2015年2月16日月曜日

ジハード・デイズ・ナイト

アンナ・エレル『女ジハード戦士になりすまして』
Anna Erelle "Dans la peau d'une djihadiste"

 2015年1月8日、すなわちシャルリー・エブド襲撃テロ事件の翌日に出版されたノン・フィクション本です。著者は大手時事週刊誌に記事を提供する女性ピジスト(社外ジャーナリスト)で、戦地を含む海外特派リポートなどもする経験ある行動派のように見えます。しかしこの本とその前に雑誌掲載したジハード派(この場合イスラム国)のヨーロッパからの戦闘員スカウトに関する記事のために、イスラム過激派組織から脅迫を受け、この本では彼女の実名はもちろん、そのメディアおよびそこで働く人たちも全く明かされません。仮名の多いノン・フクションですが、事情は理解しましょう。
 時期は2014年春。アブー・バクル・アル=バグダディを指導者とするイスラム国はシリアとイラクにまたがる実効支配地域の面積がフランス国土の約半分ほどに拡大し、近いうち(実際には2014年6月)にイラク第二の都市モスルを陥落すると言われていました。この勢力を増長させていっているのが、外国から志願してやってくる戦闘員で、アラブ諸国やヨーロッパから未成年者を含む多くの若者たちがジハード兵士として戦線に送られています。フランスはおそらくヨーロッパで最多のジハード兵を送り込んでいる国です。... っと、今書いた文章おかしい。フランスがジハード兵を送り込んでいるわけではありません。フランスにいる若者たちがスカウトされて戦地に送り込まれているのです。
 そのフランス人ジハード兵の数は2015年1月20日のインターネット版フィガロによると2015年1月の時点で1281人(2014年の同時期には555人だった)とされています。ジハード志願者は後を絶たず、逆に倍増して1年で130%の増加です。この「ジハードへの誘い」は一体どのようになされているのか、というと、何の秘密もなく、すべてインターネット上で堂々と人寄せをしているのです。YouTube上のイスラム国のプロパガンダ動画にアクセスし、「ライク」を押し、コメント投稿する者があれば、ジハード派のスカウト係はその人にあの手この手で誘惑を繰り返し、選ばれた者の誇りを与え、英雄として生き、聖戦士として死ぬことを説くのです。戦士として誘われるのは男だけはなく、女もしかりです。ジハード戦士の妻として、または女ジハード戦士として、このスカウトは特に未成年少女に集中的に誘いをかけます。
 ジャーナリスト「アンナ」(30歳ということになっています)は、この女ジハード戦士としてイスラム国に合流するフランスの少女たちを追跡調査していて、その家族たちに取材をかけ、なぜ・どのようにして彼女たちが、という記事を書こうとしています。よりリアルな情報を掴むために、アンナはSNSを通してフランス人(あるいはフランス語人)ジハード派と交信を図りますが、こちらの身分(ジャーナリスト)が邪魔して集められる情報は限られてきます。そこで、フェイスブックに架空の少女のアカウントを設け、イスラムに改宗したばかりで、ジハードに興味がありその実体を知りたがっている人物として「ジハード派に誘惑されるがままについて行こう」というシナリオを考案します。
 この架空の少女を「メラニー・ニン」と名付けます。設定はトゥールーズに住む20歳、妹と共にシングルマザーに育てられた貧しい郊外少女で、リセあたりからグレ始め、窃盗など軽い犯罪で警察の世話になった経験あり、叔父の勧めでイスラムに改宗、未来の何の展望もなく、インターネットでSNSで時間つぶしをするのが唯一の楽しみ。家族と対話がなく、仕事もなく、唯一15歳の友だちヤスミーヌ(もちろん架空の人物)だけがイスラム改宗の仲間でこの方向での同志となっている。こういう不安定な娘がイスラム国のプロパガンダYouTubeに心動かされ、FBを通じてアブー・ビレル(これも仮名)と名乗るイスラム国幹部にメッセージを送ります。交信が始まって48時間後、38歳のアブー・ビレルは20歳のメラニーに強烈な愛の言葉を捧げ、求婚してきます。
 3万人と言われるイスラム国戦闘員のうち、半数の1万5千人が外国からの参戦者であり、その一割近い数がフランス人です。緊急に集めた情報によって、このアブー・ビレルはフランス人であり、実戦の指揮者クラスである一方、フランスからのジハード兵スカウトの責任者でもあり、イスラム国指導者のアル=バグダディとも非常に近い立場(「アル=バグダディの右腕」とまで噂されている)にあることを知ります。ジャーナリスト・アンナはここで「大魚がかかった」ことに興奮します。ここから最大限の情報を得ることによって、フランスからの「ジハード流出」の流れと構造を暴き出すことができるかもしれない。しかしそのためには、架空の娘メラニーに最大限の危険を冒してもらわなければなりません。
 熱烈にメラニーに求愛するアブー・ビレルは、キーボードと文字によるやり取りに業を煮やし、スカイプによるビデオ通話を要求してきます。アンナはパリの自分の部屋をトゥールーズのメラニーの部屋に見せかけ、ジハード派流解釈のシャリーアに従って黒いニカブを纏い、目だけを見せて20歳のメラニーの姿となりスカイプに向かいます。ビレルはスマートフォン、メラニーはマックブックです。このビレルとメラニーのビデオ通話のやりとりの一部始終は、アンナのジャーナリスト仲間であるアンドレが隠れてビデオ撮影しています。 
