2011年5月18日水曜日

Oh Cecilia, I'm down on my knees I'm begging you please, to come home



『ラ・コンケート(奪取)』2011年フランス映画
"LA CONQUETE" グザヴィエ・デュランジェ監督,ドニ・ポダリデス(ニコラ・サルコジ)、フローランス・ペルネル(セシリア・サルコジ)、ベルナール・ル・コック(ジャック・シラク)...
フランス封切:2011年5月18日


 タイトルの出典はサイモン&ガーファンクルの「セシリア」(1969年)です。映画では使われませんが、浮気なセシリアに帰ってきておくれ、と頼むこの歌こそ、この映画のテーマとしてどれだけふさわしいか、と思うのです。その歌詞の第二行にこうあります:
You're shaking my confidence daily
日々おまえは俺の自信を揺り動かす

 セシリア・サルコジ(当時)は、聡明であり、目利きであり、メディア戦術に長け,夫ニコラの選挙キャンペーン参謀のトップとして,そのイメージ作りを一手に引き受けていました。これまでの保守とは違う,ということをはっきりとした"la rupture"(断絶)という言葉で表現し,旧保守と訣別したネオ・リベラルな改革行動派という「勝ち組」の顔はセシリアの陣頭指揮で作られていたのでした。
 しかし権力奪取にかけては動物的な勘の働くサルコジは、才能あるブレーンをどんどん登用して、セシリアの守備範囲を超えた部分も確実に領土拡大していくのです。それは一方では極右FNに投票する人々の心を魅了する強硬な「警察政治」の約束であり、他方では左翼に幻滅した人々にジャン・ジョレスやレオン・ブルムの夢をもう一度,と演説することでもあります。ここでのサルコジははっきりしていて、世の中には才能のある人とない人がいるのです。才能ある人は重宝され、その活躍の場が与えられなければならず、人より多く働き有益な人は多くの給料を得なければならないのです。それは保守も左翼も関係がない。こういう考えが、左翼は絶対に左翼でなければならないような動脈硬化を起している社会党および左派政党の考えよりも、多くのフランス人を魅了していくのです。これが2002年から2007年のストーリーです。
 この映画では、もはやサルコジの最大の敵は社会党候補ですらないのです。旧保守の大狸たるシラク(当時大統領)は、95年の大統領選挙で、シラクを裏切ってもうひとりの保守候補エドゥアール・バラデュールの選挙参謀となったニコラ・サルコジに,消しようのない私怨があり、何が何でもサルコジの行く手をふさごうとします。シラクの意を汲むシラク派の番頭がドミニク・ド・ヴィルパン(サミュエル・ラバルトの怪演!)で,彼は保守の正系後継者として大統領への野心があります。このサルコジ対ヴィルパンの権力闘争こそ、この映画の大きな筋なのですが、いかなる場面でもサルコジの方が一枚も二枚も役者が上なのです。
 それは上に書いた「才能のある者を登用するべき」という考えにつながるのですが、シラク派陣営の中で、最もサルコジの才能を高く評価していたのが大統領夫人のベルナデット・シラクであったのです。サルコジの政治集会にベルナデット・シラクが出席し、大喝采を浴びるという場面をシラクがテレビで見ていて,「一本取られたわい」と嘆くシーンはこの映画のハイライトのひとつでしょう。
 着実に権力奪取の道を歩むにつれて、影がうすくなっていくセシリア。モロッコ生まれの実業家リシャール・アチアス(後のセシリアの夫)は、2004年11月のUMP(「国民運動連合」。保守政権党で2004年から2007年までサルコジが党首)のブールジェ空港での党大会(サルコジが党首となった大会)の準備で、アメリカ式の派手にショーアップされた党大会を企画するために起用されました。この党大会は大成功するのですが、この時にセシリアとアチアスは恋に落ちるのです。そして別居。この別離以来,サルコジはひっきりなしに留守電メッセージと携帯メールで「セシリア,帰ってこい」と嘆願するようになるのです。
Oh Cecilia, I'm down on my knees
I'm begging you please, to come home
  (サイモンとガーファンクル)

 独り者では大統領になれない - こういう決まりはありませんが,国民的イメージとしてあまり望ましくありません。いみじくもヴィルパンはこの映画の中で「自分の妻も引き止められない男が、どうやってフランスを守れるのだ」というセリフを吐きます。きついっすねえ。このセリフ利いてます。サルコジのブレーンたちも多少なりとも同じ考えです。そこで公的なイメージ(体裁,メンツ)を保つために、サルコジは拝み倒してセシリアに「大統領選挙が終わるまでサルコジ夫人として戻ってくる」という約束を取り付けます。セシリアは戻ってきますが、セシリアにとってはこの生活は地獄なのです。

 映画は2007年5月6日,すなわち2007年大統領選挙の第二次投票(対セゴレーヌ・ロワイヤルとの決戦投票)の朝から始まります。ひとりでいるサルコジは携帯電話を何度もかけまくり,セシリアがどこにいるのかを知ろうとします。この日,サルコジは何としてでもセシリアと連れ立って投票所に行き、報道陣のフラッシュを浴びながら一緒に「ニコラ・サルコジ」に投票することを願っていました。それは果たせません。現実の話として後にセシリアは「サルコジに投票しなかった」ことを告白しています。
 その夜,大方の予想通りに大統領に当選したサルコジは、すべての栄光を手に入れ,セシリアを失う,というよく出来た映画です。政治的モンスターが、傷ついた男として終わるのです。映画!,ですねえ。C'est du cinéma、はフランス語では「どうせ作り事でしょ」というニュアンスになりますから,ご注意。

 音楽をニコラ・ピオヴァーニが書いています。何か良質のイタリア映画を観ているような錯覚はこの音楽のせいかもしれまっせん。

↓『ラ・コンケート(奪取)』予告編

La Conquête - Bande-Annonce / Trailer [VF|HD] par Lyricis

0 件のコメント: