2014年1月24日金曜日

おそれ入谷の空と太陽と海

 2014年1月22日、歌手フランソワ・ドゲルトが81歳で亡くなりました。世界的にもフランス的にもこのアーチストは1曲だけしか知られていません。それは1965年に発表された "Le Ciel, le Soleil et la Mer"(空と太陽と海)という歌です。この1965年の夏というのはフランスのヴァリエテ界では画期的なことに、エルヴェ・ヴィラール "Capri c'est fini"(日本題:カプリの恋の物語)クリストフ "Aline"(日本題:愛しのアリーヌ)、そしてドゲルトのこの曲、というフランスの三大「夏のスローバラード」が一挙に登場したのでした。3曲ともフランスでは「必殺のスロー (le slow qui tue)」と評され、夏の浜辺でポータブル電蓄でかけると、たちまち周りで多数のカップルのチークダンスが始まってしまう、というしろものです。で、フランス人たちは1965年以来、毎夏、この3曲をヴァカンスに向かうクルマのカーラジオで聞いたり、遅〜い夕暮れ時の海辺のテラスでジュークボックスからこの3曲のいずれかが流れたら、見知らぬ男が女に "Tu danses?"と声をかける、なんてえことをしていたのです。毎夏ですよ、毎夏。
 エルヴェ・ヴィラールとクリストフの歌は両方とも悲恋バラードなのですが、ドゲルトの曲はほとんど極端にオプティミスティックなヴァカンス讃歌です。高度成長期、失業も移民問題も笑い話だった時代のフランスが見えます。

Il y a le ciel, le soleil et la mer
Il y a le ciel, le soleil et la mer
二人で浜辺に寝転がり
髪の毛は目の中に
鼻は砂の中に
二人でいるのっていいね
夏だもの、ヴァカンスだもの
おお、神様、僕らはなんて幸運なんだ!
空と太陽と海が一緒にあるなんて
空と太陽と海が一緒にあるなんて

僕の海小屋は板張りで
ベッドも大きくない
でも毎日が日曜日だ
長く長く寝ていよう
正午には浜辺で
僕らの年代の友だちが
空と太陽と海ってみんなで歌っている
空と太陽と海ってみんなで歌っている

夜になるとみんな一緒になる
僕と君がダンスしようとすると
必ず君にお似合いの曲が
かかってくる
その歌はヴァカンスと
恋と幸運について歌っているんだ
空と太陽と海って歌いながらね
空と太陽と海って歌いながらね

9月になったら
僕と君はまたどこかで会うだろう
そして夜には君の部屋で
僕らはまた歌うだろう
秋の風や
単調な雨にも関わらず
僕らはまた空と太陽と海に会えるだろうって
僕らはまた空と太陽と海に会えるだろうって
 (詞曲:フランソワ・ドゲルト)

 不滅ですね。夏に空と太陽と海さえあれば、私たちはどれだけ幸せか。 他に何もなくていいと思いますよね。しかしフランソワ・ドゲルトや私たちとは違う考えを持つセルジュ・ゲンズブールは、1978年に「空」を外しちゃって「海と太陽」の間にセックスを挿入してしまうのです("Sea, Sex and Sun")。その頃からフランスの夏の海浜地帯の風紀は乱れっぱなしなのです。

(↓)フランソワ・ドゲルト『空と太陽と海』




2014年1月22日水曜日

恋はクリームパフェ

『愛は完全犯罪』
2013年フランス映画
"L'AMOUR EST UN CRIME PARFAIT"
監督:アルノー&ジャン=マリー・ラリウ

原作:フィリップ・ジアン("INCIDENCES")
主演:マチュー・アマルリック、マイウェン、カリン・ヴィアール、サラ・フォレスティエ
フランス公開:2014年1月15日


