2014年2月24日月曜日

それでも三途は流れる - 『最後の岸辺の地形』

ミッシェル・ウーエルベック『最後の岸辺の地形』
Michel Houellebecq "CONFIGURATION DU DERNIER RIVAGE"

 2013年夏に刊行されたミッシェル・ウーエルベックの詩集です。出た当時、民放TVカナル・プリュスの風刺報道番組「プチ・ジュルナル」がこの詩集を取り上げて、パリ・ゼニットのブーバ(今日のフランスで、ラ・フイーヌと並んで絶大な人気のあるラップ/ヒップホップ・アーチストです)のコンサートに詰めかけたファンたちに、このウーエルベックの4行の詩を見せます。

 Tu te crois séduidante
Avec ta jupe en skaï
Et tu fais la méchante
Comme dans une pub Kookaï
おまえは合皮のスカート履いて
魅力的だと鼻高々
そしてクーカイのCMの女のように
悪さをするんだ

 まあ、私の訳ではどんなニュアンスで伝わるか不安ですが、これは蓮っ葉で賢くなくてお金もなくてセクシーであることだけは負けたくない、そういう女の子をかなり侮蔑的に書いてるんですね。これを見た子たちはみんなこれがブーバのライムだと思って、悪くないね、ブーバらしくて暴力的だね、なんて論評するのです。それがウーエルベックの詩だと知らされて、「うそだね、これはブーバだね」と信じない者や、「あの野郎ブーバをコピーしやがって」なんて反応をします。笑えます。(↓それがこのヴィデオです)

Ils commentent du Houellebecq en pensant que c... par Gentside


 それはそれ。ウーエルベックは初の小説『闘争領域の拡大』(1994年)よりも詩集(1988年と1992年)が先に刊行されていた人で、これまでに詩集は6冊発表されています。また小説の中に詩を挿み込むということはよくやっていました。『ある島の可能性』 (2005年)の最後に出て来る詩は、カルラ・ブルーニ=サルコジが曲をつけて "la possiblité d'une île"というタイトル(アルバム"Comme si de rien n'était" 2008年)で歌われています。また2000年にベルトラン・ビュルガラのトリカテル・レーベルから、ビュルガラ作のサウンドトラックに乗せて自作詩を朗読するアルバム"Présence Humaine"も発表しています。
 で、2014年の4月にリリース予定になっているジャン=ルイ・オーベール(ex テレフォヌ)の 8枚めのソロアルバム"Les Parage du Vide"(虚無の周辺)が、この最新詩集『最後の岸辺の地形』の詩篇を抜粋して、オーベールが曲をつけて歌った、言わば「オーベール、ウーエルベックを歌う」というしろものなのです。ウーエルベック自身も参加しています。オーベールは良いと思ったことが余り無いので、全然フォローしておりませんでしたが、今回はちゃんと聞こうと思ってます。
 とかく、厭世的で鬱病的で終末的で人間嫌い/女嫌いで... みたいなことが強調されて語られる作家・詩人です。しかし、今から4日前の爺ブログに追記で貼付けたジャン=ルイ・オーベールのヴィデオ・クリップ "Isolement"を見た時に、そのオーベール曲の分かりやすさだけではなく、ウーエルベック詩だってある種ストレートなおセンチさが強烈に感じられたのです。で、遅ればせながら、昨日この詩集を買って、読みすすめていくうちに、冒頭に紹介したようなブーバのファンたちにも受け入れられるようなパロールがいっぱいあるのだ、ということがわかったのです。
 題名『最後の岸辺の地形』はウーエルベック調の「構え」を持ってますし、たどり着く「最後の岸辺」というのは、われわれ日本人庶民の感覚では三途の川の向こう岸であり、その「地形」とは賽の河原の風景のことなのだ、とうすうす見抜いています。

最初のアカシアが咲く頃                  Au temps des premiers acacias
冷たく、ほとんど鉛色の太陽が         Un soleil froid, presque livide
マドリードを弱々しく照らしていた   Eclairait faiblement Madrid
その時 俺の命は分離していった      Lorsque ma vie se dissocia.

