2013年12月18日水曜日

アルゼンチンよ、泣かないで

Hélène Grémillon "La Garçonnière"
エレーヌ・グレミヨン 『ラ・ギャルソニエール』

 360ページの小説です。夕食後から夜中にかけてという限定つきですが、4晩で読み終えました。私にしては驚異的なスピードでしょう。読ませる人だなぁ、と率直に思いました。彼女のデビュー作にして大ベストセラー小説である "Le Confident" (2010年発表、30万部、世界27カ国語で翻訳されてますが、日本では出ていません)は未読ですが、文庫本化されたのでこの冬読みます。上にリンクしたYouTubeの著者による作品紹介では『ル・コンフィダン』は、第二次大戦期を背景にした二つの恋愛を軸にした小説のようですが、この戦争&占領時代という作者が生きていない時期を周到に資料調べして、さまざまなことが困難だった状況という油絵カンバスの下塗りのような小説の土台固めを非常に重要視しています。それはこの新作『ラ・ギャルソニエール』 でも同じことで、舞台は1987年8月のブエノス・アイレス(アルゼンチン)、76年から83年まで続いた軍政時代の後始末がまだ終わっていない頃で、誘拐や拷問や恐怖と不正の限りを体験してきた市民たちがその後遺症から立ち直れていない。どんな小さな口実でも、簡単に無実の人々が投獄されたり暗殺されていたので、その後数年が経っても人々の口は重く、誰を信用していいのかわからない、その上軍政時代の協力者たちが無罪放免となって何喰わぬ顔で町に戻ってきている。明日にでもまた同じことが繰り返されるのではないか、という不穏な空気が漂っています。
 最初に前置きがあります。
 この小説はある実話から着想を得ている。事件はアルゼンチン、ブエノスアイレスで起こっている。時は1987年8月、冬である。季節はいたるところで同じというわけではない。だが人間は同じである。
最初からいい感じです。わ、この作家は大きなものがある、と思わせるものがあります。読み始めたら、その筆致はますます名調子です。話者や時制がパズルのように混じり合っていますが、組み立てがしっかりしているから、読者は混乱することがありません。クリアーです。私はそうとは思わずにこの本を手にしたのですが、これは本格的な推理小説なのでした。
 美貌の女性リサンドラは、建物の5階にある自宅アパルトマンの窓から転落して死にます。自殺か他殺か。現場の状況:アパルトマンの入口ドアは開かれたまま。広間では大きな音で音楽がかかっていた。広間の窓は開いている。肘掛け椅子が横転し、電気スタンドと花瓶が床に落ちて、花瓶から流れた水が床にひろがっていた。磁器でできた猫の置物とワインの瓶、そしてワイングラスふたつが床に落ちて割れている。地面に落ちた体は背を下に横たわり、頭部は横を向き、顔には細い血の筋、両目は腫れていて見開いている。身には真新しいドレスをまとっている....
 アパルトマンの隣人は、この前に大声で口論する男女の声が聞こえてきた、と言います。
 リサンドラの夫で、精神分析医のビットリオ・プイグは、(本人の弁では)アパルトマンに帰ってくるやいなや、異様な様子(戸が開いている、床の乱れ、開け放たれた窓...) に気付き、窓から下を見る人体が潰れていて、すぐさま階段を駆け下りていったら、それがリサンドラの死体と知った、と気を動顛させますが、駆けつけた警察に、この殺人の最重要容疑者として逮捕されます。
 わお、「こりゃやっかいだ」と最初から思わせます。それは当時のこの国にちゃんとした警察や司法があるのか、という疑いが読者の側に出てくるからです。ついこの間までの過去の暗い記憶のおかげで、警察はろくに調べもせず、犯人をでっち上げれば仕事は終わりだ、という深い疑念です。ビットリオ・プイグもよりによって最愛の妻を殺された私に嫌疑がかけられるとは...という不条理な「軍政被害者」のような目線になります。彼は一刻も早く自分を無実を証明しなければ、多くの軍政被害者のように有無を言わさずこの世から消されるという恐怖があります。そこで自分の精神分析院の患者のひとり、火山研究学者のエヴァ・マリアに助けを求めます。
 エヴァ・マリアはもろに軍政被害者でした。あの時代に多くの子供たち(3万人と言われています。詳しくはこの『五月広場の女性たち』のリンクをお読みください)が行方不明になって二度と帰ってこなくなったのですが、彼女の娘ステラもその一人でした。この娘を失ったことで、エヴァ・マリアは精神のバランスを失い、ステラの弟のエステバンに辛く当たり、夫と別れることになってしまい、その「心の病」を精神分析医に診てもらっていたのでした。ビットリオは自分にとって「名医」である、だから悪い男であるわけがない、というロジックで彼女はビットリオに協力することを決めたのではありません。まず、警察や国家への絶望的な不信感があります。娘を救い出すことをできなかった母親が、ほとんど情念的にこの男を(警察から)救わなければならない、という気持ちだったのでしょう。
 エヴァ・マリアはリサンドラと一面識もありません。
 ビットリオは精神分析医として職業上の禁忌を犯していました。秘密で患者との対話をすべてカセットテーブレコーダーに録音していたのです。問診の後で分析上不明の点が出てきた時に聞き直すため、という方便ですが、自分の心の最深部まで語る患者にはそれが隠れて録音されているなどという事実を知った日には大醜聞となるだけでなく、その分析医は永久にその職業ができなくなるでしょう。そのデオントロジー(職業倫理)を破ってビットリオはそれをしていたわけですが、そのテープがリサンドラ殺しの重要な手がかりになるかもしれない。なぜならその赤裸々な告白の中にはビットリオへの私怨や間接的なリサンドラ殺しの動機が含まれているかもしれない。エヴァ・マリアはリスクを冒してその多数の録音テープをビットリオのアパルマンから見つけ出し、1本1本テープ起こしをして全会話を文字化するのです。
