2014年6月22日日曜日

四季四季バンバン

『ジャージー・ボーイズ』
"Jersey Boys"
2014年アメリカ映画
監督:クリント・イーストウッド
主演:ジョン・ロイド・ヤング(フランキー・ヴァリ)、エリック・バーガン(ボブ・ゴーディオ)、クリストファー・ウォーケン
フランス公開:2014年6月18日

 同名のブロードウェイのヒットミュージカルの映画化作品で、監督はクリント・イーストウッド。イーストウッドにはこれまで音楽映画が2編(1982年のカントリー音楽映画『ホンキートンク・マン』、そして1988年のチャーリー・パーカー物語『バード』)あり、その音楽への造詣と愛情はよく知られるところです。ところが、この映画はすでにミュージカルで成功しているという事情があり、映画作家イーストウッドとしては、ただのミュージカル映画にしてはなるものか、という映画人アプローチがここかしこに感じられる作品です。この映画にジャック・ドミーを想ってしまうのは私だけではないと思いますよ。
 フォー・シーズンスという60年代に実在したポップ・グループの物語です。タイトル『ジャージー・ボーイズ』はこの4人組がニュー・ジャージーから出てきたバンドであることに由来しています。 歴史的にこのグループは、60年代中期、ビートルズが米ヒットチャート1位を独占することを阻止することができたほどの奇跡的な人気を誇っていました。その最初はニュー・ジャージーのイタリア系不良少年だったのです。特にその不良のボス格がトニー・ディヴィート(演ヴィンセント・ピアッツァ)で、ストリートにたむろするイタリア系少年たちを組織して窃盗、空き巣、倉庫破りなどを働いていました。刑務所の経験もあります。そのトニーの手下にフランキー・カスタルーチョ(のちのフランキー・ヴァリ、演ジョン・ロイド・ヤング)とニック・マッシ(演マイケル・ロメンダ)がいて、窃盗団だけではなく、音楽バンドもやっていた。ブラックミュージック(ドゥワップ)に強く影響されたコーラスポリフォニーが優れていたのですが、それよりもなによりも、稀な声質、稀な声域、稀な歌唱力を持った少年フランキーのリードヴォーカルが光っていました。この町のイタリア系住人たちを影で牛耳っている(つまりマフィアということですが)大物がジップ・デカルロ(演クリストファー・ウォーケン)で、トニーやフランキーたちの畏敬の念はたいへんなものです。このデカルロがフランキーの声に涙を流すほど惚れ込んでいて、フランキーの成功を願い、金のことで困ったら何でも相談しろとまで言ってくれるのですが、後年フランキーが困っても解決の役にはなってくれません。
 さて、このバンドが成功のきっかけを掴むのは、当時17歳だったキーボディスト/作曲家のボブ・ゴーディオ(演エリック・バーガン)の加入によるものです。この辺は原作ミュージカルの筆頭制作者のひとりがボブ・ゴーディオ自身であるため、多分にボブ・ゴーディオストーリー的な重さが加わってしまうのはしかたないのですけど、このバンド参加の際のトニーとの確執はず〜っと後を引きます。トニーは自分のリーダーシップが失われる危機を感じ取ったからです。
 しかしボブはいい曲を書きます。フランキーの声を最も魅力的に引き立たせる曲ばかりです。これをなんとかレコード化しようという時に、スタジオ料を高利貸しから借りて調達したのがトニーでした。全米ナンバーワン・ヒットとなる「シェリー」 はこうして生まれます。それから「恋のヤセがまん」「恋のハリキリ・ボーイ」と続けざまにナンバーワン・ヒットを放ちますが、映画はそのそれぞれの誕生エピソードが短く描かれています。要はボブがどんなものにインスピレーションを受けたかということなんです。
