2014年9月22日月曜日

Go down Moses

ヨム『出エジプトの沈黙』
Yom "Le Silence de l'Exode"

ヨム:作曲、クラリネット
クロード・チャミチアン:コントラバス
ファリッド・D:チェロ
ビージャン・シェミラニ:ザルブ、ダフ、ベンディール

  もしも後世にヨムの名が残るとすれば、この作品によってでしょう。これはヨムのメジャー・ワークスです。
  1980年生れ。「クレズマー・クラリネットの新王(The New King of Klezmer Clarinet)」を僭称して本格ソロデビューしたのが2008年。1920年代のニューヨークの「クレズマー・クラリネットの王」ナフトゥール・ブランドウァイン(1889-1963。音符を読めないヴィルツオーゾ・風変わり・派手好み・アル中・暗黒街の人間)へのオマージュアルバムでした。そういう人に私はなりたい、で、比類ないクラリネット・ヴィルツオーゾであるところよりも、ブランドウァイン流の派手でエキセントリックなところが目立って、ケレンのクラリネッティストでその本領を発揮していたかに見えました。他流試合のようなデュエットアルバム 『ウヌエ(Unue)』(2009年。デュオの相手は:ドニ・キュニオ、イブラヒム・マルーフ、ファリッド・D、ワン・リ、ビージャン・シェミラニ)、その延長線上のワン・リとのデュエット・アルバム『グリーン・アポカリプス(Green Apocalypse)』 (2012年。当ブログのここで紹介)、そしてエレクトロ・ポスト・ロック仕立てのスーパーヒーローアルバム『愛をこめて(With Love)』(2011年。当ブログのここに関連記事)、その延長線上の『愛の帝国(The Empire of Love)』(2013年)と、ケレンの人ヨムはそのアートをきらびやかにド派手に披露してきました。
  ところが、この『出エジプトの沈黙』は最初から志(こころざし)が違うようなのです。ことの発端は2012年、イル・ド・フランス音楽フェスティヴァルからの作品依頼でした。

ヨム「その時のフェスティヴァルのテーマはディアスポラ で、僕は一夜でそれを主題にしたトリプティック(3枚続きの絵)を構想した。その3つとは "東方から西方へ”、”過去から現在へ(そして未来へ)"、"伝統から現代性へ”。『出エジプトの沈黙』はトリプティックの第一の絵であり、同フェスティヴァルでの初演にたくさんの人たちが来てくれ、オーディエンスの反応は非常に熱く、僕の心にダイレクトに響いてきた!」

