2013年3月31日日曜日

FACEBOOK

お知らせ

向風三郎のFACEBOOKアカウントは
https://www.facebook.com/samboualam.caillecagee
にあります。
開設2010年4月で、使用言語は主に日本語です。かなりプライヴェートな内容を開示しています。



Toshi TsushimaのFACEBOOK アカウントは
https://www.facebook.com/toshi.tsushima.5
にあります。
開設2008年8月で、最初は日本語でしたが、2010年以降はフランス語中心(こちらの友人関係は仏語人が多いので)です。



二つのアカウントで重複する内容は(たまにはありますが)まずありません。どちらも「友だち数不足」で伸び悩んでおります。お気軽にリクエストしてみてください。

2013年3月30日土曜日

ジュヌ・コン

いつもの新譜紹介ではありません。ケント(1957 -  。リヨンの人。リヨンのパンクバンド、スターシューターのリーダー/ヴォーカリストだった人。シャンソン/フォークロック系のシンガー・ソングライターとなって十数枚のアルバムを発表してます)の新アルバム"LE TEMPS DES AMES"(2013年3月4日発売)は、ベルリンで出会ったドイツ人ピアニスト、マルク・オースマンとの二人三脚で制作された "piano-voix"(ピアノ+ヴォーカル。通常ピアノ弾き語りのことを指すのですが、この場合はピアノのみの伴奏のシャンソンということ)のアルバムです。結構むずかしいアルバム。
 その中の1曲で「ジュヌ・コン jeune con」という歌があるのですが、われわれのような中高年(ケントは当年55歳か)が性懲りもなく抱え込んでしまっている「愚かな若さ」を歌ったものです。「ジュヌ・コン」はそのまま訳すと「若いアホ」ということになるんですが、今の日本語では何と言うのだろうか? といろいろ考えました。「若造」とか「青二才」では "con" (愚か者、アホ)のニュアンスが希薄だし、「あほう」や「たわけ者」では若さ・青さが伝わらないし...。
 宿題にしておきますので、これぞというアイディアのある人は、メールかコメントで教えてください。
 歌詞はこんな感じです:
スターバックスで待ち合わせし、Facebookにプロフィールを出すような、ジュヌ・コンが俺の中にいる。ビールを一気飲みし、誰からでも唇にキスされるのを許すジュヌ・コンが俺の中にいる。俺の世代の連中は古ぼけた考えしか持っていないと思うジュヌ・コンが俺の中にいる。鏡で自分の姿を見ると、誰かが俺の場所を取ったんだと信じるジュヌ・コンが俺の中にいる。死にたい死にたいと思いながら30年すぎ、20歳の時にはもう歳とりたくないと思っていたジュヌ・コンが俺の中にいる。同じ年頃の女が俺を誘惑してきたら、この女は階を間違えたんだと信じるジュヌ・コンが俺の中にいる。全世界が自分を待望していると信じてる俺みたいなヴィユ・コンにはそれは全くもっておめでたいことじゃないか。だが自分の頭の中にあったたくさんの計画はいつまでも棚上げにしておくジュヌ・コンが俺の中にいる。若い連中から見透かされることに我慢がならないジュヌ・コンが俺の中にいる。自分が純潔無垢であると信じるにはあまりにも多くのことを知りすぎたと思っているジュヌ・コンが俺の中にいる。そいつは俺の忠告を全く聞かないし、いつも俺に本気で歯向かって来るジュヌ・コンが俺の中にいる。そいつは過度に動きまわり、夜もろくに寝ずに、いつかは俺をものにしてしまおうと思っている、そんなジュヌ・コンが俺の中にいる。
  文中「ジュヌ・コン」 = jeune con、 「ヴィユ・コン」 = vieux con
    静止画像ですが、Youtubeもあります。(↓)

2013年3月24日日曜日

大伽藍ポップと人の言う...

