2016年1月3日日曜日

ワイト元気よく出て行ったよと

2016年1月2日21時30分、パリ西郊外ピュトーの病院で、ミッシェル・デルペッシュが亡くなりました。69歳でした。長い間喉と舌にできたガンと闘ってきましたが、2015年6月にその親友である国民的テレビ司会者ミッシェル・ドリュッケールが「安らかに消えつつある」とデルペッシュの病状を公表しました。デルペッシュ自身の依頼でドリュッケールがそれを公にしたと断ってはいましたが、「もうこの9月にはこの世にいないだろう」と事態が深刻であることを強調しました。自ら(あるいは医者)の予想よりも3ヶ月多く生き延びて、新年の到来を見たあとで逝ったわけですね。
 1946年パリ郊外クールブヴォワ生れ。学校出てないんです(このことをすごく気にしていたようです)。若くしてスターダムにのし上がり、最初のヒット曲が「ロレットの店で」(「青春のふる里」という題で古賀力が歌っていたようです)で、デルペッシュ19歳でした。C'était bien c'était chouette。1966年に20歳で結婚。アヴィニョンの聖女ミレイユ・マチューを国際的なスターにしたことで知られるジャーマネ、ジョニー・スタークと契約したことによって、このデルペッシュはどんどんショービズ・タレント化していきます。クロード・フランソワを頂点とするいわゆる "Chanteurs à minettes"(シャントゥール・ア・ミネット。若い婦女子の皆さんにもみくちゃにされる美形男性歌手)のひとりとなってヒット曲を飛ばすことが生業になります。折しもその伝播媒体はラジオからテレビに移行した時代で、7インチシングル盤の売上が飛躍的に上昇した頃です。諸先進国からすれば遅れていたと思われがちなフランスでも、テレビの歌謡ショー番組がゴールデンタイムの花形になり、ルックス勝負・歌って踊れるスター歌手たちがお茶の間の人気者となったのです。虚飾に満ちた芸能界はレコード産業と共に、この頃全世界に帝国を築いていったのですが、その話はまた別の機会に。
 この(いずこも同じ)ショービズ界の使い捨て式のタレント量産時代の犠牲者となって、70年代の数々のヒットにも関わらずこのデルペッシュは第一線を退かざるをえなくなります。頭髪が減っていったのもその理由かもしれません。頭髪と音楽とどう関係があるのか、と思われるムキもありましょうが、70年代にあっては頭髪は音楽に優先したのかもしれまっせん。離婚、鬱病、アルコール&ドラッグ、自殺未遂...。こういう話を海外逃亡という道で耐え凌いだミッシェル・ポルナレフは、戦術的に「うまかった」と言われてもしかたないでしょう。フランスという「現地」では死骸がゴロゴロ転がっていたのですから。
 デルペッシュは2000年代に、カリ、ベナバールなど新世代のシャンソン・フランセーズの担い手たちの熱いラヴコールによってトリビュートされ、若い世代にも単なる芸能もの(「ヴァリエテもの」と言っていいでしょう)とは違う高度なポップ・フランセーズと評価されるという幸運を得て、かなり幸せな老後だったと思います。前線復帰と言われながらも、やっぱり売れるのは往年のヒット曲のコンピレーションで、若い人たちに囲まれながらも半分はナツメロ歌手で21世紀を生き延びました。文句はないでしょう。よく引き合いに出されるポルナレフだってこれからは(一級の)ナツメロ歌手でしかない。
 
日本で知られてたんですよ、この人。ポルナレフ同時代の「フレンチポップス」の日本でのヒット曲というのはダニエル・ジェラール「バタフライ」、ジュリアン・クレール「燃えるカリフォルニア」、アラン・シャンフォール「ボンジュールお目目さん」などがありましたけど、デルペッシュは日本では「青春に乾杯」「ワイト・イズ・ワイト」という強力な2大ヒットがありました。
 特に「ワイト・イズ・ワイト」は私は青森くんだりの高校生をしていた時にとても好きだった曲で、その高校の悪しき伝統であったマラソン大会があった時、苦しくもがきながら走る17歳の私の頭にはこの曲が繰り返し繰り返し流れていたということをよ〜く記憶しています。

 2007年向風三郎はその著『ポップ・フランセーズ名曲101徹底ガイド』の中で、この「ワイト・イズ・ワイト」を1969年の1曲として取り上げ、ミッシェル・ウーエルベックの小説から題を着想して「ある島の可能性」と題して論じています。我ながらすぐれたクロニクルであると思うので、全文を引用して、アーチストの冥福を祈ります。合掌。

