2014年3月30日日曜日

男らしいってわかるかい

エドゥアール・ルイ『エディー・ベルグールにケリをつける』
Edouard Louis "En finir avec Eddy Bellegueule"

 作者エドゥアール・ルイは現在21歳の学生で、これが小説第一作です。はっきりと自伝フィクションであると言っています。国営TV局フランス5の読書番組「ラ・グランド・リブレーリー」に出演した時に、作者はこの原稿をさまざまな出版社に見てもらったのだけど、「こういう社会は今日のフランスでありえない」「過剰に戯画的で現実から離れすぎている」という理由で拒否された、と語っていました。そんな現実はパリの出版界、すなわちいわゆるジェルマノプラタン族(かつて大手出版社が6区サン・ジェルマン・デ・プレに集中していたので、その編集者たちや界隈のカフェやホテルに打ち合せでやってくる作家やジャーナリストたちのことを指す言葉です)からは見えっこないのです。というわけで、まずこの原稿を発掘して出版したスイユ社に敬意を表します。
 自伝的と言われるからには、作家の年齢から察するにこの小説の展開する時代は1990年代末から2010年頃までです。つまり昨日今日の話なのです。場所は北フランスの小さな村です。一番近い国鉄の駅まで15キロ。この距離からこの村は世界から隔絶されているとは想像しづらいのですが、この小説ではフランス最深部です。千人に満たぬ住人たちは皆が皆のことを知っていて、その皆がこの村で生まれてこの村で死んでいく者たちなのです。村には工場があり、農家や商家や公務員でない家に生まれた男児はすべてこの工場で働くことになっているのです。何百年もそんなサイクルで動いている村なのです。だから男の子供は勉強なんかする必要がない。どうせ工場で働くのだから。義務教育が終われば「CAP」(職業適正資格)をもらって工場に勤めるようになる。勉強してよい成績を上げて高等教育を受けて都会に出て高給の仕事に就く、というヴィジョンを村全体が最初から挫いているのです。おまえはそんなことをしなくてもいい。
 その代わり、男として生まれてきたからには、本物の「男」に成ってもらわなければ困る。小説では "un dur(アン・デュール)"という言葉で表現されています。ワルでいいから、頑強で、怖いもの知らずで、マッチョでなければならない。フットボールがうまく、(極端に)アルコールに強く、女性への欲望に満ち満ちていなければならない。そういう男でなければ、そいつは村中から徹底的に苛められるのです。
 このムラ世界において、女性はどうかと言うと、やはり学校なんか行かなくてもいいから、早く男を見つけて子供を産んでテレビ見ながら家事をして最後まで家族の面倒を見ながら歳老いて死ぬ、という20世紀的なコンディションなのでした。少年(あるいは男)が交際相手を変えるということは、どこかの国のようにむしろ「男の甲斐性」として擁護されるのに、少女(あるいは女)が同じことをすると「尻軽」「娼婦まがい」の罵倒が待っているのです。
 その上、主人公エディーの家庭には極端な貧困という問題があります。小屋のような家屋に一家6人で住んでいる。典型的な un dur であった父親は中卒後皆と同じように工場労働者として働きますが、背骨に障害を起こし働けなくなってしまう。治癒後に希望のない求職活動をしますが、(村の多くの男たちと同じように)アル中になってしまい、職探しを断念してしまう。RMI(復職準備最低収入)だけで家族6人を養うことなど絶対的に不可能です。衣食住の経費をいくら切り詰めても喰えないものは喰えない。「心のレストラン」に援助を求めたり、父親が釣ってきた魚を食べたり、村の食料品屋で前借り(この交渉は常に幼いエディーの役目)で買ったり、という生活苦の中で生きています。
 エディーはこの父と母の最初の子ですが、上に母の連れ子である義兄と義姉がいます。母の前夫はアル中で死んでいます。この小説では男たちは例外なくアル中です。義兄もまた un dur でアル中で極めて暴力的であり、口論の末自分の義父を殴打し重症を負わせるということまで平気なのです。こういう暴力とアルコールと男性原理が支配するムラ世界に、エディーは生まれます。父も母も「男の子」の誕生を望んでいた。父も母も喜んでいましたが、エディーはちょっと変わった子供だったのです。それは成長するにつれて、ものの言い方や仕草に顕著になってきます。父親は手荒な方法を使ってでも、エディーを「男の子」にしようとします。自分のような un dur になれ、というわけです。
 
