2012年6月20日水曜日

「ノー・フューチャー」と共に老いる

『大いなる夕べ』2012年フランス映画
"Le Grand Soir" ブノワ・ドレピーヌ+ギュスターヴ・ケルヴェルン監督
主演:アルベール・デュポンテル、ブノワ・プールヴォールド、アレスキー・ベルカセム、ブリジット・フォンテーヌ

2012年カンヌ映画祭「ある視点」出品作
フランス公開:2012年6月6日

 いろいろと無理のある映画です。それはズバリ、この2012年的現在において、パンク的反抗は可能か、という無理でもあります。また、結論的に言うと、「パンクは可能か」ということ自体が愚問で、パンクは自己デストロイであり、可能をノー・フューチャーに自壊するものだから、という最初からの言い訳があります。
 この時代、誰もが "C'est la crise"(経済危機の時代だから)という、どんな事象にも通用する言い訳があります。生活が苦しいこと、貧乏人がさらに貧乏になっていくこと、職を失うこと、夫婦関係や家族関係が破壊されること.... これらをすべて "C'est la crise"という口実・免罪符で説明してしまえるのです。サルコジは2012年の大統領選挙運動の時に、「われわれを襲っている前代未聞の経済危機」がサルコジ失政のすべての原因であり、サルコジは「前代未聞の経済危機」をうまく舵取りできたから失業率がこの程度で収まったのだぞ、という自画自賛に論理をすり替える戦法を取りました。そして負けました。
 この映画自体は他愛もない中年パンクの悲しい反抗の話です。地方都市郊外の高速道路インターチェンジに近い、ノーマンズランドに建設されたような大面積のショッピング街が舞台です。フランスではこういう無味乾燥で非人間的なショッピング街がいたるところにあり、そこにはどこでも判で押したようにカルフール(ハイパー)、ショーセリア(ディスカウント靴屋)、ルロワ・メルラン(ブリコラージュ、日曜大工、DIY)、グラン・レクレ(大規模玩具店)といった店が並んでいるのです。
 その中でジャガイモ料理をスペシャリティーとする「パタットリー(pataterie)」というファミレスを経営するのが、ボンジニ夫妻です。夫ルネ・ボンジニ(演アレスキー・ベルカセム)、妻マリー=アニック・ボンジニ(演ブリジット・フォンテーヌ)。フォンテーヌ/アレスキーの夫婦に、こういう映画での演技をさせること自体がめちゃくちゃに無理のあることなのです。当然この二人は演技から外れた「地」がおおいにはみ出してきて、映画のリズムをおおいに壊しているのはしかたのないことです。その上、二人の子供に対して、「あんたたちはわたしたちの子供ではないんだよ」なんて(通常の映画では核心的な問題となりましょうが、この映画ではまったく「どうでもいい」問題)言わせるんですが、映画の流れ上、何の意味もないのです。この両親はほとんど何の意味もなくこの映画に登場するのですが、その存在感だけで、はいとても良くできました、と監督さんは及第点を上げて、どうぞお引き取りください、と出口までお送りするしかないのです。
 その息子の長男の方のブノワ(演ブノワ・プールヴォールド。自分のことを"NOT"ノットと呼ばせている。額に"NOT"のクギ字入れ墨)は、一生に一度も働いたことのない、マルコム・マクラーレン言うところの「パーマネント・ノン・ワーキング・クラス」(70年代イギリスのパンク・ムーブメントを支えた郊外型若年失業者層)のパンク中年です。もう70年代から時間が止まってしまったかのような、モヒカンヘアとビールとドックマルテンス・ブーツの路上生活者です。
 それに対して次男のジャン=ピエール(演アルベール・デュポンテル)は、一応定職もあり、妻も子供もいるフツー人という設定で登場しますが、その激しやすくキレやすい性格は兄以上であることが映画序盤で露呈してしまいます。寝具販売店チェーンに勤め、かの郊外ショッピング街の店で寝具セールスマンとして働くジャン=ピエールは、店から強いられた販売目標に大きく及ばず、その強度のプレッシャーに勝てずに逆ギレしてしまい、解雇されます。アルコールが入ると抑制が全く取れなくなるタイプ。
 その解雇の不当性を訴えるために、ジャン=ピエールはかのチュニジア「ジャスミン革命」の発端となった青年と同じように、ショッピング街の最も目立つところ(ここでそれはカルフールのレジの前)でガソリンをかぶって焼身自殺を図ります。"Justice ! (正義を!)"と叫んで、衣服に火をつけたところまではいいのですが、すぐにスプリンクラーが作動して、天井シャワーによって鎮火。焼身自殺は衆人の注目を集めることなく、単なる迷惑行為としてガードマンからつまみ出されます。
 この傷ついた魂を、兄のブノワ"NOT"はパンクに変身させることで救済するのです。頭髪にカミソリを入れてモヒカンにし、額には"DEAD"の クギ字入れ墨を。すなわち兄弟あわせて "NOT DEAD"。パンクス・ノット・デッド。映画はこのように、誰もが思い浮かべるようなステロタイプ化されたパンク像をこの二人に体現させます。兄は弟にパンクの心得を伝授し、人に物乞いをする方法を教えます。
 そして夜にはディディエ・ヴァンパス(もちろん本人です)のコンサートでポゴダンスで炸裂し、ステージの上からダイブする兄弟になるのです。因みにディディエ・ヴァンパスは実生活ではパリ地下鉄公団(RATP)の電気作業員でしたが、この4月に50歳で退職しています。この映画で若いパンクスなどひとりも登場しません。すべて中高年です。中高年パンクは筋金入りだ、 と思われましょうが、2012年的現状の中でこの人たちはほとんど化石と化しているのです。いや、化していない、という標語が "NOT DEAD"です。
 魂を解放されたジャン=ピエールは世の「システム」、「モラル」、「強いられた沈黙」などに徹底した反抗を開始します。造反有理。反抗することには意味がある。ナイーヴに頭脳を増幅させたジャン=ピエールは40年前の若パンクスと同じように「パンク革命」を夢想してしまいます。そして、イエス・キリストのように聖なる言葉を得たと自覚したジャン=ピエールは、その言葉で民衆を導くべく、ルロワ・メルランの大駐車場で演説集会を催すのです。名付けて「ル・グラン・ソワール」(偉大なる夕べ)....