 因みにバンド名も、いろいろ名前を変えたあげく、ボブと3人が出会ったボーリング場の名前(ネオンサインが点滅します)が "Four Seasons" であったことに4人が霊感を感じ取ったからなんですけど、「四季と言えばヴィヴァルディ」、というのがイッパン人の連想ゲームではないですか。 ここにイタリア系人のアイデンティティーもあるわけですよ。
 大ヒットが続き、テレビ出演や全国ツアーで大忙しになったセレブのフォー・シーズンスですが、人気の頂点時のテレビのエド・サリヴァン・ショーの楽屋にかの高利貸しが現れ、フォー・シーズンスに借金の返済を要求します。そこからバンドは、トニー・ディヴィートの借金、使い込み、脱税.... その総額が到底返済できる程度のものではないことを知るのです。
 この問題の調停をフランキーはマフィアのドンであるジップ・デカルロに依頼します。このデカルロ邸でのバンド4人と高利貸しとデカルロの会談がこの映画のヤマです。マフィアのドンは貫禄ばかりで、何もしてくれません。ほとんどすべての責任はトニーにあり、これまで4人の中で最も控えめであったニックが遂に切れてバンドを脱退します。トニーは地方隠居をよぎなくされます。しかし借金問題はどうするのか? それをフランキーは俺が全部返済してみせる、と言うのです。なにゆえのこのマゾヒスム?
 それからと言うもの、フランキーはスターの座を捨て地方のキャバレーのドサ回りをすることによって、借金返しの日々を送るようになります。その間にフランキーの家庭は崩壊し、歌手を目指していた娘はドラッグ浸けになって死にます。イタリア人の血は、何よりも家庭が大切、とフランキーに言わせていたのに、その彼は他人が作った巨額の借金のために家族を犠牲にしてドサ回りをしている。なにゆえのこのマゾヒスム?
 それは「親の血を引く兄弟より〜も〜」と解釈していいのでしょうか。つまり、少年の日に、トニーはニュー・ジャージーのストリートのどん底から俺を引き揚げて仲間にしてくれたんだ、俺に音楽を教え、俺に仲間を与えてくれたんだ、というのが、今日のフランキーの一生の恩義であるわけですね。この辺を仁義や侠気で描くというのが、ま、いわゆるひとつの映画のレトリックなんです。クリント・イーストウッド、うまいと思いますよ。それはおのずと「イタリア的」であることから浮かび上がってくるものではありますが。
 映画の最後は1990年、ザ・フォー・シーズンスがロックの殿堂入りを果たし、トニー・ディヴィートを含むオリジナルメンバー4人でのステージのシーンに続き、エンディングからクレジットタイトルのスクロール画面では、全員がストリートに出て、マフィアのドンやら娘たちやら主演者全員が総出で「おお、わっらないと」(1963年12月 - あのすばらしき夜 - - December, 1963 - Oh, What a Night )を歌って踊るという素晴らしい映像です。これはね、私はジャック・ドミー『ロッシュフォールの恋人』の噴水広場での最後の集合ダンスに匹敵するほど美しいと思ったのですが、この歌「おお、わっらないと」はフランスではザ・フォー・シーズンスの歌としてはほとんど認識されておらず、クロード・フランソワ(1939-1978)の1976年の大ヒット曲"Cette année-là"としてしか知られていないということが、フランスの映画館内の反響に微妙な影響があるのでは、と余計なことまで考えてしまいましたよ。