そのフェスティヴァルでの初演(2012年9月14日)の映像が(↓)です。


 これではあまりわからないかもしれません。『出エジプトの沈黙』が どういう作品かと言いますと、ディアスポラ、すなわち民族の逃亡・移住・四散の史上(つまり文字が書かれて遺されたものの中で)最古の民族移動記である、旧約聖書「出エジプト記」をヨムが音楽化したものです。これを長さにして60分の1曲で表現しました。エジプトで奴隷として虐げられていたユダヤの民を、神がファラオ(エジプト王)に様々な奇跡によって攻撃し、この民をエジプトから脱出させるのですが、その時に神からの直接の指示を受けてユダヤの民を率いたのがモーゼです。モーゼは神から与えられた杖を使って、神の予言した奇跡を起こして民を安全な逃げ道に導き、また神の垂れた戒めごとを民に守らせ、民は約束の地カナンまで40年かけて荒地をさまようことになるのです。
 フランス語の表現で "traversée du désert"(トラヴェルセ・デュ・デゼール。砂漠横断)という言葉があります。長い間続く艱難辛苦の時期、という意味で使われます。この表現の語源は、このユダヤ民族のエジプト脱出後のシナイの砂漠であるとされています。
 初演から約2年後に完成したCDアルバムは、パッケージがスリップケース入りの4つ開きディジパックで、その4面を開くと屏風絵となってパノラミックなシナイの岩肌の荒野がひろがります。何もない乾いた岩の丘陵の連なりです。ユダヤ人の原風景であり、ヨム的解釈では土地を追われて移動をよぎなくされたあらゆる民族、あらゆる人々の普遍的な原風景でもあります。
 ヨムはこのトラヴェルセ・デュ・デゼールを、句切りのない60分の年代記音楽としました。CDでは14の小章分けがされていますが、曲は連続していて、録音も連続60分のダイレクトレコーディングでした。これは2012年9月に初演された時と同じ条件です。前2作(『愛を込めて』&『愛の帝国』)で大幅に導入されたエレクトロニクスを全面的に排して、アコースティック楽器のみのアンサンブルで演奏されていますし、何よりもそれまでのヨムのトレードマークであった「ケレン味」が顔を出さないのです。題材が題材ゆえに、と簡単に説明できるような程度ではない、ストイックで内省的な音楽表現のしかたに驚かされます。
 東欧イディッシュに育てられ、ニューヨークのディアスポラで花開いたクレズマー音楽の、西欧フランスでの新展開の旗手がヨムです。おのずとその音楽の中に旅があります。そのヨムの先祖帰り(「原点帰り」と言うべきでしょうか)としての旧約聖書世界の音楽的再現プロジェクトです。この新たな旅の道連れとしてヨムは、クラシック音楽、民族音楽、ジャズなどにまたがる3人のヴィツオーゾ・ミュージシャンを従えています。クロード・チャミチアン(コントラバス)、ファリッド・D(チェロ)、ビージャン・シェミラニ(ザルフ、ダフ、ベンディール)。この3人の出自がそれぞれ異なる民族のディアスポラであり、チャミチアンはアルメニア系、ファリッドはアルジェリア系、そしてシェミラニはペルシャ系です。このそれぞれの内なる旅を持った音楽家たちが、ヨムの想像した旧約世界のオリエント性を浮かび上がらせる重要な屋台骨となります。そしてヨムはこのプロジェクトのために特別にG管クラリネットを使っていますが、それはヨムによると「トルコ・クラリネットに近いもので、音栓配列が西欧式なのに出て来る音色は重厚でまろやかで、僕にとっては即座に"中東”をイメージさせるもの」なのだそうです。
 ユダヤの民がどこをどう通ってシナイをさまよっていたか、という歴史を描写する音楽ではありません。ヨムの内側で瞑想と内省によって再体験された旅の音楽化です。そのクラリネットは、モーゼが神から与えられた杖のようなものに思えてきます。蛇と化したり、水を血に変えたり、イナゴの大群を呼び寄せたりした杖です。民の苦悩や痛みを音にしたものでもあり、沈黙する神への祈りでもあり、民を祭りと陶酔へと誘う音楽でもあります。内なる旅で交差する4人の異邦人、という図を思わせる音楽でもあります。

<<< トラックリスト >>>
1-14 : LE SILENCE DE L'EXODE (トータルランタイム:57分16秒)
1) Le Silence de l'Exode 1 : RAMSES
2) Le Silence de l'Exode 2 : ROUGE (RED)
3) Le Silence de l'Exode 3 : REVELATION
4) Le Silence de l'Exode 4 : ERRANCE (WANDERING)
5) Le Silence de l'Exode 5 : CHAOS
6) Le Silence de l'Exode 6 : SARAB
7) Le Silence de l'Exode 7 : L'EAU JAILLIE DU ROCHER (WATER SPRINGING FROM THE ROCK)
8) Le Silence de l'Exode 8 : SINAI
9) Le Silence de l'Exode 9 : IVRESSE (INEBRIATION)
10) Le Silence de l'Exode 10 : SOLITUDE 1
11) Le Silence de l'Exode 11 : MEMOIRES (MEMORIES)
12) Le Silence de l'Exode 12 : SILENCE
13) Le Silence de l'Exode 13 : SOLITUDE 2
14) Le Silence de l'Exode 14 : MOISE (MOSES)

YOM "LE SILENCE DE L'EXODE"
CD BUDA MUSIQUE 860255
フランスでのリリース:2014年8月

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)ヨム『出エジプトの沈黙』

2014年9月14日日曜日

ワタシお電話クダサーイ・2

フレダ『ささやきの歌』
Fredda "Le Chant Des Murmures"

