2009年10月27日火曜日

ジャンゴ100年



Angelo Debarre + Boulou Ferré + Elios Ferré + Romane "DJANGO 100"
アンジェロ・ドバール+ブールー・フェレ+エリオス・フェレ+ロマーヌ 『ジャンゴ100』


 来年1月がジャンゴ・ラインハルトの生誕100周年にあたり、イヴェントや記念盤が目白押しです。ジャン=マリー・サラニ(JMS社。レーベル、音楽出版社、興行エージェント)は、こういうすごいメンツのギター四重奏団を組織して、ジャンゴ・トリビュートのスペクタクル(1時間45分)を立ち上げ、この11月から全国ツアーを開始しますが、このCDはそのスペクタクルのエッセンスを集めた12曲入りです。
 スペクタクルは4人で始まり、やがて5人目のギタリスト(ダヴィッド・ラインハルト)が加わり、次いで6人目のギタリスト(シュトケロ・ローゼンバーグ)が入り、また7人目のギタリスト(ノエ・ラインハルト)が登壇し...という感じでどんどんギタリストを増やしていき、フィナーレには100人のギタリストがステージに登って「マイナー・スウィング」を大合奏するという、大見せ場が待っています。このCDにはその100人版の「マイナー・スウィング」が、ヴィデオトラックとして収められています。
 ブールーとエリオスのフェレ兄弟は、ジャンゴの影武者的なギタリストだったジャン・"マトロ”・フェレの二人の息子です。そのマトロ・フェレも、バロ・フェレ、サラン・フェレと「フェレ3兄弟」としてフランスのジャズギターの黄金期を築きました。「ラインハルト」と「フェレ」はギタリストの屋号としては金看板ですね。とは言ってもお家芸を継いでいるだけではなく、オリヴィエ・メシアンに師事したり、フランク・ザッパと交流したり、というのが70-80年代にマヌーシュ・ギターを刷新する役目を負った第二世代のえらいところだったと思います。ラファエル・ファイス、ビレリ・ラグレーヌ、みんな火の出るようなギタリストだったですね。
 ロマーヌはトマ・デュトロンの師匠ですが、ショーマン的で先生的で、憎めないキャラのヴィルツオーゾです。それにひきかえアンジェロ・ドバールは電撃的で破天荒なイメージがありますね。この4人が四重奏団。まとめ役はロマーヌのような気がします。このCDでは曲目リストに、主題リードの順番、ソロパートの順番が名前で明記してあるのがいいですね。おお、ここからブールーのソロか、お、次ぎはアンジェロか、なんてわくわくしながら聞くことができます。
 基本的に私のマヌーシュ・ギターの聞き方は、早い、きれい、が決め手です。それだけで十分に楽しめ、うっとりでき、膝ががくがくになりますから。まあ、この4人のは文句なしですね。2曲めのフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」(ジャンゴが1946年に "Echoes of France"という題で録音して、スウィング版ラ・マルセイエーズで人気を博しました)なんか美しすぎて思わず拍手しましたね。今時「イダンティテ・ナシオナル(identité nationale国民としてのアンデンティティー、国民的資質)」を論議しようとしているネオ・コン派&サルコジ派は、こういうの聞いたらフェイクと思うのでしょうかね。

<<< トラックリスト >>>
1. Appel indirect
2. La Marseillaise
3. Artillerie Lourde
4. Anouman
5. Place de Brouckere
6. Nuage (feat. David Reinhardt)
7. Babik (feat. David Reinhardt, Stochelo Rosenberg)
8. Douce Ambiance (feat. Stochelo Rosenberg)
9. Manoir de mes reves (feat. Noë Reinhardt, Chriss Campion)
10. Djangology (feat. Chriss Campion, Noë Reinhardt)
11. Nuits de Saint-Germain-des-Près
12. Minor Swing (with 100 guitarists)
+ Bonus video track "Minor Swing" (with 100 guitarists)

Angelo Debarre + Boulou Ferré + Elios Ferré + Romane "DJANGO 100"
CD JMS JMS098-2
フランスでのリリース:2009年11月9日


(↓100人のギタリストによる『マイナー・スウィング』!)

