2016年3月25日金曜日

緑の光線見て来た人に、マンタローをば飲ませたい

クリオ『クリオ』
Clio "Clio"

 フランスで最も冬が厳しいフランシュ・コンテ地方の主邑ブザンソンで生れ育ったクリオは、大学で近代文学を学び、その卒論として17世紀の田園文学、オノレ・デュルフェ作の小説『アストレ』を映画化したエリック・ロメール監督作品『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』(2007年)の論考を書き始めたのでした。しかしその卒論は書き終わりません。その卒論提出の年(2010年)、エリック・ロメールが89歳で亡くなってしまったのです。卒論が終らなかったかわりに、ひとつの歌が出来ました。

エリック・ロメールが死んだ
 (Eric Rohmer est mort) 
エリック・ロメールが死んだ
でもわたしはもっともっと見たいの
郊外電車の中の
恋人たちを

エリック・ロメールが死んだ
でもわたしはもっともっと見たいの
人々が手をつなぐ
パリの公園を
海辺のそぞろ歩きを
マリー・リヴィエールの声を
さまざまなカフェでのランデヴーを
アイデのおへそを
哲学の先生たちを
メトロの中で本を読む人たちを

エリック・ロメールが死んだ
でもわたしはもっともっと見たいの
プラスティックでできた林を
数学を巡る議論を
涙を流すすべての娘たちを
その場所とその時を
煙草の煙を
原付バイクに乗る少女を
ピカソ美術館で
大声で話す少年たちを

エリック・ロメールが死んだ
でもわたしはもっともっと見たいの
学生たちの小さな部屋を
大きなアパルトマンを
サビーヌとそのステーキを
ベージュのとっくりセーターを
雪のつもったヌヴェールを
年配の男たちが好みの
褐色カーリーヘアーの娘たちを

エリック・ロメールが死んだ
でもわたしはもっともっと見たいの
エリック・ロメールコーナーの
陳列棚の上には
30本ほどの父を失くした子たちが
次の作品を待っているの
30本ほどの父を失くした子たちが
次の作品を待っているの


 (Clio "Eric Rohmer est mort")


<<< トラックリスト >>>
1. HAUSSMANN A L'ENVERS
2. ERIC ROHMER EST MORT
3. CHAMALLOW'S SONG
4. DES EQUILIBRISTES
5. SIMON
6. LE BOUT DU MONDE
7. PRINTEMPS
8. TU PEUX TOUJOURS COURIR
9. PLEIN LES DOIGTS
10. LE COIFFEUR
11. ERIC ROHMER EST MORT (duet with FABRICE LUCHINI)

CLIO "CLIO"
CD UGO&PLAY AD3637C
フランスでのリリース:2016年4月1日
 

オフィシャルサイトhttp://www.radioclio.com/

(↓)エリック・ロメール『緑の光線』(1986年)主演:マリー・リヴィエール 



2016年3月21日月曜日

アイ・アム・セ〜リヌ、アイ・アム・セ〜リヌ....

『ルイ=フェルディナン・セリーヌ』
"Louis-Ferdinand Céline"

2015年制作フランス映画
監督:エマニュエル・ブールデュー
主演:ドニ・ラヴァン、フィリップ・デムール、ジェラルディーヌ・ペラス
フランス公開:2016年3月9日 