 マドリードか。この人はいたるところに賽の河原を見てしまうのでしょう。自らの死を疑似体験している時、どこにいようが周りの景色は賽の河原ですよね(なんとなく寺山修司的なインスピレーションで書いてますよね、わし)。
 ボードレール、ロートレアモン、セリーヌ、ショーペンハウアー... などなどの名前を出してウーエルベックの詩を論じるなどという芸当は私にはできませんし、そんな必要を全く感じさせないようなポップさ、センチメンタリズム、非定型な自暴自棄をわかりやすく表現した詩句だと思って読みました。ブーバを聞く子たちの読み方が正解なんですよ。
 あとで版元フラマリオン社から削除を求められるかもしれませんが、無許可で2篇を和訳してみます。

ISOLEMENT (隔離)

私はどこにいるのか?
あなたは誰なのか?
私はここで何をしているのか?
いろんなところへ連れて行っておくれ、

ここじゃないいろんなところへ
かつて私だったすべてのことを
忘れさせておくれ
私の過去を新たに作り直しておくれ、
夜に意味を与えておくれ。

太陽を作り直しておくれ
平静な夜明けを
私は眠くない、
私はあなたに接吻したい
あなたは私の友だちなのか?
答えておくれ、答えて。

私はどこにいるのか?
いたるところに火が燃えている
私はもう音が聞こえない
私は多分狂人になったのだ。

私は体を横にしなければならない
そして少し眠らなければならない
私の両目を洗浄することを
試した方がいいかもしれない

私が誰なのか教えておくれ
私の両目を見つめておくれ
あなたは私の友だちなのか?
私を幸せにしてくれるのか?

夜は終わっていない
そして夜は火となって燃えている
天国はどこにあるのか?
神々はどこに行ってしまったのか?


NOVEMBRE (11月)

私は河のほとりのカフェにやってきた
少し年老い、少し無感覚になって
私は新築のホテルの部屋でよく眠れなかった
私は体を休められなかった

午後の安らぎの中で
多くの二人連れや子供たちが一緒に歩いている
おまえによく似た少女たちの姿もある
娘としての第一歩を歩み始めた頃の

光の中に私はおまえの姿を見てとる
太陽の愛撫に包まれて
おまえは私に命のすべてと
その不思議の数々を与えてくれた

静寂に包まれて
おまえが眠っている公園に私はやってきた
空が落ちてきて、その空はバラで覆いつくされた
そして私はおまえの不在に苦しむ

私の肌に押し付けられるおまえの肌を感じている
私はそれを憶えている、私はそれを憶えている
そしてすべてが元通りに戻ってきてくれたら
どんなにいいだろうか、と望んでいる

 和訳はBクラスですけどね、ここに二重三重の意味なんかない、と思いますよ。ありがたがって読む人たちは、どういう解釈をしようと言うのでしょうか。

カストール爺の採点:★☆☆☆☆

MICHEL HOUELLEBECQ "CONFIGURATION DU DERNIER RIVAGE"
Flamarion 刊 2013年4月 100ページ  15ユーロ

(↓2013年4月17日、詩集『最後の岸辺の地形』についてBFM-TV リュト・エルクリエフのインタヴューに答えるミッシェル・ウーエルベック)

Michel Houellebecq: l’invité de Ruth Elkrief... par BFMTV




 