2009年10月25日日曜日

今朝の爺の窓 (2009年10月)



 10月25日。今日から冬時間で、睡眠が1時間得したことになってますが、年2回のこの時間切り替えの日の微妙な時差ぼけ感覚は、歳とるにつれて辛くなっています。ましてや病人やお年寄りの方たちは、かなり体に負担がかかるのではないか、と思います。
 対岸のサン・クルーは、今年マロニエの大木の並木をばっさり伐ってしまったので、ずいぶん景色が変わりました。こちら岸の路上のポプラ並木も伐ったのですが、川岸土手に残っている数本の高いポプラの木が、この季節、またいい感じの黄色の葉になりました。これらの木はずっと伐らないでいてほしいです。
 ああ、今年もあと2ヶ月ちょっとになってしまいました...。

2009年10月24日土曜日

オック語擁護を訴えるカルカッソンヌ大行進



 10月24日、ラングドック=ルーシヨン地方オード県カルカッソンヌ(世にも美しい城壁の町)、警察側発表1万2千人、主催者側発表2万人、オック語教育の普及と公共放送によるオック語放送局の開設を求める大行進が挙行されました。フランス南部の30に及ぶ県と、イタリアのピエモンテ地方、スペインのアラン峡谷におよぶ「オック語圏」から多くの参加者がやってきて、地方言語の擁護を定めるヨーロッパ憲章に従った地方語立法を怠っているフランス政府を批判し、オック語学校の増設とオック語公共テレビ放送を求める行進には、カルカッソンヌ市長/国会議員(PS)のジャン=クロード・ペレーズや、農民同盟の指導者のひとりで欧州議会議員のジョゼ・ボヴェの姿も見えました。
 「地方語」と「方言」は別のものです。方言はひとつの言語(中央語)の地方的ヴァリエーションであり、地方語は中央語と異なる体系を持ったひとつの別の言語です。オック語を指す時、「南仏方言」「プロヴァンス方言」という解釈をされる場合がありますが、それは違います。フランスにはオック語の他にブルトン語、バスク語、コルシカ語、アルザス語といった地方語があります。これは文化遺産という観点からだけでなく、言語として日常的に使ってこその文化継承でしょうし、生きた言葉として新語/新表現を加えていく生成呼吸機能を持つかたちで育て守っていくべきでしょう。私たちが支持するオクシタニア音楽は、世界に開かれて、多様な文化と混ざり合いながら展開されているからこそ面白いのだと思います。中央が求めるカタチにとらわれないからこそ、でもあります。
 爺はこの歳からオック語を習得するのはかなり難しいような気がしているのですが、いつかやってみたいという意気だけはあるのです。

