」襲撃籠城事件を取り上げた「Hyper Cacher」という歌もあります。
このユダヤ食品店の中は
地獄だった
地獄だった
しかし何という汚れきった時代なのだ
俺たちは根本を失ってしまった
世界中に充満した恐怖で
宇宙中に充満した憎悪で
彼らがイエルサレムで安らかに眠りますように
彼らの父たちの大地で
イスラエルの太陽に照らされて
俺は彼らにこの詩を捧げる
あなたたちは俺たちにとって大切な人だった
あなたたちのことは決して忘れない
("Hyper Cacher" 詞ルノー・セシャン、曲ミカエル・オアイヨン)

 緊急に、エモーションの熱い間に書かれた詞なのでしょう。正直に言いますと、こういうパロールは歌詞的なクオリティーとしてどうなんだろうか、と非常に首をかしげるものがあります。何かソーシャル・ネットワーク上で見られる匿名のエモーションむき出しのコメントにも似ているようにも思えてきます。
 ルノーの復活までの長い道のりは、それ自体美しく感動的なストーリーとして了解できます。ドラッグ、アルコール中毒、イングリッド・ベタンクール事件(コロンビアの政治家。2002年から2008年の6年半ゲリラ勢力の捕虜となり、ルノーが解放要求の歌を発表して支援したが、解放後ルノーはそのことを後悔している)、離婚...を経て、抜け出すことが絶対に不可能と思われたアルコールに打ち勝って、こうして復帰してきたわけです。ただこのストーリーも何本かのテレビ特番や新聞雑誌の特集記事で、この数ヶ月何度も繰り返して報じられ、私たちには既に暗記するほどの偉人伝になってしまっているのです。これを巨大な機械によって仕組まれた「プロモーション」と解釈するのは酷でしょうか。しかしそのおかげで4月8日の新アルバムリリースは、ある種国民的大事件のような現象となって、驚異的なセールスを記録しました。
 歌手ルノーは復活した。了解。だがルノーの「筆」は復活したのか?ここが多くのプレス評が問うているところです。世相や人間模様を鋭く描く反骨・反抗の詞は復活したのでしょうか? それよりもやはり「人」の復活は多くのファンたちに納得のいくものでしょう。私はこのアルバムは、そう何度も繰り返しては聞かないと思います。

<<< トラックリスト >>>
1. J'AI EMBRASSE UN FLIC
2. LES MOTS
3. TOUJOURS DEBOUT
4. HELOISE
5. LA NUIT EN TAULE
6. PETIT BONHOMME
7. HYPER CACHER
8. MULHOLLAND DRIVE
9. LA VIE EST MOCHE TE C'EST TROP COURT
10. MON ANNIV'
11. DYLAN
12. PETITE FILLE SLAVE
13. TA BATTERIE 
14 (ghost track) POUR KARIM POUR FABIEN

RENAUD "RENAUD"
PARLOPHONE CD 9029599093
フランスでのリリース : 2016年4月8日

(↓ "TOUJOURS DEBOUT" 詞ルノー・セシャン 曲ミカエル・オアイヨン)


 
 

