2010年11月30日火曜日

こんな寒い日にノワール・デジールが解散した


 
 2010年11月29日,ギタリストのセルジュ・テッソ=ゲーが脱退表明。ヴォーカリスト,ベルトラン・カンタとの「情動的、人間的、音楽的な不一致 désaccords émotionnels, humains et musicaux」が原因と言いました。それに加えてセルジュはこの数年間にバンドの中に存在した「ある種の露骨な感情 un sentiment d'indécence」という言葉も使っています。おそらく獄中および出獄後のベルトランの挙動に、もう理解不能のものを見ていたのだ,と解釈できます。
 この時点でメディア(ラジオ,新聞雑誌のインターネット速報サイト等)は、もうノワール・デジールの最後を予告していました。単にギタリストの脱退ではなく、バンドがもう立ち行かないことは明白だったようです。
 翌日11月30日,ドラマーのドニ・バルトが、他の二人(ベルトラン・カンタとベーシストのジャン=ポール・ロワ)の意向をも代弁する形で、3人からの正式発表として開口一番「Noir Désir, c'est terminé ノワール・デジールは終わった」と告げたのでした。「明白でない理由のために、人工心肺を使ってノワール・デジールを延命させることは不可能だ」と。
 
 まだまだ冬は始まったばかりで,おまけにフランスが11月としては記録的な寒さに襲われている2010年11月末,こんな日にノワール・デジールが解散しました。
 今から1週間ほど前に発売されたラティーナ12月号に、私は、ベルトラン・カンタはやっとこさ再始動したが,ノワール・デジールは復活できるのか、という記事を書きました。ノワール・デジールは2年前から「新アルバム準備中」という、言わばネットでよく見る「under construction」看板のような状態がずっと続いていました。曲はできているのに、詞が書けない。ベルトラン・カンタはまだ作詞できる状態に戻っていない(これは一生戻らないかもしれない)。この事情は拙稿上で長々と書きましたが、トランティニャン家のプレッションや内的な精神葛藤で、自分の根っこに関わることを語ったり,詞として表現することを封印してしまったのなら、バンドは何を歌うのか、何を表現するのか。みんな考えたでしょうけど、バンドとしてやることはもうないと決めたのですね。
 こういう時にも(今日現在までの時点ですが)、ベルトラン・カンタが一言もコメントできない、というのが痛々しいです。

(↓11月30日、BFM TVで流れたノワール・デジール解散のニュース)

La fin du groupe de rock Noir Désir
envoyé par BFMTV. - L'actualité du moment en vidéo.



PS1 : 12月1日。今朝のリベラシオン紙の第一面。見出しは「崩れさるノワール・デジール Noir Désir sombre 」。

2010年11月29日月曜日

今朝の爺の窓 2010年11月29日



 平年気温より7度低い数日間で、朝は零下,昼の最高気温でも2度〜4度というのが先週から続いていて,それが今週一杯続くという予報です。私は雪国育ちの分際で寒さにからきし弱く(実は暑さにはもっと弱い)、こういう天気の時は、ヴィヴァルディ『四季』の「冬」を聞きながらこたつで丸くなる、というのが常です。最近,日本茶の茶請けに「ダット」(干しナツメ。北アフリカ系のエピシエで良く売っている)がよく合うというのを発見して、渋茶とダットが午後4時頃の習慣になりました。
 昨日の日曜日は午後いっぱいかけて,ゼラニウムやあじさいやラベンダーなどのベランダの鉢植えに越冬用の覆いをかけてやりました。この覆いをかけてやっても、ゼラニウムは翌春まで延命したためしがないのですが、3季節がんばって咲いててくれたんだから、愛情だけはかけてあげませんと。
 マルセル・カンピオンがラジオのコマーシャル・スポットで、今年も大観覧車,クリスマス市,氷の彫像館「アイスマジック」があるから,シャンゼリゼにおいで、と宣伝しています。シャンゼリゼは電飾ライトアップがかねてから世界的に有名ですけど、このカンピオンの「クリスマス村 Village de Noel」企画が始まって以来,わしら西洋かぶれだった東北田舎のガキどもが夢見た,まさにそのままの「ウィンターワンダーランド」が現出してしまったのです。
 そう言えば,わが家の向かいのドメーヌ・ド・サン・クルーの(冬に何度か雪化粧する)白い森も、ガキの私が夢見ていた「ウィンターワンダーランド」に似ているでしょうね。たぶん雪の精が棲んでたりするんですよね。

2010年11月26日金曜日

(マルセイ)遊星老年パペー



PAPET J vs RIT "PAPET J POINT RIT"
パペー・ジ vs リ『パペー・ジ ポワン・リ』


 まずニュースから。
 マッシリア・サウンドシステムのライヴアルバムが2011年4月4日に出ます。CD+DVDのセットで、CDは1996年の未発表ライヴ、DVDは2008年7月のカルパントラでのライヴ映像。