2009年10月20日火曜日

サム・カルピエニアとアペロを共にする



 先週のスチュディオ・ド・レルミタージュのコンサートに続いて、今週も国営ラジオの番組の収録のためにパリにやってきたサム・カルピエニアと、メニルモンタンのカフェでアペリティフを一緒に飲みました。ちゃんと話したのはこれが初めてですが、私は構えてインタヴューのつもりで来たわけではないので、雑談の域での会話でした。とは言っても引合いに出される書名や人名が知らない人が多く,それ誰ですか?と聞き返さなければならないことしきりで,結構肩がこりましたが,インテリっぽく突き放すのではなく,ちゃんと説明してくれるから(それでも理解できない爺の聞き下手)助かりました。
 私から「パリのコンサートでは誰も踊ってなかったけれど,気にならなかったか?」という一種の愚問。一瞬サムが口をゆがめます。オーディエンスの反応は土地土地で異なるけれど,サムはステージの上から「みんな踊れ」と煽ることなどないし,マルセイユでだって会場がダンスフロア化することなどめったにないそうです。そう,これは私のマルセイユに対する偏見。最近収録したラジオ番組でも,番組主の女性(イザベル・ドルダン)が開口一番「やあ,マルセイユは燃えちゃってるかな?」みたいな,マルセイユだとみんな狂って踊るのが普通というステロタイプ化があって,マルセイユでスピリチュアルな音楽やったら悪いんか?と突っ込みたくなったそう。誰もがマッシリアと同じことをしているわけではありません。そりゃそうでしょう。サムの音楽をCDで聞けば,体がびくびく動くこともあれば,椅子に釘付けになって動かなくなる瞬間もあります。
 私は「ダンソ、ダンソ(踊ろ,踊ろ)」ではないオクシタニア音楽というのを,ジョアン・フランセス・ティスネで体験していて,そのコンサートはみんな椅子に座って静粛に聞いてましたし。そのティスネも実験音楽出身なのでした。サム・カルピエニアは若い頃はロックバンドをやっていたのですが,ある日,英米ポップ音楽の影響を一切絶った実験音楽に没入していきます。ジョン・ケージ,スティーヴ・ライヒ...。一分未満の音楽ばかり作っていたそうです。それはオック語との出会いの時でもあって,オック語を習得することによって思考や価値観の精神革命をしていたわけですね。
 「俺は無神論者ではないし,精神的なものを崇拝している。時には俺はブッディストでもムスリムでもある」なんて言ってましたが,コーラン読んだことあるの?と聞いたら,それはないし,豚だって食べるよ,と言います。すべてはメンタルな世界なんだなあ,サム君は。
 神秘なるもの,聖なるものに惹かれる性向があり,日本の音楽では雅楽と声明をよく聞くと言います。「これは聖なる音楽だろ? 宮廷で演ぜられる音楽だろ?」と聞いてきて,その背後にある仏教/神道の思想について尋ねられたのですが,爺はわかりませんから答えません。
 「トルバドールだって宮廷の音楽だったんだ」と,その世界に入って行きます。一般に大衆歌謡のように思われているようなところがあるが,トルバドールの最高位は宮廷の聖なる詩と音楽であった,と。サムが興味あるのはこの言わば「上級の」トルバドールの世界で,オクシタニアだけではなく当時の欧州各地の王宮でこの音楽が人気を博した原因の第一は「アムール・クルトワ(献身の愛)」であるという話になります。
 「トルバドールにとって最も崇高で聖なるものは何かしっているかい? - それは女性なんだ。これは当時の政治権力からも宗教権力からも非常に都合の悪いものだったんだ」と続きます。トルバドール,オック語,カタリ派が歴史から消されていく課程で,その禁止の第一理由が「女性崇拝」であるというサム君の説,好きですねえ。女性が崇拝賛美されていた12世紀のオクシタニアは,たぶん夢のような国であったから滅ぼされたのですねえ。女性が神よりも崇められていた,これは危険思想になってしまったんですね。私は今も奥様を神よりも崇めているから,警察から目をつけられるのですね。
 サム・カルピエニアはオクシタニアの生まれではありません。ノルマンディー生まれです。オクシタニア文化に傾倒する人はオクシタニア生れでない人がかなりいます。マッシリアのタトゥーもパリ圏生れですし,ル・クワール・デ・ラ・プラーノのマニュ・テロンも北フランス出身ですし,ラ・タルヴェーロのダニエル・ロッドーはイタリア/サルデーニャ島系ですし...。オクシタニアは人種でも血のつながりでもありません。
 「シークエンサーとの出会いがデュパン結成のきっかけだった」と言います。とりたててトラッドをやろうというつもりなどまるでなくて,フォス・シュル・メールの巨大製鉄所の,インダストリアルでプロレタリアでプロヴァンサルなアトモスフィアを表現したら"L'Usina"(2000年)というアルバムになった,と淡々と語ります。ヴィエル・ア・ルー(ハーディー・ガーディー)も,シークエンサーがなければ使わなかったろう,と。エレクトロ・エクペリメンタルから出て来た人だもの。そしてそれをやっていく課程で,すなわちムーヴメント(運動)のさなかで,いろいろと変わっていくのですよ。自分は常に生成過程にある,ということです。
 ぼそっと「デュパンは "L'Usina"がすべてだった」と言いました。2枚目/3枚目ありましたが,デュパンはファーストアルバムを越えられなかったんだと思います。この点にはあまり後悔していないようでした。
 イランのパーカッショニスト,ビージャン・シェラミニとのデュオのプロジェクトが進行中で,ひょっとするとマニュ・テロンとガシャ・エンペガをもう一度組むかもしれないし,ひとつところに留まることが嫌いなサムは,同時進行で八面六臂の活動をするのが好きなのだそうです。欲張りな38歳でした。