ミッシェルはわたしに電話をくれるはず
Michel Va M'appeler

ミッシェルはわたしに電話をくれるはず
もうすぐのはず
電話が鳴った
でも出たら誰もいない
ミッシェルはわたしに電話をくれるはず
わたしはあっちへ行ったりこっちへ行ったり
わたしは話すことを練習して
奇妙なことばかり発語している
物だけにしかわからないようなことばかり
ミッシェルはわたしに電話をくれるはず
ミッシェル電話して
わたしに電話して
ミッシェル思って
わたしのことを思って
わたしは絨毯の埃をはらい
髪をカールして
スーツに身を包んで
ハートに香水をつけた
ミッシェルはわたしに電話をくれるはず
電話がまた鳴った
でも出たら誰もいない
わたしは焦燥のあまり
沈黙するしかなくなった
ミッシェル電話して
急いで
ミッシェル思って
わたしのことを思って
予測がつかないミッシェル
近づくことができないミッシェル
ミッシェルに手が届くようになるには
高いはしごが必要よ
あなたの名前は rebelle(手に負えない)と韻を踏む
あなたの名前は cruel (無情な)と韻を踏む
あなたの名前は rimmel (マスカラ)と韻を踏み
わたしのマスカラはあなたのために涙で流れてしまう
ミッシェル電話して
わたしに電話して
ミッシェル思って
わたしのことを思って
わたしを愛して
(詞:フレデリック・ダストルヴィーニュ / 曲:パスカル・パリゾー)

< トラックリスト >
1. CHANT DU RETOUR
2. JARDINS DESERTS
3. PENDANT QUE JE ME PARLE
4, LE MURURE DES CHAMPS
5. CALAVERA
6. HABITUE A MOI
7. MICHEL VA M'APPELER
8. L'AMOUR ANTIQUE
9. QUAND J'ETAIS UNE JEUNE FILLE
10. LES BARRES
11. LE CHANT DES MURMURES
12. LE VILLAGE

FREDDA "LE CHANT DES MURMURES"
CD TRAFFIX MUSIC/L'AUTRE DISTRIBUTION AD2804C

フランスでのリリース:2014年8月25日

カストール爺の採点:★★★★☆

フレダ「ミッシェルはわたしに電話をくれるはず」サウンドクラウド
https://soundcloud.com/00045638745/07-michel-va-mappeler

2014年9月12日金曜日

ワタシお電話クダサーイ

ニコル・クロワジール『テレフォヌ・モワ』
Nicole Croisille "Téléphone-moi"

 今思い返しても、私は60年代〜70年代(事情を存じ上げない方たちに注記しますと、私がまだ日本にいた頃ということです)は日本の歌謡曲とりわけ歌謡ポップスが好きだったんですねぇ。フランスに来たての頃は、フランスかぶれでしたから、音楽は英米ものよりもフランスのヴァリエテばかり聞いてました。ですが、それは結局、日本の歌謡ポップスに近い音楽だったからじゃないか、と今になって思う部分があります。
 歴史はフランスの70年代の大衆音楽に対してあまり良い評価をしません。それはポンピドゥー〜ジスカール時代にフランスが本格的なテレビ時代に入って、大衆歌謡が視覚的なヒット曲 を目指すようになり、シャンソンというアートが潜んでしまったからなんでしょうが、テレビが生むヒットって日本ではそのままメインストリームでしたよね。
 私は90年代になって、年齢的には遅〜い転職で音楽業界(独立系のレコード会社)に入りました。そこで職業的に音楽通たちと交流するようになったのですが、この世界では70年代のフランスのヴァリエテは、そのテレビ口パク歌番組のイメージと共に、サイテーに蔑まれた音楽だったのです。その中で、ポルナレフやヴェロニク・サンソンは例外だったか、というと... 例外だったかなぁ...。いろいろな機会に「フランスのアーチストで最も評価しているのは誰?」と聞かれたら臆面もなく「ヴェロニク・サンソン」と答えていた私は、結構あきれ顔されましたよ。
 70年代には当時ポルナレフを日本で大ブレイクさせた高久光雄さんのおかげで、フランスと日本の大衆音楽がとても近くて、沢田研二もフランスでかなりの人気があったものでした。ミッシェル・デルペッシュ、アラン・シャンフォール、クリストフ、ヴェロニク・サンソンらもちゃんと日本で紹介されてましたし。あとはイージーリスニングのオケやピアニストは軒並み日本で大スターでしたし、映画音楽と言えばフランシス・レイでしたし。この最後の人たちのせいで、日本ではフレンチと言えば、哀愁系やおセンチ系がめっぽう強いというイメージがあったようです。