 子供時代に関して僕は幸福な思い出など一切ない。これらの年月の間、僕は幸せや喜びの感覚を味わったことなど一度もない。苦痛という全体主義に支配されていた。そのシステムに入りきらないすべてのものはそれによって抹消される。

 これが小説の最初の4行です。それに続いて、中学(コレージュ)の廊下で、新入生だったエディー(十歳)を二人の上級生(大柄の赤毛、小柄の猫背)が待ち伏せしていて、エディーの顔に痰を吐きかけるシーンになります。「おまえがうわさのペデ(ホモ野郎)か」。この痰の吐きかけとそれに続く殴る蹴るの暴行は、二人の上級生がコレージュを卒業するまで、毎朝の儀式として続くのです。
 この少年が受ける苛めと差別と迫害が、この小説の大部分であり、この小説はこれに尽きるのです。読む者は(フランス人の大部分はということでしょうが)こんなフランスが20世紀末〜21世紀初頭に存在したとは信じられないのです。しかし、2012年〜2013年、みんなこんなものは時代の趨勢で当たり前でしょうが、と思われていた「同性婚法(Mariage pour tous 法 2013年5月17日国会可決成立)に、轟々と反対する勢力があり、デモに100万人を動員するフランスが確実に存在していたのです。私にはわからない。こんなフランス(反ホモ、反同性婚...)があったということは、少なくとも私には信じられなかった。ところが、この小説は、フランスの地方の現実は21世紀的現在において、こういう状態なのだ、ということを実体験として語っているのです。
 小説は少年の「性の目覚め」(否応無しに自分は「普通の男の子」とは違うという目覚め)と、それへの抵抗(なんとかして「男」になろうという度重なる試み)と、その挫折が描かれます。もう、どうしてここまで、という打ちのめされ方です。無理矢理、女の子に興味を持ち、女の子と交際し,女の子と肉体的に交わることによって「男」になろうとします。果たせません。
 すべてのことやり尽した少年エディーはこの地獄から脱して、自分が自分として生きるためには、両親・家族・村と決別するしかないと悟り、脱走計画を練るようになるのです。
 「エディー・ベルグール」(美顔のエディー、イケメンのエディー)という本名かどうかわからない、意味深な姓名はこの小説の大きなカギです。「エディー 」というそれまでフランスに存在しなかったファーストネームは、父親がテレビのアメリカ産連ドラにインスパイアされてつけた名前だと言います。「エディー」、「ジャッキー」、「ジミー」.... こんなファーストネームを持ったフランス人は確かに地方部に多いと思います。テレビはこんなふうにフランスの貧困の慰みになっていたのです。この北フランスの小村のエディーの家庭でも一家の中心はテレビなのです。父親も母親も昼夜つけっぱなしのテレビだけが、ムラの外の世界とつながっていることのすべてになっているのです。ところが誰もムラの外には出ようとしない。われわれの世界はここなのだから、これでいいじゃないか、という閉鎖性、この外の世界がここに入ってもらっては困るという「排外主義」、こういう人たちはアラブやユダヤやロムやあらゆる外国人を嫌い、銃を持ってそういう夷戎を排斥しようとします。その排斥すべき敵のひとつに「ホモセクシュアル」があるわけです。このフランスは何十年も何百年も前からそうだったのだ、とこの小説は言っているのです。
 「エディー・ベルグール」と決着をつけ、それを殺害・消滅してしまわなければ、この青年は再生することができない。「美顔のエディー」はこの世からいなくなり、作家エドゥアール・ルイは今、私たちの目の前に生きているのです。「勇気」という程度ではない、決死の「刺し違え」の覚悟がなければ書けなかった小説だと思います。作者はこの小説のせいで、母親と父親、親族、生れ育った村のすべてを敵に回し、すべての関係を失いました。「男になる」ということを拒否した、それだけのことなのです。自分の自然な姿で生きるということを選んだ、それだけのことなのです。世界は、より具体的には、フランスはまだまだ残酷な生を強いているのです。凄絶なエクリチュールに圧倒されます。