2016年4月15日金曜日

フェルナン、フィルマン、フランシス、セバスチアン そしてポーレット

ランス民衆の誰もが心のどこかに持っていて離れないふたつのものがあります。アコーディオンと自転車です。前者は時代遅れの音だ、若者の音楽とシンクロしないなど、いろいろ言われてきましたが、ジャズにもロックにもエレクトロ・ポップにもしっかり溶け込んで生き延びてきましたし、7月14日の革命記念日の各町の消防署ダンスパーティーには絶対に欠かせないものです。まさにフランスの音です。
 後者は世界一の自転車ロードレース「トゥール・ド・フランス」は言うに及ばず、ジャック・タチの映画(「祭りの日」邦題「のんき大将脱線の巻」)や、ロベール・ドワノーの写真などでフランスの心の風景になくてはならない乗物です。そして自転車にまつわるたくさんのシャンソンが生まれました。この自転車シャンソンのことを「シャンソン・ア・ペダレ Chanson à pédaler(ペダル漕ぎのシャンソン)」と言ったりしますが、多くが自転車のペダルを漕ぐリズムで作られています。フランスで最も良く知られているシャンソン・ア・ペダレは、イヴ・モンタン歌の「ア・ビシクレット A Bicyclette」(詞ピエール・バルー/曲フランシス・レイ)です。これは1968年の5月革命の時期に発表されたという背景があり、5月革命ゼネストでガソリンスタンドにガソリンがなくなり、しかたないからみんな自転車を漕ぎ出したという状況BGMでもありました。
 私がフランスに住み始めた1970年代末は、自動車が世の中で一番デカイ顔をしていたような頃で、自転車や歩行者は最優先権を自動車に譲らなければならず、道を歩くのも恐怖の連続でした。こんなところで自転車など絶対乗れるわけがない、と新座の外国人の私は思ったものですが、大道を我が物顔で縦横無尽に走る自動車の群れを縫って、曲芸師のような自転車乗りのおじさんおばさん(おにいさんおねえさん)がいました。すごいなあ、パリ的だなあ、と感心したものです。あの当時はパリの舗装道路は多くが石畳だったのです。これも私に自転車に乗ることを恐怖させる原因のひとつで、ガタガタという振動がサドルから腰に伝わり、ちょっと走っただけで、あとで腰痛が襲ってくるような次第で...。その上石畳は雨で濡れたりしてたら,つるつるに滑るのです。パリで自転車は難しい、とつくづく思ったものでした。
 しかし時は移り、エネルギー危機や公害問題などで、自動車が都市部でデカい顔ができなくなり、自転車が見直され、遊歩道と自転車道が整備され、2007年から開始された市営貸し自転車ヴェリブの驚異的な普及なども手伝って、パリの車道は今や自転車が我が物顔で走るようになりました。郵便配達さんも、原付バイクやスクーターが減って、自転車が復活しているし、パリ市警も多くの自転車パトロール隊を配備するようになりました。
 まあ自動車が減ったパリの道で増えたのは自転車だけでなく、ローラースケート、キックスクーター、スケートボードなどもですけど、自転車はそのチャンピオン格でしょう。
 これはフランスに暮らすほとんどすべての人が経験することですが、自転車は盗まれるものなのです。高級自転車でなくても、オンボロ自転車でも盗まれるのです。ある日、あなたの自転車は消えています。私は家族の分も入れれば3度そういう目にあっていますが、これはそういうものだと思わなければなりません。翼が生えたんだ、と。
 さて、クリオのデビューアルバム『クリオ』の中で、最も美しいメロディーを持った歌です。シャンソン・ア・ペダレです。「エキリブリスト Des Equilibristes」は軽業師、曲芸師といった意味です。子供たちの世界。自転車さえあれば、天才的なパイロットにも、熟練のメカ整備士にもなれる、世界は自分たちのもの、そういう夢のような子供時代の瞬間を想い出してみましょう。還ってくるものではありませんが。甘いメランコリーに包まれてみましょう。
あの子たちは今何時なのかも
自動車やトラックのことも知ったこっちゃない
風なんてまったく気にしない
天気のこともへっちゃらだ
通行人たちなど見向きもせず
あの子たちはペダルに足を乗せて
下っていく道を降りてくる

あの子たちは軽業師
メカに強い
ほんの小さな自転車乗り
ほんの小さな子供たち

あの子たちは肘に擦り傷があるけど
何も感じていない
1日を大いなる食欲で
むさぼりつくように楽しみ
坂道を踊りながら降りていき
また坂道を踊子のように登っていき
その6歳の人生とその笑い顔を
運び去っていく

あの子たちは軽業師
メカに強い
ほんの小さな自転車乗り
ほんの小さな子供たち

コブができた膝小僧の
ちびっこの少年が
震えもせずに両手をハンドルから離し、
通行人たちの注目を浴びながら
降りてきて
焼けた舗道石の上にサンダルをそっと着地させる