 2010年発表のフィリップ・ジアンの小説 "INCIDENCES"をアルノー&ジャン=マリーのラリウ兄弟が映画化したものです。雪に始まり、火で終わる小説です。ジアンですから、性と狂気とヴァイオレンスがたくさんあります。
 この映画は『ラヴ・イズ・パーフェクト・クライム』というタイトルで2013年の東京国際映画祭に出品され、フランスに先立ってプレミア上映されて、主演のマチュー・アマルリックも来日しています。ミディ・ピレネー地方ルールド出身のラリウ兄弟(65年&66年生れ)は、1999年から長編映画5本を発表していて、2回カンヌ映画祭に出品されたこともあります。前作『世界最後の日々(Derniers Jours Du Monde)』(2009年。マチュー・アマルリック、カリン・ヴィアール、カトリーヌ・フロ主演)は、パリ〜ビアリッツ〜イビサを舞台にした地球最後の日々に女漁りをする男を描いた大予算&大仕掛けの野心的ロード・ムーヴィーだったのですが、これが興行的に大失敗となり、その後映画会社(およびその出資者であるテレビ会社)からしばらく全く干されてしまい、この『愛は完全犯罪』が言わば雪辱戦の映画となっているわけです。
 映画の始まりは、夜、くねくねした冬の山道を上っていく四輪駆動のクルマです。道は高山に入り雪道になり、ヘッドライトに照らされた崖の斜面に一匹のオオカミが通っていきます。ジアンの小説の読者なら、こういう動物が狂気の予兆を暗示させるものであることがわかっちゃうんですね。ハンドルを握るのは50歳にして精悍さと繊細さの両方を持ち合わせた文学科大学教授マルク(マチュー・アマルリック)、その横には大学教授の誘惑のゲームを共に楽しもうとする若い女子学生(マリオン・デュヴァル)。クルマは町から遠く離れた雪山の中のシャレーに着き、男と女はその中に入り、さっそく衣服を脱いで、ということになるのですが、この女子学生の素晴らしい裸体とその扇情的な動作に、画面を見る者はハッとするはずです。ジアン原作の超有名映画『37°2(ベティー・ブルー)』 の冒頭のベアトリス・ダルを想わせるものがあります。大学教授は極度に興奮していきます。
 画面は切れて、翌朝。大学教授は何も思い出せない。昨夜一緒にいたはずの女子学生の名前も思い出せない。一体何が起こったのかわからないのですが、若い女の姿は消えています。
 マルクは麓の町の近代的な建築の大学キャンパスで、20人ほどの学生を相手に文芸創作講座を開いています。テーマは風景です。ある風景の中にいくつかの要素を盛り込んで、文章を創作せよ、みたいなコースです。受講生はほとんど女子です。課外授業を求められたり、また、こっちから誘ったりというのは日常的にあることで、この教授のプレイボーイぶりのために大学の評判が落ちることを懸念する大学首脳陣や同僚たちからは全く良く思われていない。そこへ、若い私服刑事がキャンパスの中に現れ、バルバラという名の女子学生が行方不明になっていて、その捜査をしている、と告げます。ここでマルクは初めて、あの素晴らしい裸体の女がバルバラという名前だったということを思い出すのです。
 全編を通して喫煙シーンがものすごく多い映画です。見ている方が煙たくなったり、喉にえがらっぽいものを感じたりしそうなほどです。映画内の喫煙シーンは昨今のフランスでも自粛ムードがありますが、これは全くそんなものはありません。煙草はかつてのアメリカ映画のようにここでは神経質の直喩なのです。マルクのナーヴァスさには限度がなく、それを煙草がだましだまし、というチェーンスモーカーなのです。
 キャンパスにはマルクの妹マリアンヌ(カリン・ヴィアール)が図書館司書として勤めており、そのマリアンヌに一方的な恋慕の情を抱いているのが、マルクの上司(おそらく文学部主任教授のような立場だと思います)のリシャール(ドニ・ポダリデス)です。リシャールがその立場からマルクに対して「女子学生に手を出すな」という忠告を繰り返していること、加えて妹に近づこうとしていることの2点において、マルクはリシャールを忌み嫌っています。その2点めは物語上重要なファクターです。マルクとマリアンヌはあの山の上のシャレーに同居している。階下をマリアンヌ、階上をマルクが使うというわずかな境界線はあっても、同居は同居で、経済的には富裕層に属する兄と妹が一体なんでこの歳(40歳〜50歳)になっても同居しなければならないのか、観る者は最初わからないのです(最後にわかるのですが)。妹は兄が女子学生をシャレーに連れ込んで遊んでいることを知っていて、兄はその物音を「いいや、たぶんそれはテレビの音声だろう」と見え見えのウソを妹に言うのです。妹はそれを悪く取るだけではなく、それに対抗するようにセクシーなランジェリーを着けて兄を誘惑しようとするのです。兄は兄でリシャールが妹に近づこうとすると猛烈に嫉妬して妨害します。近親相姦一歩手前と思いきや、映画後半には実際に近親相姦場面も出てきます。
 バルバラ失踪事件の捜査は一向に進展せず、ある日悲嘆に暮れたバルバラの義母を名乗る女アンナ(マイウェン)がキャンパスにマルクを尋ねてきます。マルクはこの女性に電撃的なもの(実際ここではマルクがエレクトリシテ éléctricitéという言葉でそのショックを語ります)を感じます。アンナはバルバラの父親の再婚相手でしたが、その夫はフランス軍士官で、サハラ砂漠派遣部隊の一員として参戦して、消息が分からなくなっているのです。つまり今や夫も義理の娘も行方不明という状態です。アンナはその後もキャンパスにマルクに会いに来たり、市内で待ち伏せしたり、と誘惑を繰り返し、マルクはまんまと恋に落ちてしまいます。
 キャンパス中の噂になっているマルクとアンナの関係を面白く思っていない人間がひとり。それはマルクに極端に一方的でエゴイスティックな恋慕の情を燃やしている女子学生アニー(サラ・フォレスティエ)で、悪いことに大金持ち&町の(マフィア絡みの)超有力者の娘ときています。マルクがこの娘を相手にせずにつっけんどんにすればするほど、アニーは手段を選ばずにこの先生をものにしようとします。娘はマルクに個人教授を願い出るのですが、それを断られ、その腹いせに父親の権力を使ってマルクの大学からの解任を仕組みます。マルクはマフィアに雇われた覆面2人組にめちゃくちゃに殴打されるというおまけまでついています。
 この教授職解任という危機を救ったのが妹のマリアンヌで、彼女は色仕掛けで学部主任のリシャールを味方につけ、大学役員会でマルクの解任を撤回するように動かしたのです。
かくしてマルクの復職が決まり、マリアンヌとリシャールは急速に接近します。その祝い事のようにリシャールは大規模なカクテル・パーティーを開くのですが、マルクはそこでどんどん気分が悪くなっていきます。さらにその場に女子学生アニーもいて、こんな事態になっても一層しつこくかつ強引にマルクを誘惑してくるアニーに、その発作的な不快感はクレッシェンド的に上昇していきます。帰りのクルマの中で、マルクは極度の興奮状態で鼻血が止まらなくなっています。血を拭き拭き、のろのろ運転をしていると、オートバイ警官に停止を命ぜられます。興奮の余りギアレバーを壊してしまい、それを手にしたままクルマの外に出て警官と向かい合ったマルクは、その後のことを覚えていない。
 気がつくとマルクはアンナのアパルトマンにいて、裸でアンナとベッドの中にいる状態で目を覚まします。何も覚えていないマルクは「長く眠っていたのか?」と聞きます。アンナは「たくさん眠っていたし、その前にたくさんセックスもしたわ」と答えます。
 アンナのアパルトマンの窓から外を見ていたマルクは、一匹のオオカミが窓の下を通っていくのを見ます(!)。
 そこを出て山のシャレーに戻る途中、画面には四輪駆動車の後部座席にまだかすかに動いている血だらけの警官の体が映し出されます。山間の道を上り詰め、クルマを降り、そこからマルクは警官の体を背負って、雪の林間を歩いて登り、凍てついた深い谷間にそれを投げ捨てるのです。谷間までの落下を確認していると、その途中の一本の木に何かひっかかっています。マルクがそこまで降りて行って確かめると、それは凍りついた状態でそのままになっていたバルバラの遺体でした。 マルクはそれを木から降ろして、(もう一度)谷底に投げ捨てるのです。
 マルクはアンナを狂おしいまでに愛しています。妹マリアンヌがリシャールと落ち着いた関係で愛し合えるように見えたのに、マルクが嫉妬しなくなるのはアンナとの愛が本物だという確信が生まれたからでしょう。初めての人間らしい恋。そんな喜びをマルクが感じ始めた頃、アンナがマルクを週末旅行に誘います。美しい湖畔の町のハイテク建築のバンガローをアンナは予約します。マルクは本当にこの日からアンナとの新しい生活が始まるものだと思っています。そこへ、最後の最後まで憎たらしいあの女子学生アニーから電話が入ります。「わたし全部調べてわかったの。あなたといる女はバルバラの義母ではないわ。警察官よ」。アンナがバンガローのシャワールームで体を流している間、マルクがアンナのハンドバッグの中を探ると、その底に自動拳銃が隠されていて、窓の外を見るとバンガローの建物が警察の特殊部隊に包囲されているのです...。

