2013年10月20日日曜日

昔の人は「デバート」と呼んでいた。

『人喰い鬼のお愉しみ』(ちょっとひどい邦題)
"Au Bonheur Des Ogres" 2012年フランス映画
監督:ニコラ・バリー

原作:ダニエル・ペナック
主演:ラファエル・ペルソナーズ、ベレニス・ベジョー
フランス公開:2013年10月16日

 1985年刊行のダニエル・ペナックの同名ベストセラー小説の映画化。85年ですよ。あなた何してました?物語の中核のひとつが爆弾テロです。デパートでの爆弾テロ。85年でも社会的大パニックの大事件でしたが、それを題材にしてこういう小説が成立したというのは、まだ一種のフォルクロール(どう訳してみたらいいかな、民衆娯楽とでも言うのかな)として見ることができたような余裕があったんでしょうね。2013年的今日では、一切の冗談が差し挟めないような主題ではないですか。ですから、これを2013年的今日にコメディー映画として提出するのは、メチャクチャなリスクじゃないですか。この辺で、この映画の無謀というのは評価してもいいと思う一方、やっぱり無茶じゃないかな、という気もします。
 85年ですよ。この国の大統領はミッテランという名前でしたし、失業なんて全然大した問題ではなかったんです。携帯電話など存在すら夢見ることができなかったし、パソコンなんてオフィスでも珍しい時代だったんですよ。その時代のエポックメイキングな小説、ある種メモワール・コレクティヴ(共有的記憶)である小説、つまり多くの熱心なファンが筋を暗記してしまっている小説を、2013年的今日に置き換えて映画化しているのです。このデカラージュ(差異、時差)はすさまじいものがありますが、映画の側にとってはそれが最初からのエクスキューズとなっている部分もあります。
 当然あの頃にはない携帯電話もノートパソコンも防犯ヴィデオカメラ(婦人下着売場の試着室までついている)も重要なファクターとして映画の中でハバを利かせていますし、爆弾テロは当時よりも数段手の混んだものになっています(が、コメディー映画ですから、奇想天外であまり罪のない描かれ方です)。問題は舞台である百貨店、仏語のグラン・マガジン、英語のディパートメントストア 、日本語のデパート、これが一般市民にとって85年と今日では企業イメージや存在感が大きく、大きく変わってしまったということだと思います。85年とは言わず、「その昔は」と言ってしまえば、デパートは多くの一般市民にとって夢の場所でした。欲しいと思うあらゆるものがある、というだけでなく、それが美しく陳列されている、売り子さんはみんなきれいで親切な言葉を使う、売場装飾や照明だけでも幻惑されてしまう、おまけに吹き抜けに仰ぎ見るドーム天井の美しさよ、われわれ小市民は金がなくても、何も買わなくても、デパートに行けば幸せだったのですよ。その小市民消費者の幸せがなんらかの不具合(たとえば買った商品が欠陥品だったり)のせいで壊された時、その怒りは並大抵のものではないのです。
 ペナックの原作の天才的なアイディアはここで、小市民の怒りを挫くのです。デパートの信用に傷がつくようなあらゆるクレームを封じ込める係を創出したのです。「苦情処理係」なんていう生易しいものではない。「完全封じ込め 」なのです。これはペア(二人組)で機能します。まずそのデパート(オ・ボヌール・デ・パリジアンという長い名前。ABDP)には建前上の「商品苦情受付室」があり、そこの課長が毎日怒り心頭で飛んで来る客の商品苦情を受け付けています。客のおさまらない怒りを見るや、店内放送で品質管理責任者たるバンジャマン・モロセーヌ(演:ラファエル・ペルソナーズ)を呼びつけます。(役職名は"contrôle technique"=技術管理係というものですが、こういう職名は何でも屋を意味します。私も3年間勤めたフランスの運送会社で "technico-commercial"というポストにありましたが、入社した時にこの職は何かと質問したら何でも屋だと言われました)。すると怒れる消費者の目の前で、課長はモロセーヌに「こんな不良品を売りつけるとは、おまえの品質管理は一体どうなっているんだ!」とあらゆる言葉を使ってその無能をなじり、罵倒し、最低の屈辱を味わわせ、モロセーヌはひとことも言い訳も抗弁も許されず、涙まで流してその屈辱に堪えるのです。ひとしきりの罵詈雑言が終わると、課長は客に向き直って「この責任はこの不徳の社員を徹底的に裁判訴訟までして、一生かけて償わせますから、こちらの訴え状にご署名お願いいたします」と書類を差し出すと、客は「何もそこまでしなくても... 」と怒りが萎え、モロセーヌに憐憫の情まで抱くようになって、苦情を取り下げて去って行く、ということになるのです。
 この技術管理係という名の「ののしられ役」をモロセーヌはプロの職業としてやっています。彼によると本当の職名は "bouc émissaire"(ブーク・エミセール、贖罪の山羊、スケープゴート)であり、無い罪を負わされて殺されるという役割なのです。この職を発案したのがこのデパートの先代社長で、職能には乏しいが気の弱さは百人前というモロセーヌにうってつけ、とかれこれこの非人間的な職業を数年続けています。仕事の割によい給料を保証している、とデパート側は言います。こんな屈辱的な仕事になぜ耐えているかと言うと、バンジャマンには養うべき5人の義理の弟たち妹たちがいるからなのです。 バンジャマンを含めた6人の母親は同一なのですが、父親はすべて違う。言わば、恋多き女性なのですが、恋して子供を産むのが好きで生きている自由人で、いつも不在で(つまりいつも恋していて)子供たちを長兄のバンジャマンに任せっぱなしです。しかしこの兄弟姉妹たちはみんなお母さんが大好きという一家なのです。
 このパリ20区のベルヴィルに住むモロセーヌ一家を描く連作小説をダニエル・ペナックが次々に発表してベストセラー作家となるわけですが、この『人喰い鬼のお愉しみ』がその第一作なのです。ミステリー小説です。クリスマス商戦を迎えたパリの百貨店「オ・ボヌール・デ・パリジアン」に起こる連続爆破事件。しかもその爆破事件の現場には、必ず社員のバンジャマン・モロセーヌがいる。そして先代社長時代に起きた幼児蒸発事件。それを追っているのが、人呼んで「ジュリア・おばちゃん」という万引きが趣味という女性ジャーナリスト(演:ベレニス・ベジョ)。デパートの過去の記憶を持っている人間が次々に殺されていく。果たして犯人は、現社長サン・クレール(演:ギヨーム・ド・トンケデック)か、ミステリアスな元デパート守衛で今のデパートの地下に住むストジル(演:エミール・クストリッツァ。ちょっとミスキャストのような気がする)か、はたまた警察が最初から第一容疑者と目星をつけているバンジャマン・モロセーヌその人なのか...。