あの子たちは軽業師
メカに強い
ほんの小さな自転車乗り
ほんの小さな子供たち

油で汚れた手で
修理を試みる
終わったらズボンで手を拭う
それから外れたチェーンを直し
専門家の権威でもって物事を解決する

あの子たちは軽業師
メカに強い
ほんの小さな自転車乗り
ほんの小さな子供たち

傷ついた膝、
乱れた髪
頰を赤くして
その二輪が回り
通行人など目にも入れず
両足をペダルに置いて
下り道を降りてくる

通行人なとに目をくれず
両足をペダルに乗せて
下り道を降りてくる

あの子たちは軽業師
メカに強い
ほんの小さな自転車乗り
ほんの小さな子供たち


(↑ヴィデオクリップはクリオの出身地フランシュ・コンテ地方の主邑ブザンソン市のミコー公園 Parc Micaudで撮影されています。きれいなところですこと)

<<< トラックリスト >>>
1. HAUSSMANN A L'ENVERS
2. ERIC ROHMER EST MORT
3. CHAMALLOW'S SONG
4. DES EQUILIBRISTES
5. SIMON
6. LE BOUT DU MONDE
7. PRINTEMPS
8. TU PEUX TOUJOURS COURIR
9. PLEIN LES DOIGTS
10. LE COIFFEUR
11. ERIC ROHMER EST MORT (duet with FABRICE LUCHINI)

CLIO "CLIO"
CD UGO&PLAY AD3637C
フランスでのリリース:2016年4月1日

カストール爺の採点:★★★★⭐ 



PS (2016年4月27日記)
テレラマ誌2016年4月27日号、ヴァレリー・ルウーによるクリオのアルバム評。(以下無断翻訳です)


知りませんでした? ヴァンサン・ドレルムとアレックス・ボーパンには娘がいたのだ。彼女はその祖母であるバルバラにどことなく似ていて、最近見かけなくなった二人の従姉妹であるカルラとベリーにも。その可愛い娘の名前はクリオ。28歳。永遠の文学部女学生の世界、パリ的景観への愛好、そして二人の父親ドレルム/ボーパン同様の作家主義映画の偏愛(ボーパンはモーリス・ピアラの名を挙げ、ドレルムはトリュフォーを崇拝している)。彼女にとってはそれはエリック・ロメールであり、このアルバムで最も美しい歌で「エリック・ロメールは死んだ、でも私はもっと見たいのよ」と歌っている。華奢な仕上がりのオマージュで、教訓話シリーズ(ロメールの1963年から78年までのContes Moraux連作)の映画作家の作品をそのままに想起させるように聞こえる歌。このことはファブリス・ルッキーニ(ボーナストラックでクリオとデュエットで歌っている)が証人になってくれるだろう。その他の曲も同種のメランコリーが刻み込まれていて、感情を言い切るのではなく仄めかすようなとても視覚的な文体のきめ細かさをよく証明している。本当のことを言えば、私たちが幸運な発見ができるのは、まさにこのアルバムの前半でのことなのだ。「オースマン大通りを逆に(Haussman à l'envers)」「シャマロウズ・ソング (Chamallow's song) 」「軽業師たち (Des équilibristes)」が、たくさんの真珠玉のようにつながって続き、胸に迫り、文才に溢れているが、全く過度な装飾がない。残念なのはアルバム後半で、若干コミカルな歌("Simon", "Tu peux toujours courir", "Le coiffeur")がちりばめられているが、余談的付け足しのようである。クリオは歌い始めてからまだ2年しか経っていない。彼女のファーストアルバムは形がよく味覚にあふれた果実に似ているが、ほんの少しだけ熟し方が足りないのである。
ヴァレリー・ルウー(テレラマ誌2016年4月27日号)


2016年4月11日月曜日

坂の上のマシュマロ

クリオ「シャマロウズ・ソング」
Clio "Chamallow's song"


