2016年8月4日木曜日

テニスでは"40"が瀬戸際


この記事はウェブ版『おフレンチ・ミュージック・クラブ』(1996-2007)上で2002年2月に掲載されたものの加筆修正再録です。

Tonino Benacquista "Quelqu'un d'autre"
トニノ・ベナクイスタ『だれか他の人間』
(2002年1月刊)

 多くの男たちにとって40歳というのは魔の年齢である。論語では「四十不惑」(四十歳にして惑わず)と言うが、反語的にこれほど惑う年齢はないからこそ、惑うなと戒めているのかもしれない。人生のちょうど真ん中にさしかかって、半生を振り返って、これでいいのだと自己に肯定的になれる人の数は、こんなものでよかったのだろうかと懐疑的になったり、こんなもんじゃなかったはずだと後悔と否定的な怒りを自分にぶつける人よりずっと少ないはずである。そしてある男たちは病気になる。大厄(男の数え年の42歳)とはよく言ったもので、それまで若いと思って無理を強いてきた自分の肉体がある日言うことを聞かなくなる。変調がやってくる。こんなはずじゃなかったと思う男はとたんに焦り始める。
 半生に激しい悔恨を持つ男は、ある日自分の過去をことごとく抹消して別の人間として再生することを夢想する。誰か他の人間に成り代わってしまうことである。子供の頃に「大きくなったら何になりたいか」と聞かれて答えたことが実現する人間は少ない。そしてそれは大人になってからでは実現が絶対不可能と考えがちである。だが、現実を知り、経験を積んだ四十男こそ、最も具体的にその可能性が得られる年代ではないか。軌道修正あるいは軌道を全く変えてしまうにはこの時期しかない。あるきっかけが巡ってくれば、男はその最後のチャンスに賭けられるかもしれない。
 この小説の主人公の二人の男のきっかけはテニスであった。パリのテニスクラブで、もう何ヶ月もラケットに触っていないティエリー・ブランが、テニス再開の意を決してクラブ登録して、偶然にクラブからあてがわれたパートナーは、そのクラブに登録してからかれこれ2ヶ月経つがパートナーに恵まれないと嘆いていたニコラ・グレジンスキー。初対面の二人は軽く練習ウォームアップをした後、試合をしてみようということになる。試合は立ち見のギャラリーができるほどの大熱戦となり、二人はそれぞれ自分の持つ水準以上のプレイをしていることに自ら驚きながら、本気むき出しの真剣勝負は、第3セット、タイブレークの末ティエリー・ブランが勝利する。初顔合わせの好敵手二人はその後バーに席を移し、熱いテニス談義を交わすのだが、二人の飲む酒は零度に冷やしたヴォトカ。ティエリー・ブランが何気なしに頼んだこの強い酒は、アルコールがほとんど飲めなかったニコラ・グレジンスキーを後にアルコール漬けにするきっかけとなってしまう。彼らの共通のテニスアイドルはビヨルン・ボルグ。冷徹で完全主義的なプレイヤーである。その一番のライバルであったジミー・コナーズは、それとは対照的な力まかせ&インスピレーション型のテニスで、観客を沸かせることではボルグの数倍の人気があったし、人々は勝つボルグに冷淡で、負けるコナーズに絶大な拍手を送った。
ー コナーズは安定性を欠いた、カオスのエネルギーだった。
ー ボルグは完璧さであり、コナーズは霊感であった。
ー 完璧さは往々にして霊感を欠くものである。 
そしてボルグはある日コナーズになってみたいと思ったであろうし、コナーズもまた逆のことを考えたであろう。自分と全く違う他人になること。二人は酒を重ねていくうちに、今日現在の自分がしたいことは何かをあっさりと確認してしまう。それは自分と全く違う他人になることである。二人はこの夜、自分には到底できるはずのなかった好試合をしたこと、自分と似た新しい友を見つけたこと、酩酊するまで飲んだことによって自信が漲り、こんな約束をする。3年後の今月今夜、この場所でもう一度会おう、その時は二人とも全く違う他人になっていよう、と。

