2010年4月15日木曜日

レイニー・デイズ・ウーマン(雨の日の女)

FRANCOISE HARDY "LA PLUIE SANS PARAPLUIE"
フランソワーズ・アルディ『傘がない』


 自称フランソワーズ・アルディ研究家のはしくれでありながら,入手がずいぶん遅れました。2月頃からFMでカロジェロ作の"NOIR SUR BLANC"がオンエアされだした時点で,この若返り,このポップ回帰,このヒット性はただものではない,と多くの人たちが色めきだっていました。一時の死にそうな顔をしていた頃に比べれば,今はテレビに出ても,まるで娘ッ子のようにキャッキャ笑っていて,あたかも別人として蘇生したような血色の良さです。
 フランソワーズ・アルディの通算26枚目のスタジオアルバムです。ガンで死ぬことを覚悟して作ったアルバム"TANT DE BELLES CHOSES"(2004年,売上22万枚),そのあとデュエットによるカヴァーアルバム"PARENTHESES"(2006年,売上21万枚)。そこから今度のアルバムまでに何が変わったかと言うと,かの自伝本『猿たちの絶望』(2008年)の発表がありました。この人はこの本の前と後では全然違うはず,という確信が私にはあります。
 そのデビュー時から,フランソワーズ・アルディには「メランコリー」「アンニュイ」という枕詞がついてまわりました。私は不幸ではないが,幸せだったことなどない。この「幸せでない」ということはどうしてなのか。その内省を自分の過去の事実と共に(ほとんど)すべてを「公の場」に出した,というのがあの長大な自伝本でした。幸せでない自分の証しでした。
 例えば「歌う」という行為にしても,本当に歌うことが好きで歌っていた,という時期が極端に少ない。人前で歌うということが拷問のように思われて,68年にステージ引退したあとも,スタジオ録音でプロデューサーと喧嘩したり,いやな曲を歌わされたと後悔したり,このアーチストはしょっちゅう「いつになったらこの歌手という苦行から解放されるのか」と考える傾向がありました。
 なぜ歌うのか。さまざまな理由のうちの大きなものに,実は稼ぎの悪い身勝手な亭主(ジャック・デュトロン)のせいだった,ということがこの自伝本から浮かび上がってきます。亭主の好き勝手を許す稼ぎはフランソワーズが取らなければならなかった。フランソワーズは経済的に一家のアルディだった。好きな歌も嫌いな歌も歌って,プロモーションでテレビに営業スマイルを振りまいて...ということが嫌で嫌で,というフランソワーズの姿がこの本にたくさん登場します。そうやって貢いでいた亭主が,これほどの献身にも関わらず,あちらに揺れ,こちらに揺れの自由人。これは不可能な愛なのです。Amour impossible。ブラッサンス曲のカヴァーで自ら歌ったように,幸せな愛などないのです。だからそういう歌ばかり歌い,公私の場でメランコリックでアンニュイな姿を見せることになったのです。
 で,この自伝本はそういう過去に落とし前をつけることに成功したんだ,と私は見ています。
 2009年初頭から制作に入ったこのアルバムは,同じメランコリー,同じアンニュイのフランソワーズ・アルディながら,重く鬱々とした歌などないし,リズムもあるし...。2009年の大半は人から送られてきたデモばかり聞いていたそうです。フランソワーズ・アルディに歌ってもらいたい,というプロの人たちはこの世にゴマンといるわけですが,その中の意外な人のひとりにジャン=ルイ・ミュラがいて,ミュラは4曲も送ってきたそうです。その中の1曲の英語曲の"Memory Divine"をアルディがチョイス,そしてミュラのプロデュースで録音するんですね。
 こうやって他人曲を選んでいる間に,「ああ,今度は私の好きなフランソワーズ・アルディのアルバムが作れそうだなあ」と思ったそうです。アルディ作詞でない曲は3曲。前述のミュラの"Memory Divine",ラ・グランド・ソフィー作詞作曲の"Mister"(このミスターはジャック・デュトロンのイメージですね),そしてアルチュール・H作詞作曲の"Les mots s'envolenet"(階段メロディーの泣かせのワルツ)。
 その他にFouxi(フーシと読むのかな?)というドイツ出身の若い女性シンガー・コンポーザーがいて,彼女の曲"LA PLUIE SANS PARAPLUIE"(「傘のない雨」。オリジナルヴァージョンが DEEZER にあり)を聞いてぞっこん惚れ込んでしまったフランソワーズが,Fouxiの許可を得て詞を手直しして,アルバムタイトル曲として録音しています。アルバム中唯一のトリップ・ホップ寄りの曲です。
 あとは前作"TANT DE BELLES CHOSES"以来の共作曲者チエリー・ストルムレール,ベン・クリストファーズ,パスカル・ダニエル,それから90年代からずっとアルディのコラボレーターをしているアラン・リュブラノが作曲者としてクレジットされてますが,この人たちが「いつも通りのフランソワーズ・アルディ」の雰囲気を維持している感じです。
 しかし何と言っても,一発で耳から離れなくなる"NOIR SUR BLANC"を作曲したカロジェロとジョアキノの兄弟は偉いです。この1曲だけでもこのアルバム,「ポップスター」フランソワーズ・アルディが還ってきた,と思わせてくれます。アスパラガス・ダンスが目に浮かびます。
 総じて,2004年の"TANT DE BELLES CHOSES"以来,自分の楽しみで歌うことの楽しみ(おっとひどい重複表現だな)をどんどん取り戻していっているフランソワーズ・アルディが,メランコリーもまた楽し,という悟りの境地に達したような,余裕のアルバムですね。

