2010年11月3日水曜日

日本人に生まれた娘



 10月の最終週に家族で日本に一時帰国してました。そのうち3日間は妻子は大阪で過ごし,その間私は東京で仕事の打合せなどをしていたのですが,娘は1日だけひとりで大阪から阪急電車に乗って京都へ。娘が赤ちゃんだった頃からわが家と親しくしている京都在の女性,理佐さんが娘を嵐山に案内してくれたのでした。
 1996年6月から主宰していたウェブサイト「おフレンチ・ミュージック・クラブ」の更新第2回目(つまり1996年7月)に,初めてブーローニュのわが家を訪れた理佐さんが,積み木で遊んでいる娘と一緒に写っている写真が掲載されたのでした。そうかぁ...。もう14年以上のつきあいかぁ...。理佐さんも,私も歳とりましたが,娘はどんどん成長し,今年は16歳になり,リセに通う青春まっ只中のマドモワゼルです。耳にはピアス,指爪にはマニキュア,顔にはメイク...。赤ん坊の時からフランスで育った娘ですから。
 日仏二つの文化を吸収して育ったとは言え,圧倒的に強いのはフランスで,日本はこうやって年に一度帰国して得られるものを「外人」のように吸収しているにすぎません。日本語は週に2時間の日本語補習校の授業だけでは,16歳の今でも小学5年の国語教科書についていくのがやっとです。コレージュ(中学)の社会の授業では,2年続けて率先して日本についての研究発表をするほど,日本への思いは強いのでしょうが,娘の思う日本はフランスがイメージしている日本に近いのかも,と思う時があります。その局面局面においては,私はフランス人が思い描くほど日本は良い国ではない,と思う時がありますし,逆にフランス人がその非を指摘するような悪い国でもない,と思う時もあります。私の目が客観的であるとは絶対に言えないのですが,娘にはフランス人の視点や評価を鵜呑みにすることがないように,また何が何でも「日本よいとこ」に帰結させようとしないように,きちんとした批判精神を備えてほしいものだと願っています。ただ,アイデンティティー的な不安定はどうするのか,ということを考えると,両文化の間に宙ぶらりんの状態の娘は,自分で解決がつけられるのか,と不安になることもありましょう。
 そういうことを日頃思っていた時に,この写真です。理佐さんのはからいで,嵐山で3時間かけて「舞妓さん」に変身した娘です。アイデンティティー問題なんかぶっ飛んでしまって,本当に「おまえは日本人の娘に生まれてよかった」と祝福したい思いです。おまえは日本人の娘として美しい,と。私がこういうこと書いてはいけないのだけれど,私の娘は美しい日本人の娘だ,と。顔からも姿からも日本の美が浮かび上がってくるではないですか。
 ほんのつかの間のことですが,娘は「日本の美」と化してしまったのです。夢のような時間だったそうです。こういう夢の機会を与えてくれた理佐さんに感謝。娘には一生忘れられない体験でしょう。
 外国人観光客たちが寄ってきて,一緒に写真撮ってもいいか,なんて聞いてくるんですね。その中にフランス人たちもいて,娘が(ネイティヴな)フランス語で受け答えするもんだから,フレンチーたちはびっくりですわね。娘の得意そうな顔を見たかったです。

(↓理佐さんが撮ってくれた『メイキング・オブ』の一部)

2 件のコメント:

さなえもん さんのコメント...

じーんとしました。
お着物とマニキュアと山の緑も美しい。
娘さん、本当に美しい女性になりましたね。
びっくりです。

Pere Castor さんのコメント...

気がついた? この場合、やっぱりマニキュアはまずいと思うのだけれど...