2009年1月20日火曜日

ジェニー,いかした名前だぜ



 ジェニー・アルファ『鈴蘭のセレナーデ』
 Jenny Alpha "LA SERENADE DU MUGUET"


 ジェニー・アルファはマルチニック島出身の演劇女優です。1910年4月22日生れ。すなわちあと3ヶ月で99歳になります。さらにすなわち,1年3ヶ月で100歳になります。
 100歳が珍しくなくなった今日とは言え,この美貌とこの歌声とこのリズムを聞いたら,これはほとんど奇跡です。
 20年ほど前に私はマルチニック島のバンジョー奏者カリのアルバム『ラシーヌ』の解説で,ビギンは火遊びの音楽である,というふうなことを書きました。つまり19世紀に起源するマルチニック島のビギンはバル(ダンスパーティー)に集まる男女の一夜の恋のための誘惑のダンスである,みたいなことですね。ポルカ/マズルカのクレオール化がビギンですが,それは同時に官能ダンス化であったわけです。
 私は自分が書いたこのビギンの官能性というのを,この98歳の女性歌手の歌声を聞いて,ビビビッと思い出してしまいました。すごいです。
 リベラシオン紙は2009年1月16日号で,このジェニー・アルファを全面記事で紹介しています。そのタイトルは「100年のネグリチュード」。ネグリチュードはマルチニック島の詩人/政治家であるエメ・セゼール(1913-2008)が起こしたアフリカ性と黒人性を重んじる文学/文化運動です。エメ・セゼールはジェニーの弟の同級生でした。19歳で島を出てパリに移り住んだジェニーは,のちにエメとも再会し,エメのところでネグリチュードの3大詩人,すなわちマルチニックのセゼール,セネガルのレオポルド・サンゴール,ギュイアンヌのレオン=ゴントラン・ダマスと親しく交流するようになり,言わばネグリチュードのコピーヌ(マドンナと言うべきか)になってしまったわけです。
 ソルボンヌで歴史を学び,気が進まない教職の道を歩もうとしていたところに,詩人ロベール・デスノスと出会い,そこから画家アンドレ・ドラン,演劇人ジャン=ルイ・バロー,歌手シャルル・トレネなどと知り合うようになります。1939年,ギメ美術館の秘書だったジェニーは,島のカルナヴァルをアレンジした演し物でキャバレーに出演します。その歌と踊りに魅了されたレコード会社パテが,ジェニーをレコードデビューさせます。美術史家でルーヴル美術館の講師でもあったジャック・デサールと結婚。しかしデサールの両親は息子に「ネグレス」を娶ったことをずっと責め続けたそうです。1942年にデサールが死去。終戦後にパリに戻って詩人ノエル・ヴィヤールと結婚。演劇とキャバレーの他に,ビギンオーケストラを結成してその歌手にもなります。しかし演劇界は,褐色の肌の女優にはその限定された役柄しか与えません。ジェニーはそれでも60年間,女優としてネグリチュードの戦いを続けてきたわけですね。
 このCDは,ジャズ・ピアニストのダヴィッド・ファクールが制作しています。ファクールは彼のトリオを率いてこれまで「ジャズ・オン・ビギン」というアルバムを2枚,フレモオ&アソシエ社から出していて,その「ジャズ・オン・ビギン Vol.2」(2006年)にジェニー・アルファがゲスト・ヴォーカリストとして参加しました。この怪物ばあちゃんの艶っぽさに仰天したファクールは,ぜひジェニーのアルバムを作らねばと思ったのです。
 2008年5月,ファクールのトリオに,マルチニックの男性歌手トニー・シャスール,フランソワーズ・アルディの息子トマ・デュトロン,サキソフォニストのグザヴィエ・リシャルドーなどが加わった楽団をバックに,ジェニー・アルファは8曲録音しました。ビギン7曲と,ジェニー作の童話朗読にダヴィッド・ゴアが曲をつけたものが1曲です。そしてボーナスとして1953年録音のSP盤の2曲が加えられた10曲入りCDです。
 かいもんもんむえん...クレオール語のまろやかな響きと,サトウキビのシロップのような甘さ,クイっと飲むとキュっと熱いラム,左手で相手の手を支えながら右手で相手の背中や脇の下を刺激したりするビギンの誘惑,くるくる回ればパラダイスの気分ですよ。ジェニーは私たちをパラダイスへと誘惑してくれるのですが,死んだらまずいですよ。なんて素晴らしい女性なんでしょう。クレオールの太陽のようです。

<<< トラックリスト >>>
1. La sérénade du muguet (Jenny Alpha)
2. Mais ça pas possible (Al Livrat) duo avec Tony Chasseur
3. Asé kozé (traditionnel)
4. Douvan pote doudou (Sylvio Siobud)
5. Yaya (traditionnel - air de Saint Pierre)
6. Léchel Poul (traditionnel - air de Saint Pierre)
7. Woulé (traditionnel - air de Saint Pierre)
8. Poutti (conte de Jenny Alpha - musique de David Gore)
9. La sérénade du muguet (Jenny Alpha - version originale 1953)
10. Douvan pote doudou (Sylvio Siobud - version originale 1953)

JENNY ALPHA "LA SERENADE DU MUGUET"
CD AZTEC MUSIQUE CM2218
フランスでのリリース 2008年10月



(←フランシス・ピカビアによるジェニー・アルファの肖像画 1942年)










PS 1(1月20日)
デイリー・モーションにあったジェニーの最近の映像です。ジェニー・アルファ「クレオールの女」。これを見て驚かないわけがないでしょう。

PS 2 (1月21日)
2004年公開のフランス映画で,その名も『ビギン』というのがあったそうです。私は全然気がつきませんでした。おまけに今日この映画は上映館もなければ,DVD化もされていないのです。19世紀末のサン・ピエールが舞台の「ビギン」誕生ストーリーのようで,こんな映画が今日誰も見れないなんて残念至極です。フランスの映画総合案内サイト「アローシネ」にまだ予告編映像が残っています。ギ・デローリエ監督映画『ビギン』予告編。この短い映像でもマドラスのスカートをたくし上げて踊る娘たちの艶やかさが光りますね。ビギンは誘惑のダンスそのものです。


PS 3 (2010年9月9日)
ジェニー・アルファさんが、昨日(2010年9月8日)、100歳で亡くなりました。
すばらしい女性でした。一度お会いしたかった。残念。Bonne route au paradis.

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