Woodkid "The Golden Age"
ウッドキッド『ウッドキッドの黄金時代』

 フランスではかなり大騒ぎです。私は全く知りませんでした。ウッドキッドは本名をヨアン・ルモワーヌといい、1983年リヨン生れ(当年30歳)のポーランド系フランス人です。在住地はニューヨークです。この若者が世に知られるようになったのは、とりわけ映像作家・グラフィストとしてであり、2009年にエイズ予防キャンペーンのために制作したアニメ作品「ズィズィ・グラフィティー」カンヌ広告映画祭で5部門を受賞したのをはじめ、ヴィデオ・クリップ作家としてケティー・ペリーの「ティーンネイジ・ドリーム」(2010)、ラナ・デル・レイの「ボーン・トゥー・ダイ」(2011), テイラー・スウィフトの「バック・トゥー・ディッセンバー」(2011)などで、その仰々しい大作主義的映像で注目されます。
 2011年3月に、ヨアン・ルモワーヌは「ウッドキッド」という名で音楽アーチストとしてデビューします。EP 「アイアン (Iron)」のタイトル曲「アイアン」 の自作クリップは、2000年代のスーパーマヌカン、アギネス・ディーンが出演し、ヴィデオゲーム「アサシン・クリード・リベレーション」の予告CMの音楽として起用され、さらにディオールのメンズコレクション(2013年秋冬)のファッションショーの音楽として使われるなど、その種の分野では世界的に注目されざるをえないようなかまびすしさでした。
 ちょっとお待ちください。ここで私などは虚飾に満ちたビジネスの匂いを感じてしまうわけですが、スーパーマヌカンさんの出演料、 ヴィデオゲーム界の桁外れの予算、超高級ファッションブランドが出すギャラなどを考えても、そんなことをとやかく言われる前のその「音楽」とはどんなものなのかと疑ってしまう考え方ですね。プロモーション・ヴィデオの予算は音楽の質に比例するものではないけれど、往々にして大予算ヴィデオはYouTubeのヴュー数や、メディアでの露出度が高く、ヴィデオの絢爛豪華さがそのまま商業的成功につながるような見方が成立するものでした。私のようなヴィデオ・クリップにあまり興味がなく、ラジオやCDのような媒体で音楽を聞くことで音楽の善し悪しを判断する傾向のある人間は、ある日テレビやYouTubeであの音楽にこんなヴィデオがくっついていたのか、と驚くことがしばしばありますが、音楽とヴィデオは別物という境界線がまだ私の頭には存在してました。
 ウッドキッドという音楽アーチストは、私のような20世紀をひきずった音楽リスナーを根本的に変えてしまうようなインパクトがあります。こいつは全部ひとりでやっている、ということの意味が、単なるマルチ・プレイヤーという範疇に留まるものではない。こいつは全部ひとりでやっている、は映像/グラフィスム出身でありながら、つまり「音大出」ではないのに、ヴィデオクリップ映像の組み立てはもちろん、類希なるソングライティングのセンスときめ細かいサウンドの構築から、この男の持って生まれたメランコリックな声質の歌唱のコントロールまで、さらに「ビジネススクール出」ではないのに、制作予算の管理やメディアでのプロモーション効果を戦略するまでのマネージメントをこなせる、そんなスーパー・アーチストを思わせるものがあるのです。
 これには大予算が必要なのだけれど、大予算でなければできないアートもあり、これはこれだけ予算をかけなければなしえない、それをひとりで全部やってみせて、さあどうだ、と言えるアーチスト。金の匂いがぷんぷんしても、そのアートは揺るがないものを持っている納得の「リッチ」さ。
 「センセーション+映像+サウンド」という三位一体を実現してしまう音楽。私にはたいへんなショックでした。ある種古典映画やヴィデオ・ゲーム的でもある、ひとつの入口から入り、その様々な部屋に入ったのちにひとつの出口から出て行くのですが、その間の波瀾万丈のセンセーションを表現する音楽絵巻のようなアルバムです。 オーケストラの音、特に金管群とストリングス群、そして鍵盤(ピアノ+電子キーボード)、さらに軍楽のように響かせる打楽器群(和太鼓もあり)。シンフォニックで疾風怒濤風な管弦楽展開もあれば、中世ロマンティスム風な鍵盤主軸のバラードもあります。特徴的なのはギター/ベース/ドラムスの不在です。ロック的であることを拒否しているかのような、擬古調なアンビエントがあります。その上に抹香臭い憂愁をたたえたヨアンのヴォーカルが響く時、私たちは大教会・大伽藍の中でこの音楽を神妙に聞いているようなセンセーションに襲われます。終末的で、何も悪いことしていないのに、許しを乞いたくなるような、頭上からの音楽の重さです。
 いつもならば、「これ保守的だな」「これファッショだな」と思ってしまう私だったでしょう。しかし、今回はこの「金のかかり方」の力や、古典的な審美眼に堪える完成度の高さや、ひとりでここまでしてしまう稀な才能にだまされていいんだ、という納得のある1枚なのです。おそらく2013年の上半期のベストとなる作品でしょう。