カストール爺の採点:★★★★☆

Edouard Louis "En finir avec Eddy Bellegueule"
Seuil社刊 2014年2月 222ページ 17ユーロ


(↓)フランス国営テレビFrance 5 の読書番組"LA GRANDE LIBRAIRIE"に出演したエドゥアール・ルイ(2014年1月)


PS : 4月4日
記事タイトルはもちろんこの歌からいただきましたが、今この YouTube見たらエドゥアール・ルイの小説とかけ離れているわけではないのだ、と感じ入りました。大塚まさじに敬意を表して。

 

2014年3月23日日曜日

クロ・ペルガグの奇天烈な世界・2

(前項に続く)
 クロ・ペロガグにはやっぱり公式サイトというのがあるんですね。ずばりクロペルガグ・ドットコムです。そこにはいろいろな情報が公開されていますが、新人の分際で、いっぱしのアーチストと同様に「バイオグラフィー」の項があります。で、このお嬢さんはどんな「経歴」なのかと読み始めると...。

私が最初に彼女を見たのは鏡の中だった。その髪の毛は長かったように思う。42歳にして9人の子持ち、重いが納得できる前科歴 があり、体重230ポンド(約104キロ)の体を支え、重大な聴力の問題を抱えながらも、彼女は歌を書き始めたのだった。その歌はもっぱらH1N1型インフルエンザ予防ワクチンのことをテーマにしている。彼女の主なインスピレーションの源は「ボクシング・デー」であり、アル中の父と空き瓶再生業者の母の黄色っぽい視線にされられながら、彼女はピアノを弾くようになったのである。もしも彼女に自制心がなかったら、彼女はスイカを満載したトレイラーになっていただろうが、その荷物車の後ろにあるべき小さな「玉」が欠けていたのだ...

 翻訳することに意味があるか、と思わせるようなクロ・ペルガグ「バイオグラフィー」の冒頭部分です。 わかりますか? クロ・ペルガグというお茶目なお嬢さんは、あんな顔をしていて、年寄り、ハンディキャップ持ち、犯罪者、貧困、病気....なんか笑っちゃっていいよね、ギャグになるよね、歌になるよね、と言ってきゃっきゃっきゃとはしゃぎながら、五線譜にちゃかちゃかちゃかっと走り書きできちゃうタイプの音楽家だと思うのですよ。しかし良識人から見れば、これ、冗談にしてはちょっときつすぎるのではないかと思うムキもあるでしょうよ。このキツさを、私たちは都合のいい言葉で「シュールレアリスム」と呼んで、無理矢理納得しているようなところがありますね。
 (↓)に貼ったのは2013年9月にケベックでクロ・ペルガグのデビューアルバムが出た時に、ケベックの音楽情報ウェブチャンネル Live Toune によるインタヴューです。この中でインタヴュアーのおねえさんが「あなたの歌のインスピレーションはどこから来てるんですか?」とまともな質問をします。それに対してクロは「あたし自身そんなものどこから来てるんだかわかんないのよね。多分毎日の生活に興味があって、どんなことでも材料になっちゃう。例えば通りを歩いていて、見たらゴミ袋が街路樹にひっかかってる。え?こんなとこでゴミ袋が何をしているの? それが壮大なるシャンソンになってしまうのよ」なんて答えをするのですよ。こんな答えばかりでインタヴュアーのおねえさんはちょっとイライラしているのがよくわかります。