 タトゥー(ムッスー・T)と共にマッシリアの双頭リーダーでMCのジャリ(パペー・J。本名ルネ・マッザリーノ)の、サイド・プロジェクトで「パペー・J & ソレイ FX」に続くアルバムです。ソレイ FXと言っても実体はバンドはないのでほとんどソロ・プロジェクト(機械じかけのラガ)であった前作に対して,今回はマルセイユ1974年生れの若きマルチ・インストルメンタリスト,Rit(リ)とのデュオです。アルバムのタイトル字の大きさや,ジャケの顔写真の大きさから判断しても、リ君の方が同格以上の目立ち方です。
 リ君の経歴を見ますと、ブルース/ロックをベースにしながら、ベナンのバンドと共にベナン,ギネア,アルジェリアなどを回ったこともあり、楽器テクとスタジオワークに長けた「ひとりオーケストラ」的なミュージシャンで,ギター使いやオーケストレーションで"-M-”(マチュー・シェディド)に近いものを感じさせます。
 アルバムは10曲めの"PAUVRE DE NOUS"(マッシリアの2001年アルバム"3968CR13"の中の1曲でジャリ/タトゥーの作品)のリプリーズを除いて,全曲パペー・J/リの共作ということになっています。タトゥー/ブルー組(ムッスー・T&レイ・ジューヴェン)に触発されたのでしょうか、ギターが良く鳴るブルース・ロックが3曲あります。(私の先入観では、ジャリの守備範囲とはちょっと違うような気がします)。
 マッシリア流儀に近い「港町シャンソン」系の9曲め「カバノン」(マルセイユ海浜地区の小別荘というよりむしろ小屋住宅)が美しいし、これもマッシリア流儀である世相批判の曲が3曲(3. "PRESSEIONS/REPRESSION", 4. "HUMANITY", 7. "A QUOI BON")。そして前述の"PAUVRE DE NOUS"(10曲め)あたりが、怒れる「マッシリアのジャリ」をモロに感じさせてくれます。
 しかしその他は、リ君と全く新しい冒険に挑んでいるような、新しいサウンドに遊ぶジャリの顔です。そりゃあマシーンだらけのラガ仕立てだった「ソレイFX」に比べたら,たいへん多種多様な音楽で、ひとえにリ君の力なんでしょうが、そのヴァラエティーにおいてはムッスー・T&レイ・ジューヴェンとレヴェル的に近いように思えます。願わくば,パペー・ジャリがもっとはっきりした主導権を発揮してくれないと、リ君のサウンド遊びにジャリのキャラクターが希薄化されることになりかねません。
 終盤4曲(9-10-11-12)すべて好きです。

<<< トラックリスト >>>
1. RUELLES
2. FIN DE SEMAINE
3. PRESSION / REPRESSION
4. HUMANITY
5. SUR CETTE TERRE
6. JE REVE
7. A QUOI BON
8. VOODOO CHILD'S
9. CABANON
10. PAUVRE DE NOUS / POURQUOI? (VERSION 2010)
11. HEY GUS
12. JE M'ESCAPE

PAPET J vs RIT "PAPET J POINT RIT"
CD ROKER PROMOCION RP1003
フランスでのリリース 2010年10月18日



(↓)『パペー・ジ・ポワン・リ』のオフィシャル・ヴィデオクリップ "FIN DE SEMAINE"

Fin de semaine - PapetJ.Rit | Clip officiel
envoyé par visiontrouble. - Regardez la dernière sélection musicale.

2010年11月20日土曜日

ピガールのど真ん中で



 カウンターの下にオレンジ色の電光看板みたいについている、お月様と猫がケンカしている図。これがこの「オ・ノクタンビュール Aux Noctambules」という店のシンボルマークです。ノクタンビュールとは、スタンダード仏和辞典では「1.夜遊びの好きな人、夜出歩く人。2.[古]夢遊病者(=somnanbule)」と訳されています。
 月と猫が騒々しいから、眠れない人々、当たっているイメージではないでしょうか。パリでそういう人たちが出かける場所というのは、19世紀後半から「ピガール」と決まっていたわけです。
 モンマルトルの丘の南の麓を横切る一本の大通り(一本でも名前は西半分がクリシー大通り、東半分がロッシュシュアール大通り)とそこから枝葉して広がるたくさんの小道に、セックスシアター、セックスショップ、キャバレー、バー、ショー小屋、風俗バーなどが軒を並べています。いわゆる歓楽街ですが、これを仏語では 「Quartier chaud カルチエ・ショー」(熱い街区)と言います。
 トゥールーズ・ロートレックの絵に描かれ、近代シャンソンの開祖と言われたアリスティッド・ブリュアンが出演していたことで知られるキャバレー「黒猫亭」(Le Chat Noir) が開店したのが1881年のこと。そしてブランシュ広場の名物となる「赤い風車」(Le Moulin Rouge)」の開店1889年。シャンソンと演し物で人を呼ぶ店が次から次に出来て、夜の世界のギャングたちが町を牛耳るようになり、売春窟も林立します。1918年に酒類と電力を制限する法律が通り、21時以降の営業は遊郭だけが許可されるようになり、ピガールの一角とそれを握る暗黒街の男たちだけが莫大な利益を手に入れることになります。遊郭は20年代にはピガールだけで177軒あり、娼婦の数は2000人と言われました。戦後になって遊郭/赤線/売春窟は法律で禁止されますが、その法の網をくぐっての売春はなくならず、80年代までフランス最大の「色街」として栄えます。しかし、90年代からエイズ禍の波はピガールを直撃し、セックス産業は急激に衰え、町の灯が消えかけたところに、オルタナティヴ・ロックやヌーヴェル・セーヌ・シャンソンがこの町を支え、腹の突き出た観光客たちよりも、音楽好きな若者たちがピガールに還ってきます。エリゼ・モンマルトル、ラ・シガール、ロコモティヴ、ブール・ノワール、ディヴァン・デュ・モンド、トロワ・ボーデ...。ピガールは変わりました。しかし、アリスティッド・ブリュアンや「ル・シャ・ノワール」の頃のピガールがまた還ってきた、とも言えるでしょう。
 「カフ・コンス(Caf'conc')」は、カフェ・コンセール(café concert)を約めた愛称ですが、19世紀からパリの飲食店で開かれていたシャンソンやダンス音楽の小コンサートのことを意味していました。それが19世紀末から20世紀にかけて、大きなレヴュー・ショー興行のホールに変わったのが、英語由来の「ミュージッコール Music Hall」と呼ばれる劇場です。シャンソンの最前線はこのカフ・コンスからミュージッコールに移行し、カフ・コンスは1910年代には廃れて、町から姿を消していきます。
 「オ・ノクタンビュール」はその1910年代に開業し、2010年の今日、いまだに「カフ・コンス」を名乗る、パリでも超稀れなカフェ・バーであり、今日でも21時を過ぎると、カフェ奥のサロンにあるステージにシャンソン歌手が出て、ノスタルジックなシャンソン・ショーを開いています。この由緒ある場所は、この2010年1月にエイズで逝ったアーチスト、マノ・ソロ(1963-2010)の歌に歌われ、レコード・デビューする前のレ・ネグレス・ヴェルトが根城にしていた、ということでも知られています。
 そのカフ・コンスの「デビュー・ド・ソワレ」(宵の口)、夕のアペリティフ時間、昨今のフランスのカフェ・バーでは英語をそのまま使って「ハッピー・アワー Happy Hour」と称して、ドリンク値段を安くした時間帯にしてますが、17時から21時まで、われらが友、マヌーシュ・ギタリストの波多野君がこの秋から毎晩演奏しています。
 お客様は様々で、観光客もいれば、地元の酔漢もいれば、モンマルトルを愛する画家などのアーチストもいれば、エリゼ・モンマルトルやラ・シガールでのコンサートの前に一杯飲みに来る音楽ファンもいれば、という感じです。われわれが冷やかしに行った11月19日(金曜日)の夜には、波多野君とサイドギタリストのマニュのコンビのファンというロシアの画家が、二人に自作の絵をプレゼントする、という感動的な場面もありました。
 このピガールのど真ん中で、アーチストとしてピガール色に染まって土地に根を張っていく波多野君、とてもいい感じです。まぶしいです。うらやましいです。