 「こんな絵柄のパジャマを着た男に殺人などできるわけがない」と警察は見抜きます。バンジャマン・モロセーヌの着ているもの&着方はどれも滑稽です。髪型もヒゲの伸び方も情けない顔もすべて滑稽です。これはラファエル・ペルソナーズ(1981年生れ。32歳)というアクターにモロセーヌのキャラがドンピシャにはまったということでしょう。ペルソナーズはバイオによると演劇出身で、結構下積みが長く、いろんな役こなしてきてますね。日本では2013年公開の映画『黒いスーツを着た男』 (あまり話題にならなかったようですね)で、ひたすら二枚目(この種の新人が出て来ると日本では必ず「ドロンの再来」とレッテル貼りますね)、というような紹介のされ方でしたが、ああやだやだ。
 バンジャマン・モロセーヌが、幼い(&あまり幼くない)弟たち妹たちを寝かせつけるために、毎晩アドリブ創作の物語を聞かせてやるのです。弟たち妹たちはそれが毎晩の楽しみで、熱心に聞くだけでなく、いちいちああでもないこうでもないと批評もしたりするもんだから、このワクワクの物語は奇想天外に雪だるま式にふくらんでいきます。これは今バンジャマンの勤めているデパートで起こっていることをベースにした空想冒険物語になるのですが、爆破事件や犯人探しの追いかけ劇に混じって、巨大なキリンがデパートの中に現れてデパートは大パニック、そこにおにいちゃん(=バンジャマン)が颯爽と現れて、「こら、そこのキリン、止まれ、そして俺の言うことを聞け!」と誰にも解せない言葉で命令して、まんまと手懐けてしまう。おにいちゃんはデパートの英雄となって、めでたしめでたし  -   みたいな話を(もちろん映画ですから、その物語はイメージ化して映されます)するときのラファエル・ペルソナーズの紙芝居屋みたいな顔百面相と名調子、すばらしいです。この役者、ずっとこのパターンで成功して欲しいです。

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)"Au Bonheur des Ogres" 予告編 

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