2009年10月17日土曜日

ようやってクレオール



 10月16日、女性2人(妻と娘ですが)を連れ立って、パリ10区ニュー・モーニングでオルラーヌ Orlaneのライヴを。
 オルラーヌはレユニオン島生まれのクレオール女性で、ある日、ある事情で、マルチニック島に移住します。それからずっとマルチニックを第二の故郷としてアーチスト活動をしていますが、19歳でプロデビュー(この世界では実力のある人はみんなコーラス/バックヴォーカリストとしてデビューします)し、トゥーレ・クンダなどとも活動を共にしたことがあります。
 今日びでは珍しいことではなくなりましたが、めちゃくちゃにすぐれた歌唱力があって、美貌とセクシー度を伴って、なおかつ作詞作曲ができる、という90年代ズークの世界では稀な女性アーチストでした。
 そして島のせまい了見のいがみあい、というのがまだありまして、マルチニック島、グアドループ島、ギュイアンヌというカリブ圏の3つのフランス海外県で、人々が出身地の違いで牽制しあうミニ・ナショナリズムがあります。その中に、このレユニオン島出身の女性が入っていって、カリブ大衆音楽ズークを歌う、という音楽活動には、いろいろ障害があったのではないか、と察します。「レユニオン娘のズークは本物じゃない」みたいなレッテル論ですね。それをこの女性は軽々とクリアーできる、類い稀なる歌唱力と、溢れ出るチャームで、島のシーンをとりこにしてしまいます。
 ズーク退潮? とんでもない。確かに90年代、島の若い衆はヒップホップ/R&B/ダンスホールサウンドシステムに大挙して流れていったのでした。ズークは熟し、根をはった老若男女のダンスミュージックとなったのでした。
 オルラーヌがステージでこんなことを言いました「よその国ではディスコやクラブで、みんなひとりひとりで踊っている。この時代に男女二人が組になって踊っているのは、私たちアンティル人だけよ。ズーク・ラヴを発案した人たちは偉い。私たちはそれを誇りに思わなければならない。そして私たちはず〜っとズーク・ラヴの火を絶やさないでいきましょう!」。
 男女密着ダンス「コレ・セレ(くっついて、しめつけて)」は、カッサヴ/ジョスリーヌ・ベロアールの大ヒット曲で、ランバーダに先立つこと5年。以来ズーク・ラヴは、カリブのエロいダンスとして、アンティル(とフランスのアンティル・コミュニティー)のダンスホールを席巻してきました。この火を絶やさないでいきまっしょう!とオルラーヌは、時流もへったくれもなく、百年一日のような、ベタな、もはやレトロな趣きもある、ズーク・ラヴを正攻法で展開するのです。これが、すごくいいのですよ、お立ち会い。
 キャリアすでに十数年、4枚のアルバムを発表しているオルラーヌは、島では押しも押されもしない大スター。しかし、なんと、これが初めてのフランス本土、パリでのステージなのでした。MCは最初から最後までフランス語でした。クレオール語ではないのですよ。これが内輪受けのショーにならず、きちんとしたエンターテインメント性を際立たせる演出になっていたと思います。そして話上手。乗せ方も上手。挑発も上手。貫禄も十分で、バックバンド(キーボードx2、ギター、ベース、ドラムス、パーカッション、バックコーラスx3)に睨みをきかせながら、見事な統率力でひっぱる女座長のたたずまいです。バンドもうまいです。いつもながらマルチニックの演奏水準の高さ(本土と比べると)に感服します。
 オルラーヌがステージで強調していたのは「クレオール性」で、レユニオン、マダガスカル、ハイチ、マルチニック、グアドループ、ギュイアンヌなどにまたがった汎クレオール文化が彼女のアイデンティティーのよりどころとなっているわけで、海を隔てていても兄弟姉妹的な親密性を感じているのです。それは翻って、ブラックネスとはちょっと違うメティス性、混血性、多文化を吸収するハイブリット性みたいなもので、そのことがバラク・オバマに対しても胸を熱くさせる親近感を抱いてしまうのですね。オバマの大統領就任の初演説の時に、生中継テレビを見ながら、演説をしくじるんじゃないかとハラハラしていた、なんて話してました。
 現時点での(局地的ではありますが)大ヒット曲「ショコラ」は、この肌の色のことでもあり、アフリカネスよりはクレオールネスに近く、彼女たちクレオールが持っている官能的で扇情的な愛情表現をズーク・ラヴで歌い上げるものです。クレオール女性万歳。チョトレート・イズ・ビューティフル。