<<< トラックリスト >>>
1. THE GOLDEN AGE
2. RUN BOY RUN
3. THE GREAT ESCAPE
4. BOAT SONG
5. I LOVE YOU
6. THE SHORE
7. GHOST LIGHTS
8. SHADOWS
9. STABAT MATER
10. CONQUEST OF SPACES
11. FALLING
12. WHERE I LIVE
13. IRON
14. THE OVER SIDE

WOODKID "THE GOLDEN AGE"
GREEN UNITED MUSIC / PIAS FRANCE CD 804 A044 022
フランスでのリリース:2013年3月18日

(↓)WOODKID "IRON"


(↓)WOODKID "RUN BOY RUN"


(↓)WOODKID "I LOVE YOU"


(↓)WOODKID - 2012年9月26日、パリ、グラン・レックスでのライヴ


2013年3月4日月曜日

人はもう恋でなんか死なない


ROBI "L'HIVER ET LA JOIE"
ロビ『冬とよろこび』

 あんた誰? Who you ?
 冬は寒い。寒いから冬。この真冬のど真ん中の零下の日に届いたアルバムです。モノクロで、白よりも黒が圧倒的に支配的なジャケット。この寒いさなかに女が、泡立つ(あまりきれいとは思えない)水の中で背泳ぎ風に両腕を伸ばしている。その左の下腕には鯉のぼりのウロコのようなタトゥーが。バシュング『ファンテジー・ミリテール』(1998年)のジャケを、バシュングの代わりにPJ・ハーヴェイの顔が代役したような感じもしますが、藻で緑色だらけな『ファンテジー・ミリテール』のジャケに対して、このロビのデビューアルバムは黒いのです。黒く光ってすらいるのです。
 ロビ『冬とよろこび』と題されたアルバムです。私ならば『冬とよ』なんて遊びたいところですが、そういう遊びを許してくれないような黒さが勝っています。このロビという源氏名をもった女性シンガーソングライターの本名はクロエ・ロビノー(Chloé Robineau)と言います。安直な地口と思われましょうが、黒さが際立つファーストネームです。
 水枕ガバリと寒い海がある (西東三鬼)
これは昭和俳句の傑作のひとつです。病に伏して熱の中で耳の下から聞こえてくる水枕の水の音を、俳人は「ガバリ」と聞き、そこに寒い北洋を思ってしまいます。水枕というミニマルの容器に冬の大海が拡がっていく。私はですね、このロビのアルバムに何度も「ガバリ」という音を聞いてしまったのですよ。"Gabarit"(ギャバリ)とはフランス語で体躯や乗り物などの大きさのことですが、この際それは無関係。
 寒い波と書いてコールド・ウェイヴ。この記事を書いている途中で、元タクシー・ガールのダニエル・ダルクの訃報が飛び込んできました。R.I.P. 。ダニエル・ダルクの死に関してはこのブログのここで触れていますから、読んでみてください。ダニエル・ダルクのタクシー・ガールはフランスの典型的なコールド・ウェイヴのバンドでした。冷たいシンセの音、無機質なビート、アンニュイなヴォーカル、こういうのは80年代にフランスの得意技になってしまうんですが、お手本はスーサイド、スロッビング・グリッソル、スージー&ザ・バンシーズみたいなところでしょうか。このロビはアメリカ人5弦ベーシスト(+各種機械)のジェフ・ハラムとキーボディスト(+ギター+各種機械)のボリス・ブーブリルの二人というミニマルで寒々しいインストルメンタル環境で、一見して女流詩人のような佇まい(パティ・スミス、カトリーヌ・リベロ...)ではっきりした叙情と官能の言葉をサウンドにはめ込んでいく、という音楽です。私はエリ・メデイロスのいたスティンキー・トイズや、スージー&バンシーズや、近くはポーティスヘッドを想ってしまいます。女歌によるコールドウェイヴですから。またその詩的な震え具合で、ドミニク・アの女性版という評価もあります。
 ロビは2011年のレ・ザンロキュプティーブル誌主催の新人コンテストLes Inrocks Lab
の準優勝者で、この時からジャン=ルイ・ミュラ、アルノー、ドミニク・ア、ヴラディミール・アンセルム、 といった一癖も二癖もあるアーチストたちから熱い声援を受けるということでも、一風変わったアーチストの登場が予見されていました。それから1年半、ミュラやアルノーの前座ステージなどで、このドスの利いたコールドウェイヴ・パワー・トリオ(ロビ+ハラム+ブーブリル)はどんどん評価を高め、ファンジン、E-ジン、ロック・メディア、シャンソン・メディアに露出していきます。なぜ最後の「シャンソン・メディア」がこの新人歌手に注目するかと言いますと、その詞の「シャンソン度」の高さからなのです。例えば...