 2016年4月1日発表のクリオのファーストアルバム『クリオ』の3曲めに入っている歌。左の写真が示すように、ブルターニュ地方アルモール海岸にある海浜城壁都市サン・マロを舞台にした、恋の別れの歌。"Chamallow"(シャマロウ)は手っ取り早く言ってしまえば「マシュマロ」のことなのですが、 19世紀フランスの菓子職人がウスベニタチアオイ(フランス語で "Guimauve"ギモーヴ、英語で "Marsh Mallow"マーシュ・マロウ)と蜂蜜と砂糖と卵白から作ったものがオリジナルとされていて、フランスでの名前は「ギモーヴ」でした。しかし、欧州駄菓子界の寡占的大企業である Hariboが、これを "Chamallow"(シャマロウ)という名で商品化した結果、フランスでもこのマシュマロ菓子は「ギモーヴ」よりも「シャマロウ」が一般的な名称になってしまったのです。英語文化がオリジナル名を凌駕してしまった感じで、ちょっと悲しい。
 日本では普通にマシュマロですが、その始まりについて、日本語ウィキペディアにこういう記述があります。
1892年(明治25年)に、風月堂が日本で初めてマシュマロを製造・販売した。その際、「真珠麿(マシュマロ)」という漢字が当てられた。
真珠(しんじゅ)に麿(まろ)と書いて、マシュマロと読ませた。卵白色に淡く紅や草色が混じった色は、まこと真珠に似ております。真珠(マシュ)麿(マロ)とは、風雅なお名前ですことよ。ほほほほほ....。
 そしてこの歌の別れの町がサン・マロです。この歌でサン・マロとマシュマロ(原詞はシャマロウ)の脚韻踏みは誰もが了解するところです。
 サン・マロは私にとっても親しい町で、ブルターニュで最も頻繁に行っている海浜リゾート地です。1977年のローラン・ヴールズィの「ロック・コレクション」では、年寄りたちがルイス・マリアノの歌に合わせて踊るような時代遅れな浜辺のように歌われますが、夜になってサン・マロが寝静まると、ラジオからヴァン・モリソン&ゼムの「グローリア」が聞こえて来るのです。そしてクリオの関連から言いますと、エリック・ロメール監督の1996年の映画『夏物語』は、ディナン、ディナール、サン・マロのアルモール海岸を舞台に展開します。この歌に出て来る「マシュマロ君」は『夏物語』のメルヴィル・プーポー演じるガスパールに似ているかもしれません。ガスパールは3人の娘に気がありながらも、その3人から絶縁されるのですから。
 下(↓)の歌詞試訳で、その箇所を「マシュマロ君」としたのは、日本のシクスティーズにヒットしたジョニー・シンバル「僕のマシュマロちゃん」(1964年)とジョニー・ティロットソン「涙くんさようなら」(1965年)を私が勝手に想起したからで、クリオはそういう昭和感覚はありませんよ。ただ、このマシュマロ君(厳密にはシャマロウ君)は、サン・マロの城壁内を涙の洪水にしてしまうのです。ほっぺたの上を次から次へとマシュマロがころがり落ちていくイメージ。粘土アニメのようなダイナミックさです。

サン・マロでのそぞろ歩き
祭りの翌日
パンタロン、薄荷水(マンタロー)
嵐がやってくる直前

私たちは城壁に沿って歩く
それぞれの手は離れたまま
スナックバーで最後の一杯
何も言わずに

波を見つめながら煙草を吸う
マシュマロ君は夢見る
波を見つめながら煙草を吸い
何も消し去るまいと

あなたの優しい顔に
高潮が入り込む
潮が上ってきて拡がっていく
今にあなたの長い睫毛まで届くわ

あなたの目がしみるのは
ジントニックのせいじゃない
二人の別れの席は
プラスチックのガーデンチェア

波を見つめながら流れ出るもの
マシュマロ君は泣く
頬の上でジグザグに転げ回って
彼は胸が苦しくなる

一羽のかもめが飛び去ると
あなたはまたアルコールを
少しずつ口にする
悲しみが過ぎ去るようにと

でもそんなに深く苦しまないで
あなたの小さなウールのセーターや
あなたのブロンドの髪を
愛してくれる人たちがきっといるから

城壁の中を流れていくもの
マシュマロ君は泣く
頬の上でめちゃくちゃに転げ回って
彼は胸が苦しくなる

波を見つめながら流れ出るもの
マシュマロ君...
(Clio "CHAMALLOW'S SONG")





<<< トラックリスト >>>
1. HAUSSMANN A L'ENVERS
2. ERIC ROHMER EST MORT
3. CHAMALLOW'S SONG
4. DES EQUILIBRISTES
5. SIMON
6. LE BOUT DU MONDE
7. PRINTEMPS
8. TU PEUX TOUJOURS COURIR
9. PLEIN LES DOIGTS
10. LE COIFFEUR
11. ERIC ROHMER EST MORT (duet with FABRICE LUCHINI)