 最後は大火災というエンディングなのですが、ディテールは書きません。
 
 撮影はフランス・アルプス、オート・サヴォワ県のムジェーブ(Megève)を中心にされたそうですが、とにかくアルプスの雪山が準主役のように多くを語りかけてきます。美しくもあり、艶かしくもあり、魔の世界のようでもあります。
 この身に覚えのない犯罪、まったく記憶が欠落してしまう犯罪は、マルクとマリアンヌは「夢遊病」という言葉で説明しようとします。しかし、極度の興奮状態で全くコントロールが利かなくなる状態は、ジアンの小説にはしばしば登場します。その魔の状態は何かによって導火線に火をつけられるのですが、それが大自然の呼び声だったりオオカミだったりするのでしょう。最後のマルクのアンナへの告白で明らかになるのは、マルクは少年の日に、暴力的だった両親をやはりその魔の状態で殺害していて、その秘密を兄と妹はずっと隠し続けて生きてきたということなのです。二人はこの秘密によって離れられなくなってしまった愛人同士なのです。だからマルクの最後の一文もマリアンヌに捧げられる。それには「愛とは完全犯罪である」と書かれてあるのです。

 L'amour  恋
   est un は
   crime クリーム

   parfait パフェ

 ミャム・ミャム....。


カストール爺の採点:★★★★★

(↓)『愛は完全犯罪』予告編