『ある島の可能性』 

 年度間違いではない。世に有名なワイト島フェスティヴァルで、ウッドストックを上回る60万人を動員してジミ・ヘンドリックス最後のステージとなったものは1970年であった。
 しかし同フェスティヴァルは68年から開催されていて、われらがミッシェル・デルペッシュ(1946 - 2016)が見てきたのは第2回めの69年8月30日と31日の2日間である。それは前年(1万人)よりは飛躍的に拡大したが、翌年の規模には及ばない15万人ほどを集めたポップ・フェスティヴァルで、ジョー・コッカー、アインズレー・ダンバー、ナイス、ムーディー・ブルース、ペンタングル、プリティー・シングス、フリー、フーなど27組のアーチストが出演したが、メイン中のメインはボブ・ディラン&ザ・バンドであった。
 ディランは問題作『ナッシュヴィル・スカイライン』の年で、フランスのラジオでも澄んだ声の「レイ・レディ・レイ」が流れると、こんなもんディランなわけがない、という抗議の電話が来たという。
 大きなステージに立つのは3年ぶりというディランはこの69年のワイト島で8月31日夜11時頃に現れて真夜中に終わるとう1時間ほどの短いショーで17曲を歌った。ブーイングやヤジも飛んできたそうだ。
 デルペッシュは64年にデビューしたアーチストで、65年の「ロレットの店」という甘くノスタルジックなバラードで第一線に出たきた。ミレイユ・マチューを世界のスターにしたマネージャー、ジョニー・スタークが彼を手がけるようになってから派手なポップに方向転換、その第一弾シングルがこの「ワイト・イズ・ワイト」である。
 しかしデルペッシュはワイト島に出演したわけではなく、この歌が記録映画のサントラに使われたというわけでもない。スタークはデルペッシュにリポーターの役割をさせたのである。われ、ワイト島を見たり。ここでデルペッシュはディランを神のように見てしまったのだ。
 「ワイト・イズ・ワイト、ディラン・イズ・ディラン」。ディランはやっぱりディラン。簡単な英語でこう表現したのだった。それは灰色の空に出現した太陽のようだった。「ワイト・イズ・ワイト、ヒッピー、ヒッピー、ピー」。
 ワイト島はヒッピーだらけだという意味だろうが、こうなるともう歌詞ではない。しかしこの手の簡単英語リフレインは欧州大陸で簡単にヒットする。「ブラック・イズ・ブラック」、「レイン・レイン」、「マミー・ブルー」みんな同じ系列。
 そして歌詞は「ワイト・イズ・ワイト、ヴィヴァ、ドノヴァン!」と続く。おいおい、この年ワイト島にドノヴァンは出ていないぞ。
 これについてデルペッシュは「ドノヴァンは象徴ですよ、象徴」と言い訳した。講釈師見てきたような嘘をつき。
 (向風三郎 『ポップ・フランセーズ名曲101徹底ガイド』 p24-25)
ミッシェル・デルペッシュ「ワイト・イズ・ワイト」(1969年)


PS : 2015年1月3日。
この日曜日1日中、テレビ各局でデルペッシュ特番が組まれ、その人気の高さと、フランス人のメモワール・コレクティヴにおけるこのアーチストの重要さが、私の予想をはるかに超えるものだということがわかりました。ポルナレフは青ざめているかもしれません。
アフター・サービスで、私のデルペッシュの最も好きな歌のひとつを。これは1975年、デルペッシュがまだ29歳の時に歌った、ある種の "辞世の歌”で、73歳になった先の短い老人(そうです。1970年代では73歳というのは大変な老齢のように思われていたのです)が、自分が歌手でスーパースターだった頃を回想するというものです。

"QUAND J'ETAIS CHANTEUR"(俺が歌手だった頃)

リウマチがやっかいになってきた
俺の愛しいセシルよ
俺はもう73歳だ
俺には介護の女がいて
寝椅子に寝そべって暮らしている
俺が歌手だった頃には
こんなに足をひきずることなんてなかったんだ

俺は白いブーツを履いて
ごつい皮ベルトをして
そのデカいバックルの上には
胸を大きく開けたシャツ
俺の最大の武器は
俺のスマイル顔さ
俺が歌手だった頃には
俺は気違いみたいに有頂天だった

ある夜サン・ジョルジュで
俺は野外コンサートをしていた
俺の妻はメルセデス・ベンツの中に
隠れて待っていたんだが
俺のファンクラブがどっとやって来て
彼女はアンドル川にドボンと捨てられてしまった
俺が歌手だった頃は
そんなイカレタ生活だった

警察の連中は
俺のことを知っていて
スピード違反なんざ
俺は一度も罰金を払ったことがない
どんな俺のやばいことも
一時間もあればもみ消してくれた
俺が歌手だった頃は
俺のご乱行はすべて放免だったのさ

俺の可愛いセシルよ
俺は73歳になった
ミック・ジャガーが
ついこの間死んだって知ったよ
俺はシルヴィー・バルタンの引退も祝ったんだよ
でも俺にとってはもうずいぶん前にそんなこと終っちまったんだ
俺は今やもういろんなことが分からないようになっちまった
だけど俺が好きなことだけは分かるんだ
それで気を紛らわせているんだ

でも俺にとってはもうずいぶん前にそんなこと終っちまったんだ
俺は今やもういろんなことが分からないようになっちまった
だけど俺が好きなことだけは分かるんだ

それで気を紛らわせているんだ



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