(↓ジョルジュ・ブラッサンスの代表曲のひとつ「レ・コパン・ダボール(友だちが最優先)」を弾く波多野君とマニュ君)
video

2010年11月16日火曜日

愛するハーモニー



FAMILY OF THE YEAR "OUR SONGBOOK"
ファミリー・オブ・ザ・イヤー『アワ・ソングブック』


 タイトルの出典は1971年のコカ・コーラ社のキャンペーンソング"I'd Like To Teach The World To Sing (In Perfect Harmony)"の日本語題で、ザ・ニュー・シーカーズ等が歌っておりました。今聞くと虫酸が走りますが。
 ファミリー・オブ・ザ・イヤーは加州のバンドです。中心人物のジョセフとセバスチャンのキーフ(Keefe)兄弟はウェールズ系らしいです。この「キーフ」という名前に、フランスの某音楽雑誌は(こじつけで)反応して、現代フランスの若い衆言葉である「Kif」(キフ = 好き,愛する)と同じ語幹を見取って,新しい時代の「ラヴ&ピース」にふさわしい名前である,なんて言うんですね。
 第一音を聞いた時から,けばいフラワー・ペインティングを施したVWミニバスで行く、陽光あふれる加州で出会うインド綿チュニック着た長髪族男女が,半分眠ったような目で微笑みかけてきて、花をめしませ、めしませ花を、なんていう世界へトリップさせる音楽です。スティーヴン・タイラー(エアロスミス)は、このバンドを称して「アシッドをやっているママス&パパス」とたとえました。まさに。この男性4人+女性2人のアコースティック・バンドの第一の武器は混声コーラスハーモニーです。ママス&パパス,ビーチ・ボーイズ,(転向後の)フリートウッド・マック、(転向後の)ジェファーソン・スターシップ,すなわち加州のポリフォニー。
 2009年に加州のWashashore Recordsというインディーレーベルから出た4曲入りEP"Through the Trees"とフルアルバム"Songbook"からセレクトした14曲を、フランスのインディーレーベルVOLVOXが新しいジャケットアートで包んで2010年11月にリリースしたのが,この『アワ・ソングブック』というアルバム。
 この2〜3年,MGMTやアーケイド・ファイアの台頭をうれしい思いで見ていた爺のような愛サイケの人たちが飛びついたアルバムです。これは決してザ・ニュー・シーカーズあたりにノスタルジー持っている人たちが買ったアルバムではありません。RADIO NOVAは夏頃からエレクトロ・サイケな "PSYCHE OR LIKE SCOPE"をヘヴィー・ローテーションで、このバンドをいち早くフランスで紹介しました。もろビーチ・ボーイズな"SUMMER GIRL"も夏の終わりに聞いたら涙ものでしょう。来年夏,ROCK EN SEINEに来てくれたらなあ、と密かに期待しております。

<<< トラックリスト >>>
1. LET'S GO DOWN
2. INTERVENTION (STAPLE JEANS)
3. STUPIDLAND
4. PSYCHE OR LIKE SCOPE
5. FEEL GOOD TRACK OF ROSEMEAD
6. SUMMER GIRL
7. THE PRINCESS & THE PEA
8. CASTOFF
9. TREEHOUSE
10. SURPRISE
11. CHUGJUG
12. THE BARN
13. NO GOOD AT NOTHING
14. HERO

FAMILY OF THE YEAR "OUR SONGBOOK"
CD VOLVOX VOL1008
フランスでのリリース:2010年11月


(↓ "STUPIDLAND" オフィシャル・ヴィデオクリップ)


PS : 2011年1月10日。
Radio Novaで昨秋おおいに流行った「サイケ・オア・ライク・スコープ」のオフィシャル・クリップが完成。往年のニュー・エイジっぽさが...。マジなんでしょうか。

Family of the Year: Psyche or Like Scope
envoyé par Volvoxmusic. - Regardez d'autres vidéos de musique.

