2012年3月25日日曜日

合言葉はマルシャ!

Lo Còr de la Plana " Marcha ! "
ルー・クワール・デ・ラ・プラーノ『マルシャ!』

 (ほとんど独語のイントロ)前のアルバム(2007年)の日本仕様盤を作るにあたって、バンド名を「ルー・クワール・デ・ラ・プラーノ」とオック(プロヴァンサル)語の読み方に近いカタカナ表記にしたのは私です。読みづらいね。フランス人のようにそのまま「ロ・コール・ド・ラ・プラナ」と呼んだって構わないのですがね。アルバムタイトル"Tant Deman"を『明日があるさ』としたのも私です。よくどこからも文句が来なかったものですね。
 LCDLPは2001年からマルセイユで活動を始めたアカペラ・ポリフォニー・コーラス団です。マルセイユと言ってもマルセイユ1区と5区と6区にまたがる高台"La Plaine"(ラ・プレーヌ)地区である、という地域特殊性を強調して "La Plaine"の"Le Choeur"(ル・クール=合唱団)という名(仏語では "Le Choeur de la Plaine")をオック語(プロヴァンサル語)で名乗って"LO COR DE LA PLANA"となりました。マルセイユにあってラ・プレーヌは下町ではありません。アーチストや文化人の集まる先端的な街区で、ニューヨークで例えるならグリニッジ・ヴィレッジ、パリで例えるならバスチーユ〜マレー地区、といったところでしょうか。
 マルセイユもさまざまな特色ある街区(カルチエ)があるのです。マルセイユには16の区があり、その各区が小さなカルチエに区分されていて、1946年の政令で定められたマルセイユの正規のカルチエの数は111あります。その他にラ・プレーヌのように複数のカルチエにまたがったり、古い呼称で使われたりという非正規のカルチエが20余りあります。この130以上のカルチエがそれぞれ特色を持って蠢いている都市がマルセイユで、この新しいアルバム『マルシャ!』の中で、8曲めの「区々のファランドル(Farandola dei Bàris)」という歌は、この100を越えるカルチエ名を歌と踊りの輪(ファランドル)でつなぐ、という途方もない落語「寿限無」のような長〜い歌(9分超)です。寿限無、moi non plus。おまけにこの歌は最終トラック9曲めの「俺は聖職者が嫌い (Aimi pas lei capelans)」が終わったあとに、ゴーストトラックとして別ヴァージョンで収録されていて、また9分超のカルチエ名つなぎのファランドルで踊らされることになります。
 さて、LCDLPの3枚目のアルバム『マルシャ!』です。ジャケット写真の指サインを見てわかるように、これは「オッケー」なのです。うまく行く、調子良く機能する、順調である、フランス語で言うところの "ça marche!"(サ・マルシュ!)と同じなのです。『マルシャ!』のレパートリー9曲は2010年に初演されたもので、テーマは大きく3つに分かれますが、これはすべて中世トゥルバドゥール以来のオクシタニア文化が培ってきた異議申し立て/権利請求/人生謳歌の伝統の中に見られるものです。まず第一は遠くに離れていながら圧政を強いる権力(法皇、王政、帝政、中央集権共和制)を拒否すること。第二は人民の闘いを裏切る者たちをユーモアを込めて糾弾すること。第三は最大多数の人々のより良い生活を希望すること。この3つはいずれも政治的状況と大きく関係したことがらであり、その嘆きや抗議や糾弾の末にポジティヴな明日が来なければならない、という願いがあります。結果は「マルシャ!」なのです。
 このアルバムのフランスでの発売日が2012年4月30日であるのは偶然のことではありません。大統領選挙第一次投票(4月22日)と第二次投票(5月6日)の真ん中です。『マルシャ!』の歌々はこのタイミングで鳴って欲しいというマニュ・テロンの強い意志が感じられます。世界は変わらなければならない。そのチャンスにつながるかもしれない二回の投票の間に、5曲めの「われらが国 Nòste País」や7曲めの「ラ・リベルタ La Libertat」のような強いメッセージの歌が聞かれること、これは緊急で大きな意味のあることなのです。
  このアルバムの制作中にLCDLPは6人組から5人組に変わりました。マニュエル・バルテレミーは10年のLCDLP活動の後にグループから離脱したのですが、その理由は「子供が出来たから育児に専念する」(!)ですよ。なんてカッコいい辞め方なんでしょう!