 このインタヴューでもうひとつ傑作なやりとりは、「初めて歌を作ったのは何歳
?」という質問に「16歳の時、ってことにしてるんだけど、実は3歳の時に両親の結婚のことを歌にしたものがあるのよ。"リーズとブルーノの結婚"という歌なんだけど、とってもラジオ向きの曲なのよ」と答え、面白がったインタヴュアーのおねえさんが「ちょっと歌ってみてよ」とお願いしたら「それは禁止なの。著作権は両親にあるのよね、たぶんその権利書はスペインのどっかにあるはずなんだけど」と!

 めちゃくちゃなことを平気で言うお嬢さんです。このアルバム『怪物たちの錬金術』の中には、題目通りの怪物たちが登場する歌があります。2曲めの「カラス」という曲です。フランスの童謡「月の光に (Au claire de la lune)」の変奏曲のように始まります。詞の字面だけ読むと、これは満月の夜に密室で薬物をつかって、怪物や死や不死や人工のパラダイスをぐるぐる回ししているような歌に見えます。本気でやっているんでしょうか? たぶんこれも冗談でできちゃった歌なんだと思いますよ。


霧の薄明かりの中で、私はおまえの写真を撮った
夜がおまえの影を水の中で燃やした
近頃港に浮かんで来る泡を私にわけておくれ
出ていく船はおまえの灰を煙にしている

私は眠るための錠剤を飲んだ
私の小部屋を照準器に変えた
そこから私は怪物たちがゆっくりと死んでいったり
生き返ったりするのが見える、あなたにはそれが聞こえるか?

今夜は満月今夜は満月
今夜は満月今夜は満月
月はカラスでいっぱいだ
そして列島、そして列島
そして列島は私のハサミで切り刻まれた

昼は夜のように暗く、私は自分を忘れる、自分を忘れる
私の心臓をお食べ、そして祈って
ミツバチたちが私の凍った血を嗅ぎ取ってやってきて
私の死体を蜜に変えてくれるように

私は何光年も持続する安楽を探していたの
私は他人たちの生活を逆の方向から見ていた
そして私は砂漠の中に雨を見つけたのよ
そして私は海の懐の中で目覚めた

今夜は満月今夜は満月
今夜は満月今夜は満月
月はカラスでいっぱいだ
そして列島、そして列島
そして列島は私のハサミで切り刻まれた

私には苦痛が見える 私には苦痛が見える
私には墓の中の秘密の苦痛が見える
私には苦痛が見える 私には苦痛が見える
私にはあなたの肌の毛穴の中に苦痛が見える



 (『クロ・ペルガグの奇天烈な世界』 ー この項さらに続きます。)