私は裸で前に進む
私の涙は飲み干された
私は朝日と共に身を起こす

私は前より少し孤独になったけれど
私を欲しがる男たちは
前と同じように私をものにするだろう

私は何も得るものなんかない
いつも何もない
だからって死なないでしょう
だからって死んだりするの
夜を共にして、悲しい朝になったところで
人はもう恋でなんか死なないのよ

人はもう恋でなんか死なない
人はもう死なない                       ("On ne meurt plus d'amour" 人はもう恋でなんか死なない)

 こんな歌聴きますと、重低音ベースでパワーアップした21世紀のバルバラ、という気になりますよ。
 アルバムは2013年2月5日にリリースされました。支援者代表としてドミニク・アが1曲でデュエット(5曲め "Ma route")。他に80年代フランスのインダストリアル・バンド、トリゾミー21のカヴァー1曲(8曲め "Il se noie")。

星空の下で、
雨に打たれて、降り注ぐ光に照らされ、
海に向かう道の上で
波と風に
私の祈りを込めて
あるいは
この最後の春の
バカさ加減を理由に

私はあなたを殺してやる、殺してやる
あなたはおしまい
あなたを殺してやる、殺してやる
もっと殺してやる
     (”Je te tue” あなたを殺してやる)

 梶芽衣子さんのことなんかを思い出したりする曲もありました。ロビ、注目しています。 がんばってください。

<<< トラックリスト >>>
1. On ne meurt plus d'amour
2. Où suis-je
3. Tout ce temps
4. Je te tue
5. Ma route (with Dominique A.)
6. Demain
7. Le monstre
8. Il se noie (Trisomie 21 cover)
9. Belle et bien
10. Cherche avec moi
11. Ou pour toujours

ROBI "L'HIVER ET LA JOIE"
CD LES DISQUES DE JOIE / L'AUTRE DISTRIBUTION AD2281C
フランスでのリリース:2013年2月5日

(↓ "On ne meurt plus d'amour" オフィシャル・クリップ)