 さて曲を聞いていきましょう。
 1) La Despartida (別離)
 愛し合っていた若い男女、男の親が無理矢理金持ちの娘と結婚させ、二人は別れなければならない。婚姻の宴に男は愛する女を招き、最後のダンス(クーラント。17世紀に流行ったダンス)を踊り、女はそのまま倒れ死んでしまう。周りの人々は大騒ぎ、「なんて惜しいこと、こんなに美しい娘だったのに...」。 - 荘厳な雰囲気のコーラスワークで歌われるこの歌は、LCDLP風の教訓があります。「別離、断絶、変化は穏やかなものであるわけがない、マルシャ!」
 2) La Canalha (ワル)
 原語では「ラ・カナーリャ」、フランス語では「カナイユ(canaille)」、これは不良、悪ガキ、げす野郎、という侮蔑を込めた呼称です。マルセイユでも世界のどこでも21世紀的現実として、金持ちはどんどん金持ちになり、貧乏人はますます貧乏の度を増しています。後者の数は急激に増し、道にあふれかえっています。フランスには失業者を怠け者と見なす大統領と政府があり、その視点に同調する市民たちも「貧乏人=ラ・カナーリャ」と白眼視します。それに対してLCDLPのこの歌は、仕事のない若者たち、低賃金労働者たち、ホームレスたち、これらは「ラ・カナーリャ」ではないんだ、と訴えます。ところがこの詞は今日に書かれたものではなく、20世紀初めのオック語詩人ジョゼフ・サレールの作品です。またこの詞はこのLCDLPヴァージョンの前に、2003年にデュパンのアルバム『ユジナ』の中の曲"La Canalha"(このヴァージョンの作曲はサム・カルピエニア)でも使われています。
 3) Masurka Mafiosa Marseilhesa (マルセイユ・マフィアのマズルカ)
 マ・マ・マ、マが3つ並びました。マルセイユは残念なことに「犯罪都市」という悪いイメージで語られることの多い町です。アメリカで言えばシカゴ、日本で言えば神戸、悪いやつらが肥え太る町です。その悪いやつらに政治家がいるのもマルセイユで、それまで一般的傾向として悪い政治家というのは保守と決まっていたのに、当地マルセイユでは社会党なのです。ジャン=ノエル・ゲリニ(元マルセイユ市議、元社会党ブーシュ・デュ・ローヌ県連会長、現ブーシュ・デュ・ローヌ県知事、上院議員)はコルシカ出身の政治家で、弟のアレクサンドル・ゲリニは清掃事業およびゴミ処理事業で一旗揚げた実業家。この二人が手を組んでマルセイユおよびブーシュ・デュ・ローヌ県の公共事業参入で不当な利益を上げ、しかもそれが社会党組織をも利用した恐喝や選挙汚職となっていたことが2011年に分かったのです。ゲリニ兄は書類送検されたものの、県知事の地位を退かず、社会党中央部もゲリニ兄に辞職を求めていません。それほどの大有力者ということになりますが、世論的には現在の大統領選挙の社会党候補フランソワ・オランドの最大の汚点がこのゲリニ問題を解消していないことです。この歌のリフレインはこう歌います「俺たちは策謀の魔術師、政治家という立派な職業を選んだのだから」。
 4)Sant Trofima (聖トロフィマ)
 聖トロフィマ(仏語では Saint Trophime)は、ブーシュ・デュ・ローヌ県アルルに伝えられるキリスト教聖人で、ガリアの地を布教するために紀元46年にアルルに辿り着いたとされ、アルルにはこの聖人を祭る聖トロフィマ教会があります。歌はその聖人と関係しているんだか、いないんだか、ある戦争の最中に、大砲の玉が聖トロフィマの頭に命中して、頭を失ってしまった、という話から、いやいや、あるおっかさんが、聖トロフィマを盗賊と間違って鉄砲をぶっ放したら、聖トロフィマの頭に命中して...に変わり、おっかさんは狙いをつけたら百発百中、恐いぞ...。これは聖人の名前を使った戯れ歌でしょうか。しかしこの歌を書いたシャンソニエ(シャンソン作家)のミケウ・カポドゥーロは、後述の「マルセイユ・コミューン」(1871年)に立ち会った人。コミューンの兵士とヴェルサイユ臨時政府軍の戦闘のことかもしれません。要・確認。
 (※後日、この日本盤の解説を書いたおきよしさんが、マニュ・テロンに直接メールでこの歌のことを尋ねたところ、これはやはりマルセイユ・コミューンの歌で、鎮圧にやってきた政府軍が放った大砲の玉が、自軍が助けに来た政府側陣営の立てこもっているマルセイユ市庁舎を囲んで立っている聖人像を次々に倒していった、という間抜けな図を風刺した歌、ということがわかりました。おきよしさん、ありがっとう!)
