2008年11月23日日曜日

ストーン、世界はストーン



 Atiq Rahimi "Syngué sabour - Pierre de patience"
 アティック・ラヒミ『シンゲ・サブール 忍耐の石』


 2008年度のゴンクール賞作品です。
 著者アティック・ラヒミは1962年カブール(アフガニスタン)生まれで、カブールのリセと大学でフランス語を学んでいます。79年から84年にかけてアフガン戦争を体験し、パキスタンを経てフランスに亡命しています。ソルボンヌで映画/視聴覚芸術の博士号を取得し、映画監督として自作の小説を映画化した『大地と灰 Terre et Cendres』(2004年)で、カンヌ映画祭「ある視線 un certain regard」部門で出品し入賞もしています。
 フランスで発表した小説は『大地と灰』(2000年)、『夢と恐怖の千の家』(2002年)、『夢想された帰還』(2005年)と3編あり、いずれも母国語であるペルシャ語で書かれたもののフランス語翻訳でしたが、この最新作『シンゲ・サブール』はアティック・ラヒミ自身が初めてフランス語で書いた作品です。
 この亡命アフガン作家がフランス語で書いて、フランスで最も権威ある文学賞であるゴンクール賞を取ったということから、フランス語で書くことの選択は自由なる表現の選択である、というようなフランス語礼賛をする論評も出たりしました(フィガロ紙11月10日付アティック・ラヒミ・インタヴュー"Le Francais, langue de la liberté")。私のレベルでの解釈では、これはフランス語だから自由に書けたということではなく「他国語」だから、ということにすぎないのではないか、と思っています。私などでも母国語では絶対に書けないことというのがあって、その母国語の呪縛というのは倫理/道徳的なことであったり廉恥であったりしますが、他国語を使う時それからある程度解放されている感じは、私の使うようなフランス語でも日常的に体験します。
 最初から話がそれました。
 『シンゲ・サブール』は「アフガニスタンあるいはどこか他所の地」(p11)を舞台にした小説で、戦争で銃弾を受け呼吸するだけの植物人間と化した夫の床に毎日やってきて、点滴液を補給し、目に目薬を与え、コーランを読謡し、数珠玉を回しながら祈祷する妻の独白の形で書かれています。目を見開いて寝たきりで呼吸するだけの夫に、女はモッラー(イスラム法者)から言われた通りの祈祷をし、その回復を待つ貞節な妻を装いますが、時間が経つにつれてその空しさに憤り、その独白は本音がどんどん出て来るようになります。独白と言っても、それは夫に向けられた言葉であり、返答をすることができない相手に向けられた一方通行のダイアローグです。女は夫に対して、夫が知るはずもないさまざまな女の秘密を告白していきます。
 この周囲はまだ内戦状態が続いていて、銃声が聞こえ、誰が敵で誰が味方なのかも、誰が誰を殺すのかもわからない混乱した情勢です。男たちはどちらの陣につくのかも理解せぬまま、聖戦(ジハード)の名によって銃を持たされ、闇雲に戦います。
 女がこの男と結婚した時、男はすでに戦場にいて、婚姻から3年後に初めて二人は生活を共にし、その後も戦況次第で戦場に戻っていきます。この男は不在の夫です。そしてこの二人は夫婦らしい愛情もなく、夫はそれが気に食わなければ妻を殴打することもありました。この男は多くのこの国の男と同じように何も知らない。コーランやモッラーの教えに従って戦場に行くことはできても、他のことは何も知らない。女をどうやって抱くのか、ということも知らない。例えば性的快楽というのは男の側のものであって、男が短時間でも性的絶頂を迎えてしまえば、それでいいわけです。男はそういうものだと思っているわけですね。ところが女はそれで留まっていろ、という男の理屈を軽々と越えてしまうのです。それを男は知らない。
 つまりこの夫となった男は世にもつまらない男なのですが、それでもこの世界の中で女はさまざまな秘密でその人生のバランスを保ちながら、男とこの世界とうまくやってきたわけです。しかしこの男が植物人間になった時、女はこの男をかけがえのない男として確認してしまうのです。そしてもの言わぬ夫にこれまでの秘密をすべて告白していくのです。
