2010年6月30日水曜日

カバにするでない



チン・ナ・ナ・プーン『オーカバもん』
Chin Na Na Poun "Au Cabanon"


パトリック・ヴァイヤン(エレクトリック・マンドリン,メロディカ,ヴォーカル)
マニュ・テロン(ヴォーカル,パーカッション)
ダニエル・マラヴェルニュ(チューバ,バリトン,ヴォーカル)


Cabanon (カバノン)男性名詞 1.(やや古)小さな掘っ立て小屋。2.(プロヴァンス地方の海辺の)小別荘。3.(やや古)(刑務所の)独房;(狂人の)拘禁室。
 (大修館新スタンダード仏和辞典)

 なんていう意味を無化するように,裏ジャケットのイラストには買い物バッグ(= cabas カバ)に大きなバッテンをつけて,「カバ禁止」つまり「カバ=ノン」とダジャレています。このイラストによるダジャレは表ジャケットも同様で,ワイングラスがふたつというイラストの横に「Chin チン」(乾杯を意味する仏語慣用表現は Tchin-Tchin チンチン),男がまさに接吻せんとしている若い娘のイラストの横には「Na Na ナナ」(若い娘を意味する仏俗語は nana ナナ),そして一個のリンゴのイラストの横には「Poun プーン」(リンゴを意味する仏語は pomme ポム)というふうに,やや苦しくはありますが「チンチン」「ナナ」「ポム」というイラストで「チン・ナナ・プーン」と読ませようとしているのです。
 くだらないと言えばくだらない。怒る人は「カバにすな!」と反応するかもしれない。なんですが,一癖も二癖もあるこの人たちとつきあうというのは,この冗談ともつきあわないと全然楽しめないのですよ。
 南仏モンペリエのチューバ吹き,ダニエル・マラヴェルニュ,南仏ニースのマンドリン弾き,パトリック・ヴァイヤン(メロニウス・クワルテット),南仏マルセイユの超ヴォーカリスト,マニュ・テロン(ルー・クワール・デ・ラ・プラーノ)による,冗談込みの実験的オクシタントリオです。チン・ナナ・プーンは2006年にDaquiレーベルからマルセイユのオック語詩人/作詞作曲家ヴィクトール・ジェリュへのオマージュ・アルバムを発表しています。
 それぞれの分野でクセのある手法で音楽に取り組んできた3人だけあって,クセとクセが激突したりズレたりすることもあるのですが,そのスリリングな関係を和声的に統率しているのは,パトリック・ヴァイヤンの編曲の妙のように思います。高音域の弦楽器がチンと鳴り,低音域の金管楽器がプーンと響き,その真ん中でマニュのヴォーカルが「ナナナ...」と陽気なイタリア人のように歌い上げますが,時々3人がハチャメチャになって乱闘的インタープレイをするというのが,このトリオの文殊の知恵です。
 レパートリーはイタリア民謡,イタリア抵抗歌,オック語シャンソン,ポール・ヴェルレーヌ詩/ガブリエル・フォーレ作曲の「牢獄」,ブールヴィルの歌で知られるミュゼット・シャンソンのスタンダード「C'était bien - Le petit bal perdu」,ボリズ・ヴィアン作の「原子爆弾のジャヴァ」など。表題曲の「オー・カバノン」はマニュ・テロン作詞/パトリック・ヴァイヤン作曲のオック語曲ですが,TGVが通ったせいで,パリ圏から大挙してマルセイユに押し寄せてきた中央の成金どもが,カバノン(この場合はプロヴァンス地方の海辺の小別荘の意味)の売買によってマルセイユの不動産利権を掌握し,政界を巻き込んで,力づくでもともとのマルセイユ人たちを追い出し,自分たちの好き勝手できる町に変えてしまった,というプロテスト・ソング。マルセイユをカバにするでない,と怒っているのです。