 小説はこの前半でおおいなる「精神分析推理小説」とでも呼ぶべき展開になります。老いに対する恐怖からあらゆる若い女性に対して嫉妬を抱く中年女性アリシア、妻との確執や幼くして死んだ兄への嫉妬など複雑な心理背景を持つ元・軍政側兵士フェリペ(不妊の妻のために養子を迎えたと告白するが、軍政によって誘拐された子供の可能性が高い)、表現の自由と芸術を忌み嫌う軍政のために捕われ、ありとあらゆる拷問を受けたピアニストのミゲル(その会話の中で、拷問執行現場には必ず軍政に雇われた精神分析医が立ち会っていて、拷問効果を上げるための指示を出していたと言っている。ここ重要。ビットリオが軍政時代にそこで働いていたかもしれない可能性).... 臨床現場の実録であるこれらのテープから浮かび上がってくる患者たちのねじれた心の告白に、エヴァ・マリアはこれらの誰もがビットリオ(とその妻リサンドラ)に敵意や殺意を抱いてもおかしくない、と推理します。だが、それのひとつひとつが決め手に欠ける。その上、エヴァ・マリアが想像していた善良な精神分析医のイメージがどんどん崩れ、そのダークサイドがどんどん見えてくるのです。
 小説の半ばからわかってくるのは、ビットリオとリサンドラは決して円満な夫婦ではなかった、ということ。ここのあたりがちょっとややこして、これがビットリオの証言でなく、エヴァ・マリアの調査から推察できる想像&仮説で語られているので、どこまでが、というリミットが曖昧です。ここからの最大のテーマは「ジェラシー」です。 P231にはご丁寧にもコンチネンタル・タンゴの名曲中の名曲「ジェラシー」("La Jalousie" デンマークのヴァイオリン奏者/作曲家ヤコブ・ゲーゼの1925年の作品)の楽譜が載っています。
 エヴァ・マリアのなじみのカフェのマスター、フランシスコの証言によると、リサンドラはフランシスコを過去に情人としていたし、彼女は同じような情人を複数で持つほど、旺盛な性欲があった。リサンドラが通っていたタンゴ・スクールの老教師ペドロ・パブロ(通り名ペペ)の証言によると、リサンドラは夫ビットリオの浮気に心を暗くしていた。リサンドラが浮気をしていたのか、ビットリオが浮気をしていたのか、またその両方なのか。
 ここでペペの証言から翻って展開されるリサンドラの黒々とした嫉妬の描写がすさまじいのです。嫉妬とはここまで至るものなのか、グレミヨンのエクリチュールのパワーに脱帽します。ビットリオの一挙手一投足のすべてのディテールがリサンドラには浮気の証拠に見えてしまう。もう二度と心が戻ってくるわけはない夫と決着をつけるため、リサンドラはX-デイを準備していたように、読者は思い始めます。
 自殺にしろ、他殺にしろ、この事件はビットリオに最大の嫌疑が覆い被さるように用意されていました。自殺ならばそれはビットリオへの恨みの自殺であろうし、ビットリオを殺人犯として社会的制裁を与えることによって、リサンドラは願いを果たせる。ビットリオあるいはリサンドラ(あるいは両者)に恨みを持っている他者の犯罪であっても、事情は同じ。
 ビットリオが犯人であれば、なんとかしてそれを逃げるでしょう。その罠にはまったのがエヴァ・マリアだとしたらどうでしょう?ビットリオはその患者であったエヴァ・マリアが娘の蒸発の悲しみを鎮めるためにアルコール依存症になったことを知っています。アルコール依存症のために夫と別れるはめになり、残された一人息子ともうまくいっていない。アルコール依存症のために記憶も時々飛んでしまう。ビットリオはこの患者の弱点をまんまと利用して(精神分析医というは医者か、という議論は置いておいて。医師にあるまじき!)、取り調べにエヴァ・マリアが怪しいという証言をしてしまうのです。
 小説は終盤です。警察はエヴァ・マリアが分析医ビットリオ・プイグに恋慕の情を抱き、嫉妬でリサンドラを殺害した、という仮説を立て、エヴァ・マリアの自宅で彼女を逮捕しようとします。ビットリオの裏切り。ところがここでもうひとつのどんでん返し。エヴァ・マリアの息子エステバンが「リサンドラを殺したのは僕だ」と名乗り出るのです。死んだ姉ステラのことばかりしか頭になくなった母親に復讐したくて(かのカセットテープ群の中にエヴァ・マリア問診の会話も入っていて、エヴァ・マリアがステラの代わりにエステバンが蒸発すればよかった、という不用意な発言をしてしまうのです)....。それを聞いたエヴァ・マリアは気を動顛させながらもそれを「母を庇うための大ウソ」と解釈して、「いいえ、この子は私を庇うためにウソをついています、真犯人は私です、どうぞお縄を」と逆自白をしてしまいます。エステバンは「いいや、真犯人は僕だ」と...。面倒くさい警察は「ええい、騒々しい、二人ともしょっぴいてしまえい!」と...。
 審理に21週間、公判に9日間、その結果、エヴァ・マリア・ダリエンゾ、無罪釈放、エステバン・ダリエンゾ、リサンドラ・ピュイグ殺害により禁固15年刑、という判決が下ります。ところが、ところが....。作者エレーヌ・グレミヨンは別の結末を用意しているのです。事件のすべては、リサンドラの少女時代に受けた性犯罪に端を発していたのです...。(もうこれ以上書きません。とは言っても、なぜ書名が"La Garçonniere"なのか気になるでしょう? ラ・ギャルソニエールとは [1]妻ある男が情婦と密会するために持つ小アパルトマン - [2]男たちにつきまとうことが好きな少女 -  といった意味なのですが、答えはこの結末部を読まないとわからないようになっています。)