 PS:3月24日
東京渋谷エル・スール・レコーズのクロ・ペルガグ紹介ページ
 

2014年3月18日火曜日

クロ・ペルガグの奇天烈な世界・1

ケベック生れの23歳。クロ・ペルガグという憶えづらい名前は、このアーチストが気になり出したらすぐに憶えてしまうものです。気になるんですから、一生懸命記憶しようとするじゃないですか。クロエ・ペルティエ=ガニョンというのが本名ですが、こちらも憶えづらい。約めてクロ・ペルガグとしたのですが、それは「山本リンダ」が「山リン」と約めるのとは難度において何万光年の距離があるわけです。
 アルバム『怪物たちの錬金術(L'Alchimie des Monstres)』は2013年の9月にケベックで発表になり、フランスではその5ヶ月後の2014年の3月に出ました。その間にフランス国営音楽FM局FIPが盛んにこの女性アーチストをオンエアするもんだから、私も聞く耳立ってしまって、去年の11月頃からいつフランス盤は出るのだろう、とずっとチェックしておりましたよ。ケベックではさまざまな賞をもらってしまって、フランスでも2014/2015年の大規模なツアーが決まったし、テレラマ誌、レクスプレス誌、国営ラジオFIPとフランス・アンテールなどがやや騒々しくこの娘さんのことを語り始めました。
 3月3日のフランス盤リリースに先立って、2月12日に日本の職業上のパートナーたちに向けて丸一ページのアーチスト・インフォメーションを送りました。「作詞・作曲・歌・ピアノ・ギターをこなし、メロディーの引き出しが幾十もありそうなガーシュイン型のコンポーザー、電子楽器群を排して凝り性なストリングス・アンサンブルのバッキングに、カミーユ〜ファイスト系の丸っこく変幻自在なヴォーカル、病気な怪物たちからインスパイアされたシュールレアリスティックな詞...」みたいなことを長々と書いたのですが、そりゃあ誰もピンと来なかったでしょうね...。
 3月11日、パリ18区のレ・トロワ・ボーデで(もちろん)初めてライヴを見ました。チェロ、ヴィオラ、ヴァイオリン、コントラバス、ドラムスという彼女のパーマネントバンドを引き連れて、自らはピアノ(あるいはギター)を目一杯弾きながら歌います。アルバムの編曲の完成度をなぞるように、腕達者でよく統率のとれたアンサンブルです。クロが何も楽器を持っていない時は片脚立ちで、浮いた方の片脚を前後にバランスさせたり丸く円を描いたり、とても奇妙なフラミンゴポーズで歌います。この人のバランス感覚は特殊で、引力に逆らうのが平気であるかのような図です。しかしこのお嬢さんは高盛りのビーハイヴヘアのてっぺんから足のつま先まで、全身これ音楽、というオーラがまぶしいです。初のパリのステージでアンコール4回出ました。
 しかし、私にはショックなこともありました。クロ・ペルガグのMCがほとんど聞き取れない。何を言っているのか、さっぱりわからない。それはケベック・フランス語で喋っているから、というだけではないのです。当夜のレ・トロワ・ボーデの客はみんながみんなクロ・ペルガグの親衛隊というわけではなかったでしょう。私のような普通のパリ圏人だっていたでしょう。ケラケラ笑いながら早口でジョークを飛ばすお嬢さんは、「へへへ...パリ人になんぞわかってくれなくてもいいわ...」という軽い態度で、「わかんない? じゃ次...」と頓着せずにショーを続けるのです。これがねえ、逆にわからない部分をお笑いにするコミュニケーションが湧いてきます。したたかで同時にお茶目なキャラです。見てるだけで、(わからなくても)聞いてるだけで、しあわせを共有できるようなキャラクターなのでしょう。
 その世界はシュールレアリスムであるとは聞いていました。この場合のシュールレアリスムはう〜ん...と腕組みして考え込むようなものではなく、なんだかわけわからんけど大笑いしてしまう、というものです。何を笑っているのか? わからないけれど可笑しい。このあたりをひとつの歌を例にとって説明してみたいと思います。説明できるものかどうかわかりませんが。
 CD2曲めの「花の熱 (La fièvre de Fleurs)」は、死の床にある病人(女)との出会いと別れの歌です。高熱を出して、もうダメだと何度も匙を投げられるのですが、その度に助かって病床生活(つまり生の世界)に還ってくる。病院にうんざりして逃げ出そうとするのですが、やっぱり病床生活に還ってくる。看病する「私」に「おまえはどんどん誰かに似てきてるねえ」などと言いながら、その誰かを思い出せなくなっている。そういう死の床にある病人が、白血病になって、化学療法(ケモセラピー)の病棟に移される。ケモセラピーの国への旅、お達者で〜〜〜...。(ラフですけど、以下に対訳貼っておきます