 その周囲は男も女も古い権威に従属する社会で、女姉妹7人で生まれたその女は、親に選ばれた嫁ぎ先に純潔の状態で引き取られるしかなかった。そういう社会の中で、二人の人物がその女を啓蒙していきます。ひとりは自分の叔母で、若くして嫁いだものの、不妊症のために嫁ぎ先から放逐され、娼婦として身を立てるしたたかな女性となってこの世にはばかります。もうひとりは夫の父、すなわち義父ですが、その並外れた教養ゆえに、あらゆる形而上的難問に答えを引き出せる、周りの世人にはわからない超越的な賢人として女を知的に支えます。つまりこの女はこの世界でも孤独ではなかったのです。
 女はその秘密の中にそういう知的な解放された女性の感性があり、ただの「従属するべき女性」として実生活で夫と対応していたものとは違う、彼女の素性が次から次へと暴露されていきます。
 題名になっている「シンゲ・サブール」とは、その義父が教えてくれたものです。それは聖地メッカの大モスクの中にあると言われている伝説の石で、字句通りの意味では「忍耐の石」です。この石は人間のあらゆる苦悩、苦労、艱難辛苦、悲嘆を聞き入れるためにあるもので、人はその石に対して苦しいこと悲しいことを隠さずに言い、石はそれをすべて吸収してしまうのです。石はその忍耐の限界までそれを吸い続け、その限界が来た時に石は破裂してしまいます。この石の破裂が人類の破滅、アポカリプスを招くことになるのです。
 女は植物人間の夫にさまざまな告白をしていくうちに、このもの言わぬ男は「忍耐の石」に違いないと信じるようになります。女はその告白に、祓いに似た解放感を覚え、「忍耐の石」と化した夫によって救われる思いを感じます。そのことで、この女にはこの不動の男がかけがえのない対話相手となり、精神分析カウンセリングのような効果を生んでいくのです。
 なんとも魅惑的で形而上的な挿話があります。おとぎ話です。おとぎ話だから幸福な結末がなければなりませんが、幸福な結末は自分で考えなければいけないのです。「昔々あるところにひとりの勇猛な王がおりました。その王は世継ぎは男でなければならないという妄信があり、そのお抱え占星術師も女児が生まれたら王国が滅びると予言しました。しかし妃は皮肉なことに女児ばかりを産み、王はその誕生の度に、刑務役人に新生児を殺してしまうように命じました。刑執行人は最初の女児を殺し、2番めの女児も殺しました。しかし3番めの女児の時、その新生児はなんとこんなことを言ったのです《私の母の女王に伝えてください、私の命を守ってくれたら、女王は自分の王国を持つでしょう、と》。刑執行人はその言葉に驚いて、秘密で女王にそれを伝えました。それを聞いた女王は、王には何も告げず、新生児と刑執行人を連れ立って、その夜のうちに遠い国に旅立っていきました。--- 年月は流れ、かの勇猛な王は征服戦争に勝ち続け、はるか遠方にさる女王が治める小さな王国までその手を伸ばしました。その臣民たちはこの王の侵入を嫌い、服従を拒否しました。そこで王は服従を拒否するのであれば、王国を焼き払うと脅迫しました。女王はその王との交渉を拒否し、王国が焼き払われることを覚悟しました。しかし女王の娘は、女王の反対を押し切って、私に交渉をさせてくださいと、ひとりで王に謁見しました。王は美貌の娘に一目惚れし、娘も王の魅力に屈して一夜を共にしました。そしておまえを妃に迎えることができたら、この王国を救ってやろう、と持ちかけました。その話を持って帰った娘に、元・刑執行人は、実は私はおまえの父親ではなく、おまえの本当の父親はあの王なのだ、と告白します...」
 このおとぎ話はここで終わりです。この話に幸福な解決という出口はあるのでしょうか。女王の国が焼き払われずに、女王の過去の不倫もとがめられず、かつ娘が王(父親)と近親婚をしなくてもすむ、幸福なエンディングというのは可能でしょうか?このことを主人公の女は何晩も何晩も考え続けます。知識人の義父はこれには犠牲者なくして解決の余地はない、と仮説します。この小説の読者もいろいろな仮説を考えるはずです。こういう謎解きに答えはありません。しかし寝ずに考えて自分なりの答えを探してみたくなるではありませんか。

