2013年4月20日土曜日

手を打って、ムッスー・テ

Moussu T & Lei Jovents "Artemis"
ムッスー・テ & レイ・ジューヴェン 『アルテミス』


 ムッスー・テ&レイ・ジューヴェン、2年半ぶりの5枚目のアルバムです。前作『プタン・デ・カンソン (拙ブログのここでレヴューしてます)のことを書いた時に、私はこんなにたくさんアルバムを出していいのだろうか、とその多産ぶりにちょっと首をかしげたのですが、スタジオ盤としては2年半ぶりでも、2012年にライヴアルバム "Empêche-nous"も出ているので、多産家ペースは崩れていないんですね。
 一体いつからタトゥーは座って歌うようになったのか。マッシリア・サウンド・システムの時は立っていたんですよ。レイ・ジューヴェンになってから座ってしまった。これは「ワイをぶちまく」アティチュードとは別物ですよ。なぜもうマッシリアのようにできないのか。まあ、ソロでやるということは、マッシリアと違うことをしなければ、その意味がないわけではありますが、この「座位」はラジカルな変容でした。
 私なりの説明を試みるとすると、それは「レゲエ/ラガ・バンド」(マッシリア)から「ブルース・バンド」(レイ・ジューヴェン)への転身であって、タトゥーがブルース(これは彼自身がオリジネーターとなっている「マルセイユのブルース」ということです)に強烈にこだわった時から座るようになった、と見ています。ブルースマンは座っている。全部が全部じゃないでしょうが、ブルースマンはだいたい座っている。タトゥーは立とぅうとしなくなった。I'm stay seated.  .... (ここ「ムステ」とシャレようとしたのだが、うまく行きませんでしたね。呵々)
 マルセイユにブルースは存在するか。それは本牧にも伊勢佐木町にも存在するように、マルセイユにも存在するのです。アフリカへの郷愁がブルースの根っこだとすると、マルセイユはアフリカ大陸に海路でつながった港町なのです。昔々2600年以上も前に古代ギリシャ人(ポカイア人)がここに港町マッサリア(ラテン語読みではマッシリア)を築いた時から、その建設のために奴隷で働いていた人たちや、その後この港で2600年も働いていた人々にはさまざまな「ブルース」があったと想像するのは間違いではないでしょう。
 新アルバムは『アルテミス』 と題されています。これはギリシャ神話に登場する「狩猟・純潔の女神」とウィキペディアには説明されていますが、古代小アジアの商業都市エペソスで盛んだった処女女神アルテミス信仰は、移動してきたポカイア人によってマッサリアに伝来し、マッサリアの守護女神となるのです。すなわちマルセイユは古代より純潔の女神に守られているわけです。アルバムの3曲めに収められたタイトル曲「アルテミス」はこんな歌詞です:
かまどの女神
おお強き女主人よ
おまえの家に入口には
戦いから戻って
疲れきった奴隷が
おまえの愛撫に飢えて
おまえの火刑場で
身を焼きたいと望んでいる
女よ、俺はおまえの犬になりたい
女よ、優美な女よ
家庭のマドンナよ
その指が星や稲妻を動かす
マドンナよ
この閉ざされた世界の
おまえの哀れな兵隊の
願いを聞いてくれ
この男はおまえのたらい桶の中で
溺れ死にたいのだ
歌よ、馬よりも早く
俺の祈りを伝えてくれ
女神よおまえはどこにでも入れる鍵を持っている
ためらわずに行っておくれ
その黒いインク壷の中に
霊感の泉があるところへ
原詞はオック語(プロヴァンサル語)で書かれていて、これはそのフランス語訳からまた訳をしたものです。こんな下手な訳じゃわかんないかな? これは女性崇拝、女性讃歌なんですよ。マルセイユの各家庭の中にはこういう女神(日本語でいうところの「山の神」と似ているニュアンスですよ)がいて、男を戦場に送り、男に詩的霊感を与え、男にこの女神のためならば死んでもいいと思わせるのですよ。古代女神アルテミスから、今目の前にいてご家庭の台所に立つ奥様まで、みんな私たち恭順な男たちは身を捧げて尽くさなければいかんのですよ。これを中世トゥルバドールの言葉では「アムール・クルトワ amour courtois」と言い、 この献身の愛は12世紀オクシタニアで発明された、ということになってるんですね。
 つまりこの歌は、マルセイユ的アイデンティティー(アルテミス信仰)とオクシタニア的アイデンティティー(女性崇拝、アムール・クルトワ)を総合させた、神話的スケールのマニフェストなんですよ、お立ち会い。