2013年3月3日日曜日

レコード店に行き、さまざまなことを知る

 2013年2月22日、フランス国営の音楽FM局FIPで"DITES 33"なるアナログレコード専門番組を初めて聞きました。この日のプログラムは、パリで「老舗」と言われている独立レコード店4店のボスに来てもらい、音楽業界全体の大不況やヴァージン・メガストアに代表される大型店の倒産閉鎖の危機をものともせず、「町の小さなレコード屋」として愛され続けている各店の苦労話や、その店が持っている一般には知られざる「ヴィンテージ盤」を番組で聞かせるというものでした。出席したのは、11区サン・セバスチアン通りの「ベティノズ・レコードショップ」(4店の中では最も新しく、1999年開店)のベティノ、11区フェデルブ通りの「ル・シランス・ド・ラ・リュー(Le Silence de la Rue)」のクリストフ・ウアリ、18区モンマルトルの「エグゾディスク」のラリー・ドベイ、そしてこの4店の中では私が最も親しくしている5区モンジュ広場近くの「パリ・ジャズ・コーナー」のアルノー・ブーベ。
 私はレコード・コレクターだったことがありません。今もレコード棚、CD棚は自宅のサロンや事務所の隅にあることはありますが、人に自慢できるものなど何もない。80年代から90年代にかけては、ずいぶんと買っていたけれど、もっぱらフナック・モンパルナス店とフナック・レ・アール店での買い物で、町のレコード店にはほとんど足を向けたことがありませんでした。
 アナログ・レコードは5〜6年前から勢いを取り戻し、フナックなどの大型市販店が音楽ソフト(特にCD)の売り場をどんどん縮小している状況の中で、パリではアナログ・レコード店が少しずつ増えていて、地下鉄の中でも「レコード袋」を手にした若者たちをよく目にするようになっています。レコード復興のシンボル的なイヴェントで、2007年にアメリカで始まった「レコードストア・デイ」は、フランスでも2011年から始まり、フレンチーで素敵な名前の「ディスケール・デイ」というイヴェントになり、2012年のディスケール・デイは全国で156店が参加するほとの規模になりました。冒頭で紹介した国営音楽FM局のFIPが、アナログレコード専門の番組"DITES 33"(毎週木曜日19時から21時の2時間)を開始したのが2012年9月のこと。このレコード・ルネッサンスは私たち「業界」の人間たちが騒いでいることだけではなく、一般音楽ファンにもたしかな現象として捉えられていると言えましょう。
 2月22日の番組は本当に面白く、クセのあるレコード店主たちがその音楽愛やその苦労話を語り、その店で展開される客たちとのヒューマンなコミュニケーションによって好きな音楽が分かち合える喜びがよく伝わってきました。私のよく知らないレコードショップの世界です。こんな人たちと話したいなあ、という気にさせてくれる幸せな2時間でした。で、本当に会いに行きたいなぁ、という気になったのです。今月の連載原稿は、このパリの人間臭いレコードショップの世界を紹介してみようか、と。

 2月28日、 ロック・シンガーのダニエル・ダルクが、11区の自宅で死体で発見された、というニュースが流れました。元タクシー・ガール。80年代のポストパンク/ニュー・ウェイヴのバンドでした。ストラングラーズのジャン=ジャック・バーネルが協力していたこともあって、当時はそれなりに注目されていたバンドで、トーキング・ヘッズの前座のステージでヴォーカリストのダニエル・ダルクが腕の静脈をカミソリで切ったという極端なパフォーマンスも話題になりました。86年にメンバーがオーヴァードーズで死んだのがきっかけでバンドは解散。ダルクはソロアーチストとして活動したことになっているけれど、第一線のシーンには出て来ない。2004年にシンガーソングライターのフレデリック・ローと二人三脚で作ったアルバム "Crêvecoeur"が6万枚を売り、再浮上、このカムバックはヴィクトワール賞 "新人賞”を獲得するという、奇妙な一幕もありましたが、それ以後は2枚のアルバム、そして次のアルバムも待望されている、というある種安定したアーチスト生活だったと言えます。
 しかし、私は11区のオーベルカンフ通りに事務所を持っているので、11区に住んでいるこのアーチストと数度すれ違ったことがあるのですが、朝だろうが昼だろうが、大声で怒りの言葉を独語しながら、定まらない目で歩道をおぼつかない足でふらふら歩いている姿を、ああ、この人はこの世界にいない人だ、という印象で見ていました。