私は彼女が死に際で高熱を出している時に知り合った

彼女は高熱の度に病気で死んでしまうかもしれなかったのに

いつも助かり、その病床生活にもどってきた

私は彼女が死に際で高熱を出している時に知り合った



私は彼女のブロンドの髪を三つ編みにしてあげた

それは床まで届き、家中のすべての部屋に伸びていった

彼女は私に言った「私は逃げ出したいの

いつも同じものばかり食べるのにもううんざりなの」

でもいつもその病床生活にもどってきた



彼女は行っちゃった彼女は行っちゃった彼女は行っちゃった

彼女は行っちゃった彼女は行っちゃった彼女は行っちゃった

彼女は行っちゃった彼女は行っちゃった彼女は行っちゃった



みんなが暗記できるようにおまえは花の名前を名乗るんだ

おまえの思い出はチョコレートのように甘美だ

みんなが暗記できるようにおまえは花の名前を名乗るんだ

おまえの思い出はチョコレートのように甘美だ

おまえはどんどん誰かに似てきている

私の知らない誰かにね



彼女は行っちゃった彼女は行っちゃった彼女は行っちゃった

彼女は行っちゃった彼女は行っちゃった彼女は行っちゃった



彼女は夏のように行っちゃった

雲と一緒に彼女は旅立っていった

旅程のない旅に、旅程のない旅に

彼女は白血病の国へ旅立った

彼女はすべての本を私に置き去りにして

ケモセラピーの国で生活するために

行ってしまった ケモセラピーの国

それは新しい国


 こういうのがポップ・ソングになりえるんですか? どういう神経でこんな病気と死の世界を歌にできるのか? 普通あきれますわね。ところがクロ・ペルガグのシュールレアリスムにはそれが可能なのです。だからこの人すごいと言っているのです。ほんの一例でした。
(この項続きます。)

(↓)クロ・ペルガグ「花の熱 (La Fièvre des Fleurs)」ヴィデオクリップ



KLO PELGAG "L'ALCHIMIE DES MONSTRES"
CD Zamora/L'Autre Distribution AD2792C
フランスでのリリース:2014年3月3日

カストール爺の採点:★★★★★








 PS:3月24日
東京渋谷エル・スール・レコーズのクロ・ペルガグ紹介ページ




2014年3月16日日曜日

渇いていた男

ユベール・マンガレリ『渇いていた男』
Hubert Mingarelli "L'homme qui avait soif"
 