2014年2月19日水曜日

『ミッシェル・ウーエルベック誘拐事件』という愉ぅ快なテレビ映画

 2014年のベルリナーレ(ベルリン国際映画祭)のちょっとした事件だったそう。2月10日に上映されたギヨーム・ニクルー監督のフィクション(テレビ)映画『ミッシェル・ウーエルベック誘拐事件』に、その人自身ミッシェル・ウーエルベックが俳優として主演しています。ウーエルベックは2008年の映画『ある島の可能性』で監督として映画デビューしました(テレラマ誌によると、悲しいことにこの映画の総入場者数は15000人に満たなかったそうです)が、今度は俳優としてもデビューしたというわけです。
 2011年9月、すなわちかの『地図と領土』でゴンクール賞をとった1年後、ウーエルベックはその受賞作の外国での出版のプロモーション中で、ベルギーのあと、オランダでその出版記念に出席することになっていたのですが、作者はそこに姿を見せません。おかしい。フランスの出版社もウーエルベックと連絡が取れない。数日間、まったく音沙汰がない。この間にベルギー、オランダ、フランスのSNS上でさまざまな噂が飛び交います。その中で最もまことしやかに囁かれたのが「アルカイダによる誘拐」説でした。ウーエルベックは「イスラム教は世界で最もバカな宗教」と公言して、その方面ではかなり大きなスキャンダルとなっていましたし。そのうちにフランスのマスメディアもこの「蒸発」を報道するようになり...。そんな時、ウーエルベックはベルギーで姿を現したのです、曰く「いやぁぁ... 携帯電話のバッテリー切れたの知らなくってさぁぁ...」。
 ちょっと脚色しましたが、以上が2011年ウーエルベック蒸発事件のことの次第。これをギヨーム・ニクルーが面白がって、ほんものの誘拐事件を創作してしまうんですね。ただし、誘拐犯はアルカイダではなく、3人の無骨な男たちで、有名人作家ウーエルベックを誘拐したはよいのですが、どこからどうやって身代金を取っていいのかわからない。逆にウーエルベックから「マスコミで書かれていることなんて全部嘘っぱちさ」と説教されたり。こうして誘拐犯グループと人質ウーエルベックの奇妙な同居生活が始まる。しかもそれはウルトラ・グロークな(意味は勝手に調べてください)田舎の一軒家で展開するという100%ウーエルベック的環境(とテレラマ誌2014年2月22日号に書いてありました)。「ウーエルベックはうめき声を上げ、煙草を吸い、酒を飲み、タイ式ボクシングを習い、村の娼婦に抱かれて慰めてもらい... 要するに移り気な子供のようにふるまう」(同誌同号)。
 このテレビ映画は、フランス+ドイツ共同経営の教養テレビ局ARTEのために制作されたもので、いつかARTEで放映されるのでしょうが、まだ予定は発表になっていません。見逃さないようにしましょう。

 なお、ウーエルベック小説の映画化では1999年『闘争領域の拡大』を撮ったフィリップ・アレル監督が、今度は『地図と領土』を撮るのだそうで、そのシナリオ化が終わったとのこと。この小説を読んだ方はおわかりのように、『地図と領土』にはミッシェル・ウーエルベック自身が実名で重要な登場人物として描かれており、小説後半ではバラバラ殺人事件の被害者となっているのです。だからアレルのシナリオが原作に忠実であるならば、ウーエルベック自身が再び俳優としてウーエルベックを演じるという可能性がおおいにありましょう。素晴らしかった小説作品を、自ら台無しにするのではないか、という期待も生まれてきましょう。

(↓)ARTEによる2014年度ベルリナーレでの映画『ミッシェル・ウーエルベック誘拐事件』のルポルタージュ



 追記:2014年2月20日
 『ジャン=ルイ・オーベール、ミッシェル・ウーエルベックを歌う』
 4月14日リリース予定のジャン=ルイ・オーベールの新アルバム" LES PARAGES DU VIDE(虚無の周辺)"は、2013年刊行のウーエルベック詩集 "CONFIGURATION DU DERNIER RIVAGE(最後の岸辺の地形)"の詩篇にオーベールが曲をつけて歌っています。(↓)その1曲 "ISOLEMENT(隔離)"のヴィデオ・クリップ (featuring Michel Houellebecq himself)です。いい役者ですよね。

2014年2月10日月曜日

旅立てジャック

『ジャックと時計じかけの心臓』
2013年フランス映画
"JACK ET LA MECANIQUE DU COEUR"
監督:マチアス・マルジウ&ステファヌ・ベルラ
原作:マチアス・マルジウ
声優:マチアス・マルジウ、オリヴィア・ルイーズ、グラン・コール・マラード、ジャン・ロッシュフォール、アルチュール・H、アラン・バシュング....
音楽:ディオニゾス
フランス公開:2014年2月5日

