2008年9月28日日曜日

コレージュ体に良いわきゃないよ



 『壁の中で』2008年フランス映画
  "Entre les murs" ローラン・カンテ監督
 主演/原作:フランソワ・ベゴドー
  2008年カンヌ映画祭パルム・ドール賞


 2006年のフランソワ・ベゴドーの小説『壁の中で』に関しては、今年6月の拙ブログ「壁の中で何が起こっているのか」で紹介してあるので読んでみてください。
 この小説を自由翻案して、2006-2007年の数ヶ月間、パリ20区に実在する公立中学校コレージュ・フランソワーズ・ドルトのキャトリエム(第4学年=日本の中学2年に相当)の有志たちに毎日曜日に出てきてもらって撮影された百数十時間の映像から編集して映画化された作品です。出演している生徒たちは「本物」です。この子たちに立ち向かうフランス語教師フランソワ・マランの役で、小説の作者フランソワ・ベゴドーが主演します。ベゴドーは元中学教師で、教師姿はたいへんサマになっていますが、その姿とは21世紀的に「荒れた教室」の中で、騒ぐ子/反抗する子に負けまいとして大声を上げ、神経をすり減らし、不眠症に陥るギリギリに生きる教師像です。小説では19区のコレージュでしたが、映画は20区のコレージュであり、いずれにしても地理用語的には「郊外」ではなくパリ市内なのです。この映画を紹介する時「郊外のコレージュ」と早とちりの間違いをするメディアは少なくありません。エキゾティックな名前と肌の色をした子たちが、ブランドもののスポーツウェアを着て、男も女もギラギラのネックレスや指輪やピアスで飾り、郊外ラップと同じ語彙とイントネーションで話します。これでは何ら郊外と変わりないではないか、と誰もが思います。
 パリの西郊外のわが町ブーローニュ・ビヤンクールの公立コレージュ・バルトルディに通っている娘は、この映画に現れたクラスを、まるで自分のクラスのようだと言い、授業中に荒れだして収拾がつかなくなったら、この映画よりも混乱してしまうことがあるとも言います。授業の妨害をする生徒のことを perturbateur ペルチュルバトゥール(日本語訳には撹乱因子とか妨害分子とかいうのもあります)と言い、これに煽動されて他の子たちが同調して騒ぎ出すと、授業は続けられません。この場合、教科教師、担任教師、校長からその子の親への警告、親を呼び出しての注意などの末、それでも改善の余地がない場合は、地区教育委員を含んだ懲罰委員会の議決によって、最悪の場合は放校処分となります。
 映画の中では、マリ出身で、父親不在(ここには暗に「一夫多妻制」への当て擦りがあるかもしれません)、フランス語を解さない母親を持つスーレイマンという名のペルチュルバトゥールの問題、教師への不服従と不敬(tutoiement つまり教師に向かって "tu"おまえ呼ばわりすること)、親呼び出し、再び問題、懲罰委員会、放校処分決定、というのが大きな流れのひとつになっています。他の教師たちにしてみれば全く手のつけようがないこの少年に、教師フランソワはなんとか解決の糸口はないものかと探します。なぜならこの子が母親思いの子であることを知っているからです。フランス語の授業の一環で、おのおのの生徒のセルフ・ポートレートを作らせます。パソコンを使って自己紹介文と画像などで自分自身を表出させます。ここでスーレイマンは「傑作」を作り、フランソワはそのセルフ・ポートレートを教室壁に模範として掲示し、スーレイマンは恥ずかしそうに微笑みながらもそれを誇りに思うわけです。フランソワはそういうスーレイマンを最終的に救ってやれず、放校処分が決定されます。
 教師の命令に服従しない例では、クーンバという少女がいます。授業中「アンネの日記」のテキストを読むようにとフランソワに言われたクーンバは「読みたくない」という理由で読むことを拒否します。「読みたくなから読まないという理屈は学校では通らない」とフランソワは、クーンバに対して教師への無礼への謝罪を要求します。謝罪をしたがらないクーンバにフランソワはそれを強要します。最終的に詫びの言葉を小声で言ったクーンバは、教室を出たとたん「そんなことこれっぽっちも思ってないわ!」と最後っ屁を放ちます。怒りのあまり、フランソワは机を蹴飛ばしてしまいます。
 その後クーンバはフランソワに長い手紙を書きます。「リスペクトは双方向でなければならない、あなたが私をリスペクトしないのであれば、私もあなたをリスペクトしない。よって今日から私は授業であなたに対して口を利くことを拒否するし、あなたは私を無視しても構わない」という宣戦布告で、その日からクーンバはフランソワの授業中「貝」と化してしまうのです。
 そしてフランソワを最初から徹底的になめてかかる少女エスメラルダというのもいます。クラス代議員であるこの少女は、生徒の成績評価を決める教師会議にも代議員として出席する権利があり、あとであの先公がこの生徒の評価についてこんなことを言った、あんなことを言ったと、みんなに言いふらし、学校側と生徒側との敵愾心を煽っていくようなポリティカルな反抗少女です。この少女のあまりの口軽さに、フランソワは思いあまって「ペタスのような言い方をする」と言ってしまいます。これが大スキャンダルとなり、エスメラルダは「先生が私をペタスとののしった」というヴァージョンで言いふらし、学校側も目をつぶってはいられない事態になります。(「ペタス」とは小説紹介に説明した通り、フランソワの使った意味では扇情的な女、エスメラルダの理解した意味では淫売婦、ということです)。
 この映画は、ベゴドーの小説同様、今日の状況で教育はどうあるべきか、とか教師に何ができるか、とか子供たちは学校で何を学べるか、とかそういうことは一切問題にしていません。誰も何もできない、けれど何かできるかもしれない、しかし何もできない、というタイプのモノローグは、小説の中ではフランソワがぶつぶつ言っていますが、この映画にはそのフランソワの視点も取り払われています。それは教室内の声の大きさで、教師が勝ったり、生徒側が勝ったり、という容赦ない闘いで構成されている映画だからです。
 ローラン・カンテのカメラアイはむしろ子供たちの反抗に、教師ベゴドーを上回るパワーを強調して見せている部分があります。ただ反抗はこの映画のメインテーマでもサブテーマでもありません。
 フランソワと共に現れる教師たちは、決して無気力ではなく、自分たちの孤的な闘争(授業ということですが)を精一杯戦っているように見えます。しかし総じて自分たちはいかにして生き残っていくのか、という防御戦しか戦えないのです。フランソワ自身、生徒たちとなんとか触れ合って行こうとつとめる熱血教師では全くありません。望まれている教師、望まれている教育、というのは誰も知ることができないのです。
 学年の終わりの授業で「きみたちはこの1年間で何を学んだか、ひとりひとり言ってみなさい」とフランソワは聞きます。ピタゴラスの定理を教わった、地殻変動の力学を教わった、音楽でフルートができるようになった...。さまざまな答えが返ってきます。さあ、明日からヴァカンス、新学期にまた会おう、で授業時間終了のベルが鳴ります。みんなが勢い良く教室を出て行ったあと、ひとりの少女がフランソワに近づいてきます。「先生、私はこの1年で何一つ学んだものはありません」。もうこれは鉄槌のような言葉ですね。教師にとってこれほど衝撃的で非情な言葉がありましょうか...。