 そしてこの「忍耐の石」は、次から次に暴露される女の秘密に最後には本当に破裂してしまうのです。

 ここにはタブーがありません。アフガニスタンで起こっていることや、男性原理社会や、宗教で問われていることや、何一つ恐いものはありません。ここに生きた女性は、弱々しく頭巾(ブブカ)をまとったふりをして、あらゆることを見抜いているのです。こんな強烈で射るようなユーモアは、今日毎日のように死傷者のニュースが聞こえてくる土地から出て来ていると思うと、かなり衝撃的です。ここが「フランス語で書いたことの効果」である可能性は疑いようがありません。またコーランの一節から、幻想に惑わされたムハンマッドをその妻ハディジャが迷いから覚めさせる部分をして、予言者は女でもあったという論に至る部分はまさにマニフェストです。この小説は21世紀的今日の世界にあって類い稀な、大いなる女性讃歌と言えましょう。

2008年度ゴンクール賞受賞作品
Atiq Rahimi "Syngué Sabour - Pierre de patience"
(Editions P.O.L刊 2008年10月。156頁。15ユーロ)


2008年11月19日水曜日

ジェリ=ムサは歌いすぎるなあ...



 昨夜は10区ニュー・モーニングでコラ・ジャズ・トリオのコンサートでした。
 奇しくもその夜は,同じくコラの名手トゥーマニ・ジャバテのコンサートが11区のバタクランで催されていて,パリの熱心なコラ愛好者たちはどちらに行こうかと迷ったに違いありません。世紀のコラ対決パリの陣といった感じです。
 32弦コラのヴィルツオーゾ,ジェリ=ムサ・ジャワラはこの夜やたらハイでした。3作続いている「コラ・ジャズ・トリオ」のアルバムがいずれも大変なヒット(とは言っても数万の単位ですが)であるだけでなく,前日までのアフリカツアー(ダカール,コナクリ,バマコ...)を大成功させてきた(本人のMCでの弁ですが)こともあって,たいへんな自信が感じられるエネルギッシュなステージでした。歌うわ踊るわしゃべりまくるわ...。
 ニュー・モーニングはアーチストたちの身内/友人たちを除くと,95%が白人のオーディエンスです。これは国営FMラジオFIP(このコンサートの後援もしてます)のリスナーや,モンドミックス紙やリベラシオンやテレラマ誌の読者層と言える,いわゆるBOBO(ブルジョワ・ボエーム)にも近いような白人たちですね。
 ですから立って踊りまくる人たちは皆無で,ジャズ・コンサートのように座って足踏みしたり首振ったりが関の山で,熱の上がらない客席でした。にも関わらず,ジェリ=ムサはコラ弾くよりもマイク握りしめて歌ったり煽ったりする時間の方が長いんじゃないか,という感じのはしゃぎ方で,ちょっと浮いていましたね。ダカールのオーディエンスとパリのオーディエンスでは違うでしょうに。その辺をちょっと考えて欲しかったですね。
 しかしコラを弾かせりゃ世界一,二の実力,ジェリ=ムサのソロ弾きまくりが始まれば泣く子も黙ります。どちらも32弦のアコースティック・コラとエレクトリック・コラの2台を使いましたが,先日のダヴート・スタジオでのミニ・ライヴの時はさほど感じなかったのに,今夜はエレクトリック・コラの「キンキン」という鋭い響きが強烈で(共鳴胴がついていないので音の丸みはつかないですよね),観客の中には耳を抑える人もちらほらでした。高音部の超高速アルペジオというのがアドリブの見せ場ですが,まあ確かにすごいですね。舌を巻きます。
 昨夜もちょっとだけディジカメでヴィデオ撮影しました。
 ↓サードアルバムに入っているコンパイ・セグンドの「チャン・チャン」のカヴァーです。
video

2008年11月14日金曜日

テー氏の帰還(テー氏かんばく... 苦しい)



 テー氏とその若い衆『埴生の宿』
Moussu T e Lei Jovents "Home Sweet Home"


 昨夜13日は事務所から歩いて10分,メニルモンタンの坂の中腹にある小屋「ラ・ベルヴィロワーズ」で,ムースー・T & レイ・ジューヴェンの新アルバム『埴生の宿』のお披露目コンサートでした。ホリゾンはラ・シオタの造船所の写真で,もうこのバンドに関してはホーム・グラウンド(あるいはホーム・スウィート・ホーム)はラ・シオタであって,マルセイユではない!と宣言しているような感じ。MCもマルセイユのことはほとんど言わず,ラ・シオタのことばかりで,マッシリア・サウンドシステムの中のタトゥーではないことがよくわかります。そして,音楽がみんなユル〜い。ドラムスのゼルビノを真ん中に,バンジョー&ギターのブルが左側に椅子に座って陣取り,テー氏が右側でこれまた椅子に座ってヴォーカル(&カズー)という布陣。マッシリアのようにみんな踊りまくるわけではなく,ユル〜いスウィングに合わせて体を揺すっているだけという感じですが,これがまた南っぽくていいですね。
 考えてみれば2006年からの短期間にもうアルバムを3枚(ベスト盤入れると4枚)も発表しているんですね。この3枚の中から,やっぱり定番曲(スタンダード曲って言うのかしら,オーディエンスがご唱和できる歌)が結構あって,「マドモワゼル・マルセイユ」や「ボレガ・バンジョー」や「ア・ラ・シオタ」(part 1 & 2)みたいなのは会場が沸きますね。
 さあ,次はロックンロールだ! というMCで始まったのが「オプラティ・オプラタ」で,先達へのリスペクトなんですが,もちろんビートルズ,そしてそれをオクシタン・チャチュに変えたクロード・シクルとダニエル・ロッドーへのオマージュです。
 やっぱり南はよろしいですなあ。ちょっとだけディジカメでヴィデオを録りました。これはアルバム『マドモワゼル・マルセイユ』に入っていたもので "Lo Gabian"(ロ・ガビアン = カモメ)という曲です。ちょっとカモメには見えないですが,テー氏が鳥のパペットを操りながらの楽しいパフォーマンスです。ほとんど子供向けと言ってもいいでしょう。リフレインはこんな感じです。

 S'eri lo gabian, s'eri lo gabian
 S'eri lo gabian m'en anariau
 S'eri lo gabian, s'eri lo gabian
 Sus la testa deil mechants, cagariau
 もしも僕がカモメだったら,飛んで行ってしまえるのに。
 もしも僕がカモメだったら,悪いやつの頭に糞を落とせるのに。