 ディオニゾスのリーダー、マチアス・マルジウが2007年に発表した小説『時計じかけの心臓 のCGアニメ映画化作品です。この小説に関しては爺ブログの2008年1月14日の記事で詳しく紹介しているので、そちらを参照してください。しかし、お立ち会い、いいですか、結末は小説と違っているのですよ! その他、主人公の名前は「リトル・ジャック」ではなく「ジャック」になってますし、ジャックを弟のように可愛がる二人の娼婦アンナ(声優:ロシー・デ・パルマ)とルナ(声優:ディオニゾスのバベット)からプレゼントにもらうハムスターは名無しになってました(小説では「クンニリングス」という名前でしたけど、やっぱり子供が観るようなCGアニメ映画なので、まずいですよね)。
 まずキャラクターの変遷を見てみましょう。(→)これが2007年の小説表紙とディオニゾスの同名アルバムのジャケットに使われたイラストで、作者はBD作家のカリム・フリア (Karim Friha)とジョアン・スファール(Joann Sfar)の共作ということになっています。ヒーローとヒロインの顔がそれぞれマチアス・マルジウとオリヴィア・ルイーズをモデルにしていて、時計の心臓を除いてモノクロ画像です。ティム・バートンのアニメ映画『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(1993年)を思った人は多かったでしょう。その類似性がさらに明らかになるのは、ディオニゾスの同名アルバムの中の1曲"Tais-toi Mon Coeur"のためにステファヌ・ベルラが制作したヴィデオクリップです(↓)

 キャラはカリム・フリア/ジョアン・スファールの原画に拠っていると思いますが、クリップの作りはモロにティム・バートン風なのでした。ステファヌ・ベルラは広告フィルムやヴィデオ・クリップ界の人で、ミュージック・ヴィデオでは2009年の - M - マチュー・シェディッドの"Est-ce que c’est ça"も話題になりました。ジャン=ピエール・ジュネ〜ミッシェル・ゴンドリー直系の作風を持った映像作家と言えましょう。
 で、マルジウがこのベルラと組んで、リュック・ベッソンの出資で(オフィシャルにはベッソンの妻のヴィルジニー・シラがプロデューサーとなっています)大予算CDアニメ映画を作るという企画がスタートしたのは2008年のことです。それから上映まで6年の月日がかかってます。その間にいろいろなゴタゴタがあったとは聞いていますが、最も重要な変化は、この物語のすべてのインスピレーションだった女性オリヴィア・ルイーズとマルジウが私生活上で別離したということでしょう。(あんまり関係ないか...)
 そして、それまでのフリア〜スファール〜(バートン)〜ベルラが描いていた暗めの少年少女のキャラクターを、大幅に変えて、新しい顔と姿をイタリア(正確にはサン・マリノ)の女流イラストレーター、ニコレッタ・チェコーリに考案させたのです。
彼女はマルジウの3作目の小説『空の果てのメタモルフォーズ』(2011年)の表紙のイラスト(→)も描いています。もろに「アリス」的な絵を描く人だなぁ、と思いました。頭部が大きくて、悲しい目をした少女ばかり。その代わりそれまで無彩色やセピア系が多かった描き方は、一転してカラフルになりましたね。ジャックの顔は永遠の少年、マチアス・マルジウに近いものを残していますが、ミス・アカシアはオリヴィア・ルイーズのイメージはほとんどなくなりました。ジャックを取り上げ、心臓に時計を取り付ける手術をした女医マドレーヌは、まるで黒柳徹子のようです。
 ただこのすべすべしたキャラへのラジカルな変身は、「子供受け」狙いの要素ももちろんあるでしょう。リュック・ベッソンは自分の創作童話『アーサーとミニモイの不思議な国』 を四部までアニメ映画化して世界的に大ヒットさせましたが、そんな商魂による圧力がマルジウにも及んだのかもしれません。ロック・オペラから子供向けミュージカル・アニメ映画へ、という大きなアスペクトの変貌があります。しかし大丈夫。根っこのところは何も変わっていません。
 1874年、世界で最も寒かった日、スコットランドのエジンバラでジャックは生れますが、あまりにも外が寒すぎたため、心臓が凍りついています。女医マドレーヌがその心臓に鳩時計を移植する手術を施し、奇跡的にこの子の命は救われますが、その代わりこの子は一生「3つの掟」を守って生きていかなければならないのです。
1. 時計の針に絶対に手を触れないこと
2. 自分の怒りを常に抑えていること
3. 決して恋に落ちないこと
これを守らないと、時計じかけの心臓はたちまち破裂し、この子は死んでしまう。女医マドレーヌはこわれものの少年を外界から遮断して育てていき、10歳になった時、初めて家の外に出し、町に連れていくと、広場でバーレル・オルガンを引きながら歌を歌っている超近眼の少女ミス・アカシア(オリヴィア・ルイーズ)と出会い、一目惚れしてしまいます。
 この物語は「ピノキオ」のヴァリエーションと言えるでしょう。女医によって作られたこの少年は、創造主がやってはいけないということばかりやりたがる。ミス・アカシアと同じ学校に行きたくて、これまで学校で勉強などしたことがないのに無理矢理入学すると、ミス・アカシアは既に外国(スペイン、グラナダ)に行ってしまっていて、 少女の恋人を自認するガキ大将のジョー(グラン・コール・マラード)に徹底的に苛められます。4年間に渡って暴力の嫌がらせを受けても、ジャックは堪えていましたが、ジョーが力づくでジャックの時計じかけの心臓を壊そうとした時には自制がきかなくなり、時計の針が勝手に飛び出して、ジョーの右目を刺してしまいます。
 警察に追われ、山ほどの厄介ごとが被さってくると判断した女医マドレーヌは、ジャックにこの町を出て逃げるように命じます。旅立てジャック。時計じかけの心臓が壊れそうになっても、医者にはかからず、時計屋に直してもらえ、と。
 心臓が痛んだままジャックは汽車に乗り、ロンドンに向かう車両の中で(ここのシーンは小説でも映画でもかなり唐突)、殺人鬼「切り裂きジャック」(アラン・バシュング)に殺されそうになります。
 ボロボロになってしまった時計じかけの心臓を修理してくれたのは、時計屋ではなく、パリで出会った手品師ジョルジュ・メリエス(ジャン・ロッシュフォール)。世界初の特撮映画監督メリエスのことは、2011年のマーティン・スコセッシ映画『ヒューゴの不思議な発明』 で広く世に知られますが、スコセッシ映画同様、マルジウのこのメリエス起用は映画へのオマージュとして重要な意味があります。メリエスはジャックのミス・アカシアとの初恋に心打たれ、二人してアンダルシア(グラナダ)まで行こう!と提案します。ここで義侠心に厚いのっぽのヒゲおじさんジョルジュ・メリエス(同じくのっぽのひげ老人であるジャン・ロッシュフォール)は、ドン・キホーテと化してしまうのです。
 こうしてジャックはヨーロッパ縦断の旅をなしとげ、グラナダの巨大な移動遊園地の中に、ミス・アカシアを見いだしたのですが...。