カストール爺の採点:★★★☆☆

↓『ジャージー・ボーイズ』予告編

2014年6月14日土曜日

心の赤あざ

 『ラ・リトゥルネル』
(日本公開タイトル『間奏曲はパリで』)

2013年フランス映画
"La Ritournelle"
監督:マルク・フィトゥーシ
主演:イザベル・ユッペール、ジャン=ピエール・ダルーサン
フランス公開:2014年6月11日

 今年の東京の「フランス映画祭」の参加作品で、日本題がどういうわけか『間奏曲はパリで』となっています。原題の"La Ritournelle"には「間奏曲」と言う意味はありません。音楽用語(イタリア語)で間奏曲はインテルメッゾ。フランス語のリトゥルネルは、音楽用語(イタリア語)のリトルネロに由来していて、当ブログで私はこのことをル・クレジオの小説『飢餓のリトルネロ』(2008年)のところで説明しています。これは主題が何度も繰り返される作曲形式で、日常用語的にはくりかえしや反復やリフレインや決まり文句やよくあることといった意味になります。
 そんなことにひっかかってないで先に行きましょう。
 場所はノルマンディーです。パリから車で2時間、電車ならば1時間半、そこはよく雨が降り、牧場が広がり、肉牛や乳牛が風景となっている地方です。グザヴィエ(ジャン=ピエール・ダルーサン)とブリジット(イザベル・ユッペール)は畜産業を営む夫婦で、それも毎春パリで開かれるフランス農業展の肉牛品評会で優勝するほどの、ある種ハイクラスに位置する農家です。しかし役どころとは言え、女優イザベル・ユッペールが農業展出品の巨大な牛にブラシをかけたり、牛の出産を手伝ったりという姿は結構堂に入ったもので、明るい農村を思わせます。グザヴィエは実直・無骨な畜産マンで、アートやファンタジーの心を保持しているブリジットとは対照的です。例えば映画冒頭で、肉牛品評会に出場する雌牛にブリジットがちょっと目立たせるために、おもちゃの女王様の冠をかぶせたがるのですが、グザヴィエは「おまえはこの牛を落選させたいのか?」と相手にしません。ま、こういう冒頭からもうトーンは感じられるわけです。つまり、この夫婦は倦怠期にある、と。
 息子は家業には全く興味がなく、サーカス学校に入学してアクロバット・アーチストを目指しています。なんでそんな道に進んだのか、と周囲の人間たちは思うのですが、それが母親ブリジットから受け継いだDNAであるということをグザヴィエは映画の後半で悟ります。息子が不在でこの畜産農家は夫と妻、そしてたった一人の頼りになる従業員レジス(ジャン=シャルル・クリシェ)の3人で稼働しています。何十頭という牛をこの3人が飼育管理し、経理会計などはブリジットがキーボードを叩くという具合。牛舎の修繕やら牛の出産やら、毎日やることは山ほどある。そういう日々をこの夫婦は30年近くも生きてきたわけです。
 ブリジットには胸の上部に原因不明の紅斑があり、皮膚科治療でも消えず、忙しさにかまけて放っておいています。気にならない。これを気にかける男はどうせこのグザヴィエしかいないんだから、という気持ちでしょう。それが気になり始めるのです。
 ある日ブリジットは土地のスーパーで店内に流れている音楽が耳から離れなくなります。何だったっけこの曲? スーパーのレジに聞いてもわからず、管理人に聞いてもわからず(「これは本社が送ってくるソフトを流しているだけですから」なんて言うのです)...。お立ち会い、よろしいですか? これがリトゥルネルなのです。頭の中で反復してしまうメロディー、リズム、ハーモニー。耳からも頭からも離れなくなる必殺のリフレイン。映画の重要なテーマがここにあります。