CLIO "CLIO"
CD UGO&PLAY AD3637C
フランスでのリリース:2016年4月1日

2016年4月5日火曜日

四月になれば彼女は

ローラン・ヴールズィ「4月の娘」(2001年)
Laurent Voulzy "La Fille d'Avril" (2001)

 は来る、秋は来る、冬は来る、だが春は「帰って来る」ものである。ツバメが帰って来るように。自動的にその時になればと思っているかもしれないが、私にはツバメの来なかった春というのもあった。毎春に花をつけるはずだったわがバルコンのリラは、昨秋に狂い咲きをしてしまって、この春は花を咲かせないだろう。記録的な暖冬だった2015-2016年の冬、わがバルコンの鉢植えたちは、昨11月に霜よけ覆いなどをしてやらなかった。この暖かさだったら放っておいても越冬するだろうと思っていたら、この3月にはほとんど枯れてしまった。15歳のわが老犬ドミノ君は、季節がよくなったら元気に歩いてくれるだろう、と期待していたが、陽の当たる出窓の床でうずくまって昼寝はするけれど、歩くのが億劫な出不精犬になってしまった。春は自動的に帰ってきてくれるものではない。
 
「4月の娘は難しい」とヴールズィ(詞:アラン・スーション)は歌う。サイモンとガーファンクルの「4月になれば彼女は」(詞曲:ポール・サイモン)の娘は4月にやってきて5月6月と留まり、7月に去って8月に死んでしまう。1年ももたない。しかし4月になればまた同じことが起ると思うかい? 春は自動的に帰ってきてくれるものではない。4月の娘はやってきてくれる保証など何もない。そんな娘さ。

あの娘は4月の娘
ついてない僕
難しい娘
あの娘が持っているものを
少しも発見しようとはしないんだ
その心も、その体も
そんな娘さ

人が言うには、1月の娘たちは
火のそばにいると
衣服を脱ぎ出して 
リラックスするんだ
2月3月
そして美しい5月がやってくる
もう外套なんか着ることがない

6月の太陽がやってくると
もうほとんど何も覆っていない
7月には真っ裸だ
でもあの娘は 

4月の娘
ついてない僕 
難しい娘
あの娘が持っているものを
少しも発見しようとはしないんだ
その心も、その体も
そんな娘さ

 太陽はまちがいなく娘たちを
8月の砂の上に横たわらせる
9月になると違う夢がやってきて
風が立ち上がる
10月の娘たちは風が好き
それはドレスの下を舞う空気
11月にはもっと寒くなるから
あなたの腕の中にわたしを抱きしめて
そして抱き合いながらクリスマスを過ごしましょう
でもあの娘は

4月の娘 
ついてない僕 
難しい娘
あの娘が持っているものを
少しも発見しようとはしないんだ
その心も、その体も
そんな娘さ

(↓ "La Fille d'Avril" オフィシャルクリップ)


2016年4月3日日曜日

To bi or not to bi

『グッドラック・アルジェリア』
"Goog Luck Algeria"

2015年制作フランス・ベルギー合作映画
監督:ファリド・ベントゥーミ
主演:サミ・ブーアジラ、フランク・ガスタンビド、キアラ・マストロヤンニ
フランス公開:2016年3月30日