 このアニメ映画は、小説に描かれた世界をかなりクリアーにヴィジュアル化してくれますが、「忠実に」というわけではありません。このグラナダの移動遊園地にしても、小説でイメージされた見世物小屋のモンスターやフリークスやお化け列車は、かなりおどろおどろしいものだったはずです。子供が観る映画ですから、いたしかたないことですが。この見せ物のひとつに、大砲から飛び出される「空中落下芸人」が登場するのは、『空の果てのメタモルフォーズ』の世界一ドジなスタントマンのトム・クラウドマンなのでしょうね。
 アニメーションは極上にファンタスティックです。エジンバラの町も、女医マドレーヌの館も、さまざまに形を変える長距離列車も、奇想天外な小屋のたくさんある移動遊園地も、ミス・アカシアとジャックの宙を舞う思いの恋のシーンも、すべてそのイマジナリーに驚嘆するものがあります。子供たちも大人たちも「まあ」と声を上げて絶対納得すると思います。
 問題はひとつあります。成就しない恋に子供たちは納得できるか?ということです。それを、この映画は原作小説とは違う結末を持ってくるわけです。恋はどちらも同じように成就しないのですが、結末は違うのです。わおっ。子供たちに優しいマルジウ。大人たちにも優しいマルジウ。優しくなることは甘くなることではない。私はこういう優しさが好きです。サントラで使われる音楽も、2007年アルバムよりも、ずいぶんと丸く柔らかくなっているように聞こえます。