 スカイプ交信は2ヶ月続き、ビレルはいつメラニーがイスラム国(ビレルの現在位置はシリア領内)に来て妻になるのかを執拗にリピートします。その口説きはジハード兵のリクルートプロパガンダと同様に「ここはシャリーアの徹底によって不信心者がいないイスラム者の理想郷である」「あらゆるものが豊富にある(石油源を所有するため金はふんだんにある)」「男たちは理想に燃えて戦っている」「女たちは病院や孤児院などで天使のように働いている」「女たちも武器を取って戦って天国に行くことができる」...。そしてこちら側西欧資本主義の中で生きることがいかにイスラム者にとって地獄であり、イスラム者と敵対する行為であるか、ということ。これまで生きてきておまえほど愛した女はいない、おまえを絶対に幸せにする、おまえはここで絶対に幸せになる、おまえは選ばれた人間なのだ...。劇的な男であり、その表現はダイレクトであり、愛する女メラニーを見つめる目は情熱的で動物的で魅惑的ですらあります。ジャーナリスト・アンナは「よく言うよ」と心の中で思うのですが、ジハード志願の娘メラニーはこの誘惑に抗うことができない。この本の中で著者が述懐しているのは、この間中何度も人格分裂(スキゾフレニー)の危機に襲われていたということです。ビレルからのコールは(こちら側の)時かまわず&ところかまわずだからです。アンナがメラニー専用に契約した携帯電話は愛のメッセージでいっぱいになり、さらにそれに即座に答えないメラニーへの苛立ちと恫喝のメッセージが続きます。ビレルはほとんど不眠の男です。スカイプの時は「今日は受信状態が悪い」を口実に時折故意に交信を切らなければならないほど、メラニーの息詰る緊張は限界に達します。切ってアンナに返ってニカブを脱ぎ捨て、ジャーナリストは深々とタバコを吸うのです。そのあと再びニカブを身につけ、スカイプのビデオ画面に...。
 メラニーは求愛の言葉をはぐらかすようにビレルにたくさんの質問を浴びせます。今日何をしたのか、戦況はどうなっているのか、私のような女ジハードは他にもフランスからたくさん来ているのか、彼女たちはどうやって暮らしているのか、フランス国内に私の渡航を手伝ってくれる人はいるのか...。おかげで情報はどんどん集まってきます。
 さて、問題はどこで身を引くか、です。これくらいで十分に情報量のある記事が書ける、と判断して調査をここでやめるか、もっと奥まで進んでみるか。アンナは雑誌編集部と会議を持ち、後者を選ぶのです。それは架空の女ジハード志願者メラニーが、実際にどのようなルートで、どのような人間たちの仲介・案内を得てイスラム国の入口までたどり着くのか、ということを体験してしまおう、ということなのです。
 読む者はたぶんこの辺からちょっといや〜な感じがすると思います。命がけの取材に違いありません。しかしこれはジャーナリズムというよりはセンセーショナリズムに近いのではないか、と思わざるをえないところがあります。
 実際この本は、そういうジャーナリスト自身の葛藤に多くのページを割いています。取材方法としてこれは正しいことなのか、これは国家警察のするべき仕事ではないか、私の恋人や家族はどう思うか...。まず、なぜこのイスラム国によるフランスからのジハード兵スカウトのシステムとからくりを彼女は人々に伝えたいのか。それはこの毎週数十人単位でフランスからイスラム国に渡っているジハード候補の若者たちが、殺し、殺され、人々を不幸にし、自分たちも不幸になる、というふうに考えてしまっているからです。これを止めさせたいと考えているからです。これは取材・報道と言う前に彼女の人道的なアンガージュマンがおおいにものを言っているのです。日本の人たちはこういうところに拘りますよね。報道とは中立で客観的でなければならない、みたいなことを言いだしますよね。私はそうは思いません。彼女の姿勢は圧倒的に正しい。目の前で多くの若者たちが殺戮や自爆などを繰り返しているのを見てジャーナリストに何ができるか。それをやめさせるための真実を報道することでしょう。彼女は既に加担する側がどちらであるべきかを知っていて仕事している。それは正しいことでしょう。だから彼女の葛藤もまた読まれなければならないのです。
 この時点で生身のひとりの人間の中で、「ジャーナリスト・アンナ」と「女ジハード候補メラニー」という二人の人格がせめぎあっています。メラニーはイスラム国幹部アブー・ビレルの求婚を受け入れ「ジハード妻」としてイスラム国に赴こうとしている。アンナはジャーナリストとしてそのやり取りを傍受してしまい、個人になった時このビレルを殺してしまいたいほどの憎悪を抱いてしまいます。
 ビレルはメラニーにイスラム国の入口までの行き方をなかなか指示してくれません。経路や会うべき仲介人の名前もころころ変わります。ビレルはオランダ経由かドイツ経由かを選べと言い、メラニーはオランダ経由を選びます。メラニーの渡航条件は、親友で妹分の15歳のヤスミーヌ(ジハード志願者。架空の人物)を同行させること。このビレルが画面越しに見たこともなく話したこともない15歳の少女は、愛は盲目なのか、メラニーの口先だけの説明で簡単に同行を許されます。かくしてトゥールーズの二人のジハード志願少女は、メラニーが盗んだ母親のクレジットカードを使って航空券を買って最初に経由地アムステルダムまで飛びますが、実際に飛行機に乗ったのはジャーナリスト・アンナとベテランの戦場カメラマンのシャルリーでした。
 アムステルダムのホテルの部屋から、次の指示(イスタンブールに飛び、XXXに会い、YYYへ移動し...)を仰ぐために、メラニーはビレルとスカイプ交信します。しかし、ビレルのコール音にあわてて、ニカブを纏うことを忘れ、アンナの素顔がスカイプ画面に出てしまいます....。