2010年11月14日日曜日

もうすぐ再始動するゼブダを垣間みる



 11月13日、パリのヴィレットにある常設テントシアター「キャバレー・ソヴァージュ」で、ムース&ハキムの「キャルト・ブランシュ」(白紙。すなわち彼らにおまかせ。好き放題。自由企画。多くの場合はゲスト呼び放題という感じです。)コンサートでした。夏にこのプログラムが発表された時は、11月11,12,13日の3日間の予定で、毎日日替わりゲストが出るとの豪華版の触れ込みだったのですが、どういう事情なのか、11,12日がキャンセルになってしまいました。その代わりに、13日にはゲスト陣の中にマジッド・シェルフィがいて、ゼブダのフロントメン3人のそろい踏みが見れるというので、大変な前評判になっていました。ただし、一般のチケット売りはなく、ラジオ2社と新聞雑誌社2社の応募抽選インヴィテーションと、トゥールーズの市民団体タクティコレクティフのインヴィテーション(私の場合はこれです)のみが入場できるという、ちょっと「セレクト」なコンサートでした。

 前座はレダ・カテブ(俳優、詩人。あとで調べたら、この人はアルジェリアの詩人ヤシーヌ・カテブの甥の息子にあたり、アマジーグ・カテブとは遠い親戚関係にある。DJがバックトラックにアマジーグの音楽を使っていた)とDJブーラワンによるスラムのショー。
 次いでムース&ハキムのショーは「オリジンヌ・コントロレ」パートと「モティヴェ」パートの2部構成で、ゲストはもっぱら「オリジンヌ・コントロレ」編で登場。カビリアのベテラン歌手、アイト・メンゲレットは2曲。来日経験ありのジャヴァ・ロックバンド、レ・ゾーグル・ド・バルバックのヴォーカリスト、フレドは1曲。ラップのMAP(ミニステール・デ・ザフェール・ポピュレール)(ジャヴァ系でアコなどをバックにラップする、北仏リールのグループ。初めて見た。ムース&ハキムとヴァイブレーションもコンビネーションもバッチリ。波長が一緒。ちょっとびっくり。気に入りました)は2曲。
 そして千両役者マジッド・シェルフィの登場でした。もともと重そうな人でしたが、ますますヘヴィー級になってました。小さくて軽量級のアモクラン兄弟の激しい動きの真ん中で、どすこい、どすこい、と動いている感じ。ステージを離れて長いもんだから、床に置いた歌詞プレートを読みながら、というのも...。2曲めに、待ってましたのゼブダ・レパートリー、"MA RUE"(1995年アルバム"LE BRUIT ET L'ODEUR"の中の1曲)をやりました。私は大満足。
 しかし、かの20周年ダブルライヴアルバム『VINGT D'HONNEUR』でも立証されたように、回を追うごとにこのムース&ハキム「オリジンヌ・コントロレ」バンドがすごく良いバンドに成長してしまって、復活後のゼブダがこのバンドを越えるには、たいへんな努力が必要なような気がしますが。