カストール爺の採点:★★★★☆

↓『ジャックと時計じかけの心臓』予告編



 

 

2014年2月9日日曜日

パリの日本人にとって「パリ的」なるもの

小沢君江『四十年パリに生きる』

 日本で出版された日本語の本なので、何も私が解説したりしなくてもいいんですけどね。今さっき「ラティーナ」に紹介記事の原稿送ったところです。掲載号は2014年3月号の予定。
 著者小沢君江さんは、パリの日本語新聞(フリーペーパー)オヴニーを編集発行しているエディシオン・イリフネ社の共同代表(もう一人は夫のベルナール・ベローさん)で、その前身であるフランスで初めての日本語ミニコミ紙「いりふね・でふね」は1974年5月の創刊だから、今年でちょうど40年間日本語新聞作りをしている方です。この本は1993年に草思社から出版された『パリで日本語新聞をつくる』の増補改訂版で、パリ生活20年&日本語新聞作り20年の時点で書かれた同書に、今日までのその後20年のことを二章新たに書き加えたものです。50歳までの自叙伝を70歳までの自叙伝に延長した、という感じですね。
 タイトルを見ると、パリ生活体験記か、自分が作ってきた新聞のクロニクル的回想録みたいねものを想像してしまいますよね。あにはからんや中身は(もちろんそれもあるんですが)実に濃厚で、 小沢さんの女の生きざまがむき出しになっていますし、日本人フランス人関係なく盆百のパリ市民には絶対に体験できないさまざまな特別な事件も記述されもしていますが、それよりもなによりも、小沢さんとご主人(文中では「ルネ」という仮名になってますけど、ベルナール・ベローさんです)の関係が年と共に深化していっているというのがこの本の一番太い軸だと思ったのですよ。雑誌原稿はそのことを中心に書いたので、小沢・ベロー夫妻の「愛の軌跡」的な紹介になりました。そんなふうに読む人って余り多くないと思いますよ。ただ、無理矢理な深読みではない、と断言できます。
 「ルネ」と小沢さんは1963年に東京で出会っていて、早稲田の仏文科にいた小沢さんは翌年の東京オリンピックのためのフランス語通訳に借り出されることになっていて、「ルネ」はその通訳コーチでした。二人の関係はそれから50年の Je t'aime moi non plus です。その微妙な難しさは「日仏」カップルであることがまず第一にあり、その「日仏」は40-50年前と今日ではおおいに違っていると思います。文化の違いの壁というだけではなく、時代が持っていた空気の差もあります。当時の小沢さんはサルトルやボーヴォワールを読んで大きく影響されるような「新しさ」(これはもちろんカッコつきで書かねばなりません)があった反面、親が探してきた相手と見合いで結婚してこのまま家庭に入るのもしかたない、という当時の「人並みの」考えもありました。これを「ルネ」が変えてしまうのですが、それは多少なりとも当時の日本に逆らうことでした。出会いから8年かけて二人は結婚し、長男(それが現在、イリフネ社の代表となっている、ダン・ベロー君です)が生まれた翌年の72年にパリに移住します。
 そこまでの間にフランスは68年5月革命がありましたし、日本も大学闘争で揺れ動いた時期でした。「ルネ」は日本で映画の仕事(特に日本の独立プロの映画をフランスに紹介する仕事)をしていたし、日本の新左翼のことをルポルタージュする本をフランスで発表したりしていました。小沢さんもまた銀座の画廊で働きながら、銀座通りにベトナム戦争反対のデモ行進が通ると職場を抜け出して、デモに参加してしまうようなやんちゃな女性でした。 私はベロー一家のフランス移住前の約10年間が、全面的に「いい時代」だったとは言いませんが、確実に何かを変えてしまった運動の時期だったと思います。それが日本で急速にしぼんでしまう(71年〜73年)頃に、フランスに移住したのです。