 かなり辻褄合わせのような終盤です。ジャーナリスト・アンナはこの機会に乗じて、とアムステルダムやイスタンブールでジハード兵手配に関与している人間たちを取材しようというプランまで立てるのですが、何一つうまく行きません。そしてアムステルダムからの最後のスカイプ交信で、ビレルはイスタンブールでは誰も迎えがいないこと、イスタンブールからウルファまで国内線で飛び、そこからイスラム国が用意した案内人に電話連絡を取り... 云々の指示を出します。その指示の間、ビレルはメラニーに その場でXXXに電話しろ、次は YYYY に電話しろ、と命令します。しかし身元を明かされないためにオランダで買った使い捨て携帯電話の使用限度がオーバーし、この土壇場ですべてを水に流してはならぬと、とっさにジャーナリスト・アンナ・エレルのフランスの携帯電話を使ってしまうのです(そこからは簡単にアシがつきますわね)。
 当初の計画では、架空のメラニーとヤスミーヌはイスタンブール空港で消滅する予定でした。アンナはパリの雑誌編集部と連絡を取り、イスタンブール行きを中止してパリに戻ることを決定します。計画の中途での断念を悔やみながらも、これだけでもすごい記事が書けるのだ、とアンナはこの冒険の幕を閉じようとします。ところが、アブー・ビレルとイスラム国からのアンナへの暗殺脅迫はすぐに始まってしまうのです。

 読み物としてどうなのだろうか、と思うところがあります。これはイスラム国幹部とスカイプ会話をするというところまでは、たいへん勇気あるドキュメンタリーだと思います。フェイスブック、ツイッター、スカイプなどで、若者たちは簡単にその奥の世界まで行くことができるのが現実です。そこには真実と虚偽の両方があり、ジャーナリストたちはこのどちらが真実でどちらが虚偽なのかを見極められるだけの情報を把握していなければ、報道してはいけない、さもなければプロパガンダの片棒を担ぐことになると思います。
 こんなに勇気あることをしていながら、この女性ジャーナリストはかなり揺れるのです。上に書いた「葛藤」というのはそういう意味です。結局この人何をしたの? アムステルダムまでしか行ってないの? ー という結果論ではなくて、残念なのは、やはり史上最悪の国際テロリスト組織を調査・取材しているということの緊急度・緊張度・密度が足りないことです。映画のシナリオのように読まれることは可能ですけど。

カストール爺の採点:★★★☆☆ 

Anna Erelle "DANS LA PEAU D'UNE DJIHADISTE"
ロベール・ラフォン刊 2015年1月、270ページ、18ユーロ

(↓)1月21日、BFM-TVのインタヴューに答えるアンナ・エレル(死の脅迫を受けているため変名、顔を隠している)

 

 

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