 100%そうカモメ。
video

2008年11月13日木曜日

ノワール・デジールの新曲




11月12日からノワール・デジールのオフィシャル・サイトで,新曲"Gagnants/Perdants (勝者/敗者)"と,2002年のミラノでの未発表録音でパリ・コミューンのシャンソンとして知られる"Le temps des cerises(さくらんぼの実る頃)"のカヴァー,以上2トラックを無料ダウンロードすることができるようになりました。
 ものすごく混んでいるのか,私は3回ぐらいトライしていますが,時間がかかりすぎていつも中断されてしまいます。今晩しつこくやってみましょう。

 PS 1 (11月14日)
 私のように何度やってもダウンロードできない人たちへ。
 テレラマ誌のインターネット版のA-t-on encore du désir pour Noir Désir (人は今もなおノワール・デジールへのデジール=欲望があるのか)と題されたエマニュエル・テリエの記事のページで問題の2曲が試聴できるようになっています。

 PS 2 (11月15日)
 やっとダウンロードに成功しました。"Gagnants/Perdants"は、シンプルな3コードの純プロテスト・ソングで、強者(gagnants)をより増長し、弱者(perdants)をより隷属化させる世界傾向に、シンプルでダイレクトな言葉で抗議しています。ベルトラン・カンタの声はストレートで、抑制がきいていて、説くような歌いぶりです。サルコジ治世に正面切ってものを言う態度です。それはノワール・デジールの持っていたロックンロール的アイデンティティーなんですが、この再登場はさまざまな反響を呼んでいます。
 ↑でリンクしたテレラマ誌のサイト上での投稿フォーラムのやりとりは興味深いです。エマニュエル・テリエが長年ジャーナリスト(レ・ザンロキュプティーブル誌→テレラマ誌)としてノワール・デジールを密度濃く取材してきた経緯があり、その後でこの新録音を聞いて躊躇してしまった心情を吐露して、読者と共にみんなで議論しようではないか、と始めたフォーラムです。待っていたファンには、テリエに対してその躊躇を理解せず、ここにある音楽と声と詞は新生ノワール・デジールのものであると歓迎する者が多いです。躊躇する者はフランス最高のロックンロールバンドという過去と比べるものもあり、こういう「プロモーション」の臭いがする発表方法に疑問を持つものもあります。
 一般のラジオ/テレビ/新聞/雑誌ではやはり「芸能ネタ」扱いで、どうも感心しません。「殺人者がどうしてスター復帰できるのか」式の発言が目立ちます。
 一部のプレス(地方新聞SUD-OUEST紙)は「2010年7月アングーレームのフェスティヴァルで復帰ライヴ」を報道しているそうです。
 
 

2008年11月11日火曜日

今朝の爺の窓(2008年11月)



 昨夜から今朝未明にかけてたいへんな風雨でした。言わば台風一過のような今朝の青空です。この風雨のおかげで葉っぱがずいぶん落ちてしまいました。河岸のポプラは裸です。通り手前のプラタナスもずいぶんスケスケになりました。流れの早いセーヌ川が良く見えます。対岸のサン・クルーの森もごらんの通りの茶色状態で、これから2月まではもっと無彩色の冬景色になります。
 昨日の夕刻、娘の中学校(コレージュ・バルトルディ)に呼び出されました。第一学期の主要科目のテスト成績を見て、これでは「普通科高校」は難しいのではないか、という厳重注意を、担任教師と、同席した校長から、数分ずついただきました。オーディオ装置のスピーカーテストのようでした。右側からの悲観的な分析と、左側からの「将来は今決定される」式の説教と、ステレオ効果に挟まれて、私とタカコバー・ママとセシル・カストールは小さくなっていました。要は「外国人だから」という言い訳を完全に捨ててもらわなければ困ると言っているわけで、この子のフランス語力はあなた方が何人であろうがクラス平均点以下ではこの子の将来はないと思いなさい、というロジックでした。
 確かにときどき思ってました。この子は私のようなフランス語をしゃべっているな、と。私のフランス語を聞いて育っているのだから、当り前でしょうが、私のフランス語というのはお世辞にも模範になり得るようなフランス語ではないのです。確かに私よりも文法的な間違いのないフランス語ですし、私よりも語彙数も口数も多いフランス語です。ただ、本当に私に似ているんだわ。昨日は娘の中学校から、私のフランス語はダメなんだぞおおお、と断定されたようなショックがありました。
 私のフランス語問題はともかくとして、娘のフランス語改革を考えてやらねばならなくなりました。ややこしい言語ですが、奥が深いので、私もできるだけつきあってみようと思っています。数学、フランス語、英語、高校受験(ブルベ)まで必死でするしかないのだけれど...必死という言葉にリアリティーを持てないのは父親ゆずりなんだろうなあ....。
 
 

