2010年11月30日火曜日

こんな寒い日にノワール・デジールが解散した


 
 2010年11月29日,ギタリストのセルジュ・テッソ=ゲーが脱退表明。ヴォーカリスト,ベルトラン・カンタとの「情動的、人間的、音楽的な不一致 désaccords émotionnels, humains et musicaux」が原因と言いました。それに加えてセルジュはこの数年間にバンドの中に存在した「ある種の露骨な感情 un sentiment d'indécence」という言葉も使っています。おそらく獄中および出獄後のベルトランの挙動に、もう理解不能のものを見ていたのだ,と解釈できます。
 この時点でメディア(ラジオ,新聞雑誌のインターネット速報サイト等)は、もうノワール・デジールの最後を予告していました。単にギタリストの脱退ではなく、バンドがもう立ち行かないことは明白だったようです。
 翌日11月30日,ドラマーのドニ・バルトが、他の二人(ベルトラン・カンタとベーシストのジャン=ポール・ロワ)の意向をも代弁する形で、3人からの正式発表として開口一番「Noir Désir, c'est terminé ノワール・デジールは終わった」と告げたのでした。「明白でない理由のために、人工心肺を使ってノワール・デジールを延命させることは不可能だ」と。
 
 まだまだ冬は始まったばかりで,おまけにフランスが11月としては記録的な寒さに襲われている2010年11月末,こんな日にノワール・デジールが解散しました。
 今から1週間ほど前に発売されたラティーナ12月号に、私は、ベルトラン・カンタはやっとこさ再始動したが,ノワール・デジールは復活できるのか、という記事を書きました。ノワール・デジールは2年前から「新アルバム準備中」という、言わばネットでよく見る「under construction」看板のような状態がずっと続いていました。曲はできているのに、詞が書けない。ベルトラン・カンタはまだ作詞できる状態に戻っていない(これは一生戻らないかもしれない)。この事情は拙稿上で長々と書きましたが、トランティニャン家のプレッションや内的な精神葛藤で、自分の根っこに関わることを語ったり,詞として表現することを封印してしまったのなら、バンドは何を歌うのか、何を表現するのか。みんな考えたでしょうけど、バンドとしてやることはもうないと決めたのですね。
 こういう時にも(今日現在までの時点ですが)、ベルトラン・カンタが一言もコメントできない、というのが痛々しいです。

(↓11月30日、BFM TVで流れたノワール・デジール解散のニュース)

La fin du groupe de rock Noir Désir
envoyé par BFMTV. - L'actualité du moment en vidéo.



PS1 : 12月1日。今朝のリベラシオン紙の第一面。見出しは「崩れさるノワール・デジール Noir Désir sombre 」。

2 件のコメント:

さなえもん さんのコメント...

ごめんなさい、まだラティーナ未読です。
ただ、ノワール・デジールの解散がショック
って言うよりも
ベルトラン・カンタが他のメンバーから
理解されなくなってことが悲しい。
苦難を乗り越えてきたカンタ、
メンバーからこんな声明出されたら彼の
精神状態がまたおかしくなるんではないか?という心配もあります。

私はエッフェルのライブ登場のはじけっぷりが
不自然な感じに思えてきました。
あの頃から何かあったのかしら。

Pere Castor さんのコメント...

バンドは辛抱強く7年間待っていたんだと思いますよ。1月に自殺したクリスティナ・ラディ(元妻)だって、ずっと堪え忍んで待っていたと思います。
一体何を待っていたのか、というと、枯渇したベルトラン・カンタが元に戻ること、これに尽きると思うんです。
セルジュが切れたのは、周囲のその「耐え難きを耐え」を無視するかのように、「ロックスター」復帰を急いだことが大きく原因していると思います。ノワール・デジールは枯渇したままのカンタの、言わばナツメロスターにしかなりようのないカンタのバックバンドに成り下がるのか、ということに「否」をつきつけたのだと思います。7年前からの(数少ない)セルジュのコメントは、ベルトランを支えるものばかりでしたし。