 3月2日、私は件のレコードショップのルポルタージュ原稿のために、フェデルブ通りの「ル・シランス・ド・ラ・リュー」に行きました。店主クリストフ・ウアリ(上の写真は、ル・シランス・ド・ラ・リュー店内のウアリとダニエル・ダルク)とは会うのがこれが3度目でした。いろいろな話を聞いたあとで、ダニエル・ダルクの話題になりました。私はウアリがダルクの親しい友人だったことを知っていました。前述の「ディスケール・デイ」のプロモーションで、2012年ディスケール・ディ参画者の有力店のひとつ「ル・シランス・ド・ラ・リュー」がダニエル・ダルクをゲストにしたイヴェントを企画していたのも知っていました。そのヴィデオもYouTubeで見ることができます。
 ダニエルは木曜日に亡くなったのだけど、その3日前の月曜日にはその店「ル・シランス・ド・ラ・リュー」に来ていた。いつものようにダニエルはクリストフに「ビールをくれよ」とねだった 。クリストフはしばし店をダニエルにまかせて、近くのスーパーでビールを買ってきて、店の営業中にも関わらず、二人でレジ・カウンターでビールの杯を交わした。その時、ダニエルはクリストフに唐突に「俺がどうしてこんなにビールが好きになったのか」という話をし始めたのだ。つまり、自分がいかにしてアルコール中毒になったかということの次第を初めてクリストフに明かしたのです。クリストフは長い間ダニエルとダチだったけれど、いつも冗談ばかり飛ばしているダニエルがこんな神妙になったのは初めてだったと言います。
 ダニエル・ダルクは本名をダニエル・ロズームと言い、ロシアのボルシェヴィキ革命を逃れてフランスにたどり着いたロシア系ユダヤ人の子孫です。つまりセルジュ・ゲンズブールと似たルーツを持っているわけです。ことはダニエルの祖母が被ってしまった悲劇に由来するのです。1942年7月、ヴィシー政権とナチス・ドイツに導かれたフランスのゲシュタポはパリ圏で「ユダヤ人一斉検挙」を行います。その被検挙者数13152人(そのうち子供が4115人)がパリ15区にあった室内競輪場(Vélodrome d'hiver、直訳すると冬期競輪場、その略称が"Vél d'hiv" ヴェル・ディーヴ)に一時的に収容された(その後ドランシー駅からポーランドの収容所に送られガス室で果てることになる)ので、この事件は後世に「ヴェル・ディーヴの一斉検挙」 と呼ばれて記憶されることになります。ダニエルの祖母はこの時にゲシュタポに捕えられた。ダニエルの未来の父はこの時18歳だった。なんとか母親を救い出そうとした彼は、何杯も何杯もアルコールを飲んで度胸をつけて、パリのゲシュタポ本営に乗り込んで行った。「僕の母は何も悪いことをしていない。なのに逮捕されてどこかに収監されている。これは何かの間違いだから、母に会わせてくれ、母を釈放してくれ」と訴えた。この嘆願はフランスのゲシュタポの下っ端から上層部にまで伝わり、最後にはドイツ人のナチス士官にまで登っていった。ダニエルの父は、自分の勇気がもうすぐ結ばれる、その願いがもうちょっとで叶えられる、と感じていた。ついに会うことができたナチス士官は、ダイレクトなフランス語で彼に言った「おまえの母親のことは忘れろ。おまえの母親のためには誰も何もできない。それよりもおまえだ。私たちはおまえの母親のようにおまえを即刻捕えて収容所に送ることもできるんだ。おまえ自身のことを考えろ。ここから今すぐ走って逃げて行け。おまえのことは今から数分間だけ目をつぶることができる」。彼は痛恨の無念を覚えながらも、そこから走って逃げるしかなかった。その事件が彼を重度のアルコール中毒者にしてしまうのです。そしてそのDNAはその子ダニエルまで伝わってしまうのです。ダニエルは若くして、アルコール浸けドラッグ浸けになってしまい、それから抜け出すことは決してなかった。2月28日の死因も、アルコールと薬物の混合によるものとされています。その3日前に、クリストフ・ウアリはそんな話を聞かされているのです。