2008年11月9日日曜日

笑ってはいけないもの



 Jean-Louis Fournier "Où on va, papa?"
 ジャン=ルイ・フルニエ『どこに行くの、パパ?』


 「障害を持った子の死はさほど悲しいことではないなどと思い込んではいけない。それは普通の子の死と同じほどに悲しいものだ。生涯一度も幸せだったことのない子供の死、苦しむことだけのためにこの世に産み落とされた子供の死は残酷なものだ。その子の死は、その笑顔の思い出すら残すことができないのだ」(P.90)

 ジャン=ルイ・フルニエ(1938 - )はそれまでお笑い系の人でした。テレビ番組制作者、コメディー脚本家、コント作家などで、黒い笑い、黄色い笑いを含めたあらゆる笑いの提供者でした。またタブーを知らぬ黒いユーモアで知られた希代のボードヴィリアン、ピエール・デプロージュ(1938-1988)の演目の共同作家でもありました。どういう笑いかと言うと、例えば1998年の作品『神の履歴書』では、失業した神様が再就職探しに苦労する話です。その中で面接で人事部長がその履歴書を見て、どうしてあなたは「老い」をお創りになったのですか?と聞きます。すると神は「人間は醜くなったりリューマチが出て来たりした時に死ぬほうが、きれいで健康なままで死ぬよりもいいでしょう」とその創造を正当化します。フルニエによると、老いとはいつに始まるかと言うと、日焼けしていても醜くなったら、それは老いたということなのです。
 そういうふうに老人や、神や、宗教や、外国人や、一風変わった人たちを揶揄してユーモアで包んで笑わせるというのがフルニエのアートでした。ギ・ブドス、ハラキリ誌やシャルリー・エブド紙、カナル・プリュスの「ギニョール」などとも近い、あらゆるものを揶揄して笑いものにする側の人間です。笑いにタブーはないのか,本当に何を笑ってもいいのか,というのがこの人たちについて回る「笑いの限界」の問題です。非ユダヤ人がユダヤ人を笑うこと,非アラブ人がアラブ人を笑うこと,非黒人が黒人を笑うこと,健康人が病人を笑うこと...ここにリミットを設けようとするのが,「良識」であり,「道徳」であり,社会的秩序を壊してはならないとする権力の意志でもあります。
 この国には去年から,笑われることも揶揄されることも極端に嫌う大統領がいます。にも関わらず,大統領を笑いものにするお笑い芸はテレビやラジオに溢れていて,無法地帯であるインターネット上は言うまでもありません。それに対してこれまでも数件の訴訟を立てて大統領は自分への不敬を罰しようとしています。これがある日あらゆる大統領への不敬を禁止する法律となったらどうでしょう? 笑いの限界を「国」が決められることになったらどうでしょう? - ある種の笑いを作っている芸人やコント作者たちは,そういう限界を定められることを拒否して,命をかけて笑いを守ろうとする戦士でもあります。端的な例がコリューシュ(1944-1986)でした。
 さてフルニエの本です。フルニエですから条件反射的に読者は「今度はどうやって笑わせてもらえるのだろうか」という期待があります。70歳を迎えようとするフルニエは,これまで公にしていなかったことを初めて書きました。これは今まで書けなかったのです。まったく笑うことができない生々しい現実であったからです。

 愛するマチュー,
 愛するトマ,
 おまえたちが小さかった時,クリスマスに私は何度かおまえたちに本(例えば「タンタン」)を贈りたいという誘惑にかられた。そして読んだらおまえたちと一緒にその本について語り合いたいと。私は「タンタン」をとてもよく知っている。私はその全巻を何度も読んだんだから。
 私は一度もそうすることができなかった。それは無駄なことだから。おまえたちは読むことを知らなかったし,おまえたちは一生読むことができないのだから。