 アルバムは港町マルセイユの男たちの心意気を誇示するかのように、海の男の歌(chanson de marins)から始まります。

Embarcatz !
頼むよ、お頭! 俺たちの持ち場をつくっておくれよ。
俺たちは家を出て、もう家なんか焼き払ったんだ。
阿呆どもや卑怯者どもを煙に巻いたんだ。
未来は俺たちに合図を示したんだ。
頼むよ、俺たちは機械の音を聞きたいんだ
ピストンが騒々しく躍動する音がさ。
そしたら岸はもう目から見えなくなってしまう。
もっと強力にやってくれ! 俺たちはガキじゃない
世界というごちゃまぜの食べ物の中に
俺たちは俺たちの塩をまきたいのさ
さあ俺たちはここにいる。音楽が鳴りだす。
船の進路はおまかせだ。
地球という巨大な歌の中に
俺たちはパッションを注ぎたいのさ
とどまることを知らない高浪のように
俺たちはあらゆる港に押し寄せるのさ
俺たちがポカイア人の子孫だってことが本当なら
航海は俺たちの血を踊らせるはず
女神さまが見守ってくれているってことが本当なら
女神さまは大洋と契約を結んでいるはず
生活の煩わしさなんか背後にうっちゃっておけ
さあ良い季節の始まりだ
すばらしいことがたくさんあるってことが本当なら
セミだって正しいってことさ
町の猛者どもよ、さあ船に乗れ!
勇気だけを積荷にして
不要なものは水に捨ててしまえ!
希望だけを胸にしまった
さあ船に乗れ! 過去はもう消えてなくなった
俺たちの涙の量が多すぎて過去は流れていってしまった
さあ船に乗れ! 今をつかみ取るんだ
そして新しい花々を見つけに行こう
勇ましいですね。海と男とマルセイユ、それは女神アルテミスに加護されているのです。アルバムのトーンはこの2曲で明らかだと思います。この2013年的現在、すなわち、長引く大不況&大失業時代、社会党が大統領選挙で勝ったところで何も変わっていないフランス、暴力と犯罪の代名詞であることをやめないマルセイユ... こういったことを踏まえた上でもポジティヴであろうとする「進もうじゃないか(ファイ・アヴァン)」のアルバムです。俺たちはアルテミスに見守られている。そのアルテミスは台所に立っている人かもしれない。
 ここでタトゥーはマルセイユの持つポカイア人的ルーツと、西欧の中世文化をリードしていた南仏オクシタニアのルーツを重ね合わせます。5曲め「オクシタニー・シュル・メール(海に浮かぶオクシタニア)」もマニフェスト的な歌です。

俺たちを見つけたかったら、世界地図を出してきて
その青いしみのところに指をあててごらん
海の端っこのところに小さな点があるだろう
そこをようく見てごらん
ここまで来るのにどうするかってわからなかったら
貨物船に聞いたらいい
世界中の船舶がそこへの航路を知っている
船学校の幼稚園部で教わることだもの
ベンヴェング・ア・ロストー(われらが家へようこそ)
オクシタニー・シュル・メール
ここでは群衆の中でも
すぐに兄弟たちを見分けられるんだ
ベンヴェング・ア・ロストー(われらが家へようこそ)
オクシタニー・シュル・メール
身分証明書やヴィザなんて
ここでは何も必要ないんだ
旧港の波止場にはりっぱな係員がいて
到着者たちを歓迎してくれる
はっきり言っておくぞ、丈夫な体が必要だ
アルコールに関しては彼らはハンパじゃない
心からものを言う人間には
仲間たちのダンスパーティーには必ず席を用意しておくよ
ダンスの熱狂の中に入ると、誰もがひとつの人種になるんだ
幸福を渇望する人種にね
これは冗談じゃないんだ
もう2000年も前に
俺たちは建設を始めたんだ
もう2000年も前から
波は俺たちに少しずつ新しい血を持ってきてくれるんだ
アルコールとダンスと「心からものを言う」人たちの国、幸福を求める人たちの国(これは来世に幸福を求めるのではなく、現世にそれを実現しようというカタリ派的な考えなのかもしれません)、これがオクシタニアなんですがね、2000年も前からそれを作ろうとしているのに、それは実現されていません。それを邪魔しようとする人たちとは時々は闘わないといけないんです。
 私はやはりそういう闘士的なマッシリア・サウンド・システムが好きでしたし、「ワイと自由を!」と叫ぶタトゥーが好きでした。このアルバム『アルテミス』ではそういう闘士タトゥーが終盤11曲めから13曲めの3曲でぐんぐん頭をもたげてきます。そこでは、やはりブルースやオールド・スクールなロックのスタイルよりも、マッシリアやファビュルス・トロバドールやラ・タルヴェーロ(ダニエル・ロッドーもこのアルバムに参加しています)が援用しているようなブラジル・ノルデスティ逆輸入のオクシタン・フォッホーが有効なのです。このアルバムの中で最も闘士魂にあふれた歌、11曲め「俺の赤い旗」にそれが端的に表れています。