 小説は二人の変身の過程をパラレルに描いていくが、その道筋はそれぞれ全く違う。ティエリー・ブランは能動的にアクティヴに具体的に自分が全く違う人格を獲得していく方法を練り上げ、それを実行に移していく。額縁職人としてアトリエと店を持ち、いささか冷めた関係になっている同居女性がいて、風采のあがらないブランは、周到な準備のうちに全貯金を別の場所に移し、アトリエを別の職人に譲渡して蒸発してしまう。ブランは額縁職人という職を捨て、私立探偵事務所で見習い修行をし、1年後に一人前の探偵として独立する。そして顔面専門の整形外科医に巨額の手術代金を払って、全く別の顔を持つ男になり、同時に探偵見習いで見つけたヤミの身分証明作成ルートを使って、「ポール・ヴェルメイレン」という全く新しくしかも合法的なアイデンティティーを獲得してしまう。かくしてティエリー・ブランとは全く姿かたちの違う、ポール・ヴェルメイレンという男がパリから遠く離れたところで、私立探偵事務所を開設することになるのである。
 一方ニコラ・グレジンスキーは巨大企業グループの広告部門に勤める目立たない社員であった。それがこのティエリー・ブランとの出会いの翌日から別人のようになってしまう。原因はその前夜に覚えたアルコールのせいで、それまで彼が外面に出したことがなかった雄弁で大胆な話術が口をついて出てしまうようになる。その日上司は不在であったが、クライアントの激烈なクレームに、グレジンスキーは「責任者に代わって補佐の私がお応えします」と電話を取り、そのさわやかなる弁舌でクライアントを説得・論破してしてしまう。上司はこの不手際の責任をグレジンスキーに取らせることで自分の首をつなぐつもりでいたが、事態は逆に進行し、クライアントはニコラの鮮やかな説得を信頼してしまっており、重役会議の末、ニコラを部門チーフに抜擢、その上司は解雇ということになってしまった。出世とアルコールの日々。彼のセクションはどんどん業績を上げていくが、チーフは型破りで模範的とは言い難いアル中の中間管理職である。
 ある日グレジンスキーは缶入りハイネケン・ビールと缶入りコカコーラ・ライトをオフィスに持ち込み、後者の中身を捨て、そのアルミ缶の上蓋部と底部をハサミで切り離し、残った円筒部をタテせんで切り、ハイネケン缶にかぶせた。そうするとハイネケン缶は外面上はコカコーラ・ライト缶となる。オフィスでアルコールを飲むことを見られまいとすることから出た知恵だが、このアイディアをグレジンスキーは「トリックパック」と名付けて、特許局に実用新案として登録してしまう。これが何ヶ月も待たずして、外国の包装会社が次々と権利を買い取り、缶入り飲料の商品名隠しだけでなく、自分の飲み物を個性的に見せる新しいパッケージとして大ヒットしてしまう。飲料名のパロディーや有名キャラクターを使用したもの、さらにアーチストによるオリジナル作品など、「トリックパック」はどんどん新手のものを作っていく。おかげでニコラ・グレジンスキーはこの巨大企業グループの中間管理職として得る収入の数倍の金額が毎月転がり込んでくることになる。
 ポール・ヴェルメイレンとして新しい人生を送っていた男はある日新聞のお悔やみ広告欄に「1年前に姿を消したティエリー・ブランを偲ぶ友の会開催のお知らせ」を見つけて愕然とする。ティエリー・ブランは遂に死んだのである。しかしそのティエリー・ブランを偲ぶ友人たちがいたとは彼自身知りもしなかった。大いに好奇心をそそられ、それに乗じて彼は「友の会」の日にその会場まで出向いてしまうのである。私立探偵ヴェルメイレンは、かつてティエリー・ブランがそのクライアントの一人であったという口実でこの会に紛れ込み、かつての恋人や知り合いたちが事実に忠実だったり忠実でなかったりする死者(つまり自分)の思い出話をするのを聞いている。しかし、この会の中で一人だけティエリー・ブランは死んでいないと確信している人間がいる。額縁アトリエの雇われ女性会計士で、この会を主催した人物であり、彼女はティエリー・ブランに気付かれぬまま長い年月彼を恋慕していたのである。彼女はたとえ警察の捜索が打ち切られてもブランの生存を信じており、その思念の強さのあまり初対面の私立探偵ヴェルメイレンにブランの捜索調査を依頼してしまう。
 巨大企業で誰の目もはばかることなくアルコールに浸りながら業績を上げていく男グレジンスキーは、地位を得、金を得、そして恋も得てしまう。美しくインテリで酒に造詣の深い女性ロレーヌとは常にホテルで会ってホテルで別れる関係(因みにそのホテルはパリ15区の「ニッコー」)である。彼女はその日中の生活については秘密を守っている。二人は深く愛し合い、おたがいを理想のパートナーと思っているが、その関係を崩すのは、木下順二「夕鶴」 の例に同じ、見てはいけないと言っておいたものを見てしまう男の深い業である。グレジンスキーはある日会社を抜け出して、嫌がるロレーヌを昼に呼び出して、その上その後彼女を尾行し、彼女が食品スーパーのレジ係として働いていることを見てしまう。彼女はそれだけは見られたくなかった。ロレーヌは昼はそうして働き、夕方はワイン学の講座で学び、来るべき自分の世界のどこにもないワインショップの開店を準備していたのだ。つまり彼女もティエリー・ブラン、ニコラ・グレジンスキーと同じく、全く別の人間になることを自分に賭けていたのだ。これを見られたロレーヌはニコラを許さない。
 蒸発した過去の自分自身を捜索する私立探偵、この部分はこの小説で最も面白いハイライトの部分であり、ここで多くを説明することは避けるが、名探偵ヴェルメイレンは別のティエリー・ブランを新たに創作し、その実像は依頼主の女会計士が恋い焦がれていたティエリートは似ても似つかぬ男であった、という迷案によってかろうじて逃げ切るのである。これはハラハラものであるが、恋は盲目、女会計士はまんまと説得させられ、このティエリー・ブランもいなかったことにしましょう、という結論で手を打つ。これでヴェルメイレンは二度ティエリー・ブランを殺したことになる。