(↓たったの50秒ほどですが、"MA RUE") video

2010年11月13日土曜日

ピアノ怪獣にさらわれた少女の物語



Babet "Piano Monstre"
 バベット『ピアノ怪獣』


 早いものです。バベットのソロアルバム『Drôle d'Oiseau奇妙な鳥』は3年前(2007年)のことだったのですね。その年最も印象に残ったアルバムの1枚なのに、ブログに紹介されていなかったのは、このブログ開設前に出ていたアルバムだったからでした。
 ディオニゾスのヴァイオリン奏者。最初はなぜこんなノイジーなバンドに、普通の娘っぽい佇まいのヴァイオリニストがいるのか、とても不思議でした。超強烈な個性とエゴと才能の持ち主マチアス・マルジウ(ディオニゾスのリーダー)の影で,10年も一緒にやっているのはよっぽどのことだと思いますよ。その間にマルジウはオリヴィア・ルイーズの公私とものパートナーになってしまいましたし。オリヴィア・ルイーズの才能の開花というのはマルジウに超ラジカルに触発されてのこと,というのは疑いの余地がありません。私はオリヴィア&マルジウのカップルは、今フランスで最も輝いているように見ています。
 そう言えばマチアス・マルジウの小説『時計じかけの心臓』が,リュック・ベッソンのプロデュースで3Dアニメーション映画化が進行していて、2012年公開だそうです。亡くなったバシュングを除いて、CDアルバムに出演した人たち(オリヴィア・ルイーズ,マチアス・マルジウ,グラン・コール・マラード,エミリー・ロワゾー、ロッシー・デ・パロマ,ジャン・ロッシュフォール...もちろんバベットも)が全部そのまま声優となって出るようです。その映画サントラの音楽の一部をバベットも担当するのだそうです。(リュック・ベッソンという偏見を捨てて)この映画非常に楽しみです。
 さてバベットは、そういうマルジウ路線とはっきりと一線を画する,さわやかなフォーク・アルバムをソロ第一作として発表したのですが、2010年のこのセカンドアルバム『ピアノ怪獣』は、ポップで物語性があり、なにか『時計じかけの心臓』にも近いものを感じさせるアルバムになっています。近いもの、と言うよりは、マチアスには『時計じかけの心臓』みたいな大作ができたけれど、私には鼻歌でこんなのができちゃったのよぉ、というお茶目な対抗意識みたいなものが感じられます。
 13曲中6曲がデュエット曲(12曲め"TES YEUX DANS CE BAR"では、マチアス・マルジウとアンディー・メストルとバベットの掛け合いなのでトリオ曲ですね)という構成では、どうしてもソロアルバムというより,ミュージカル仕立て/昔のジャック・ドミー映画風な雰囲気がまさります。前作のような生ギター主導のフォーク風な音が後退して、ピアノ(まあ一種の主役ですから)やストリングスが小アンサンブルとなってバックを固め,その上に少女の物語がモノローグやダイアローグになって歌われる,という作りです。ディヴァイン・コメディー(ニール・ハノン)みたいでもあり、小劇場のオペレッタみたいな雰囲気もあります。
 ピアノ弾きの少女はたった一度の弾き間違いのために、ピアノ怪獣に囚われてしまいます。アルバムはこう始まります。こういう始まりですと、少女がさまざまな知恵を働かせて,いろいろな人たちの助けを借りて,このピアノ怪獣から逃げ出す冒険物語のようなものを期待するじゃないですか。ところが進行していく歌の歌詞を追っていくと、そういう筋書きのはっきりしたストーリーではなくて、夢の中の話のように、いろんなところに飛んでしまうので、絵本的結末などなく、拡散してしまうのです。あるいは、このアルバムは来るべき大作『ピアノ怪獣』物語の断片的挿入歌集なのかもしれません。
 共演するメンツはヒュー・コルトマン(英国のフォーク・アーチスト,元THE HOAX)、アンディー・メストル(モンペリエのバンド,フーディーニのリーダー)、男優エドゥアール・ベール,アルチュール・アッシュ,そしてディオニゾスのマチアス・マルジウ。
 ベース(ステファン・ベルトリオ)とドラムス(エリック・セラ=トジオ)はディオニゾスのメンバー。そしてこのアルバムのバベットに次ぐ準主役とでも言うべきピアニスト氏はシルヴァン・グリオット(クラシック/コンテンポラリー/エクスペリメンタル系のピアニスト/作曲家のようです)。プロデューサー(フランス語で言うところのréalisateur)は超売れっ子のジャン・ラモート(バシュング,ラファエル,ノワール・デジール,ヴァネッサ・パラディ,サリフ・ケイタ....)。
 マルジウの『時計じかけの心臓』に比べてはいけないのでしょうが、物語という点では全然弱いものの、不思議の国のアリスみたいな飛び方はバベットの個性とよくマッチしていると思います。この個性的な鼻歌ヴォーカルと、マルジウより豊かであろう楽識がしっかり裏打ちしたようなメロディーが、バベットという不思議なキャラクターを作っています。
ベストトラックはエドゥアール・ベールとのデュエット『Le Miroir』(7曲め)。11-12-13曲は3つともとても好きな曲ですが、もっと工夫があってほしい(もっとドラマティックであってほしい)。ひょっとしてバベットはソングライター/コンポーザーとしての方が資質がもっとはっきり発揮できるかもしれない、とも思いました。これは前々からケレン・アン・ゼイデルに対して思っていたことでもあります。

<<< トラックリスト >>>
1. PIANO MONSTRE
2. LES AMOURATIQUES (feat. HUGH COLTMAN)
3. LA COULEUR DE LA NUIT
4. JE PENSE A NOUS
5. CIEL DE SOIE (feat. ARTHUR H)
6. LA CHAMBRE DES TOUJOURS
7. LE MIROIR (feat. EDOUARD BAER)
8. MEXICO (feat. ANDY MAISTRE)
9. LAIKA (feat. ARTHUR H)
10. LONDON INEDITE
11. LE BEL ETE
12. TES YEUX DANS CE BAR (feat. MATHIAS MALZIEU, ANDY MAISTRE)
13. UNDERWATER SONG

BABET "PIANO MONSTRE"
CD V2 / UNIVERSAL MUSIC FRANCE 2749783
フランスでのリリース 2010年9月27日


(↓『ピアノ怪獣』からのファーストシングル"JE PENSE A NOUS"のクリップ)

2010年11月12日金曜日

赤い城(シャトー・ルージュ)をハカイしろ



Abd Al Malik "CHATEAU ROUGE"
アブダル・マリック『シャトー・ルージュ』


 2007年の大統領選挙で社会党セゴレーヌ・ロワイヤル候補が負けた時に、敗因のひとつに彼女の「声」があった,という説がありました。ロワイヤルの声に魅力が乏しい。仮に全く同じ演説を,サルコジの声で聞くのとロワイヤルの声で聞くのでは、サルコジの声の方がはるかに人を説得させるものがあるだろう、という説でした。たしかにそういうものがあると思います。しかし,その説に触れて,元TVジャーナリストでベルナール・クーシュネール現外相の夫人,クリスティーヌ・オックランは「声は訓練で直すことができる」と言ったのです。すなわちセゴレーヌ・ロワイヤルはその訓練を怠って,声を修正しないまま選挙に臨んで負けた,と。
 アブダル・マリックがラップでもスラムでもなく、「歌」を歌う時,私はあの声はどこに行ったのだ?と戸惑ったのです。スラムでビロードの声が出せても、歌うとそれが出ない。非常に奇妙な感じがしたのです。これではMCソラールではないか,と。
 そしてこれには賛否両論が出るであろう,ということは前もってアブダル・マリック自身が知っていました。テレラマ誌のシャンソン欄ジャーナリスト,ヴァレリー・ルウーのインタヴューに答えて,アブダル・マリックは自身の大転換を「初めてエレクトリック・ギターを持ったボブ・ディラン」になぞらえたのです。おいおいおい!
 前2作のアルバムに比べれば,確かにラジカルな変化です。しかし彼が「歌う」ことは、ボブ・ディランがエレキを持つことではないでしょうに。そして,もっと「歌う声」を形成してからの方がよかったのではないか、という気がします。
 不満はあれど、新しい方向に踏み出たアブダル・マリックはやっぱり面白いのです。彼にとっての「ヒップホップ」は、あらゆるものが溶け込んでもいい音楽であり、彼がジャズやポエトリー・リーディング(スラム)やシャンソン(グレコ,ブレル)をその中に溶け込ませたように、また哲学やヒューマニズム全体への考察をライムに溶け込ませたように、今度は「歌」(ポップ〜ヴァリエテ)とエレクトロとダンスビートを大胆に溶け込ませたのです。
 共犯者としてプロデューサーにチリー・ゴンザレス。効果的かつ小気味よいポップに仕上げるには、今日ゴンザレスほどの適任者はいないかもしれません。それがアブダル・マリックの持ち味とうまく調和するか,というのが問題ですが、私はすべてが成功したとは思えません。
 英語を混ぜるのは、やはりこの人の本領ではないのではないか、と思います。モリエールの言語だけでやってほしいなあ。
 14曲のアルバムで,新奇のグルーヴや、異種交配実験や,歌うエレポップみたいなもの中で,祖父の死でルーツ回帰してしまう「ヴァランタン」(1曲め)、ガキの頃の自転車競争で事故った思い出「ディナモ」(6曲め。自転車なのでどことなくクラフトワーク"Tour de France"みたいなバックトラックが妙におセンチで)などスラムものが私にはやはり一番しっくりくるようです。そしてアルバムタイトル曲の14曲め「シャトー・ルージュ」は、ジェラール・ジュアネスト(ジャック・ブレルのピアニスト,ジュリエット・グレコの夫)との再会で,ジュアネストのピアノ(作曲はジュアネスト自身)を伴奏にした12分の散文詩(叙事詩)リーディングです。雨の音やドアのしまる音や往来の音,想像したら簡単に絵が見えてしまうラジオドラマのような、懐かしくも情感も語彙も豊かな詩人の世界。絶対これが本領でしょうに、と納得させるための曲でしょうか。それとも「俺は何も変わっていない」という証拠を残したかったんでしょうか。