 本には出てきませんが、原稿のためにインタヴューした時に(これも原稿には書いてませんけど)、あの当時全共闘運動の残党が「革命浪人」のような粋がり方で海外移住するケースがあり、ヨーロッパにもずいぶん流れていて、自分たちもそんな見方をされたことがあった、と言っています。しかたないでしょう、それは。これは本に書かれていることですが、実際に1974年の日本赤軍派によるオランダ、ハーグのフランス大使館占拠事件に関与したという嫌疑で、「ルネ」はフランス警察に逮捕され、拷問にかけられるという体験をしています。その一部始終と顛末が、74年に創刊された日本語ミニコミ紙「いりふね・でふね」の紙面で、堀内誠一さんのイラストで描かれているのです。
 「いりふね・でふね」はそういうアンダーグラウンドで、アヴァンギャルドで、ある種反体制的な傾向をはっきりと出していたミニコミ紙だったと思います。それは74年から79年までそれは続くのですが、 宝物のように全号保存しているファンも多いと聞きます。
 それは「日本とフランスの文化の架け橋」のようなお題目をはるかに逸脱した、斜に構えた市民感覚で、パリとフランスを観察して、面白がり、楽しみ、パリの日本人たちと情報を共有しよう、という知的コミューンの創造だったと私は見ています。当時読んでいて「何だこりゃ」と思った人たちもいたでしょうが、めちゃくちゃ面白がった人たちの方が多かったんじゃないかな。私のイメージの中では、70年代に「パリ的」というのはそういうことだったのです。
 私はその末期の79年にフランスに移住しました。既に1万人を越えていた在パリ日本人住民の中には、やはりそういう粋がり方をしている人たちが多くて、訪れる日本人観光客たちを冷たい目で見るような傾向がありました。パリの本当の良さは観光客にはわかるまいに、みたいな優越感でしょう。79年に創刊されたフリーペーパー「オヴニー」は、「いりふね」の延長線上にあるとはいえ、アンダーグラウンド/アヴァンギャルド性は大きく後退し、「売りたし買いたし」「アパート情報」「求人」などの情報交換欄で、在パリ日本人社会に圧倒的な浸透力で広まっていきます。その大衆的な波及力は、大使館の広報活動や在仏日本人会など全く比較にならないものでした。在パリ日本人たちは、自分たちに最も身近な活字メディアをやっと手に入れたのです。
小沢さんの本には触れられていないことですが、日本経済の伸張に比例して80-90年代はフランスでの日本企業の数も増え日本製品の露出度も高く、パリにそのまま日本社会の一部が出来るのではないか、という勢いがありました。大きな企業の人たちはそう考えていたでしょうね。フランスに合わせることなどない、日本式にやるのが成功の条件だと思っていたでしょうね。私はそうは思っていなかったから、日系企業の子会社を辞めて、(ヤクザな)音楽の仕事に入っていきました。幸いにしてバブルは良い時期にはじけたと私は思いますよ。パリでも「ジャパン・アズ・ナンバーワン」は急速にしぼんでしまった。奢る平氏...。その頃、オヴニーの対抗紙が出来て、日本の大新聞の受け売りのようなエディトリアルを展開するので、私はこの人たちは根本的に「パリ的」ではないと見ていました。
 が、私も歳取ったのでしょう。オヴニーも70年代的なところからずいぶん遠くに来てしまいましたし、小沢さん的なエスプリが今日どの程度まで紙面に生かされているのか、ちょっとわからなくなる時もありますよ。毎号の時事解説批評欄を、今でも小沢さん自身が1200字で書いていらっしゃるし、それが「楽しい」とご自身が語っています。最新号(2014年2月1日号)では、極右&反ユダヤ主義を煽動することを「お笑い芸」とするボードヴィリアン、デュードネのことを解説してました。ヘイトスピーチが堂々とメディアや街頭に登場する日本とは違い、フランスは最高行政裁判所(Conseil d'Etat)の命令でデュードネの劇場でのショーを全国的に禁止しました。日本とフランスの違いで、考えなければならないことのひとつだと思いますよ。私たちフランスにいる日本人は、ときどきそういうことを日本語で言わないといけません。そういう意味もあって、私は小沢さんを応援する記事を書いたのです。土台にあるのは70年代的エスプリだと、私は感じています。

小沢君江『四十年パリに生きる   ー オヴニーひと筋 ー』
緑風出版刊 2013年12月 270ページ