 太平洋戦争の激戦のひとつで「ペリリュー島の戦い」というのがあります。玉砕の島です。日本軍1万1千兵と米軍2万8千兵による、1944年9月から2ヶ月強をかけて戦った攻防戦です。この小説ではその玉砕戦のディテールは紹介されていません。米軍が2週間もあれば簡単に制圧されるであろうと考えていたマリアナ諸島のひとつの小島は、日本軍が2ヶ月以上も凌いで防戦したのです。ほぼ全軍の1万人の日本兵が戦死しました。
 小説は1946年の日本が舞台です。ヒサオはこのペリリューの戦いの生き残りです。ヒサオは花巻から汽車に乗り、婚約者シゲコのいる北海道へ向かうはずでした。婚約の贈り物として翡翠の玉を旅行鞄に入れて、ヒサオは汽車に乗り込みますが、強烈な喉の乾きに襲われて汽車を降り、駅の水飲み場で水を飲んでいる間に、汽車はヒサオを置き去りにして発車してしまいます。翡翠の玉の入った旅行鞄は汽車の物置き棚に載ったまま。
 ヒサオは自分の失態が許しがたく、この汽車を走って追いかけて、旅行鞄を取り戻して、シゲコへの求婚の旅を続けようとします。米軍占領下、食べるものも何もかもが欠乏していて、人々の心もすさんでいた頃、このヒサオのドジは絶対的にリベンジ不可能である、と誰もが思います。まず徒歩(走りもしますが)で汽車に追いつくこと、そして旅行鞄が誰にも盗まれることなく回収できるということ、どちらもありえないことです。それでもヒサオはそれを遂行するしかない。
 小説はロードムーヴィーのように進行します。花巻から秋田へ、秋田から青森へ。走ったり、歩いたり、トラックに乗せてもらったりの旅で、ヒサオはさまざまな人々と出会います。心開いてくれる人などいない。敵か味方かわからない、親切なのか下心があるのかわからない、そんな人たちとの交流は言葉少ない東北人のそれで、最後まで猜疑心をぬぐい去れない。しかし、そんな人たちの間を泳いでいくことによって、ボロボロになりながらもヒサオは食べるものにもありつき、やがて青森の駅までたどり着くことができるのです。
 ヒサオにはペリリュー島の戦友でタケシという男がいました。父も母も知らぬタケシはヒサオだけが友であり、ヒサオはタケシの歌作りの才能を高く買っていて、タケシの歌は戦地でのヒサオの唯一の慰めでした。タケシの創作歌というのはこんな歌:二人が2本のロウソクを盗んで隠した、いつか二人は隠した場所に戻り、そのうち何本なくなっているのか確かめる....。ペリリュー島の岩山を日本軍はつるはしで掘っていって、いくつも回廊でつながれた秘密要塞を作ろうとするのです。上陸してくる米海兵隊と、最後までこの要塞で戦うつもりなのです。ヒサオやタケシたち一兵卒は来る日も来る日もつるはしで山の洞窟を掘り続けなければならない。ロウソクの光だけが頼り。掘り続ければ山の海側に突き抜けるのだろうか。誰も知らない。その時にタケシはこんな歌を歌う。本とは全然関係ないけれど、私はここで「ひょっこりひょうたん島」の海賊の宝探しのナゾナゾ・ソングを思い出したのです。「バビロンまでは何センチ」海賊たちはロウソクの長さ何センチが燃えてなくなるまでで距離を測ったという謎掛け歌でした。しかし、小説の中の歌は謎のままです。一体この掘る先に貫通はあるのか、米軍は上陸するのか、戦闘はあるのか、誰も知らずに兵士たちは掘り続けている。
 小説は戦後(1946年)のヒサオの青森までの闇雲な徒歩の旅と、戦中のペリリュー島の山の中での洞窟堀りが交互に現れて進行します。どちらも先が見えない進行です。ペリリュー島の生き残り帰還兵だったヒサオは、その戦争のトラウマとして、喉が渇くと自分のコントロールが全く利かなくなるという体質に変わっています。小説冒頭での汽車乗り遅れもそれが原因で、その渇きの発作はいつくるのかわからないのです。戦地から引き揚げて下宿したタイマキ夫人のところでは、タイマキ夫人は何も言わないけれど、毎夜眠ってからヒサオが悪夢で一晩中叫びっぱなしである、という自覚症状があるのです。婚約者のシゲコは、この発作や夜の叫びに堪えきれるだろうか?
 問題はそれよりも、どうやって汽車の網棚に置き忘れた旅行鞄(とりわけ婚約の贈り物である翡翠の玉)を取り戻すかです。敗戦で人の心が荒んでいた時代、進駐軍兵に怯えていた時代、ものがなかった時代といったことをこの小説は説明しません。説明のしようもなくこの状況はカフカ的で不条理です。ヒサオはナイーヴにも自分の不祥事を人に説明しようとしますが、誰一人として理解しないということが前もって決まり事になっているような世界が目の前にあります。誰も自分ひとりのことでそれどころではない。遺失物(しかも貴重品が入っている)などなくなって当たり前。予め絶望のある「青森行き」をヒサオは敢行します。予め絶望があったペリリュー島でも洞窟堀りのように。
 出会う人たちはみな口の重い東北の男たち。ヤクザか流れ者か、ものを取るために乱暴を働くものもいれば、秋田の浜の焚き火で採れたばかりの鯛を焼いて見ず知らずの男たちと分け合って食べる一団もあります。なんでできたのかわからないアルコールを回し飲みします。純朴素朴な一期一会なのか、行きずりの友情か、もののない時代の知恵でやっとこさ喰って生きているの触れ合い。(そのうちの二人、コムロとケイスケの間に同性愛的傾向あり)。秋田から青森の間、砂利トラックに乗せてくれたミヤケは、ひとりの小さな男の子を連れている。死んだ兄の子だがそれを機会あるごとにその母親に会わせるために青森に行く。その母子の再会は抱擁することもなく、一緒にものを食べることもなく、数分のにらめっこで終わる。そのためにミヤケは往復一昼夜のトラック運転をするのです。ミヤケもどうしてこんなことをしなければならないのかわからない。はっきりせずに何をしていいのかわからない人間ばかりなのです。
 主要道路と言えども道は穴ぼこだらけで、ミヤケのトラックは穴ぼこを避けきれず、ぼんぼんバウンドして進みます。その穴ぼこには昨夜の雨の水が溜っています。ヒサオは渇きの発作が起こり、ミヤケのトラックを止めて、一目散でその水たまりの水を飲み干します。ミヤケはそれをどうしてとも聞かない。
 米軍の砲撃にあい、ヒサオとタケシが掘っていた洞窟は閉ざされ、一緒に働いていた兵士たちは全員死んでいます、タケシは負傷し、発熱していますが、歌を歌い続けます。ヒサオは闇の中でつるはしと 鑿岩杭出口を探そうとします。渇きは襲ってきて、闇の中で手探りで死んだ兵士たちの持っていた水筒を探し当てては、それでタケシと共に渇きをしのぎます。その極端な渇きの末にタケシは死に、山を転げ落ちて、樹水や雨水や谷水やあらゆる水を採りながら行く宛てもなく逃げて行く先に、米兵の姿があります。
 あれやこれやで青森駅についたヒサオは駅員に遺失物が届いていないか尋ねます。そんなものはない。確かめたかったら車両清掃係のクロキに聞いてみろ。女のクロキは貨物車をバラック代わりにして住んでいます。ヒサオはここに旅行鞄は絶対あるはず、という確信があります。クロキのなしのつぶての返事に、ヒサオは逆上し、力ずくでクロキの貨車バラックに入り込み、旅行鞄を見つけ出し、強引に奪っていきます。小説の筋で行くと、一種のクライマックスなんですが、筆致は淡々としていて、当然あるべきヒサオのうれしさは描かれず、絶望も希望もある種無感動な事件になってしまいます。
 おしまいは青函連絡船です。生への希望を取り戻したような道程なのに、ヒサオはどんどん情緒が欠落していきます。シゲコのことは近づいているのに遠のいていっているような。そして、船上でひとりの米兵を見かけます。ヒサオはその一面識もない米兵にこみあげてくる憤怒の念が抑えられなくなっていくのです....。