↓オルラーヌ「ショコラ」のヴィデオ・クリップ


↓オルラーヌ「ショコラ」ライヴ。10月16日パリ、ニュー・モーニング

2009年10月16日金曜日

怒れる農民たち



 10月16日,朝7時半,イル・ド・フランスの穀物農民が大挙してシャンゼリゼ通りに登場し,工事用防護柵で通行を封鎖し,その中に干し草の藁輪などを散らし,タイヤを焼いて黒煙を出し,シャンゼリゼのランドマーク,レストラン「フーケッツ」(2007年5月,サルコジ大統領当選の夜,ここでパーティーが開かれました)の前で「フランス農業は滅亡の危機にある」と叫び,穀類の生産者買上価格の値上げを訴えました。「14サンチーム(約18円)の金をかけて作った1キロの麦を,今日われわれは9サンチーム(約11円)で売っている」と。
 この農民の抗議行動は,パリ圏だけでなく,フランス全土で同時多発的に展開され,高速道路での牛歩戦術(この日本語,とても農業的な含みがありますね)などで,全国要所の交通をマヒさせています。この9月には牛乳生産者が,同じように生産原価を下回って牛乳を売らざるをえない現状への抗議行動を行っています。
 このような光景は,数年前からテレビでよく見ます。大手ハイパーマーケットで,輸入の野菜や果物が生産者価格よりも安い値段で売られているのに抗議して,農民団体がその店の前にダンプカーでやってきて,ダンプいっぱいのイチゴやトマトやジャガイモを店の入口に落として,店をふさいでしまうという図です。地球のあちこちで食糧不足で人々が苦しんでいることを考えると大変ショッキングな映像です。
 これらの抗議行動はフランスの農業組合の多数派であるFNSEA(フランス農業団体連合会)の指揮の下に行われています。歴史的に農業大国であるフランスでは,たいへんな勢力を持った団体で,言わば農業の「経団連」的な存在です。
 どうしてフランスの農民が窮地に追い込まれているのでしょう? それはフランスにヨーロッパ諸国からフランス産より安い農作物や農産食品原料が大量に入ってきて,値段で太刀打ちができないからなのです。ヨーロッパが自由流通市場として拡大された時,隣国の安いものが自国の産品を駆逐してしまうというケースは予測できたわけで,農業に関してはその対策としてPAC(Politique Agricole Commune 共同農業政策。英語表示では CAP)という価格統制政策をとりました。それは安い国のものを高く売り,高い国のものを安く売ることで価格の平均化を保ち,フランスのように生産費の高いものを欧州のために安く売らざるをえない農家に対して欧州が補助金を払って収入の落ち込みを防ぐというものでした。
 欧州がまだ隣の国の顔が見えていた頃,このPACでフランスの農家は一時的に大変な潤いを得ました。FNSEAはこれに乗じて農業のオートメーション化と集約化を推進して,機械と農薬と化学飼料を大々的に導入したインダストリアル農家が続々登場します。その結果,作りすぎ,値崩れ,環境破壊,狂牛病などが次々に現われたのです。そして農業のグローバリゼーションは,欧州のPACなどで管理ができるようなものではなくなり,農産物の価格はアナーキーで,ハイパーなどの大規模販売網はフランス優先/欧州優先という考えはもうありませんし,ネスレーなどの巨大食品会社は原材料の出どころは価格優先で決めているでしょう。
