2011年7月23日土曜日

クラヴィックとレ・プリムデュフの25年



LES PRIMITIFS DU FUTUR "CONCERT AU NEW MORNING DIMANCHE 8 NOVEMBRE 2009"
レ・プリミティフ・デュ・フュチュール『2009年11月8日(日)ニュー・モーニングでのコンサート』


 ステファヌ・サンセヴリノがドキュメンタリーの中で「レ・プリミティフ・デュ・フュチュールの略称は les Primdufs レ・プリムデュフ」と言ってますけど,この略称は今の今まで聞いたことがありませんでした。版元のUniversal Music Franceから来たこのDVDの業者向け資料にも《レ・プリムデュフ》とカッコ入りで記載されてあり,そうか,通は「プリムデュフ」と呼ぶのだな,と納得した次第。
 レ・プリムデュフの初DVDです。2009年11月8日ニュー・モーニングでのコンサートは私も行ってまして、その模様は少しだけこのブログで紹介しています。これは2008年発表のレ・プリムデュフの4枚目のアルバム『トリバル・ミュゼット』のほとんど全レパートリーをライヴで披露するというコンサートで、そのスタジオアルバムについても拙ブログのここで紹介してますし、ラティーナ誌2008年6月号ではドミニク・クラヴィックのインタヴューを含む、レ・プリムデュフ総合案内の記事を書きました。
 アルバム『トリバル・ミュゼット』はレ・プリムデュフの7人に加えて、ゲストアーチストの数が52人という大所帯セッションだったのですが、それを2009年11月8日にほぼ再現してしまおう、という一夜限りの大企画でした。ニュー・モーニングはこの入れ替わり立ち替わりの大人数のステージ登場のために,ホールの半分が舞台になってしまったようでした。出番のない人たちも楽屋に入らず,ステージ脇にいてコーラスやかけ声手拍子や踊りで応援。なにかオーディエンスよりも自分たちが一番このスペクタクルを楽しんでいるようでもありました。
 こんな凄い仲間たちと25年も続けられるなんて,俺はなんと果報者なのか,というのがクラヴィックの正直な述懐です。逆にここにいるのはクラヴィックと一緒にやれるということにこの上ない喜びを感じている人たちばかり。ゲストたちも,クラヴィックに誘われたら二つ返事で飛んで来る人ばかり。ピエール・バルー,アラン・ルプレスト,ジャン=ジャック・ミルトー,ラウール・バルボーサ,フランシス・ヴァリス,ミエコ・ミヤザキ....。一般的な知名度こそないが,ミュージシャンでクラヴィックを知らない者はまずないでしょう。そういう典型的なミュージシャンズ・ミュージシャンであるクラヴィックがなぜアーチストたちを引きつけるのか,という秘密は,DVDのボーナスであるドキュメンタリー(52分)でうかがい知ることができます。
 レ・プリムデュフはそこで語られているように,クラヴィックの二つの出会いから始まっています。ひとつはギタリスト(シャンソン,ミュゼット,ブルース...)のディディエ・ルーサンとの出会い,もうひとつは米国アンダーグラウンド・コミック作家ロバート・クラムとの出会い。距離的には近いけれどもその背景や音楽歴などがまるで違っていたから引かれ合ったルーサンとクラヴィック,距離的には遠いけれどブルースとミュゼットの嗜好(ブルース好きなフランス人とミュゼット好きのアメリカ人)で引かれ合ったクラムとクラヴィック,こういうふうに空間的な距離も音楽的な距離も問題にしない密度の濃い出会いの連続が,クラヴィックをいつの間にか多岐な関係の中心人物にしてしまったのですね。
 そして重要なのは冗談好きであること。この関係を円滑にしているのが面白半分の精神で,気がつくと周りはほとんど冗談ぽい人たちになっている(それでいて凄腕のミュージシャンばかりなのに)。クラヴィックはステージでは昔から笑いのないニヒルな二枚目を演じようとしていますが,話し始めたら面白い話ばかり。しかもシャンソン,ミュゼット,ジャズ,ブルース,ブラジル音楽に関しては博士的な知識を持つ文化人。クラヴィックがベースにしている1930年代のパリというのは,「クラヴィックの想像上の」と但し書きをつけてもいいものでしょうが,その想像を現実の音楽にしてくれるのはこの冗談好きな仲間たちで,クラヴィックはその仮の総監督をしているわけですね。「フュージョン(融合)は好まない,なぜなら虹の七色のペンキを混ぜてかきまわしたら,灰色になってしまうんだ。混ぜずに色のまま保持しないといけないんだ」とこのドキュメンタリーでも言っています。人が出す色彩や味わいをそのまま活かす,これがクラヴィック式編曲の極意なんですね。
(ドキュメンタリーの部分は日本語字幕つき)

DOMINIQUE CRAVIC & LES PRIMITIFS DU FUTUR "CONCERT AU NEW MORNING" (+ DOCUMENTAIRE "LES PRIMITIFS DU FUTUR"
DVD UNIVERSAL JAZZ (UNIVERSAL MUSIC FRANCE) 2779844
フランスでのリリース:2011年9月5日


(↓故ディディエ・ルーサンの捧げられた『最後のジャヴァ』)

Les primitifs du futur "Java Viennoise"

2011年7月16日土曜日

地中海オクシタン



Augustin Le Gall (photos) / Elisabeth Cestor (textes) "LA VIE EN OC. MUSIQUE !"
オーギュスタン・ル・ギャル(写真)/エリザベート・セストール(文)"オックの生活と音楽”