 1976年、私が22歳で初めてフランスに渡った年、音楽的には私はなによりもまずヴェロニク・サンソンのアルバム『ヴァンクーヴァー』の年なのですが、 この年になんて日本の歌謡ポップスっぽい歌なんだろう、と思って聞いていた曲があります。日本の歌謡ポップスをカヴァーしたんじゃないか、と思ったほどです。歌い手さんは(フランスでは珍しい)熱唱型だし、のびのある歌唱力はたいへんなものだし、おばさんだし...。
 ニコル・クロワジールは1936年生れなので、この時40歳。私たちはクロード・ルルーシュ監督の『男と女』 (1966年)のサントラでピエール・バルーと歌っている女性として記憶してますけど、バイオグラフィー見るとすごく苦労した人なんですね。私の知る限りでは大ヒット曲は2曲しかありません。1975年の "Une femme avec toi"(日本題「あなたとともに」1975年第4回東京音楽祭の銀賞)とこの1976年の"Téléphone-moi"です。前者は日本でもシングル盤になった、終盤のクレッシェンドに悶絶する大熱唱で、キャロル・キング作の「ナチュラル・ウーマン」の歌詞をフランス風にしたような感じ。私はちょっとあっぷあっぷしちゃいますけど。それに引きかえ「テレフォヌ・モワ」は、詞も曲も歌謡ポップス風で、歌はほどよい熱唱で、私は大好きですね。
 この詞、今の男と別れて、違う男のもとに行こうとする、その断ち切れない心を断ち切って欲しい、勇気が欲しい、あなたの声さえ聞けばそれができるのに、っていうほとんど阿久悠ワールドですよね。

決めたわ、今夜私は出ていく
彼は何も知らずに新聞を読んでいる
彼に声なんかかけられない
別れるなんて言えっこない
私の視線は落ち着かない
私の思い出はあなたの心を追うの
私はあなたの声を聞きたい
勇気が足りないの、助けておねがい

私に電話して、私を呼んで、そして私に言って
私を愛してる、私を愛してる、私を愛してるって
私に電話して、私を安心させて、そして私に言って
私を愛してる、私を愛してる、私を愛してるって

彼は私を見つめ、私に微笑む
彼はずっと私と人生を分かち合ってきた
来年の春には
私と子供を作らなければ、って言ってた
私は空しさを感じ、もう底まで落ちたと思った
彼と別れて、あなたのもとに駈けていくために
私はあなたの声が必要なの
勇気が足りないの、助けておねがい

私に電話して、私を呼んで、そして私に言って
私を愛してる、私を愛してる、私を愛してるって
私に電話して、私を安心させて、そして私に言って
私を愛してる、私を愛してる、私を愛してるって

(ニコル・クロワジール"Téléphone-moi" 曲:クリスチアン・ゴーベール / 詞:ピエール・アンドレ・ドゥーセ)

ニコル・クロワジール「テレフォヌ・モワ」


2014年9月8日月曜日

友を選ばばシャンパーニュ

アメリー・ノトンブ『ペトロニーユ』
Amélie Nothomb "Pétronille"