 5) Nòste País (われらが国)
 この歌はこの国の外国人(移民)政策の現状をストレートに糾弾しています。「私たちは外国人たちが自由に来れて、気楽に住める国で生きたい」、「この国が毎日外国人を酷使し続けたいなら、少なくとも彼らに自由に来させることを許し、危険なくこの国に居させるべきだ」、「 金を夢見てやってきた彼らは地獄よりもひどいところに住んでいる、虚偽と搾取の法律に耐えながら」...「奴隷状態で彼らを使うパトロンたちはその利益のために彼らを絞り尽くす、レイシズムの国家が県警を使って彼らを追い立てる脅迫をしているというのに」...。強くストレートな言葉が続きます。「レイシズムの国家」とまで決めつけていますから。変わらなければなりません。マルシャ!
 6)  La Tautena E La Patineta (ヤリ烏賊とキックスクーター)
 この歌も3曲めと同様に政治とマフィアとマルセイユという三題噺みたいなものですが、ちょっと長い説明が必要です。1994年に実際にあった事件で、保守系UDF党の女性国会議員でヴァール県イエールに住んでいたヤン・ピア(当時44歳)が、車で帰宅途中にスクーターに乗った二人組に銃撃され死亡しました。この女性議員はクリーン派で土地のマフィア撲滅のためにも運動していたので、マフィアによる暗殺説が有力でしたが、彼女の死に前後して土地のマフィアのボスや有力者たちが次々に死体になります。その3年後にこの事件を調査していた二人のジャーナリストが事件真相暴露の本を出版します。その本によると、ヤン・ピア議員を殺害したとして捕えられた二人は真犯人ではなく、暗殺は別の犯人グループによるもので、その背後にはコート・ダジュール地方の軍用地の売却をめぐるマフィアの大規模な不正不動産売買の計画があり、それに「ヤリ烏賊」と「キックスクーター」と陰名されている政界の大物が絡んでいる、と言うのです。その大物二人とはジャン=クロード・ゴーダン(当時プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地方評議会総裁、当時も今もマルセイユ市長)とフランソワ・レオタール(当時防衛大臣)で、それを知らぬピア議員がこの不動産不正の計画を知った時この地方でUDF党の第一の有力者であるゴーダンに相談に行ったために、逆に消されるハメになった、という話。話としては面白いのですが、実際はこの真相暴露本にはまったく証拠がなく、逆に二人の大物から逆告訴され、本は発禁になりました。まだこの話は続くのですが、ここらでやめときます。- 歌はこの「ヤリ烏賊とキックスクーター」の恋物語〜結婚〜金銭的大成功という寓話的な展開にしてありますが、大宮殿、カジノ賭博、女、麻薬、軍隊、政党親衛隊、ギャングたちがごちゃまぜに登場する「暗黒のコート・ダジュール」絵巻となっています。
 7)La Libertat (ラ・リベルタ)
 アルバム中最も重い歌です。「ラ・リベルタ」はもちろん自由という意味ですが、この自由は歴史的に夥しい人たちが血を流して守ってきたものです。このオック語詩は1892年にJ・クローゼルが書いたものです。詩人はその21年前(1871年)に起こった「コミューン」革命にインスパイアされてこの詩を書いています。私たちはこの事件を「パリ・コミューン(Commune de Paris)」と歴史の授業で習っていて、パリの市民蜂起のこととばかり思っていました。しかし1871年3月18日にパリに始まったこの革命は、3月22日にマルセイユに飛び火し、蜂起したマルセイユ市民たちも自治コミューンを樹立し、「マルセイユ・コミューン」は14日間保たれたのち、4月5日にヴェルサイユ臨時政府軍によって鎮圧されています。「あなたは裸のまま火のように燃え、両拳を腰に構え、ラッパのような力強い声で、胸いっぱいの息で呼びかける、おお良きミューズよ」、「あなたは貧しい人々のミューズ、あなたの顔は煙に汚れて黒く、あなたの目は銃撃戦を映し出し、あなたはバリケードに咲いた一輪の花、あなたはヴィーナス」、「あなたは飢える人々と衣服のない人々の守護者、靴もなく歩く人々、パンのない人々、寝床のない人々をあなたは愛撫する」、「しかし他の者たちはあなたを蹂躙する、大成金たちとその同類たち、貧民に敵対する者たちは。なぜなら、聖なる娘よ、あなたの名前は自由(ラ・リベルタ)だから」( . . . )。この詩に曲をつけたのはマニュ・テロンです。この歌はトゥールーズの合唱団