やつらは俺たちを網にかけ
腕と体をおさえつけ
くず鉄に縛りつけ
あがくことしか許さない
やつらは俺たちを実験動物にして
そのあと半死の状態で追っぽり出す
やつらの宝物が山積みされた時
やつらは俺たちを貧乏のどん底に落とし込む
やつらは俺たちを束縛し、俺たちを歩かせ
俺たちをやつらのブイヨンの中で煮込み
俺たちをやつらのサラダに混ぜ合わせ
俺たちを将棋の駒のようにもてあそぶ
この鉄柵を倒さなければならない
弱肉強食の法を打ち破ろう
ビー玉を再分配しよう
背景を塗り替えよう
俺の赤い旗をくれ
外窓にそれをくくりつけよう
日を浴びた通りに
それがはためくのを見てごらん
俺の赤い旗をくれ
外窓にそれをくくりつけよう
俺の赤い旗をくれ
おまえがそこにいる限り、この世は闇だ
ラガディガドゥー
舌がうずうずしてきたぜ
今朝俺は最高に昂ってるぜ
ラガディガドゥー
俺はすべてが変わってほしい
俺は最高の幸せを知りたいんだ
ラガディガドゥー
俺は窓に出ていって
大声で怒鳴りたいんだ
ラガディガドゥー
これらすべての悪党たち、権力者たち、詐欺師たちを
追っ払ってしまいたいんだ
ラガディガドゥー
あらゆる種類の愚か者ども、
今日俺に火を点けたのがまちがいさ
ラガディガドゥー
おまえら悪魔にさらわれちまいな
せいぜいしがみつくがいい
ラガディガドゥー
まったくもって、せいせいするぜ
俺はこれで気が狂わなくてすむんだ
ラガディガドゥー
行儀が悪くてもかんべんしな
俺たちをここまで追いつめた方が悪いんだ

わお!これは「ワイと自由を!」と叫ぶタトゥーの姿ですよ。ラガディガドゥーはラガマフィンやってた頃のタトゥーの再来ですよ。ファイナンスが世界を牛耳る今を呪う前半部をブルーが歌い、追いつめられた人民が赤い旗を持ったとたんに「ラガディガドゥー!」と元気づくところからタトゥーが歌うという曲の構成もすばらしい。こういうレイ・ジューヴェンが本領だと私は思いますがね。
 『プタン・デ・カンソン』 の記事でもちょっと書いたんですが、私はレイ・ジューヴェンがあまり「ギターばかり聞こえるバンド」になってほしくないのです。今回も作詞作曲は「ステファヌ・アタール/フランソワ・リデル」名義になっています。ステファヌ・アタールすなわちブルー、フランソワ・リデルすなわちタトゥーなんですが、マッシリア・サウンド・システムのMCとギタリストによるソングライティング・チームというわけです。ブルースにしてもロック風な楽曲にしても、この二人はオールドスクールでジャガー/リチャーズ的なところがあります。それやるとやっぱり「歳とったなあ」の印象が強くなって、タトゥーが座って歌うもんだから、爺くささが強調されます。それが狙いなのかもしれませんけど、この世の中、爺のノスタルジーで笑ってられるわけはないのです。マルセイユやオクシタニアやアルテミス女神を出してくる意図は、爺のノスタルジーとは無縁であってほしい。
 というわけで、私はこのアルバムの半分は納得していないのです。

<<< トラックリスト >>>
1. EMBARCATZ !
2. MISTRAL
3. ARTEMIS
4. TOUT MON TEMPS
5. OCCITANIE SUR MER
6. SUR MA SERVIETTE
7. TENTACULES
8. LEI ARINARDS
9. LE BATEAU
10. TE'N VAS DE MATIN
11. MON DREPEAU ROUGE
12. FADA REPUBLICANA
13. MONTE VAS CANCONETA ?

MOUSSU T & LEI JOUVENTS "ARTEMIS"
MANIVETTE RECORDS CD MR008 
フランスでのリリース:2013年4月23日 


(↓ "EMBARCATZ !"クリップ)

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