 そしてグザヴィエ&ブリジットの住居の隣りの大きな一軒家を使って、姪のマリオン(おお、『バード・ピープル』 のアナイス・ドムースティエ!)が若い衆をわんさと呼んでパーティーを開きます。その集まってきた若い衆の中に好男子スタン(ピオ・マルメ)がいます。娘たちの中でスタンを目当てにこのパーティーに来た子もいるのですが、「俺には若すぎるんだよね」と見向きもしないスタンなんですが、ブリジットには誘惑的な視線を浴びせるのです。
 夜が更け、畜産夫婦は床につくのですが、隣家のパーティーは最高潮。眠れないブリジットが階下に降りて、タバコを吸っていると(そう『バード・ピープル』もそうでしたが、この映画も登場人物のほとんどがタバコを吸う 。タバコ復権の傾向か?)、トントンと窓戸を叩くスタンがいます。一緒にタバコを吸い、文学の話などをひとしきり(グザヴィエとは絶対にできない話でしょう)。打ち解けたムード。スタンは隣家のパーティーに来いよ、と誘います。そしてブリジットは着替えて、きれいきれいになって、若い衆で熱気ムンムンの隣家に乗り込んで行きます。
 スタンはすぐに飛んで来てホスト役を買って出ます。けたたましい音楽の中で、スタンはブリジットに「とてもきれいだよ」と言います。「え、今何て言ったの?」、するとスタンは大声で「とてもきれいだよ」と繰り返します。もう何年もこんなセリフ聞いたことないわ、そんな感じの顔をします。そこに、あのスーパーで聞いた音楽が介入します。「え?これこれ、この音楽なのよ、私がずっと頭について離れなかった音楽!」とブリジットはぴょんぴょん跳ねの喜びを表現します。スタンはすかさず「レッツ・ダンス!」とピストに誘い出し、二人は酔いしれるように踊るのです。
 この時、ブリジットにはもう何年も何十年も失っていたある感覚がぞわ〜っと蘇ってくるのです。2014年的流行ことばで言えば「パルピテーション」でしょうか。イザベル・ユッペールの実生活での年齢は今年61歳です。この役どころではグザヴィエも含めて55〜65歳層でしょう。つまりわれわれ中高年です。そんな歳でもパルピテーションはある日突然に還ってくる。あなた、身に覚えがあるでしょう?
 ここから物語は同じノルマンディーを舞台にしたギュスタヴ・フローベールの小説『ボヴァリー夫人』の軽めのコメディー映画版ヴァリエーションのような展開になりますが、ブリジットの軽い狂気は止まらなくなるのです。グザヴィエには、胸の紅斑の治療のために、パリの高名な皮膚科医とアポイントと取れたと理由をつけて、パリに2泊旅行を敢行してしまいます。それはあの若くて魅惑的なスタンに再会するため。なぜ皮膚科医とのアポのために2泊を要するのか(ノルマンディーですから日帰り距離なのです)、とグザヴィエは訝しみます。しかもたくさんの着替え衣装を持って!「私だってたまにはパリでショッピングしたいわよ」とブリジットは切り返します。
 (はしょります)スタンとは再会できるのですが、こいつぁダメだった、という話。しかし、逗留したパリのホテルで、国際会議のためにやってきた中高年デンマーク人ジェスパー(ミカエル・ニクヴィスト)と出会い、その北欧人らしからぬラテン的なオープンで積極的な身のこなしと懐の厚さで、ブリジットはどんどん魅了されていきます。後半のスタンに見えてくる「パリ的」な上辺の薄さとクールネス(言い換えれば冷たさですが)と対照的です。言わば気のいい紳士のようなオッサンというキャラです。ノルマンディーとデンマークという田舎から出てきた「お上りさん」二人という態の、くっついては離れ、くっついては離れのパリの追いかけごっこです。たとえ1日だけでも、こういうほのかなパルピテーションの舞台に、パリはこの上なく美しいのです。(この辺を強調するということでは『間奏曲はパリで』という日本語題はそれなりに意味あるんですが、本筋は絶対にそれではない)。