 この農民たちは損をするために働いている,と言います。自腹を切って自分の農作物を買ってもらっている状態です。これはなんとかしてほしいもの,と同情します。それが国の農業政策の失敗で,農業が壊滅的な打撃を受けているのだから,国に補助金を出せ,という要求に変わる時,どうしてなんだろうか,と首をかしげてしまいます。集約第一主義で,あえて環境汚染までして,農業のインダストリー化を進めていったFNSEAの責任はどうなるのか,と。
 もう何年も前からブルターニュの海岸に大量発生している緑色の海藻は,非常に毒性が高く,この夏それから発するガスで馬が死に,そのあと人間も同じガスで死んだ疑いが持たれています。この海藻は,大量の豚や牛を少ないスペースで飼育して,短期間で肥大化させるための飼料を食べた動物の排泄物が捨てられ,川から海に流れ出るところで繁殖しています。美しいブルターニュの海岸がこの海藻のために,ヴァカンス客を失っています。
 私はこういう農業に疑問を抱きます。安全な食べ物を作ってこその農業ではないか,と。グローバリゼーションに勝ち抜くためには,何が何でも競争力をつけなければならない,それを国は援助する義務がある,という考え方がこの人たちにあったりしたら,とても困るのです。
 

2009年10月15日木曜日

ルーラル・ステレオフォニック



La Talvera "Sopac e Patac"
ラ・タルヴェーロ『ソパック・エ・パタック』


 いいジャケですね。微妙な明暗つきの青色に,束になった複数の白線があちらからこちらから。これ,北斎からのインスピレーションなんですよ。富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」です。これはフランスでも"La vague hokusai(ラ・ヴァーグ・オクサイ=北斎の波)"と呼ばれて超名画あつかいの人気があります。

 新しいアルバムのタイトルは『ソパック・エ・パタック』。疾風怒濤シュトルム・ウント・ドランクみたいなもんで,直訳すると「浮沈と戦い」のような意味です。なんとこれが通算13枚目のアルバムで,この冬から来年にかけてラ・タルヴェーロは結成30周年の記念イヴェントを行います。そのひとつで11月にはブラジルに行って,このアルバムにも参加しているノルデスチのアーチスト,シルヴェリオ・ペッソアとコンサートを行いましたし,来年にはシルヴェリオ等と本格的なオクシタニア/ノルデスチ・アルバムのプロジェクトがあります。そして12月18日から20日の3日間,討論会やエキスポを含むラ・ラルヴェーロ祭りがあり,コンサートの部ではルー・クワール・デ・ラ・プラーノ,ムスー・T&レイ・ジューヴェン,ランブルスケラ(ベアルン地方の8声ポリフォニー・グループ),レ・フレール・コルニック(ブルターニュのビニューとボンバルドの二重奏兄弟),マルク・ミネリ(元ロック・ギタリスト)等が出演します。
 30年の節目に,気合いの入ったアルバム,という印象が強いです。このアルバムに関して,南西フランスの大手地方日刊紙ラ・デペッシュ・デュ・ミディ10月29日号にダニエル・ロッドーにインタヴューが掲載されています。