 この小説の構図はプロローグでのボルグ対コナーズの対比からはっきりしていて、ティエリー・ブラン/ポール・ヴェルメイレンは用意周到完璧主義のボルグのタイプで、ニコラ・グレジンスキーは霊感型で破滅型でもあるコナーズタイプの人間なのだ。グレジンスキーには、企業を放逐され、ロレーヌに捨てられ、かつての上司から銃撃されるというカタストロフが最後にやってくるが、負けてもコナーズは大喝采されるように、作者ベナクイスタはグレジンスキーにハッピーエンドを用意している。
 3年後の約束の日、姿かたちが変わって中身が変わらない完璧主義のブラン/ヴェルメイレンと、姿かたちは変わらないが中身が大変身を遂げた霊感型のグレジンスキーが再会する。素晴らしいエンディング。
 四十男の変身願望を二つの全く異なる対照的な人物像を使って、どちらも成功させてしまうパラレルな小説。テニス論、企業ストーリー、変身蒸発、発明サクセス、探偵ミステリー、アルコール讃歌、ラヴロマンス...、盛り沢山の270ページ。なによりも、人生半ばにさしかかった人たちには応援歌のように受け取れる小説ではないだろうか。

Tonino Benacquista "QUELQU'UN D'AUTRE"
Gallimard刊 2002年1月  270頁  

(↓)ボルグ vs コナーズ (1976 US Open)

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