3月1日午後、私はパリ5区のパリ・ジャズ・コーナーに行って、店主アルノー・ブーベ(右写真。パリ・ジャズ・コーナー入口前のアルノー)に話を聞いています。彼は18 歳で南仏アルデッシュ地方からパリに出てきて、19歳でノートル・ダム寺院に近いセーヌ河岸で「ブキニスト」となって、古絵はがきや古雑誌を売っていました。それがブキニストの屋台を使ったジャズ・レコード・ショップになって、2年も経たずにパリ5区に店を構えるレコードショップに成長していきます。そんないろいろな話を聞いたあとで、パリ・ジャズ・コーナーにはどんなセレブリティーの顧客がいるか、という話になりました。ジャズ評論家やジャズ・ミュージシャンはもちろんのこと、小説家、大学教授、映画俳優など、驚くような名前がたくさん出てきました。
 その中で、アルノーは私たちにはあまり知られていないと思ったのでしょう、小さな声である女優の名前を言いました。ミレイユ・ペリエ。 ミレイユ・ペリエ? ミレイユ・ペリエ! 「ミレイユはジャズ・ファンで良く店に来るよ」という話から、私は驚くべきスクープを聞かされることになったのです。
 「ミレイユ・ペリエは私も大好きだよ。とりわけレオス・カラックスの『ボーイ・ミーツ・ガール』から強烈にファンになった」と私が言うと、「ああ、おまえ『ボーイ・ミーツ・ガール』を知ってるのか... 実は....」とすごいことを話し始めたのです。
 レオス・カラックスはレオス・カラックスになる前、アレックス・デュポンだった。アルノー・ブーベは未来の映画監督がアレックスだった時からの知り合いだった。そしてアレックスは「セーヌ川」のイメージをフィーチャーした映画を構想していた。それが未来の『ボーイ・ミーツ・ガール』だった。たしかに今思えば、『ボーイ・ミーツ・ガール』は天の川とセーヌ川がごっちゃになった映画で、彗星の接近で熱が上昇した地上で、少年が出会う前から愛してしまった少女と出会うストーリーでした。アレックスはその構想のさなかに、セーヌ川の河岸でブキニストをしている若者アルノー・ブーベと知り合いになります。アレックスは強烈なインスピレーションを受け、セーヌ河岸の「ボーイ」のイメージをアルノーの実像と重ねていきます。「俺、おまえを使って映画を作るよ」とアレックスはアルノーに主役をプロポーズします。
 映画の構想は決まった。"ガール"は当時アレックスと恋仲にあったミレイユ・ペリエと決まっていた。この構想とシナリオを持って、アレックスはフランス映画協会に行き、制作補助金を申請します。それがなければ制作に入れない。ところが待ち時間は長い。待てども待てども制作補助金は下りない。もうすぐだから待機しておけ、とアレックスはアルノーに言うのだが、どうせアテにならない話とアルノーは思っていた。やがて夏が来て、アルノーは貯まった金で長い間夢見ていたアフリカ大陸(セネガル)行きを挙行してしまうのです。携帯電話もe-メールもない時代、アルノーは全くフランスから連絡がつかない状態です。ところがこの1ヶ月の間に、フランス映画協会は新人監督「レオス・カラックス」に制作補助金を与えてしまうのです。そうでなくても少ない制作予算、映画は数週間で制作されなければならない。レオス・カラックスは連絡の取れないアルノーの起用をあきらめて、ダチの演劇俳優、ドニ・ラヴァンに主役をゆだね、 『ボーイ・ミーツ・ガール』 はアルノー抜きで制作され、完成するのです。
 「あれが俺だったら、今頃フランスの映画界は変わっていたかもしれないし、俺もこんなレコード屋なんかしていないかもしれない」とアルノーは豪快に笑いながら言うのでしたが、私はいつまでたっても「これ、本当の話なの?」という疑いは消えません。

 なにか、今回の取材は「濃い」ものがあります。 3月4日にエグゾ・ディスクのラリー・ドベイに取材しますが、またすごい話が出て来るのではないか、とちょっと怖いです。

(↓「ディケール・デイ」のPRのためのクリストフ・ウアリ&ダニエル・ダルク出演のヴィデオ)


(↓1984年公開のレオス・カラックス初長編映画『ボーイ・ミーツ・ガール』予告編)