 二人の息子への手紙のかたちでこの本は始まります。150頁のこの書はフルニエが持った二人の重症障害児の息子への断章集です。これは「障害児と共に生きる」といった愛と感動のリポートの類いの書物ではありません。「彼らと共にある時,天使のような忍耐力が必要だが,私は天使ではない」とフルニエは書きます。また彼らのおかげで,フルニエは普通の子の親たちが持つ勉強・進学・将来の職業への心配苦労を味あわずに済んだ,というような苦し紛れで負け惜しみの苦いユーモアが随所に現れます。
 新生児に障害があることはすぐにはわかりません。ある日成長が遅れているのではないか,と気づき,その遅れは大したことではないのか,それとも重大なことなのかの判断にも時間がかかります。身体的に障害があるとわかっても,脳の方は大丈夫だから,と言われ,またしばらく時間が経って,いろいろな病院の検査の末,ある日勇気ある医師が「身体的な障害と精神的な障害」を最終的に宣告します。1962年に生まれた長男マチューでこのドラマを体験したフルニエは,妻が次に妊娠した時に,二度同じことがあるわけがない,と信じ込みますが,1964年に生まれたトマは同じように障害のある子だったのです。
 その極端に苦渋に満ちたユーモアは,それを「この世の終わり」のようなショックと言うのですが,フルニエの「この世」は二回も終末を迎えてしまったわけです。
 インタヴューの中でフルニエは「パトス(悲壮,感の極み)を避けること」を肝に銘じて書いたと言います。この二人の不幸な子を前に,親の溢れる愛情は毎日川のような涙を流す,というシーンはありません。しかし,そのやり場のない悲しみと憤怒は,一度だけ激情となって,二人の息子を車のバックシートに置いたまま,ウィスキー1本を飲み干して目を閉じてアクセル全開で突っ走りたい,という衝動があったことも吐露されます。
 ハンディキャップとは何か,障害とは何か。ノーマルであることとノーマルでないこと。フツーであることとフツーでないこと。フルニエは省察します。自分はガキの時分からフツーであることが大嫌いだった。人と違う目立ったことをし,人と違うということが自慢だった。そういう親の子として,人と全く違う子で生まれたわが息子たちを,どうして自分は祝福してやれないのか。
 フルニエの想像は,この地球の上で限りなく不幸なこの二人の子供は,もしかしたらどこか他の天体ではフツーに生きられるのではないか,と考えたりします。またこの子たちは羽をもがれた鳥であり,羽さえあれば空と調和して生きられるのではないか,とも。
 あまり良い父親の姿はありません。呼吸し,時々ぎゃあぎゃあわめくだけのこわれもの人形のように世間から見られている二人の息子の前で,何もできずに立ち尽くすしかない男です。親の気も知らないで,と舌打ちすることもあります。
 「どこへ行くの,パパ?」というたったひと言のフランス語しか言えない息子です。Où on va? 私たちはどこに行くのか? 僕たちはどこへ行くのか,教えてパパ。父親は家に行くと答えたり,海に行くと答えたり,障害者施設に行くと答えたりしますが,子供はその答なんか関心がないのです。この子たちにも父親にもこの問いの答はないのです。
 ヴァカンスで海へ行きます。トマは海が嫌いです。それを知りながら話者は無理矢理浜辺まで車いすを押して行きます。トマは困惑の極みで,こう叫びます「ウンチ!ウンチ!」,こう言えば父親は方向転換をしてくれるはずだと思ったのでしょう。フルニエはこのことに驚くべき発見をします。トマはうそをつくことを知っている,と。

 この150頁は不可能かもしれない父親と重障害児の息子二人の魂の交流です。斜に構え,皮肉っぽいポーズもありますが,揶揄はもっぱら「ノーマル」とされている世界の側に向けられます。そして「ノーマル」と思っていた自分自身への揶揄でもあります。泣笑いの本です。読む者がこの本で笑う部分も少なくありませんが,それはこの子たちと一緒に奇妙な「ノーマル社会」とその一員であるフルニエを笑うことです。
 もしもおまえたちがノーマルだったら - この仮定に託されたフルニエの蓄積された思いは,あれもできたかもしれない,これもできたかもしれないの末に,やっぱり不幸かもしれないと無理矢理に結語しようとするのです。おまえたちがノーマルだったら,障害児の親になるかもしれないじゃないか,と。
 結論はありません。この二つの魂と共に生きた父親の記録があるだけです。よく選ばれた言葉で,時おり詩的に,時おり散文的に,ノーマルと非ノーマル世界を行ったり来たりする旅行記のような趣きもあります。ノーマルな人間は深く揺さぶられてください。


 2008年度フェミナ賞受賞作品
 Jean-Louis Fournier "Où on va, papa?"
 (Stock刊 2008年9月。156頁。15ユーロ)



 

2008年11月8日土曜日

今朝のフランス語「クークー」



 くうくう【空空】
 (1)何もないさま。むなしいさま。(2)[仏]大乗仏教の根本真理である空の立場は固定的に実体現されてはならず、さらに空として超克していかなければならないということ。空のまた空。
 (広辞苑第4版)

 coucou[kuku]〈擬音〉n.m. 1.【鳥】かっこう。2. 鳩時計(=pendule à 〜)。3.【植】ラッパ水仙(=narcisse des bois)
 coucou[kuku]ーint. 1..C〜!(隠れんぼで)鬼さんこちら。2.C〜(me voilà) !(不意に現れて)ばあ!
 (新スタンダード仏和中辞典)