 ユベール・マンガレリは1956年ロレーヌ地方生れの作家です。17歳で海軍に志願し、3年の間水兵として大西洋、太平洋を巡り、海軍をやめてからもヨーロッパを放浪、フランスに帰ってさまざまな職業に着きながら、1989年から小説を発表。2003年に『四人の兵士』(日本語訳出版あり) でメディシス賞を受賞。日本語では『おわりの雪』(2004年)、『しずかに流れるみどりの川』(2005年)、そして『四人の兵士』(2008年)がそれぞれ白水社から出版されていて、いずれも訳は田久保麻理氏。だから、この『渇いていた男』も日本で出版される可能性ありましょうね。日本を舞台にした小説ですし。
 著者が日本に住んでいたか、あるいは日本で取材したかどうかはわかりません。それなのに、出て来る日本人たちは、無口な上に何かを秘めたような重いペルソナージュばかりで、簡単に読み込めません。時代がそうだからかもしれないけれど、島尾敏雄の小説やつげ義春の漫画を想わせる、全体的な仄暗さ(モノクロトーン)が、私のようなそんな戦後を体験しなかった、やや後に生まれた人間が上の世代の人間から聞かされていたその時代の暗さとシンクロする説得力があります。

カストール爺の採点:★★★☆☆
 
Hubert Mingarelli "L'homme qui avait soif"
STOCK社刊 2014年1月 156ページ 16ユーロ