  時は1948年8月、『夜の果てへの旅』の作家ルイ=フェルディナン・セリーヌ(1894年ー1961年)(演ドニ・ラヴァン)は、第二次大戦中の対ナチ協力の嫌疑でフランス当局に追われて国外逃亡を余儀なくされ、妻のリュセット(演ジェラルディーヌ・ペラス)とデンマークの片田舎でフランス政府監視下の幽閉状態で暮らしています。そこへアメリカの大学教授で熱烈なセリーヌ信奉者であるミルトン・ヒンダス(演フィリップ・デムール)がやってきます。戦後国賊の汚名を着せられ窮地にあったセリーヌに、このユダヤ系アメリカ人学者は友好的な手紙を送り続け、その熱意に気を良くしたセリーヌが彼を招待したのです。
 ミルトンはこの呪われた大文豪との交流は自分にとっての大きなチャンスであると思っています。その呪われた部分をミルトンだけが知ることができたなら。そしてそれを本にすることができたなら、という野望もあります。
 その文体そのままに、野卑な言葉を使い、周囲(デンマーク)や世界(彼にとっては共産主義が世界征服しつつある世界)を大声で呪い続ける大作家は、まだ50代だと言うのに、体の自由がきかない老人の態です。それにひきかえ自ら大作家の「ミューズ」と名乗る妻のリュセットは美貌と気品を保ち、大作家の癇癪や気まぐれによく耐えると言うよりは、その手のつけられない性悪さをこの世で唯一コントロールできる魔力を備えているような描かれ方です。セリーヌとリュセットの目下の望みは「名誉回復・パリ復帰」なのですが、それには外国の知識人・文学人たちの支援が最も有効であると思っています。特にヘンリー・ミラーがセリーヌ擁護を訴えている米国の力があれば。リュセットはミルトン・ヒンダスの来訪がその大きなチャンスであると踏んでいて、セリーヌにヒンダスの前では愚行を慎み、友好的に振る舞うように厳命するのですが...。 
 映画の冒頭で、コペンハーゲンからの長距離バスを降りてくるヒンダスにセリーヌが「プロフェッサー、プロフェッサー!」(仏語訛り英語です)と、まるで終戦直後の子供が米兵にチョコレートやチューインガムをねだるような媚びた呼び声を発します。道化師のようです。このドニ・ラヴァンの演技をテレラマ誌は"le jeu parfois trop clownesque"(過剰に道化師的な演技)と眉をしかめるのですが、この映画の副題は "Deux Clowns Pour Une Catastrophe"(ひとつの劇的結末のための二人の道化師)というものです。セリーヌの演技は長続きしません。地が出てしまいます。その地は陰険で狡猾でわがままで誇大妄想狂で助兵衛なのです。映画の中で、貧しい家計を支えるために元バレリーナのリュセットが、村の少女たちのためにバレエ教室を開いていて、その年端もいかぬ少女たちの練習をセリーヌがのぞき穴から見ていて、その体について下卑た品評をするというシーンがあります。セリーヌを崇めるヒンダスは、その地がどんどん露わになるにつれて、自尊心をどんどん傷つけられていきます。
 ヒンダスが自分に近づいたのは、インタヴューを取って自分の本を出版することが目的だと見抜いた時から、セリーヌは「抜け目のないユダヤ人め」と侮蔑の態度をちらつかせるようになります。リュセットはそれも復権のチャンスなのだから利用しなければ、と協力的な立場をと取ります。しかし並外れた巨大なエゴを持つセリーヌは、その主導権を自分が取らねば気がすまず、ヒンダスが書くであろう未来の本は、俺とミルトンで作り出す傑作でなければならないと方向付けるのです。だからインタヴューでは、ああ書けこう書けという命令になっていくのです。 
 そして最もヒンダスが打ちのめされるのは、セリーヌの髄の部分から毒水のように吐き出されるユダヤ排斥言説であり、憎悪を通り越したユダヤ呪詛の罵詈雑言の数々によってです。「第一次大戦も第二次大戦も一体誰が勝利者か? 決まってるじゃないか、あんたたちに」というような。ヒンダスを前にしても、それをことさらに誇示するように反ユダヤ節をぶちまけるのです。ヒンダスはと言えば、妊娠5ヶ月の妻を残して、一世一代の決意をしてアメリカからデンマークに来たのですが、第二次大戦中にセリーヌが書いた政治パンフレット(ほとんどユダヤ人撲滅論)によってこの作家は全ユダヤ人の許しがたい敵となっていて、家族と一族から猛反対を受けながらセリーヌ擁護の立場を取っているのです。莫大なリスクを負ってこの男を慕ってやってきたのに、自分はこの男から最悪の屈辱を舐めさせられている。
 俺も道化師だが、おまえも道化師だ、というセリーヌ論法で、二人はあるひとつの傑作を生むはずというセリーヌの読みは外れ、ヒンダスの忍従は限界を超え、切れます。これがひとつの劇的大惨事(une catastrophe)であり、この映画の結末です。この映画ではセリーヌは強い憤りのうちにデンマークを去っていくヒンダスに、バスを追いかけて許しを乞う哀れな男となります。どうしようもない男と誰の目にも映るでしょう。
 ヒンダスはそのコペンハーゲンに向かう屈辱のバスの中で、乗り合わせた客に「アメリカ人かい?」と尋ねられ、「いや、私はユダヤ人だ」と答えるのでした...。