 すべてにおいて無理のある映画ですから、 その無理は通りません。監督したブノワ・ドレピーヌとギュスターヴ・ケルヴェルンは、民放TVカナル・プリュスの共和国風刺番組「グロランド」(フランスに似た共和国グロランドでの出来事の週間ニュース・スケッチ集)の出身で、低予算のパロディー・スケッチ・コントには卓抜な手腕をふるえるコンビです。この映画でもそのテレビでのテクニックのような、シチュエーション・ギャグが随所に登場しますが、当たりハズレあり。ちょい役で、ヨランド・モロー、ジェラール・ドパルデュー、バルベ・シュローダー、ドニ・バルト(ノワール・デジールのドラマー。バーマン役。ばっちりはまっていた)なども出演。音楽はディディエ・ヴァンパス(ライヴ!)、ノワール・デジール、ブリジット・フォンテーヌなどの曲が聞こえます。そしてショッピング街の荒涼殺伐とした風景に流れる「荒野のハーモニカ」は、アラン・バシュング。
 だから、どうなんだ、という映画ではありまっせん。私は何も言いません。

(↓『大いなる夕べ』予告編)

4 件のコメント:

エスカ さんのコメント...

すごく良く伝わってきました! 背景からニュアンスから。感謝です♪

 イタい中年パンクスを描いたコメディというと
日本の映画で『少年メリケンサック』がありますが、
あるあるネタや小ネタの違いを
比べてみると色んな発見がありそう。

 といってもフランスの方の元ネタはわからないので
このレポート、かなり貴重ですー。

Pere Castor さんのコメント...

エスカさん、ありがっとう。
アレスキーとブリジットが無言で一所懸命ジャガイモの皮むきをするシーンがあります。1〜2分のショットでしょうが、二人とも皮むきが本当に下手なのです。役どころはイモ料理レストランの経営者夫婦です。日本語の「イモ演技」とシンクロします。
米国で見られる機会は絶対にないと思いますが、英語字幕つきDVDが出るように、神に祈りましょう。

エスカ さんのコメント...

イモ演技…。

 監督もぜったい狙ってますよね、
レストラン夫婦なのに、役者の皮むきがヘタって。
 リアリティを求めるなら
違う撮り方だってあるでしょうし。
普通、役者なら必死で練習してきますよねぇ。

 …と言いながら、気になるので祈ります(笑)。

Pere Castor さんのコメント...

演技はともかくとして、主演のデュポンテルとプールヴォールドみたいな(映画のための)「にわかパンク」に比べたら、アレスキー/フォンテーヌはその佇まいだけでずっとデストロイな感じが出てしまうじゃないですか。
ジャン=ピエールが娘(赤ん坊)のベビーシッターをしてくれ、と母親マリー=アニック(フォンテーヌ)に預けるのですが、赤ん坊の揺りかごをアイスクリーム販売スタンド(だったと思う。定かではない)に乗せて、それをおっこらしょおっこらしょと押してショッピングモールを通過する図は、姥捨てならぬ孫捨ての儀式をひとりで行っているような妖気が漂って...。実際その赤ん坊はあとでドライヴスルーのレストランの中に放置されているのが見つかるのですが、あの婆っちゃんの仕業だから、とみんなもう慣れっこなんです。ちょい役出演の映画を、その一身が超密度の関心を集めてしまって、映画終わったあとフォンテーヌ図の濃厚さだけが、記憶に残るような...なんて書くと、エスカさん、じりじりしますわな。