 この映画の封切日の2016年3月30日、共和国大統領フランソワ・オランドは「国籍剥奪法」の法制化に不可欠な憲法条項の改正を断念したのでした。これは2015年11月13日に起こったパリ&サン・ドニ同時テロ(スタッド・ド・フランス、パリ10/11区の街頭乱射、バタクラン劇場)に際しての国家緊急事態宣言の発令の時、テロリズムとの徹底抗戦のマニフェストの一つとして、凶悪テロリストへの刑罰として「国籍剥奪」を刑法に加えると提案したことに端を発しています(11月16日大統領演説。これはサルコジが大統領在任中にも提案されたことがある法案で、主に保守硬派から極右にかけての人たちが口にするのがこれまでの通例でしたが、かりそめにも社会党から大統領に選出された者が... と良識ある左派陣営はかなりあきれたのでした。そして「国籍剥奪法案」の国会上程の前に、その法案提出者の役であった法務大臣クリスティアーヌ・トビラ(今のところオランド治世中の唯一の成果「同性結婚法」の立役者です。歴史に残ります)が、この法案は自らの政治信念と異なる、と大臣職を辞職します。
 国籍を剥奪され無国籍となった状態を "apatride"と言いますが、 フランスは1954年の「無国籍に関する国際条約」に調印しているので、フランスが国として無国籍者を発生させるわけにはいかない。オランド政府がこの法案と対象としているのは、テロリストの多くがフランスとその親の出身国の「二重国籍者」であったことから、そのうちのフランス国籍を剥奪して、無国籍者にすることなく「オリジンの国の国籍者」に戻すという範囲にとどまる。そうすると法の下に平等であるはずのフランス人が、「純フランス人」と近年に国籍を取得した(二重国籍の)「非純フランス人」の二つに分けられ、法対象は後者のみという不平等を生むことになる。私はもともとこの法案は不条理にして不可能なものと思っていましたし、オランドへの失望は底をついた感がありました。歴史的にフランスがこの「国籍剥奪」で悪名を馳せたのは、第二次大戦中、ナチス傀儡のヴィシー政権によるユダヤ系フランス人の国籍剥奪でした。こういう記憶があるにも関わらず、かのテロ以降のフランス人の過半数はこの「国籍剥奪法」を支持していたというアンケート数字があります。けっ。それは私があまり認めたくない昨今の右傾化したフランスの素顔でしょう。
 この標的にされたのが「二重国籍者」です。フランス語では "binational"(ビナシオナル。複数形は "binationaux" ビナシオノー)と言います。この法案が出た頃から略称で "bi"(ビ)と呼ばれるようになりましたが、 その前まで "bi(ビ)"と言えばバイセクシュアルのことだったのです。最近のテレビインタビューで、パリ市長アンヌ・イダルゴに「あなたは "bi"ですか?」と尋ねたら、市長はきっぱりと「私は "bi"です」と答えました。バイセクシュアルということではなく、フランスとスペインの二重国籍者であると答えたのです。彼女は社会党内にいながら、はっきりとこの国籍剥奪法には反対の立場を取っていました。なぜなら "bi"は他のフランス人とは全く異ならないということを身を持って証明している立場の人間だからです。しかし、多くの人から見れば「ビ」はオランドの発案によって、国籍の剥奪が可能なB級国民に等級付けられたような印象があり、国内でのテロの危険の潜在的な可能性はこの人々にあるかのようなレッテル貼りと言えます。
 この映画は「ビ」の物語です。制作時にはおそらくそのような意図があったとは思えないのですが、偶然にしてこの数ヶ月の政治状況のせいで、これは「ビ」の映画になってしまったのです。そしてこれは「ビ」であることの素晴らしさを描いてしまったのです。
 映画の劇場公開日の3月30日に、オランドは「国籍剥奪法」の成立を断念しました。象徴的です。「ビ」はこの日、数ヶ月間の政治的激論の中でかけられていたあらぬ嫌疑からやっと解き放たれたのです。「ビ」の勝利の日です。ですから、この映画の読まれ方はこの日まるっきり変わってしまったのです。