<<< トラックリスト >>>
1. VURRIA FARI UN PALAGGU (ROSA BALISTRELI)
2. C'ETAIT BIEN - LE PETIT BAL PERDU (R.NYEL/G.VERLOR)
3. AU CABANON (M.THERON / BIBAL, P.VAILLANT)
4. ROCIO (RAFAEL DE LEON / MANUEL QUIROGA)
5. JAN TRESPASSA (GELLU/P.VAILLANT)
6. CANNETELLA (annonyme)
7. LUNITA NUEVA (BOBBY CAPO)
8. PRISON (PAUL VERLAINE/GABRIEL FAURE)
9. LA JAVA DES BOMBES ATOMIQUES (BORIS VIAN / ALAIN GORAGUER)

CHIN NA NA POUN "AU CABANON"
BUDA MUSIQUE CD 860190
フランスでのリリース:2010年7月


(↓)2010年4月29日マルセイユのシテ・ド・ラ・ミュージックでのアルバムお披露目コンサート

2010年6月23日水曜日

Do you believe in magic ?



 『手品師』"L'ILLUSIONNISTE" 2006年制作フランス,アニメーション映画
 監督シルヴァン・ショメ 原作ジャック・タチ
 フランス封切:2010年6月16日


 6月22日(火曜日)の夕方5時の回に見ました。付帯状況を説明しますと,W杯決勝リーグA組最終戦,フランス対南アフリカ共和国が開始されて前半で耐えられなくなって,映画館に飛び込んだというのが実情です。この映画の中でも,少女アリスが若い男と仲良く腕組みながら歩いてくるのを見た手品師が,たまらくなって通りにあった映画館に飛び込むとその中でジャック・タチの『ぼくの伯父さん』が上映されているというシーンがあります。耐えきれなくなったり,たまらなくなったりして飛び込んだ場所が映画館という経験,あなたありませんか?
"LES TRIPLETTES DE BELLEVILLE"(日本題『ベルヴィル・ランデブー』)のシルヴァン・ショメの大作アニメ,第2弾です。ジャック・タチの未発表シナリオが原作です。
 1950年代,パリではミュージックホール全盛時代が終わり,そのスターであった手品師,腹話術師,軽業師,道化師などが喰えなくなり,地方へ外国に旅に出て出番を探すようになります。海峡を渡り,ロンドンに行くものの,劇場はロックンロール時代を迎え,手品がロックンロールに太刀打ちできるわけがありません。初老の手品師タチチェフ氏は仕事を求めてさらに北上し,スコットランドの離れ小島のたどり着きます。この離れ小島に初めて電気の灯がともる,という記念パーティーの余興ショーマンとして出演し,大喝采を受けます。泊まった島の宿屋で出会った貧しいメイドの少女アリスは,この初老の芸人に「魔法使い」を見ます。すべての夢を叶えてくれる魔法使いのように見えたのです。手品師はこの無垢な少女の前で,最初は手品はタネのあるごまかし(「passe-passe パスパス」,やがて少女は男を"パスパス"と呼ぶようになります)にすぎないと説明しようとするのですが,少女は魔法を信じていて,男は徐々に少女の魔法使いの役を演じるようになります。島を離れ,スコットランドの都会,エジンバラに移ってきた手品師は,彼についてきた少女を優しく保護し,その願い(服がほしい,靴がほしい...)を次々に叶えてやりますが,それは魔法ではなく,少女の見えないところでガレージで働いたり,ペンキ塗りをしたりして小銭を稼がねばならなかったのです。
 売れなくなった手品師の仕事の惨めさや貧しさにも関わらず,少女と男の魔法のように美しい時間が,50年代スコットランドのすばらしい風景とエジンバラの美しい街並の中で展開します。ところが,時は経ち,少女は大人になっていくのです。優しい若者と出会い,少女は恋に落ちます。手品師の「魔法」が必要でなくなる時が来たのです...。
 このアニメ映画は,セリフがほとんどなく進行します。手品師タチチェフ氏はフランス語を話し,スコットランドの人たちは英語を話し,少女アリスはゲール語しか話しません。言葉による理解を全く必要としない映画です。少女と手品師はコミュニケーションなしで,危うくも純粋な交感を成り立たせているように見えます。このアニメ映画のポエジーは,言葉がないゆえに絵だけで浮かび上がってくるポエジーなのです。
 しかしこの絵...。最初から最後まで,どの絵を見ても,どの構図を見ても,あらゆる画面から詩情が直撃してくるような場面ばかりです。これは私たちの古いヨーロッパが持っている何かかもしれません。雨降る北ヨーロッパの灰色基調の薄暗い風景が持っている何かでもありましょう。蒸気機関車と煙草が画面を煙たくしています。そういう優しい濁りが,この映画の隠し味のように見ました。