 今年も「ラントレ・リテレール (la rentrée littéraire)」(晩夏から初秋にかけて、新刊小説が大量に出版される時期。年末の各文学賞へのレースの始まりでもある)がやってきて、この時期に23年間毎年新作小説を発表してきたアメリー・ノトンブは、お約束を忘れずに、今年も23作めの小説『ペトローニュ』を8月20日に上梓しました。
 前作『幸福なる郷愁』については拙ブログのここで紹介しましたが、 私にしてはかなり好意的な評価だったと思ってますよ。この作品はまだ日本語訳出版がないので、拙文を参照していただきたいのですが、彼女の重大なテーマである「日本」(そこで生れ、日本人乳母に育てられ、若き日に再滞在して極端に苦い体験をし...)にある種の落とし前をつけた小説でした。吹っ切れたと言いましょうか。だから新しい小説は日本と関係がないのです。しかし日本という「エキゾチック」な国を自由勝手にデフォルメすることによって「面白い」小説が書けていたノトンブは、この新小説で新しいエキゾチスムをフランスに求めます。彼女は「日本生れのベルギー人」であり、彼女にはフランスはまだまだ謎がいっぱいの国なのです。ディスカバー・フランス、と言うわけです。
 最初は酩酊の話です。上級外交官の娘だからというわけではないかもしれませんが、この「私」はおそらくドラッグ類とは無縁だと思います。しかし酩酊の恍惚状態の幸福というのは彼女にとっては欠かせないものであり、それをもたらしてくれるのがアルコール、とりわけシャンパーニュなのです。この恍惚の深みはひとりでの体験だと、度を越え、病院沙汰になってしまうということを知ったので、「私」は呑み相手が必要だと悟ります。呑み相手は「私」と気が合い、シャンパーニュの喜びを100%共有できる人でなければなりません。その相手を探すのに、作家である「私」は書店やブックフェアなどで開かれるサイン会を利用します。自分のサインを求めて集まってくるファンをいろいろ観察して「ポン友ハント」をするのです。
 ペトロニーユ・ファントは、そういうサイン会にひょんと現れた若い女性です。14〜15歳の少年を思わせる細身のアンドロギュノス娘は、この時22歳の大学生で、シェークスピアの同時代人クリストファー・マーロウベン・ジョンソンなどを研究していました。このマーロウ(1564-1593)というのがちょっと気になる人物で、貧民階級の出ながらシェイクスピアに先駆けてエリザベス朝演劇を確立したたいへんな戯曲家・詩人で、無頼生活を送り、29歳で町の喧嘩に巻き込まれて死ぬのです。それがこの少年のような若い娘と似ているということが小説が進むにつれてわかってきます。
 余談ですが、アメリー・ノトンブは読者から寄せられた手紙をすべて読み、それに対してひとつひとつ必ず返信する、ということを公言している作家です。ペトロニーユもそういう手紙を寄せる読者のひとりで、出会う前にすでに書簡交信があったのですが、それを知らずサイン会で献本者に名前を尋ねたら「ペトロニーユ」という珍しい名前を告げたその顔が、可愛い少年のそれだったので「私」は衝撃を受けます。その文章から年齢をかなり上と推測していたからです。この日「私」は この少年=少女と初めてシャンパーニュの杯を交わします。
 その2年後、ペトロニーユは作家としてデビューして、今度は「私」が彼女の処女作品のサイン会に出向いていき、二人は再会します。「シャンパーニュは持ってきた?」とデビュー作家は「私」に聞きます。その献本サインにペトロニーユは「アメリー・ノトンブ、私の庇護者へ」と書くのです。ここから、二人の本格的な呑友交流が始まります。
 二人は10歳の年齢差があります。この頃すでに「私」はベストセラー作家であり、金銭的に何の苦労もないばかりか、在日ベルギー大使などを歴任した上級外交官の家のお嬢様でもあり、長年ブルジョワ世界に浸って生きてきたわけですが、このペトニーユはジーンズ、皮ジャン、ドックマルテンスブーツしか纏わない娘で、パリ南郊外の労働者家庭に生れ、しかも父も母も共産党支持者であるという環境で育ちました。ノトンブにしてみれば、これは「エキゾチックでエキセントリックなフランス人」なわけです。マーク・トウェイン『王子と乞食』のように、ブルジョワの「私」は貧民のペトロニーユとその世界を発見していくのですが、この辺はナイーヴにも極端に戯画的です。例えば、アメリーの父パトリック・ノトンブがペトロニーユに発した「自動車を焼いたことがあるか?」という質問に、郊外娘は「そんなの13歳で卒業したわ」と答えたり、大晦日にペトロニーユに集まった家族・(共産党的)友人たちの会話で「北朝鮮のきびしい状況が続いている」という発言が「南朝鮮よりましだ」という意見によって(圧倒的多数で)否定されたり、といった描写があります。ま、笑って読み流すようなことでしょう。
 この世界も収入も違う二人がシャンパーニュの杯を重ねれば重ねるほど、親友のように、姉妹のように、恋人のように深い絆で結ばれていくのです。