<<< トラックリスト >>>
1. VALENTIN (Abd Al Malik / Bilal)
2. MA JOLIE (Abd Al Malik / Wallen)
3. MISS AMERICA (Abd Al Malik / Bilal)
4. MON AMOUR feat. Wallen (Abd Al Malik / Wallen)
5. LE MEILLEUR DES MONDES / BRAVE NEW WORLD feat. Primary 1 (Abd Al Malik, Primary 1 / Bilal)
6. DYNAMO feat. Ezra Koenig (Abd Al Malik, Ezra Koenig / Wallen)
7. CENTRE VILLE (Abd Al Malik / Wallen)
8. GOODBYE GUANTANAMO (Abd Al Malik / Bilal)
9. NEON feat Mattéo Falkone (Abd Al Malik, Mattéo Falkone / Bilal)
10. WE ARE STILL KINGS (Abd Al Malik / Wallen)
11. ROCK THE PLANET feat. Cocknbullkid (Abd Al Malik, Cocknbullkid / Wallen)
12. SYNDI SKA LISTE (Abd Al Malik / Wallen)
13. GROUND ZERO (ODE TO LOVE) feat. Papa Wemba (Abd Al Malik, Papa Wemba / Wallen)
14. CHATEAU ROUGE (Abd Al Malik / Gérard Jouannest)

Abd Al Malik "CHATEAU ROUGE"
BARCLAY / UNIVERSAL FRANCE CD 2753875
フランスでのリリース:2010年11月8日


(↓アルバム『シャトー・ルージュ』のティーザー)


PS : 12月4日
2010年11月9日、パリ・ゼニットでのアブダル・マリック "Ma Jolie"。アコースティック・ギターにテテ。

2010年11月10日水曜日

月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月



VERONIQUE SANSON "PLUSIEURS LUNES"
ヴェロニク・サンソン『月がとっても多いから』


 月が複数に見えるのは、酩酊状態のことでしょう。私はそう解釈しました。アルコール(またはその他)なしで酩酊は可能か、というと、それは可能でしょう。5年前のアルバム『ロング・ディスタンス』の頃,ヴェロさんは重度のアルコール中毒から抜け出すために、非常に苦しんでいました。当時のインタヴューでそれを救ってくれたのは、息子のクリストファー・スティルスだったということを何度も言ってました。
 『ロング・ディスタンス』はそういう時期(おまけに、現代医学では手のほどこしようがない血液の病気を宣告された時期でもありました)の、たくさんの人たちに支えられたアルバムでした。詞も曲も半分は人に書いてもらっていて、ヴェロさんの曲よりもジャン=ノエル・シャレアの曲の方が「ヴェロニク・サンソン風」だったり、という不満もややありました。
 そのたいへんな時期から5年を経て,ずいぶん変わったでしょう。今年ヴェロさんは61歳になりました。その間に2010年春のヒット映画『輝くものはすべて』(TOUT CE QUI BRILLE)の中でヒロイン二人に歌われたヴェロさん1973年の曲"Une drole de vie"が若い人たちの間でヒットして、(後年はどうでも)1972-73年頃のヴェロニク・サンソンというのはメロディーとリズムがふんだんに溢れ出ていたすごい才能だったのだ,ということを人々に再認識させたのでした。
 そうなんですよ。多くのヴェロニク・サンソンのファンたちと同様に、私も72-73年頃のヴェロさんが最高だと思ってますし、あの頃のヴェロさんというのはもう帰ってこない、というのを悔やんでいるのです。
 