ルー・クワール・ダウ・ランパロ(Lo Cor Dau Lambaro)によって録音されて以来、MP3やユーチューブを介して南仏のオック語人たちに広く伝播し、今や「オクシタニア自由讃歌」のように歌われるようになりました。ユーチューブのコメントには「心のオクシタニア国家」とまで称されています。LCDLPでは初録音。これは後世まで残る「本歌版」となりましょう。
 8)La Farandòla Dei Bàrris (区々のファランドル)
 歌詞が全部で34番まである、長大なフォークダンス(ファランドル)曲です。イントロ部で述べたように、130とも150とも言われるマルセイユの新旧のカルチエ(小街区)の名前をつなげて、その区々の顔を描きながら、ファランドル(手つなぎで大きく蛇行して進むスキップダンス)するという気の遠くなるような歌。「マルセイユについてはいろんなことが言われているが、たくさんのことが言われすぎるから、この多弁家たちはおしゃべりの神様から送られてきた人たちじゃないか、と思うほど。物知りやわけ知りたちは自分たちがこの美しい町の文化をすべて知ってると思っている」、「 ところが俺たちには頭が痛くなるような七面倒くさい文人や知識人がいないけれど、俺たち凡人にはやつらの小難しい御託は必要ない、土地言葉(パトワ:プロヴァンサル語)さえわかればいいんだ、やつらは阿呆さ、なぜなら文化の鍵は言葉の中にあるんだから」と始まり、区々をプロヴァンサル語で描写する30番のスケッチが展開されます。おしまいに「全部のカルチエを歌いきってないけれど、正直言ってこれ以上は無理だけど、ラ・プレーヌの陽気者たちが元気に歌ってみせました」と締めます。拍手喝采したくなります。
9) Aimi Pas Lei Capelans (聖職者が嫌い)
 4曲め同様、この詩を書いたミケウ・カポドゥロは1871年の「マルセイユ・コミューン」の証人のシャンソニエです。これは "Capelan"という言葉がキーで、プロヴァンサル語でこれは「司祭、聖職者、僧侶」という意味になるようなのですが、フランス語では魚の名前で私のスタンダード仏和辞典では「からふとししゃもの一種、たら科の魚」とあります。歌詞の中では、この魚は漁師たちが釣っても何の値打ちもないと港に捨ててしまう類いの魚で、嫌な臭いを放ち、誰も欲しがらないものだったのが、たっぷり塩をして干し魚にすると保存がきくというので、縄に縛りつけて吊るすようになった(これも聖職者を縛り首にする、というダブルミーニング)。しかし誰も欲しがらないこの魚を、マルセイユの教会の司教や司祭が貧民へのほどこしとして無知な人々に与えたので、マルセイユの人々はその毒に当たったのだ、と。そのために人々は"Capelan"(魚、聖職者)が嫌いになり、貧乏人でさえも"Capelan"を海に捨てるようになった、という落ち。ファビュルス・トロバドールのアンジュ・Bがアレンジで参加しているため、ヒューマン・ビートボックスや機械音・サンプル音その他エフェクトが目立つ音作りです。
+ (ゴーストトラック)
 La Farandòla Dei Bàrris (区々のファランドル) セカンドヴァージョン

Lo Còr de la Plana " Marcha ! "
CD Buda Musique 2799095
フランスでのリリース:2012年4月30日 

(↓2010年アルルでのLCDLP のライヴ映像「ラ・リベルタ」)



1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

これ、よく見たら2012年に書かれたブログだったのですね…。2011年に放映されたNHKの番組で彼らを知りました。もう衝撃的で、何度そのビデオを見たことか。今回嬉しいことに彼らのコンサートを日本で見ることができました!

あの番組でガチョ・エンペゴもずーっと忘れられなくて。AMAZONでダウンロード版を入手してずっと聞いていました。今回のLCDLPのコンサートの後、サム・カンピニエアのことを再び調べていたらこちらのブログにきたのです。

“Forabandit”注文しました。めちゃくちゃ楽しみです。