 某有名女性誌から「私」は、ロンドンに行ってファッション・クリエーターのヴィヴィアンヌ・ウェストウッドにインタヴューして記事を書いてほしいという「特注」を受けます。雑誌担当者によると、日頃ウェストウッドはノトンブのファッション趣味のエレガントさを高く評価していて、必ずや良い出会いになるはず、ということだったので、「私」はこれまで一度も足を踏み入れたことのないイギリスに行くことを決心したのです。このクラスのこの有名作家にしてイギリス(&ロンドン)初体験とは意外。ユーロスターに乗って、意気揚々とロンドン入りしたのですが、(この部分は実体験だそう)ヴィヴィアンヌ・ウェストウッドは「私」を全くバカにした態度で、インタヴューにまともに答えないばかりか、アトリエを見せてほしいという希望を無視して、ウェストウッドはその愛犬を「私」に預け、近所を散歩して来い、と。しかも犬様はその道々でしっかりと雲古をしてしまいます。戻るとウェストウッドは「雲古はしたか?」「雲古はどんな形だったか?」とそんな質問ばかり。こうしてノトンブによる「ウェストウッド独占取材」は屈辱的に終ってしまうのです。
 このあまりにも大きすぎるショックに「私」はホテルに戻ってきても何もすることができず、閉じこもりを決め込みますが、屈辱の淵から思い切って受話器を取りペトロニーユを呼び出すのです。パリにいたペトロニーユは数時間後にロンドンに到着し、元英文科学生の彼女はロンドンを良く知っていて、「私」を夜のロンドンに連れ出し、気分を180度変えてくれるのです。「ギネスは泡と澄んだビール部分を分けて飲んではいけない、両方一緒に飲むのよ」なんて教示するのです。パブ、インド料理、大英博物館、フィッシュ&チップス、ドックマルテンス・ショップ...。これはアメリー・ノトンブにはカルチャー・ショックでしょうね。酩酊の中でロンドンを彷徨い、ペトロニーユはある小路に「私」を連れてきて「ここがクリストファー・マーロウが殺された場所よ」と言います。いいパッセージです。
 月日は経ち、あることないこと理由をつけてシャンパーニュを呑み合う二人の交流は続き、ペトロニーユは2作目、3作目と着実に作品を発表していきます。しかし、その作品への評価は高いものの、売れ行きには結びつかず、生活は非常に苦しいままです。壁にぶつかったと感じたペトロニーユは、ブレークを取る決心をして、サハラ砂漠徒歩縦断の旅へ出ます。出発の前にペトロニーユは「私」に自分の遺作となるかもしれない原稿を託します。「私」はその不在中に原稿の出版の手はずを整えるべく、原稿コピーをさまざまな出版社に「アメリー・ノトンブ推薦つき」で送りつけるのですが、「私」が著しく感動した作品でも出版社の門戸は簡単には開かれないのです。苦戦の末、ようやく1年後に某出版社から色良い返事が来た頃に、サハラ砂漠からペトロニーユが帰ってきます。以前に増してワイルドに変身したペトロニーユは、その原稿の出版OKのニュースにも無感動で、二人の間に大きな「格差」が生じてしまったことを「私」は悟ります。
 問題はまさにこの「格差」なのです。ペトロニーユの言葉を借りると、フランスでエクリヴァン(ecrivains 著述業を生業とする人、作家)と称する人たちで、それで生活が出来ている人は1%しかいないのだそうです。99%は喰えない。アメリー・ノトンブはそのハッピー・ヒューである2%のひとりですが、ペトロニーユは99%の側の人。「なぜ私はアメリー・ノトンブではないのか?」ー ここが核心です。ちょっと長いですけど(原作者および出版社に許可なしですけど)、この問題に関する二人のダイアローグ(p149 - p150)を以下に訳します。
(「私」)「それは世界で最も美しい職業なの。簡単にできることだと望んではいけないわ。」
(ペトロニーユ)ー 人があなたを見るとそれは簡単そうに見えるのよ。私はずっと作家になることを夢見ていたけれど、私はあなたを見たことによって、それを本気で試してみるべきだという気になったの。あなたができるのだったら、私でもできるはず、って思ったのよ。
「それは正しいことよ。」
ー それは間違いよ。それは才能の問題ではないの。私はあなたをよく観察したのよ。私はあなたに才能がないなんて言うつもりはない。私は長い間あなたを見てきた結果、才能だけでは不十分だとわかったの。その秘密、それはあなたの狂気よ。
「あなたは私よりも千倍も狂ってるわよ、薬を使おうが使うまいが。」
ー 私はちゃんと言ったわよ、あなたの狂気だって。あなたの狂い方のことよ。狂った人間たちは世の中のどこにでもいるわ。でもあなたのような狂人は存在しない。あなたの狂気が何でできているのかなんて誰も知らない。あなた自身も知らないでしょう。
「その通りよ。」
ー そう、そこにペテンがあるのよ。人はあなたのせいで作家になるのだけど、それはあなたの燃料を使いこなすことなど誰もできないということを知らないからなのよ。

 勇気ある自己分析でしょう。また、人は誰でもアメリー・ノトンブのような小説を書けると思うのですが、誰もアメリー・ノトンブのようにはなれない、という勝利宣言みたいにも読めます。
 小説の最後には「私」とペトロニーユとの格差はますます拡がっていき、貧乏作家は生活のために製薬会社の実験台としてありとあらゆる薬を飲まされたり、ゴチック趣味のバーで「実弾ロシアン・ルーレット」のショー芸人になったりするのです。「私」のオルター・エゴであるペトロニーユは、遂には対オルター・エゴである「私」を亡き者にしなければ生き延びることができなくなるのですが.... 結末はあかしませんよ。

 郊外で生れ育った貧しくワイルドな娘ペトロニーユは、アメリー・ノトンブ一流の誇張とデフォルメの結果、かなり魅力的なキャラクターで描かれています。自分のヘソしか見れない作家アメリー・ノトンブに対峙するオルター・エゴにこういう破天荒な人物をあてがうということが、この小説のうまさでしょう。特にモエ、テタンジェ、ペリエ=ジュエ、ドゥツ、ドム・ペリニョン... などと絡み合った二人の酩酊のダイアローグはまさに名調子。こんなにメリハリのあるノトンブの小説ってこれが初めてではないですか? また来秋、新作読ませていただきますよ。

カストール爺の採点:★★★☆☆

AMELIE NOTHOMB "PETRONILLE"
アルバン・ミッシェル刊 2014年8月 170ページ 16,50ユーロ 

(↓)アメリー・ノトンブ『ペトロニーユ』を語る。



 

2014年9月4日木曜日

今朝のフランス語:カファルナオム

capharnaüm [ kafarnaɔm カファルナオム ]
〈Capharnaüm ガリラヤの町〉
男性名詞 【話】いろいろな物が雑然と積み重ねられている場所、がらくた置き場
(大修館書店 新スタンダード仏和辞典)

 2014年9月4日午前8時半、ニュース専門テレビ局BFM TVのジャン=ジャック・ブールダンの番組「ブールダン・ディレクト」に出演したセゴレーヌ・ロワイヤル(現環境相、2007年大統領選挙候補、現大統領フランソワ・オランドの元パートナー、オランドとの間に4人の子供がある)が、ほとんど開口一番に発した単語です。私なりの表現で言い換えますと「ブールダンさん、今朝私をここに呼んだのは私が取り組んでいる環境とエネルギーの重要な仕事のことよりも、あのカファルナオムについて私がコメントすることを望んでのことなのでしょうが、私は何も申し上げるつもりはありません」というふうなニュアンスです。  
 このカファルナオムの元は、2014年春に関係を解消したフランソワ・オランドの元伴侶(結婚していないので、大統領夫人ではなく大統領ガールフレンドだった)ヴァレリー・トリエルヴェレールが、告白手記本 "MERCI POUR CE MOMENT"(『この時をありがとう』Les Editions des Arènes社刊)を出版する、しかもその発売日は今日9月4日なのです。出版社の戦略で、極秘にドイツで印刷され、週刊パリ・マッチ誌8月28日号(↑表紙)に独占でその抜粋が掲載されたほかは、マスコミにも一切情報を流していない状態で発刊されるのです。初版は(ラジオEurope 1の数字では)20万部刷りだそうです。大ベストセラー間違いなしという読みです。誰も読んだことがない本が、すでに大変な騒動になっている、というこの状態をセゴレーヌ・ロワイヤルはカファルナオムと評して揶揄したわけですね。

 ところでこの語の元になったガリラヤ(「パレスチナ」と書くか「現在のイスラエル」と書くか、それで書く側の人のポジションが判断されたりしますが、ガリラヤ湖を囲む地方)の町カファルナオム(フランス語読み)は、日本では一般に「カペナウム」とカタカナ表記されるようです。イエス・キリストの伝導した最も重要な町で、多くの難病者たちを癒し、悔い改めを人々に説きましたが、カペナウムの人々はそれに従わなかったので、イエスはこの町は「ハデスに落とされる」と予言したそうです。
 フランソワ・オランドが大統領になってからもう2年半になろうとしているのですが、オランドが並べたあらゆる公約に何も成果を出せない昨今の政権政党ソシアリストたちは、本当に悔い改めない人々だと思いますよ。このままでは滅びますよ。 


(↓)2014年9月4日BFM TV「ブールダン・ディレクト」のセゴレーヌ・ロワイヤル。8秒目に「カファルナオム」という言葉が発せられます。