<<< トラックリスト >>>
1. NOIR SUR BLANC (HARDY-PATRICK LOISEAU / CALOGERO-GIOACCHINO)
2. MIEUX LE CONNAITRE (HARDY / THIERRY STREMLER)
3. CHAMP D'HONNEUR (HARDY / ALAIN LUBRANO)
4. LA PLUIE SANS PARAPLUIE (HARDY-FOUXI / FOUXI)
5. LES PAS (HARDY / ALAIN LUBRANO)
6. LE TEMPS DE L'INNOCENCE (HARDY / ALAIN LUBRANO)
7. JE NE VOUS AIME PAS (HARDY / ALAIN LUBRANO)
8. ESQUIVES (HARDY / BEN CHRISTOPHERS)
9. MISTER (LA GRANDE SOPHIE)
10. MEMORY DIVINE (JEAN-LOUIS MURAT)
11. UN COEUR ECLATE (HARDY / PASCALE DANIEL)
12. L'AUTRE COTE DU CIEL (HARDY / PASCALE DANIEL)
13. LES MOTS S'ENVOLENT (ARTHUR H)

FRANCOISE HARDY "LA PLUIE SANS PARAPLUIE"
CD EMI MUSIC FRANCE 6276432
フランスでのリリース : 2010年3月29日

(↓ "Noir sur blanc"(TVショー、口パクライヴ)

2 件のコメント:

Tomi さんのコメント...

色々なサイトを通じて全曲をざっと聴くことができました。

腹筋使って歌わない人はどうも苦手なのですが、今度のフランソワーズは歌ってますよね(それも一生懸命に!)。
隠れカロジェロファンとしても嬉しいのですが、どちらかというと彼の曲よりLES PAS やLES MOTS S'ENVOLENT に耳が往ってしまいます。

私、きっと日本でもSONYが発売すると思って、待っているのですが、半永久的に”お預け”になってしまうのでしょうか。

ツシマさんのこのページ、20年以上のフランソワーズ好きな友人に紹介しておきます。

Pere Castor さんのコメント...

私は不幸な女だけれど、それでいいんだ。ジャック・デュトロンはダメな男だけれど、それでいいんだ。ー そういうことを人前に全部曝け出したから、この人は続けることができたんだと思っています。音楽アーチストと言う前に、この人の声の持つ深くなおかつ軽いメランコリーの色合いは、天が彼女に与えたものでしょう。18歳の時から、ず〜っとこれしかしていない、という一貫性が「憂愁のスーパースター」として結晶したのです。
今でも多くの作詞作曲者たちから無数のデモテープが捧げられるのは、この人が歌ったら、どんな歌でもFH印の憂愁がにじみ出るからでしょう。90歳になっても「憂鬱な少女」の歌歌えますよ、きっと。