 セリーヌ+リュセット+ヒンダスのトリオは、リュセットがいる時だけ歯車が一緒に回るのです。映画にはそういういいシーンが幾つか挿入され、音楽あり、(嘘か誠か)友情ありの暖かい場面もあるのです。駄々っ子のようなセリーヌの無邪気さがあると思うと、怪物のように豹変して全く手がつけられなくなってしまう、この落差は大変なものですが、実像は怪物なのです。ドニ・ラヴァン、素晴らしいと思います。

カストール爺の採点:★★★☆☆ 

(↓)『ルイ=フェルディナン・セリーヌ』 予告編

2016年3月20日日曜日

さる とり Inouï

ゴンタール!『もう一度ここに住み人を増やそう』
Gontard ! "Repeupler"


イノシシ  (Sanglier)

きみの墓の上に咲いた花を
僕は新しい恋人のために摘んだんだ
僕の可愛いイノシシ、僕たちが共有した時間の中で
きみが僕のことを喜んでいる知り、僕は本当に嬉しいよ
だから僕はきみにもっと話すよ
彼女は僕に出会ったことに驚いていたようだった
彼女はそれを僕には言わなかったけどね
僕は彼女の目でそれを読み取ったんだ
彼女にはそれが意外だった
僕にもそれは意外だった
今から20年前、僕は彼女にたくさんの歌を吹きこんだ
カセットテープを送りつけたんだ、彼女はそれを覚えていた
ありとあらゆるラジオで話題にしているあのバンドを耳にすると
わたしはあなたのことを思ったのよ、と彼女は言った
その後彼女は去って行った、彼女の夫のもとへ、彼女の仕事のために、
彼女は僕に音楽のことは聞かなかった
僕はそれでも続けていたんだ音楽を
どんなことがあっても、きみがいなくなっても
その後のこと、きみは知っているよね、
ず〜っと同じ歌だ、ほとんど同じ歌だ
でも怖がらないで
今の僕の愛についての視点というのは
彼女の髪が束ねられて、その肩の向こうにお尻が見えたらいいな
と思っているほどのものだから
だからね
きみの墓の上に咲いた花を
僕は新しい恋人のために摘んだんだ

           (Gontard !/ "Senza Fine" Gino Paoli)

<<< トラックリスト >>>
1. Vince Taylor
2. La Saison Des Grands Froids
3. Inutile d'Affranchir
4. Repeupler 5
5. Mon Frère est Fils Unique
6. Repeuplons 1
7. La France Des Epiciers
8. Cratère(s)
9. Sanglier
10. Sauvagerie Tropicale
11. Repeuplement 3
12. Oh Moi !
13. Revoluzionari

GONTARD ! "REPEUPLER"
CD ICI D'AILLEURS IDA114
フランスでのリリース:2016年4月1日





2016年3月9日水曜日

クレズマー 西部を行く

ヨム『ソングス・フォー・ジ・オールド・マン』
Yom "Songs for the Old Man"

 前作出エジプトの沈黙(Le Silence de l'Exode)』(2014年)を当ブログで紹介した時に、「もしも後世にヨムの名が残るとすれば、この作品によってでしょう」と最大級に持ち上げました。若くしてこんな作品を作ってしまったら、後は野となれ山となれなのでしょうが、ヨムは野にも山にも行かず、アメリカ西部に行ったのです。実際に現地に行って土地のミュージシャンと録音したということではありません。ヨムのトランシルヴァニア(2011年アルバム"WITH LOVE")や古代エジプト(2014年"Le Silence de l'Exode")が、ヨムの想像上の音楽世界であったように、このアメリカ西部も然り。
 