 ところが、この追いかけごっこの後方に、もう一人ブリジットを追跡していた者があるのです。グザヴィエは パリの皮膚科医とのアポということがウソとわかって、いてもたってもいられなくなり、ブリジットを追ってパリに来ていたのです。グザヴィエはブリジットとジェスパーが仲良くパリを闊歩しているシーンを見てしまい、大ショックを受けるのですが、そこで「不倫の現場見つけたり!」と登場してその場をぶちこわすのではなく、「なぜなんだろう?」と問題を熟考してしまう優しさが(何十年ぶりに)グザヴィエに蘇ってしまうのです。
 グザヴィエは普段ブリジットをその名前ではなく、あだ名で「プティット・ベルジェール(可愛い羊飼い娘さん)」と呼びます。そのあだ名の由来は、二人がまだノルマンディーの農業高校の生徒だった頃、その農業的な自分の将来を、先生のどんな職業に就きたいかという質問にブリジットは「羊飼い」と答えた、ということなのです。羊飼いとは、20-21世紀的な農業の分野においては、既に「終ってしまった」「存続することが非常に難しい」職業です。それを敢えてそう答えた若き日のブリジットに、若き日のグザヴィエは心動かされ、これは徒者ではない、と思ったのです。恋はこんなところから芽生え、二人は夫婦になったのです。よくある話かもしれません。これもリトゥルネルなのです。
 そういう話をグザヴィエは思い出して、彼はパリに来たついでにオルセー美術館に行き、ジャン=フランソワ・ミレー画の「羊飼い娘とその群れ」 に見入り、その絵葉書を買ってしまうのです。
 リトゥルネル=繰り返されるよくある話はこの映画の大きな軸です。ノルマンディーに帰って、グザヴィエはそのショックから、留守番役をしてくれたレジスに「俺の妻は不倫をした」と告白します。するとレジスは「あんた不倫をしたことがないのか?」と切り返します。あの時ブリジットはあんたと同じように泣いていたよ、と。「何でそんなことを知っているのだ?」と問い返すグザヴィエに、「俺は何十年もあんたたち夫婦を見てきたよ。だからあんたたち二人が愛し合っていることはよく知ってるんだ」とレジスは賢者のような口を聞きます。グザヴィエはそれが信じられずに、なんでブリジットはそういうことを知ったのだ?と聞きます。「今のあんたと同じように、ブリジットはあんたを追跡してたのさ」。「だからブリジットはあんたの元に帰ってくるよ、俺はよ〜く知ってるんだ」とレジスは確信をこめてグザヴィエに言います。
 倦怠期→不倫。これはよくある話です。よくある話(リトゥルネル)だけでは映画にならないはずなのに、この映画のもたらしてくれる幸福感は極上です。
 ブリジットはそのパリの夜の最後をデンマーク人ジェスパーと同じベッドで過ごすのですが、その胸の赤い斑点に気付いたジェスパーは、死海(イスラエル)の水で治るよ、と教えてくれます。ウソか真かわからないこの話をブリジットはその一夜の思い出として取っておきます。
 ノルマンディーに帰ってきたブリジットは、(実際の話を知っているくせに)グザヴィエの「皮膚科医の診察はどうだった?」という質問に「死海の水が効くらしい、と教えられた」と答えるのです。グザヴィエはすぐさま死海への二人での旅行を手配し、ブリジットにプレゼントするのです。
 何が何だかわからないブリジットは、ある日、グザヴィエの引き出しの中から、オルセー美術館のミュージアムショップの袋を見つけ、その中にミレーの羊飼い娘の絵葉書と、そのレシートチケットを見つけ、あのパリの不倫旅行の日にグザヴィエがパリに居たことを知り、すべてに合点がいくのでした。
 このめちゃくちゃに優しい不倫映画の最後は、死海(塩分が極めて多いので、水に入ると浮き袋なしで、体がプカプカ浮く)でプカプカ浮きの遊泳を楽しむブリジットとグザヴィエの図で終ります。リトゥルネルはこんな風に自然に還ってくるのです。中高年でないと了解できない話かもしれません。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『ラ・リトゥルネル』予告編