 前置きが(超)長くなりました。
 映画に登場する「ビ」は二人いて、夫婦です。妻のビアンカ(演キアラ・マストロヤンニ)は女優の実生活と同じでフランスとイタリアの二重国籍者です。夫のサム(演サミ・ブーアジラ)はフランスとアルジェリアの二重国籍者です。二人とも40歳過ぎの働き盛り。一人の娘がいて、もう一人の子供がビアンカのお腹の中にいます。サムは元ノルディック・スキー(距離)のフランス・チャンピオンであるステファヌ・デュヴァル(演フランク・ガスタンビド)と共同経営で、グルノーブル近郊でノルディック・スキー板製造会社を運営しています。会社は元チャンピオンの名を冠して「スキー・デュヴァル」というブランドです。この世界、スキーのワールドカップや冬季オリンピックでそのブランドの製品が好成績を収めたら、それに勝る宣伝効果はありません。勝てるスキーは自動的に売上を倍増します。20年前のチャンピオン、デュヴァルの名は今日宣伝効果として通用しないものになっていますが、ロシニョール、エラン、フィッシャーなどの大量生産の大ブランドと対抗して、少量生産のヴィンテージスキーとして生き延びようとしているものの、道は厳しい。厳しいどころか、会社存続の危機に瀕している。そんな時に次期冬季オリンピックに、スウェーデンのトップ選手が「スキー・デュヴァル」をオフィシャル・サプライヤーとして指定するという大朗報が飛び込みます。会社はシャンパーニュの栓を抜き、未来の成功のためにスウェーデン選手ヨハンセンとの大々的な広告を準備し、社運の全てを賭ける投資をしてしまいます。ところがヨハンセンは土壇場でその契約に調印せず、ライヴァル会社に鞍替えしてしまうのです。「スキー・デュヴァル」は一転して倒産の危機に直面します。
 ここでステファヌが奇跡的なアイディアを思いつきます。二重国籍者であり、アルジェリア国籍を持っているサムに、次期冬季オリンピックにアルジェリア代表としてノルディック・スキー(距離)に参加させることによって、「スキー・デュヴァル」をアルジェリア・チームのオフィシャル・サプライヤーにすること、さらにその露出度で世界に「スキー・デュヴァル」の知名度を高めること。IOC(国際オリンピック委員会)は、アルジェリアがこの種目で参加することになれば2万ドルの補助金を出す、と。アルジェリアに公式のノルディック・スキー・チームがあるか?実際に存在していたのです!43歳のサムは、オリンピック出場のための距離種目最低タイムを突破するべく、猛練習を始めます。最初は誰も信じません。妻や取引銀行たスキー製作会社社員たちは、全く現実的ではないこのプロジェクトに呆れ、 いい加減に目を覚ませとサムに迫ります。
 しかし、サムは猛訓練の甲斐あって、徐々に実力をつけて行きます。けれど会社の金庫は底をつき、道半ばにしてこの計画は座礁しそうになります。思い立ってサムは(20余年も一度も足を踏み入れたことのない)アルジェリアに飛び、アルジェリア政府スポーツ省から、CIOの補助金2万ドルを回収しようとします。アルジェリアの役人は、サムを公式のアルジェリア・距離スキー選手として認定するものの、補助金のほとんどはピンハネして、スズメの涙ほどの金額しかサムに渡しません。
 万事休す。映画はここで一転して、絶望の淵にあるサムの「アルジェリア再発見」のエピソードに変わっていきます。父親が残した土地にオリーヴの木を植えて、その土地を守って欲しいという父親の夢。故国アルジェリアへの誇り。田舎者だけれどシンプルな人間たちの生き様。サムは父親から受け取ったこのような「血の故国」の財産に目覚めてしまうのです。たとえ「国家機関」としてのアルジェリアは腐敗していて自分にとって何の意味もないものでも、血の故国アルジェリアは違うのだ、という実感を得るのです。
 映画は、かつての大ヒット映画でジャマイカのボブスレーチームを描いた『クール・ランニング』(仏語題『ラスタ・ロケット』。1993年アメリカ・ウォルト・ディズニー映画)と似たようなところがあり、南国アルジェリアではありえないスキー種目での果敢な挑戦という見せ方もします。しかし、それよりもずっとケン・ローチ風社会派映画に近い、現代の失業現象、中小企業の危機、移民と二重国籍の問題、ナショナリズムと土地の問題、そして共生する社会の実現とはどういうことなのか、といった盛りだくさんの主題を一挙に突きつける映画です。サムは山積みの問題を超えて、アルジェリア国旗を掲げて冬季オリンピックの開会式の行進のテレビ中継に映されることに、無上の誇りを覚えるのです。
 
 前半に長々と書いたことの繰り返しになりますが、これは「ビ」であることが何かしら後ろめたいことになっていた時期に、全く逆の「ビ」であることの誇りを表明した映画になったのでした。図らずも、のことです。オランドは大変な誤りを冒したのです。この作品に対する世の評価は知りませんが、私にとって、これは2016年春的には非常に重要な映画として記憶されるはずです。
 なお、この映画は監督ファリド・ベントゥーミの実兄ヌーレディン・ベントゥーミ(グルノーブル在のアルジェリア移民二世)が 、2006年トリノ冬季オリンピックにアルジェリア代表のスキー選手として出場した、という実話に基づいています。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『グッドラック・アルジェリア』予告編