フランスの社会党(PS)は2002年大統領選第一次選挙でのジョスパン落選以来、万年野党の地位に低迷しています。それはその旧体質が原因していると言われ、イデオロギー政党の教条主義からなかなか抜け出せないために支持者を失っていきました。この社会党の頑固な古株は「マムート」(マンモス)と呼ばれ、ジョスパン、ロカール、エマニュエリ、ラング、モーロワ等々のミッテラン時代の化石遺産を排除しない限り、21世紀的現実に対応する政党として再生できないと言われていました。2005年に、セゴレーヌ・ロワイヤルが大統領選に出馬の意志を表明した時、社会党内では「じゃあ、家事は一体誰がするのかね?」という滅茶羅苦茶羅な女性差別の発言をするマムートがいて、社会党に巣食うアナクロ病の重さを感じさせたものでした。
 そういう社会党だから体質を刷新して、サルコジと一騎打ちできるような若手が出てくるかどうかが、2007年選挙の課題だったわけです。セゴレーヌ・ロワイヤルは徐々に陣地を拡げて、公認候補として正式に選出されたものの、党内には足をひっぱる輩がいっぱいいて、何か失言したりするたびに「ああ、やっぱり女だから」みたいなことを平気で言うやつがいて...。
 2007年5月大統領選、サルコジ54%、ロヤイヤル46%という「大差」で負けた時から、党内でロワイヤル降ろしが始まり、この女だから負けたのだ、というかなりローブローな非難が集中します。
 あれから1年半、社会党は派閥抗争を繰返し、リーダー不在のまま、フランソワ・オランド(結婚はしていなかったがセゴレーヌ・ロヤイヤルの元伴侶。大統領選挙前から既に破局。)が占めていた党第一書記の地位をめぐって、内部対立が顕著になっていましたが...。
11月14日にランスで開かれる党大会で、その第一書記が選出されることになっていますが、その立候補者4人の4つの党方針構想に対する党員の承認投票が11月5日に行われ、11月6日午前2時にその開票結果が発表され、大方の予想(パリ市長ベルトラン・ドラノエがトップになるであろう)を裏切って、セゴレーヌ・ロワイヤルが第一位となったのです。
 1年半吹き荒れたロヤイヤル降ろしの嵐にもめげず、傷だらけのセゴレーヌは帰ってきました。なんだかんだ言われても、サルコジと一騎打ちが出来る器の左翼人はセゴレーヌ・ロヤイヤルである、と党員は信頼を再び託したわけです。この1年半の臥薪嘗胆時代、セゴレーヌはよく耐えたし、何を言われようが、サルコジ政治への批判発言をやめようとしない、頑なな反サルコジ姿勢が、再び正当な評価を受けようとしているのだと思います。
 11月8日、リベラシオン紙の第一面は「クークー、セ・モワ!」と見出しされた、セゴレーヌ・ロヤイヤルのカムバック記事です。空のまた空。そうやって超克していってくれれば、この女性は大政治家になると思います。
 折りも折り、オバマ当選の興奮から醒めない多くのプレスは「フランス版オバマの登場はありうるか?」みたいな問いを出します。その時にセゴレーヌ・ロヤイヤルのカムバックが重なって、「えええ!? またあの女!?」のような侮蔑的な反応もあります。フランスは社会党内だけでなく、全国的に旧体質の考え方がまだまだ抜けないのです。

 ←社会党のマンモスたちは「死刑!」と言っているようなポーズ。

2008年11月7日金曜日

Abd Al Malik... casse la baraque!



 10月1日の『アブダ仏如来』の続きです。11月3日、アブダル・マリックのサードアルバム『ダンテ』がリリースされました。レコード会社の発表によると発売時で6万枚のセールスだそうです。これは今日の業界の状態を考えれば、異例のヒットと言えます。
 私はやや遅れて11月6日の午後に現物を手にしました。ダブルディジパックの重いパッケージの中に重い13曲のCDと、重いブックレット(ああ、すべてのライムが重いですよ!)と、12枚の表裏印刷の美麗ピクチャー・カードが入っていました。豪勢ですが、金ピカではないです。

 1曲1曲の印象は数時間後に書きます。

 11月6日午後9時、国営ラジオ France Inter(フランスアンテール)で新アルバム『ダンテ』のお披露目ショーケースが放送されました。ジェラール・ジュアネスト(ピアノ/指揮)の楽団と共に6曲演奏されました。
- C'est du lourd
- Gilles écoute un disque du rap et fond en larmes
- Lorsqu'ils essayèrent
- Roméo et Juliette (feat. ジュリエット・グレコ)
- Paris mais... (feat. ヴァレン)
- Noces à Grenelle

 4曲めのイントロダクションでこう言ってます「俺にとってアーチストであるということは、ジュリエット・グレコであるということなのだ」。
 このスタジオ・ライヴの映像がまるまるデイリー・モーションで公開されています。(↓をクリック)
 アブダル・マリック/フランスアンテール
 まあ、見てやってください。エモーションの連続で、フランスアンテールの小屋が壊れる、という感じ、お分かりになるでしょう。
 

 

 

2008年11月5日水曜日

今朝のフランス語「カセ・ラ・バラク」



Casser la baraque
casser [カセ]は壊す,割る,折る,破壊するという意味の動詞です。baraque[バラク]は,日本語になっている「バラック小屋」(物置小屋や建設現場の飯場,あばら屋,掘建て小屋...)という意味だけではなく,移動遊園地などにある見せ物小屋や露天屋台という意味でも使われます。文字通りの直訳では「小屋を壊す」ということになりますが,これは主に芸能界で使われる表現で,興行が大当たりする,歌手や芸人がショーで大成功する,という意味になります。つまりショーを打った小屋が観客の大喝采大熱狂で壊れてしまうような図を想像していただければいいでしょう。