Q : 新アルバムの特徴は何ですか?
ダニエル・ロッドー : 13枚目というのは縁起のいい番号で,このアルバムではレパートリーがより拡大して,かつより多様化したんだ,しかもオクシタニアを離れることなくね。ここに収められた16曲には,ロックギタリストのマルク・ミネリや,有名なブラジルのシンガーシルヴェリオ・ペッソア,新しく女性ヴォーカリストとして加入した22歳のエディット・ブイーグ,それからブルターニュのミュージシャンなども参加している。昨今私たちはよくブルターニュで演奏するので,友だちができたんだ。
Q:収録された歌はいつもに増して状況にコミットしたものが多いですね。これはどういう意味なのですか?
DL : これらの曲はまずダンスさせるための音楽なんだ。しかしその歌詞は明確な政治的意思表示でもあるんだ。3曲めの「バラーダ」はすべての「政治囚」のために作られ,とりわけコルシカのエリニャック地方長官殺害の廉で有罪となったイヴァン・コロナに捧げられているが,私はコロナが有罪ではないと信じている。加えてジュリアン・クーパ(註:TGVの架線切断妨害を組織したとして「テロリスト」として逮捕されたタルナックの青年)にも言及していているが,彼は全く無実だ。たくさんのタルナックの住人たちがコルドに私たちに合いに来て,私たちは多くの友人たちをつくった。別の歌で10曲めの「サルキーリャの寓話」というのがあるが,これは「サルコの寓話」と直訳してもいい。この歌の結論は,私たちが幾万人にもなって街頭で叫んだら,しまいには彼を追い出すことができるだろうと歌ってる。
Q : 9曲め「ペンヌの鬼」で描かれている人物は誰ですか?
DL:これは19世紀末の伝説的人物。ジャン・ジョレスと同時代人,もともとは幾何学者で,ジョレスに対抗して国会議員選挙に立候補したが,のちにジョレスのために出馬辞退をしている。「ペンヌの鬼」は狂信的夢想家で,軍隊の解体を説き,貧富の溝をなくすことを望んでいた。彼は1立方メートルもある巨大な角灯を持っていて,世の中に正義の光を当てようとしたんだが,それをパリの国会議事堂前でかざしたおかげで,サン・タンヌ精神病院に収容されるはめになる。私たちの歌は,もしも彼が今日この世に帰ってきたら,愚行と虚栄のために暗くなった世界を照らし出すには100立方メートルのランプが必要だろう,と歌ってる。

 30周年おめでとう。またコルドに遊びに行きます。
 ラ・タルヴェーロ:ダニエル・ロッドー(ヴォーカル,ディアトニック・アコーディオン,クラバ,バンジョー,カヴァッキーニョ,口琴,パーカッション....),セリーヌ・リカール(ヴォーカル,フィフル,フルート...),セルジュ・カボー(デルブカ,ボンゴ,パーカッション...),ポール・ゴワヨ(グンブリ,ベリンバウ,カルカヴァ,ネイ...),ファブリス・ルージエ(クラリネット,バリトンサックス...),エディット・ブイーグ(ヴォーカル),トニー・カントン(ヴァイオリン)。