 
 
 

2014年6月10日火曜日

アメリー・アメロー

アメリー・レ・クレヨン『メリ・メロ』
Amélie-Les-Crayons "Méli-Mélo"

  2002年から珠玉のスタジオアルバム4枚、ファンタジーあふれるライヴDVD2枚、もうアメリー・レ・クレヨンの魅力は知り尽くされているでしょうが、前作『海にいたるまで』のツアーのあと、息抜きにベスト盤を作ろうか、という話があったそうです。デビュー10年を超えたのですから、ベスト盤というのはごく自然な(ショービジネス的な)なりゆきです。ところが、アメリーさんはそれを嫌がって、やるんだったらアルバム既収録のヴァージョンは外して、未発表&レアだけでということにしたのです。アメリーの代表的な楽曲を未発表ライヴと、別テイク、ラジオセッション、別アレンジの再録などで集めた15トラックに加えて、私のインタヴューの時も若い日のアイドルだったと言っていたブールヴィル(アメリーの芸名の元「レ・クレヨン」の歌手)の「アイルランドのバラード」のカヴァー(実はこのトラックが私は一番好きです)、敬愛する童話シャンソン(ファビュレット)の大御所アンヌ・シルヴェストルとのデュエット「疑う人々(Les Gens Qui Doutent)」(シルヴェストル作)、そしてアメリーの同時代人の軽妙シンガー・ソングライター、アルドベールとのデュエット「いま何時?(Quelle heure est-il ?)」、さらにリミックス1トラック、インストルメンタル1トラックの合計20トラックのCDアルバム。シンプルなディジパック装(アメリーにしては凝らない装釘など初めて!)の作りで、黒い「目出し目隠し」(こんな日本語ないですね)のアメリーさんのいたずらっぽさが光る素敵なフロントカヴァーです。
 「メリ・メロ」とはフランス語の話語表現で、スタンダード仏和辞典では「ごたまぜ、ごった返し」という訳語が載っています。たしかにゴチャゴチャで、泉のように溢れ出る想像力であれもこれものアイディアをこなしてしまうアメリーさんの本領がよく出ています。でも基本的にステージの人。あのステージでの八面六臂のハチャメチャもさることながら、しっとりとポエジーを体現してしまうアメリーさんの表現は、絶対にライヴにまさるものはありません。
 不思議な力を持った少女の声、語るストーリーがふわふわしていたり、夏の雨上がりのように涼やかだったり。しあわせに近いですよ。

<<< トラックリスト >>>
1. LA MAIGRELETTE & LE GROS COSTAUD (LIVE)
2. LES PISSOTIERES (LIVE)
3. MON DOCTEUR (REVISITE)
4. TA PETITE FLAMME (REVISITE)
5. LA BALLADE IRLANDAISE (BOURVIL COVER)
6. TOUT DE NOUS (LIVE)
7. CHAMELET (REVISITE)
8. CANNIBALE (REVISITE)
9. PORTES !
10. LA GARDE ROSE D'ELIZABETH (LIVE)
11. LES GENS QUI DOUTE (ANNE SYLVESTRE) (avec ANNE SYLVESTRE)
12. LE P'TIT CAILLOU (REVISITE)
13. LE LINGE DE NOS MERES (REVISITE)
14. LES FILLES DES FORGES (LIVE)
15. LE DANSEUR DE LUNE (REVISITE)
16. QUELLE HEURE EST-IL (ALDEBERT) (avec ALDEBERT)
17. LES JOURS DE NEIGE EN VILLE (LIVE)
18. LES COUSSINS ?
19. TA P'TITE FLAMME (REMIX)
20. TA P'TITE FLAMME (INSTRUMENTAL)

AMELIE LES CRAYONS "MELI MELO"
NEOMME CD OP19AC3250
フランスでのリリース:2014年6月23日

(↓)"MELI MELO" MIXTAPE


2014年6月9日月曜日

空港とホテルとスズメ

『バード・ピープル』
2013年フランス映画
"Bird People"
監督:パスカル・フェラン
主演:アナイス・ドムースティエ、ジョシュ・チャールズ
2014年カンヌ映画祭「ある視線」出品作
フランス公開:2014年6月4日

 ゲイリー・ニューマンというのがジョシュ・チャールズ演じるアメリカ人ITエンジニアの名前です。綴りこそ"Newman"となっていますけど、私のような20世紀人にはゲイリー・ニューマンと言えば、当然この人です。