 このアメリカは若き日のヨムの父が見たもの。 第二次大戦後フランスに派遣されたあるアメリカ軍医師の世話になって、1950年代にヨムの父はアメリカに渡り数年間暮らしています。このプライヴェートストーリーから、ヨムは父の見聞体験を音楽でトレースしようとしたわけですね。イディッシュ音楽にインスパイアされたアメリカ大地の音楽(カントリー、フォーク、ブルース...)は、北米撥弦楽器(エレクトリック・ギター、フォーク・ギター、スティール・ギター、ドブロ、バンジョー)とクレズマー・クラリネットの出会い。このプロジェクトのためにヨムは「イディッシュ・カウボーイズ」というギターバンドを結成します。その中心人物がギタリスト(アメリカン・ブルースのスペシャリスト)のオーレリアン・ナフリシューで、最初この企画はクラリネット+ギターの二重奏で始まり、2013年からこのデュオでの”イディッシュ・ウエスタン”の馴らし運転期がありました。デュオからトリオへ、そしてトリオからクインテットとなり、2015年10月の第40回イル・ド・フランス・フェスティヴァルで、ヨム&ザ・イディッシュ・カウボーイズのスペクタクル『ソングス・フォー・ジ・オールドマン』が初演されます。 
 その時の口上はこうです。
かつて前世紀の初めにベッサラビア東部に生まれた少年がおったとさ。貧困から逃れるため、ある日少年はオデッサから合衆国に向かう船に乗り込んだ。幾多の波乱の後、彼はようやくあの伝説のファーウェストに一歩を刻むことになるのだが、そこで彼は生きることの孤独と闘いながら、たったひとり広大な平原と壮大な風景の中に馬を進ませていく。道連れはと言えば、一本のバンジョーとわらべ歌で覚えた美しいイディッシュの歌だけ...。
 というストーリーづけで、この『ソングス・フォー・ジ・オールドマン』 は展開します。口上ではバンジョーですけど、設定としては「クラリネットを抱いたロンサム・カウボーイ」みたいな。しかしここで西部的雰囲気を出す楽器はギターです。ギターがやたらと鳴るプログラムです。編曲はこのプロジェクトの最初からのパートナーのオーレリアン・ナフリシュー(楽器はエレクトリックギター、スティールギター、バリトンギター)。二人目のギタリストとしてギヨーム・マーニュ(各種ギター、ドブロ、バンジョー)、ベースにシルヴァン・ダニエル(ヨム&ザ・ワンダー・ラバイスでもベーシストでした)、そしてドラムスにマチュー・ペノという5人組です。
 このCDを手にして、まず「まあ、可愛い!」と思うでしょう。ファーウェストのロンサムカウボーイの風景とはかなりギャップのある、パステルカラーのナイーヴで楽園的なイラストレーションのジャケットアートは、ファニー・デュカッセのオリジナル作品です。 細ペンで描くドワニエ・ルソーのような絵本画タッチがとても優しい気持ちになります。インナーにも7つ折りの縦11センチ横90センチの絵巻物風イラストがあり、帽子をかぶったクマ顔のおじさんが着ぐるみウサギの子と一緒に遊んでいる図が5場面つながって展開されています。これが聞く人にどう影響するのでしょうか? ミスマッチのような気もしますが、これは「ジ・オールド・マン」という題中の言葉が醸し出す優しさとはシンクロするものでしょう。ジ・オールド・マンはヨムのお父さんその人なのですから。
 ギターが主導するゆるめの音楽がメインです。風景はギターの音で変わり、デュアン・エディー風ツワング・ギター、スティール、ドブロ、バンジョーなどで変化があり、その上にソロを取るヨムのいつもの震えるクラリネットは、風景を愛でるように優しく、このアルバムでは激情クラリネットがありません。ウエスタンというよりはソフト・サーフロックに近く聞こえますけど、クラリネットの抒情は荒野に緑が見えてくる感じ。そしてお父さんの見ていたアメリカはやはり遥かなるもののイメージで聞こえます。
 ちょっと重箱のスミですけど、2曲めの題名 "Everywere Home"は "Everywhere"の間違いでしょう。題名はみんなそれなりにイメージ湧くのだけれど、これ題名なしには成立しない音楽絵巻です。同じ音楽に違う題名つければ、違う音楽に聞こえるようなトリックがヨムにはままあるんじゃないか、とちょっとケチもつけておきます。ぐにゃぐにゃ身をくねらせて、大見得切って吹きまくるヨムが見えてこないと、ちょっと弱いです。

<<< トラックリスト >>>
1. JOURNEY OF LIFE
2. EVERYWERE HOME
3. DARK PRAYER
4. ELDORADO 54
5. THE OLD MAN
6. WAYFARING KID
7. ROAD MOVIE
8. THOSE WHO STAYED BEHIND
9. ON THE ENDLESS ROAD

YOM "SONGS FOR THE OLD MAN"
BUDA MUSIQUE CD 860289
フランスでのリリース:2016年4月15日

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓) アルバム『ソング・フォー・ジ・オールド・マン』のティーザー


(↓)2015年のイル・ド・フランス・フェスティヴァルでのイディッシュ・カウボーズの初演の時のインタヴュー