 アルコールなし。それでも酩酊しているヴェロニク・サンソン。新アルバムはそんな意味だと思います。
 制作の経緯を見ますと、最初に2009年夏からトリエル・シュル・セーヌの自宅にミュージシャンを招集して、真ん中にピアノを置き,バジル・ルルー(ギター)、ドミニク・ベルタム(ベース)、ロイック・ポンチュー(ドラムス)、メーディ・ベンジェルーン(キーボード,コーラスアレンジメント)などが見守る中で、1曲1曲ダイレクトに作詞作曲していったそうです。籠るのではなく,友人たちに囲まれた状態で曲作りをしたわけです。一人でなくて,チームでやろう、という姿勢が,アルバムの統一感に大きな効果があったようです。
 コンピューターなどの手を借りずに、昔ながらの方法でひとつひとつ曲を仕上げたわけです。みんなでわいわい話しながら。
 『ロング・ディスタンス』に比べたら,たくさん曲を書いてます。14曲中,自分が作詞作曲に関わっていない曲は3曲しかありません。姉ヴィオレーヌ・サンソン=トリカールの曲「私を許して QU'ON ME PARDONNE」(4曲め)は、ヴィオレーヌがジョニー・アリデイのために書いた曲ですが、ジョニーから拒否されたのだそうです。なにか人生の終わりを感じさせる歌です。10曲め「すべてはそれ次第 TOUT DEPEND D'ELLE」も、この"それ(ELLE)"は、"死神(LA MORT)"なのです。死と隣合わせに今日を生きているヴェロさんの胸の内でしょう。
 そういう歌は少数派で,1曲めのサルサ仕立ての「夜には待ってもらって LA NUIT SE FAIT ATTENDRE」から、なにかあの頃のメロディーの宝箱だったヴェロさんが帰ってきたかのようなうれしさです。あの「うなり歌唱」だけはなんとかならないものか、と思うムキも多いでしょうけど、5曲ぐらいで登場しますが大目に見てください。あれがなければヴェロさんじゃなくなっちゃいますし。もう高音域の声は出ませんが,音符数の多い歌ばかりです。デビュー当時はガーシュウィンと比較されたメロディストでしたから。
 13曲め「地平線奪い VOLS D'HORIZONS」は、1989年の「アッラー」に続いて,イスラム原理主義へのプロテスト・ソングです。やる気あるなあ。
 そりゃあ72-73年のヴェロさんではありません。しかし『ロング・ディスタンス』よりは格段に「ヴェロニク・サンソン風」になっています。酩酊,陶酔は、来年2月のオランピアの時にヴェロさんと共にしたいと思ってます。私は一生ヴェロさんのファンですから。

<<< トラックリスト >>>
1. LA NUIT SE FAIT ATTENDRE (V.SANSON)
2. JE VEUX ETRE UN HOMME (V.SANSON / M. BENJELLOUN)
3. PAS BO PAS BIEN (V.SANSON, M. BENJELLOUN, D. BERTHAM / V.SANSON)
4. QU'ON ME PARDONNE (VIOLAINE SANSON-TRICARD)
5. CLIQUES CLAQUES (V. SANSON)
6. JUSTE POUR TOI (V.SANSON / M. BENJELLOUN)
7. SALE P'TITE MELODIE (V. SANSON)
8. SI TOUTES LES SAISON (V. SANSON)
9. SAY MY LAST GOODBYE (duet with CHRISTOPHER STILLS) (C.STILLS)
10. JE ME FOUS DE TOUT (V. SANSON / C. STILLS)
11. YAYABO (aka YAYAVO) (A SANCHEZ REYES)
12. TOUT DEPEND D'ELLE (V. SANSON)
13. VOLS D'HORIZONS (V.SANSON / V.SANSON, M.BENJELLOUN)
14. AAH... ENFIN ! (instrumental) (V.SANSON)

VERONIQUE SANSON "PLUSIEURS LUNES"
WARNER MUSIC FRANCE CD 2564678504
フランスでのリリース 2010年10月25日


(↓1曲め"LA NUIT SE FAIT ATTENDRE")



PS:
国営TVフランス2のCDプロモ番組"CD'AUJOURD'HUI"(10月27日)の画像がYOUTUBEに公開されていて,そのヴェロさんの説明では、アメリカンインディアンの表現では「月」(MOON)は「月」(MONTH)と同じで,(これは日本語でも同じだ!)、この空に浮かぶ月と、30日の月が同じ言葉というのをポエティックと思ったらしいのです。アルバムを何ヶ月も何十ヶ月も作らずにいたということを「たくさんのお月様」と言ってみた、というわけです。この説明,つまんないですね。

2010年11月8日月曜日

最後に愛は勝つ



ARESKI BELKACEM "LE TRIOMPHE DE L'AMOUR"
アレスキー・ベルカセム 『愛の勝利』


 (これから12月末までのカテゴリー<<新譜を聞く>>はすべて今年のベストアルバムですから)