 人間がアンドロイド化していく近未来を80年代的に退廃的に表現したのがこの音楽アーチスト、ゲイリー・ニューマンだとすると、この映画のゲイリー・ニューマンは人間のままでロボットのような極度のタスクをこなし、ある日それがキレてしまうのです。
 時はある年の12月、場所はパリ(+パリの空港であるロワッシー)。多国籍間の大企業間の契約のカギを握るタスク修正が、このゲイリーの肩にかかっていて、パリでの折衝会議のツメのために、ゲイリーは翌日ドバイの現場に飛んで、その問題を12月31日までに解決する任務を負わされていました。ドバイへのフライトは翌朝8時。そのためにゲイリーはその夜の宿泊をCDG空港のホテルに変えて、翌朝のために万全を整えます。
 その夜ゲイリーはエアポート・ホテルの部屋で、深夜に目が覚め、眠れないのです。眠れないどころか、この日までのストレス、不安、圧迫感、強迫観念などが一挙に爆発して(今日的日本語では「キレて」) 、もうすべてを放棄して、「いち抜〜けたっ!」を決め込むことにしたのです。ドバイに行かない。ビジネスを放棄する。妻と子供たちを見捨てる。もうこんな生活には二度と還らない。
 映画はビジネス上のパニックを描き、次いで、長〜いシークエンスの妻エリザベスとのスカイプ対話のシーンがあります。ゲイリーの心は変わりません。もうこの世界がどうなろうが、俺の決心は変わらない。それは「俺は自由を選んだ」という能動的なものではなく、「俺はもうこれ以上この生活を続けられない」というギリギリの叫びなのです。
 一方、そのエアポート・ホテルでルーム係としてパートで働く女子学生オードレイ(演アナイス・ドムースティエ)がいます。彼女は2014年的な、経営者側に言われるままの条件の労働を強いられ、いつかは「キレる」だろうことを知っています。そして仲間の多くは「キレ」そうな人間ばかりなのです。ホームレスで車の中に寝泊まりしながらホテルで夜番のレセプション係を務めるシモン(ロシュディー・ゼム)、何度誘っても動かないオードレイをなんとかして外に連れ出そうとする女友だちレイラ(歌手のカメリア=ジョルダナ、好演です)...。そしてこの条件で自分を殺すのはもう絶対に出来っこない、と思った時、オードレイには奇跡が起こり、エアポートホテルの屋上で、オードレイはスズメに変身してしまうのです...。
 この映画を評する新聞&雑誌の記事は、このスズメ変身を記述していません。これは映画の核心のネタバレだからです。しかしスズメに変身したオードレイの自由と歓喜は、この映画の詩的表現の魔法のすべてなのです。この映画を観る人でこの魔法に酔わない者がありましょうか。カメラアイは私たちを鳥にしてくれるし、私たちはオードレイのスズメ変身中、間違いなく鳥の仲間なのです。そして実際にスズメの仲間になってしまう人間まで現れるのです。エアポート・ホテルに「引き蘢って」筆ペン画を描いている日本人画家アキラ(演タクリット・ヴォンダラ)がそうです。そのアキラが人間の娘に戻ったオードレイをこちら側の世界に再び迎えてくれるのです。
 映画は絶望から違う世界に出ようとした人間たちの出会いで終ります。ゲイリーは鳥から人間に戻ったオードレイと出会い、オードレイは自分たちは"pareil"(似通っている)と思うのです。オードレイ、シモン、レイラ、アキラ、そしてゲイリーはみんな鳥になりたがっている同類である、と。タイトルの『バード・ピープル』 はここで了解されるのです。
 詩的でわかりやすく、極端な21世紀的な状況に生きる人たちに、勇気を与えてくれる映画です。飛ぶことを恐れてはいけません。
 スズメに変身したオードレイが空港滑走路に沿って飛び、そこから急上昇する時に、デヴィッド・ボウイーの「スペース・オディティー」が流れます。なんてわかりやすい。20世紀人はここで泣いてしまうかもしれません。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『バード・ピープル』 予告編