<<< トラックリスト >>>
1. Se venes pas a La Talvera (きみがラ・タルヴェーロの方に来ないのなら,ラ・タルヴェーロがきみの方に行くよ)
2. Al bal de La Talvera (ラ・タルヴェーロのバル)
3. Balada (バラード)
4.Escrivans (著述家たち)
5. Abojo do Sertao (セルタンの呼び声)
6. Canti canta cantem (私は歌い,彼は歌う,みんなで歌おう)
7. Sénher Francés (フランス人さま)
8. Se jeu vali pas gaire (私に何の価値もないのなら)
9. Lo Terrible de Pena (ペンヌの鬼)
10. La fauta de Sarquilha (サルキーリャの寓話)
11. Filhas que setz a maridar (嫁ぎ行く娘たちへ)
12. Passa aici. Passa alai (こちらを通って,あちらを通って)
13. Il a occis Tanie (彼はタニーを殺した。イラオクシタニー)
14. L'engarçaire (ペテン師)
15. Sardenha (サルデーニャ)
16. E ro la la (エ・ロ・ラ・ラ)
17. Tornam un cop de mai (私たちはもう一度帰ってくる)
18. Las linhas de tas mans (きみの手相)

LA TALVERA "SOPAC E PATAC"
CD CORDAE/LA TALVERA TAL15
フランスでのリリース:2009年11月2日


2009年10月14日水曜日

サム、もう一度弾いてくれ

10月12日、スチュディオ・ド・レルミタージュ(パリ20区、メニルモンタン)、サム・カルピエニアのコンサートでした。
2台のマンドーラから、どうしてこんなにたくさんの音が聞こえてくるのでしょうか。
デュパンにいた時からサムの音楽は、晴れた地中海の空という感じがしなくて、曇天あるいはフォス・シュル・メールの製鉄工場の排煙に覆われたような地中海を想わせるのですが、それを切り裂いて天を突くようなサムの声が祈りや予言や呪詛のように迫ります。とてもミスティックな瞬間があります。

2009年10月6日火曜日

In Jane B. we trust... bis



 10月6日(火)夜10時から12時まで,ジェーン・Bの呼びかけでパリ市役所前でアウン・サン・スー・チー解放要求集会が開かれます。とは言っても演説やら音楽アーチストのライヴがあるわけではなく,"Veillée Silencieuse en soutien au prix Nobel de la paix Aung San Suu Kyi"(ノーベル平和賞受賞者アウン・サン・スー・チーを支援する静粛な宵)と題されていて,「参加者はローソク持参のこと」と協力をお願いされています。
 7月にスー・チー即時解放要求の声明に賛同署名した多くのアーチストたちが,この宵に参加することを表明しています:カトリーヌ・ドヌーヴ,シャーロット・ランプリング,ミッシェル・ピコリ,マリオン・コティヤール,アニエス・ジャウイ,アリエル・ドンバル,アルチュール・H,ジャック・イジュラン,ヴァンサン・ドレルム,ザジー,ベルナール・ラヴィリエ...。
 今朝国営ラジオのフランス・アンテール,パスカル・クラークの番組に出演したジェーン・Bは,全世界で同じような,静粛ながら強い抗議のローソクの炎が灯りますように,と語っていて,先月日本に行った時日本の国会議員たちの前で私はスー・チーさん支援を訴えたが,たいへんポジティヴな印象だった,とも言いました。日本の国会議員たちの「うなづき」は一体何を意味するのでしょうか。責任持ったうなづきをしていただきたいものです。
 番組主パスカル・クラークは突っ込んで「7月の解放要求署名者の中にカルラ・ブルーニがいたでしょう。カルラ・ブルーニは今晩来ないんですか?」と聞きました。ジェーン・Bは失礼のないように「私は彼女のスケジュールを知らないので...」と逃げました。カルラ・ブルーニ・サルコジは昨日10月5日に公式(つまり公人として,大統領夫人としての)ウェブサイト,www.carlabrunisarkozy.org をオープンしましたが,さまざまなバグが発生していて,それを直すのに手がかかりっきりなのかもしれまっせん。


PS 1 10月7日
昨夜の写真が Elle.fr で公開されてました。
マリオン・コティヤール + ジェーン・B +カトリーヌ・ドヌーヴ