(↓"L'Illusionniste" 予告編)

2010年6月16日水曜日

全世界で18万人



 2010年6月,世はどちらを見てもサッカーW杯。私が定期購読している数少ない雑誌(実際には2誌のみ。週刊テレラマと...)のひとつロック&フォーク誌の最新号も表紙はこれです。中に「ロックとサッカー」という特集記事もありました。ロック&フォークはフランスの中高年向けのロック誌です。レ・ザンロキュプティーブル誌の読者層が25-35歳であるのとは対照的に、60-70-80年代にリアルタイムで往時のロックを聞いていた人たちが読む雑誌です。老人の戯言と言わば言え,若い衆にはわかるまいに、というエディトリアル・ラインがはっきりしています。
 編集長のフィリップ・マヌーヴルは、2年前から民放TV局M6のスタ誕番組「ヌーヴェル・スター」で審査員をしていて,メジャーマスコミでの露出度が俄然アップした男ですが,私と同年同月生まれの55歳(数日後に56歳)です。最初にロック&フォークに記事デビューしたのが1973年のことで、イギー&ストージーズ"Raw Power"を論じています。ローリング・ストーンズをこよなく愛し,ミッシェル・ポルナレフの自伝本『ポルナレフによるポルナレフ』(グラッセ社刊2004年)には共著者として名を連ねるほどポルナレフと密接な関係にあります。テレビではずいぶんとテレビ向けのサービスをしますが(つまりアホなこともずいぶん言いますが)、同世代ということもあってマヌーヴルの言うことはよくわかり,共感する部分が多いです。
 月刊誌ロック&フォークは毎号最初のページがマヌーヴルの巻頭論説です。今月はこういう時期でこういう表紙なので、マヌーヴルもロックとサッカーの関係について書いています。ロックがスタジアムを埋めるようになってから,ロックとサッカーは同じ運命を辿るようになったのか、ということにマヌーヴルは苛立ちます。両者の世界,両者のシステム,両者のフィロゾフィーは全く異なるのだ、と言います。今日ロックやポップのスターたちがスタジアムを埋めようが、その影にある危機的状況は隠しきれるものではない、という続きをもってきます。以下そのまま訳してみます。

 昨今,フランスのシングルチャートでは1週でたったの4500枚しか売っていないものが1位になる。この数字は今日もなおどうしてCDを出し続けるのかを真剣に考えさせるものだ。また,ビルボード誌がレコード産業危機の被害者数を推定している。それによるとこの地球上で,少なくとも18万人の人間が職を失い,解雇されるか早期退職を余儀なくなれたことになっている。これは多くの工場が閉鎖されたことでもある(そして多くの少女たちが街頭の立ちん坊になったことでもある)。しかし,この信じられない数字を、誰も論じようとはしないのである。どこにもこのことはコメントされていないのだ。きみたちはここからどんな結論を引き出そうが勝手だが、スタジアムへ向かう道途中で考えてほしい。

 私はフィリップ・マヌーヴルを抱きしめたい気持ちです。