 盛りだくさんです。何冊もの小説をまとめて読んだ気になります。大きな流れは「精神分析」「男女間の嫉妬」「母と子の確執」など、そのテーマひとつひとつが壮大な読み物になっていることだけでなく、土台となっているアルゼンチンの時代状況がはっきりと浮かび上がってきます。ファンになりました。次作も出版されたらすぐに飛びついて買います。

カストール爺の採点:★★★★☆

HELENE GREMILLON "LA GARCONNIERE"
Flammarion刊  2013年10月  360ページ。20ユーロ


(↓ Julien Clerc "Jaloux de tout" )


 

3 件のコメント:

Tomi さんのコメント...

非常に気になっていたエレーヌ・グレミヨンの新作について、仏文学にはド素人の私でも「原作を読んでみたい!」と、思ってしまうような大変丁寧な紹介をして下さったことに感謝感激です。
この人を知ったきっかけは当然、私の関心がそのコアビタシオンで今や夫となった歌手にあったからなのですが、当初グレミヨンはショート・フィルムの監督で、その作品に「広島」、「妊娠」という日本語のタイトルを付けていた(作品のストーリーなどは全然分かりません)ことで、日本に何らかの関心を持った、或いは日本に何がしかの縁を持った人なのかと思っていました。 しかしその謎はいまだに謎のままで解決していません。
その彼女が小説家デビューをして最初の小説の内容については彼女の夫が色々支援していたという話が伝わるや、歌手のファンはこぞって書店での彼女のサイン会に出向き、一緒に写真を撮ったり、彼女に何らかの関わりを持とうと必死で彼女についてまわっていました。 そのような人達を日本から見ていてとても滑稽に感じていたのですが、ツシマさんのブログを読んで、「もしかして、歌手のファンも彼女の小説をきちんと理解して彼女のファンにもなったのではないのかしら」と、思い始めています。 時代設定や背景の正確さ、複雑なストーリーでも明快であることなど大物作家の片鱗が見えるようですね。 一日も早く、自分がそこまで理解し、感じながら読めるようになりたいと強く思います。
(その前に日本語訳が出ないかなぁ~とも...。)

Pere Castor さんのコメント...

Tomiさん
コメントありがとうございます。2日前から "Le Confident"読んでます。こちらの方も年明けにはブログで紹介できると思います。お楽しみに。

Tomi さんのコメント...

ツシマさん
"Le Confident"のご紹介も楽しみにしています。
そしてJoyeux Noël à toi !