 ブリジット・フォンテーヌの伴侶にして「共犯者」のアレスキー・ベルカセム(70歳)の40年ぶりのソロアルバムです。40年に2枚のアルバムを作る。どうして急に? という質問には,それまで作ろうという気がなかっただけで,なんとなく楽しそうだから,作る気になった,というような,この朴訥で「なんとなく」な人柄をよく伝える理由をぼそっと言ったりします。
 この人,ヴェルサイユで生まれてるんです。信じられないでしょ? 単にこの「生地」のことだけでも,アレスキーという謎めいた人の意外性を浮き出させますよね。どこで生まれたの? - 「ヴェルサイユ。」 - ええぇっ!? となりますよね。
 この人,ちゃんとコンセルヴァトワールで音楽を学んでいて,ミュージシャンとしてデビューしているんですね。これも意外ですよね。なんとなく学ばなくても生まれた時からのほほんとした音楽を身につけていたような感じがするのです。
 すごい偏見ですかね。ブリジット・フォンテーヌは少女の頃から岸田今日子みたいだったはず,という偏見と同じですね。
 優しい前衛,人肌の温度の前衛,アレスキー/フォンテーヌの持つヒューマンなイメージって一体何だったんだろうか,という問いへの答がこの70歳アレスキーのアルバムにわかりやすく展開されているように聞きました。
 だって,このアルバムを聞かなければ,ブリジット・フォンテーヌのレパートリーの多くがシャービを土台にしていた,なんてこと気がつきませんでしたよ。これはもうシャービなんて言葉じゃなくても,70年代からこの人たちとつきあっているうちに染み込んでしまったわれらが内なるオリエント/アラブ・アンダルーズなんだなあ,と思いました。
 夫唱婦随,ブリジットと同じような抑揚で,同じような声で,同じようなエモーションで歌うアレスキー・ベルカセム。実はリーダーシップはこっちだったんだなあ,と納得する11曲。ほとんどスタジオライヴ状態で録音された,とライナーに書かれていますが,演っている人たちが実に良い音を出してます。マルセル・ロフルールのアコーディオン/バンドネオン,ヴァンサン・セガル(ブンチェロ)のチェロ,ディディエ・マレルブ(ゴング)の笛,ハキム・ハマドゥーシュのマンドリュート,ヤン・ペシャンのディストーション・ギター...みんなアレスキー節を演るためにミュージシャンになったような感じの音ばかり出すんですよ。すごいなあ。老成した音楽ばかり。アレスキーが磁場を作っているのですねえ。10曲めの幻覚トリップの詩"CE SOIR-LA"のサウンドデザインをジャン=フィリップ・リキエルがしてるんですが,なんともサイケデリック。ああ,われらがセヴンティーズという感じがします。
 そして最終曲のフォンテーヌ作詞の「愛の勝利」。勝利しちゃってますよぉぉぉ。

<<< トラックリスト >>>
1. MAGICIEN MAGICIENNE
2. L'AIR DE RIEN
3. LES FRAISES
4. LE ROCKER
5. SALOME
6. LA SEINE
7. LES BABOUCHES
8. LE BILLET
9. ON N'A QU'A DIRE COMME CA
10. CE SOIR-LA
11. LE TRIOMPHE DE L'AMOUR

ARESKI BELKACEM "LE TRIOMPHE DE L'AMOUR"
CD UNIVERSAL CLASSICS & JAZZ FRANCE 4764135
フランスでのリリース:2010年10月25日


(↓ 2010年10月26日,パリ,カフェ・ド・ラ・ダンスでのアレスキーのライヴの一部)

Areski Belkacem live
envoyé par OffTVUniversalMusic. - Regardez plus de clips, en HD !

2010年11月3日水曜日

日本人に生まれた娘



 10月の最終週に家族で日本に一時帰国してました。そのうち3日間は妻子は大阪で過ごし,その間私は東京で仕事の打合せなどをしていたのですが,娘は1日だけひとりで大阪から阪急電車に乗って京都へ。娘が赤ちゃんだった頃からわが家と親しくしている京都在の女性,理佐さんが娘を嵐山に案内してくれたのでした。
 1996年6月から主宰していたウェブサイト「おフレンチ・ミュージック・クラブ」の更新第2回目(つまり1996年7月)に,初めてブーローニュのわが家を訪れた理佐さんが,積み木で遊んでいる娘と一緒に写っている写真が掲載されたのでした。そうかぁ...。もう14年以上のつきあいかぁ...。理佐さんも,私も歳とりましたが,娘はどんどん成長し,今年は16歳になり,リセに通う青春まっ只中のマドモワゼルです。耳にはピアス,指爪にはマニキュア,顔にはメイク...。赤ん坊の時からフランスで育った娘ですから。
 日仏二つの文化を吸収して育ったとは言え,圧倒的に強いのはフランスで,日本はこうやって年に一度帰国して得られるものを「外人」のように吸収しているにすぎません。日本語は週に2時間の日本語補習校の授業だけでは,16歳の今でも小学5年の国語教科書についていくのがやっとです。コレージュ(中学)の社会の授業では,2年続けて率先して日本についての研究発表をするほど,日本への思いは強いのでしょうが,娘の思う日本はフランスがイメージしている日本に近いのかも,と思う時があります。その局面局面においては,私はフランス人が思い描くほど日本は良い国ではない,と思う時がありますし,逆にフランス人がその非を指摘するような悪い国でもない,と思う時もあります。私の目が客観的であるとは絶対に言えないのですが,娘にはフランス人の視点や評価を鵜呑みにすることがないように,また何が何でも「日本よいとこ」に帰結させようとしないように,きちんとした批判精神を備えてほしいものだと願っています。ただ,アイデンティティー的な不安定はどうするのか,ということを考えると,両文化の間に宙ぶらりんの状態の娘は,自分で解決がつけられるのか,と不安になることもありましょう。
 そういうことを日頃思っていた時に,この写真です。理佐さんのはからいで,嵐山で3時間かけて「舞妓さん」に変身した娘です。アイデンティティー問題なんかぶっ飛んでしまって,本当に「おまえは日本人の娘に生まれてよかった」と祝福したい思いです。おまえは日本人の娘として美しい,と。私がこういうこと書いてはいけないのだけれど,私の娘は美しい日本人の娘だ,と。顔からも姿からも日本の美が浮かび上がってくるではないですか。
 ほんのつかの間のことですが,娘は「日本の美」と化してしまったのです。夢のような時間だったそうです。こういう夢の機会を与えてくれた理佐さんに感謝。娘には一生忘れられない体験でしょう。
 外国人観光客たちが寄ってきて,一緒に写真撮ってもいいか,なんて聞いてくるんですね。その中にフランス人たちもいて,娘が(ネイティヴな)フランス語で受け答えするもんだから,フレンチーたちはびっくりですわね。娘の得意そうな顔を見たかったです。

(↓理佐さんが撮ってくれた『メイキング・オブ』の一部)
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