 ハードカヴァー、タテ25センチ x ヨコ26センチ、130頁、重さ950グラムのりっぱな美術書装写真集です。2010年12月に出版されていますが,地方出版物なのでパリの書店で見ることもなく,FBでマルセイユの人が紹介してくれるまで知ることができませんでした。さっそくオンラインショップで発注したものの,待つこと2週間。地方はゆっくりと時間が過ぎる(On dirait le sud)。 これはマルセイユのあるブーシュ・デュ・ローヌ県と同県が属するプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地方(通称PACA)の両評議会が予算を出して,マルセイユの出版社カルネ・メディテラネアンカルネ・メディテラネアンが制作出版したものです。
 これは出資した県と地方のせいなのだと思います。ここで紹介されているアーチストたちはブーシュ・デュ・ローヌ県以東のPACA地方に居を置く人たちに限定されているのです。都市で言えばアルル(マルセイユよりも西)からイタリア国境手前のニースまでです。すなわち,私たちがイメージしているオクシタニア・ミュージック・シーンの核と言えるオクシタニアの都トロサ(トゥールーズ)とミディ=ピレネー地方,モンペリエを中心としたラングドック地方は全く登場しないのです。(つまり,ファビュルス・トロバドール,ラ・タルヴェーロ,クロード・マルティなどは範囲外ということです)。
 表紙に写っているのはアンリ・マケという人で,1977年ベルギーのリエージュ生れ,アルルに住むマルチ・イントルメンタリスト(ヴァイオリン,フィフル,フルート,ガルーベ等)で,今年で4回めになるフェスティヴァル・ザンザン(Fesrival Zinzan)(「ロワール川以南で最もアンダーグラウンドなトラッド・フェスティヴァル」と自称)のオーガナイザー。
 マッシリア・サウンド・システム,マニュ・テロンとルー・クワール・デ・ラ・プラーノ,サム・カルピエニア,パトリック・ヴァイヤン,ルイ・パストレーリとニュックス・ヴォミカなど私たちが親しんでいるマルセイユ以東のオック・アーチストたちの他に,表紙のアンリ・マケのように影になり日向になりでオクシタニア音楽を支える人たちがたくさん登場します。
 1966年にすでにドラギニャンで「方言(パトワ)」(=オック語)で歌ったギ・ブログリア,それにショックを受けた中学教師のダニエル・ドーマスDaniel Daumàsらが,70年代のオクシタン・フォークの担い手となって,カルカッソンヌの中学教師クロード・マルティClaude Martiと共にオクシタニア復興運動の闘士として歌います。ドーマスはオック語文筆家としても多くの著作を発表していますが,15年間歌手活動を休止したのち,再び孫のガスパール(ヴァイオリン/アコーディオン)を従えて歌の世界に戻っています。
 3年前に拙ブログで紹介したフランク・トゥナイユ著『オクシタニアの音楽』Frank Tenaille "MUSIQUES & CHANTS EN OCCITANIE"でも非常に重要なフォーク・グループとして扱われていたのが,アルルのモン・ジョイアMont-Joiaでした。この古楽器を使ったフォーク・アンサンブルの1975年のアルバム "CANT ET MUSICA DE PROVENCA XIIe - XXe SIECLES"(12世紀から20世紀までのプロヴァンスの歌と音楽)が,オック界ではクロード・マルティの"UN PAIS QUE VOL VIURE"と同じほどに衝撃的で画期的な1枚だったのです。その創立メンバーのひとり,ジャン=マリ・カルロッティJan-Mari Carlotti(1948年モロッコ生れ)は,今日も勢力的に活動を続けていて,76年から10年間,地中海とオクシタンの音楽祭"RESCONTRES DE LA MAR"(海の出会い)の主催者でもあり,80年代後半にはパトリック・ヴァイヤンやリッカルド・テジとアニタ/アニタ(ANITA/ANITA)というバンドも組んでいました。2001年からモン・ジョイア(創立メンバーはカルロッティのみ)を復活させて活動していますが,CDなどが出てくれないので,その現在を知りようがないのが残念です。
 そして3年前の夏にニースで会ったルイ・パストレーリ(ニュックス・ヴォミカ)が、お土産にあげたフランク・トゥナイユの本Frank Tenaille "MUSIQUES & CHANTS EN OCCITANIE"に、彼にとってのニースの最重要アーチスト、ジャンリュック・ソーヴェゴが載っていないのに憤慨して、私にソーヴェゴの著作(小説、劇画、絵本)を数冊くれて、これを読んでソーヴェゴの偉大さを知れと言われたのだけれど、私はプロヴァンサル語が読めなくて難儀しました。ソーヴェゴは1950年生れ、小説家、画家、漫画家、劇作家、作詞作曲家/歌手ですが、1972年にその漫画(BD)の主人公グラシュス・オンタリオを架空のリードヴォーカルとするオンタリオ・ブルース・バンドというカントリー/ブルース・ロック(歌詞はプロヴァンサル語)で、ニースのオック・フォークロックのパイオニアとなったのでした。紙媒体(子供向けと大人向けのオック語漫画雑誌の発行)と地道なコンサート活動で、70-80年代のニースのジャック・メドサン市政に抵抗していたこのマルチな文化人は今日こんな顔(→)でこの本に載っています。どことなく、私の敬愛する先輩、北中正和さんに似ているように見えます。

AUGUSTIN LE GALL(PHOTOS) / ELISABETH CESTOR(TEXTES) "LA VIE EN OC. MUSIQUE!"
ISBN : 978-2-9538263-0-2
(2010年12月 CARNETS MEDITERRANNEENS刊、130頁、25ユーロ)


(↓モン・ジョイア "AI VIST LO LOP")