 Il a cassé la Barack, Obama


今朝,フランスの某ブログでこんな見出しを見ました。あたりまえですが,「オバマは小屋を壊した」という意味ではありまっせん。

2008年11月4日火曜日

Less Worse Blues



 マリオ・カノンジュ『ライヴ - リゾーム・ツアー』
 Mario Canonge "LIVE - Rhizome Tour"


 盛岡の彼女,マリオ・カノンジュ(1960- )はマルチニック島出身のピアニストで,同島を代表するビギン・オーケストラのマラヴォワのリーダーだったポロ・ロジーヌが亡くなってからは,マラヴォワのピアニスト/編曲家の役もつとめています。80年代以降に出て来た島の新しい凄腕ミュージシャンたちのひとりで,最初ジャズフュージョンのバンド「ウルトラマリン」で注目され,その後はビギンやズークやサルサもすれば,ジャズやフュージョンもする,というオールラウンド型のピアニストです。マラヴォワからソロ・ヴォーカリストになったラルフ・タマールのピアニスト/作曲家/プロデューサーでもあり,前述のマラヴォワの他にラテン・ジャズのコンボ「サケショー」(熱い酒,熱燗)のリーダーでもあり,タマールやカノンジュのアルバムを出しているレコードレーベル Kann'Productionsのオーナーでもあります。
マルチニック島の伝統ということでは,マリウス・キュルチエ,アラン・ジャン=マリーの後継者として当代一のビギン・ピアニストと言えるでしょう。このCDのボーナスとしてエンヘンストされたクイックタイム映像で,ステリオ作のマズルカ曲「マニクー・ヴォラン(むささび)」のソロ演奏が見れますが,島のリズムでうきうきしてしまいます。
 小柄でちょっとずんぐり体型で,ステージでは大変ひょうきんだったりしますが,あだ名は「シューペル・マリオ(スーパー・マリオ)」で丸顔に口ひげがそういう雰囲気です。しかし,私はマリオを見るとどうしても,昭和時代のプロレスラーで,グレート東郷という人を思い出してしまうんですね。わかりますか?

 さてこのライヴは2004年に出した『リゾーム』(地下茎,根茎という意味ですが,ドゥルーズとガタリによる現代哲学用語でもあります)というアルバムの後のツアーでの録音です。ピアノ+ドラムス+ベースのトリオです。第一曲から白熱のビギン曲で始まる,それはそれはたいへんなライヴで,シューペル・マリオの面目躍如といったところですが,私はこのアルバムの見本CD-Rを10月にレーベルからもらった時から,ほとんど1曲ばかりを繰り返し聞いていました。
 それはスパイク・リー映画『モー・ベター・ブルース』のサントラ・テーマだった "Mo' Better Blues"のカヴァーなんですが,このCDでは6曲目(最終曲)で収録されています。私はあの映画も大変好きでした。カノンジュのアレンジはゆるめのゴスペル風で,主旋律をハミングでオーディエンスと唱和したりして,とても良い雰囲気で展開します。

 話はがらりと変わって,今日はステーツの大統領選挙投票日です。フランスのラジオ/テレビ/新聞,これほど興奮して報道されている米大統領選挙は前代未聞です。ブッシュ時代を終わらせる選挙だからなのか,カラードの大統領という歴史的選択のせいなのか,ラジオ/テレビは今夜は徹夜で特番を続ける構えです。
 私は昔からアメリカの大差ない保守2大政党での選挙戦というのに白けてしまう傾向がありました。今回もその考えに変わりはないですし,オバマの超巨額の選挙資金というは一体何なのかを考えると,この人は無名の民たちのことを真っ先に考える政治家では絶対にないことが確信できましょう。まあそんなこと言っても,あの人かこの人かというチョイスしかアメリカの人民たちに残されていないのなら,私は今度だけは,お願いだから,後生だから,バ ッ ド チ ョ イ ス だ け は 避 け て ね と言いたいわけです。ブッシュを2期も当選させてしまった国なんだから...。
 その意味でですね,この「モー・ベター・ブルース」が胸に響くのですよ。「モー・ベター」というチョイスは今度の選挙にはないかもしれないですが,「Less Worse レス・ワース」というチョイスだけはしてくださいよ,と。

<<< プレイヤーズ >>>
マリオ・カノンジュ Mario Canonge - piano
リンレイ・マルト Linley Marthe - bass
チャンダー・サージョー Chander Sardjoe - drums

<<< トラックリスト >>>
1. Manman- Dlo (Mario Canonge)
2. Madikera (Mario Canonge)
3. Where are you ? (J Mc Hugh)
4. Plein Sud (Mario Canonge)
5. Lueyr Eteinte (Mario Canonge)
6. Mo' Better Blues (Bill Lee)
+ Bonus video (Quick Time) "Manicou Volant"(A Stellio)

CD KANN' PRODUCTIONS 150971
フランスでのリリース : 2008年11月3日