 映画はいい笑顔の生徒たち、いい笑顔の先生たちが、入り乱れて校庭サッカーをするシーンで終わります。Life goes on。素晴らしい映画です。娘も私も喝采しました。ぜひみんな見てください。


PS 1 (10月1日)
本日発表のフランス・ボックスオフィス(国内映画入場者ランキング)で,9月24-30日週の集計で『壁の中で』が1位でした(週入場者:356 494人。そのうちの2人が私と娘です)。

 PS 2 (2013年1月22日)
日本公開時のローラン・カンテ監督のインタヴュー+日本公開の予告編を(今さらですが)見つけました。字幕がほとんど通訳になっていないのがすごいです。

2008年9月22日月曜日

爺は愛サイケ



 Compilation "Wizzz! Vol.2"
コンピレーション『ウィヅ! Vol.2』


 朝市に美味しそうなキノコがたくさん並ぶ季節になりました。
 キノコを美味しくいただくには,ファズ・ギターとか歪んだハモンドオルガンとか電気シタールがあればバッチリですよね。お香焚いて,7色の照明ライトをぐるぐる回したりして。
 ジャン=バチスト・ギヨー(Born Bad Records)が,またまたやってくれました。60年代フレンチ・サイケの珠玉のコンピレーション『ウィヅ!』(2001年発表)から7年後,その第2集が出てしまいました。第1集のジャケ・アートがギ・ペラールだったのが印象的でしたが,2集のジャケも雰囲気ばっちりですよね。単車はジターヌ・テスティ!ハーレイでもヴェスパでもないのは,おフランスだからなんですね。
 この種のシングル盤コレクターによるフレンチ・シクスティーズ・コンピレーションでは,女性ばかりを集めた"Swinging Mademoiselles"(2集まで出ました)と,バンド系が多い"Ils sont fous ces gaulois"(3集まで出ました)と,この『ウィヅ!』が,他の追随を許さない御三家でしたが,この3つの監修者3人はお互いに友だち同士で,連絡を取り合っていて,3つのコレクションに曲の重複はないのです。
 7年目の『ウィヅ』第2集は,ジャン=バチスト・ギヨーによると準備に4年かかったと言います。こういう人目につかずに消えてしまったシングル盤は,今日誰が権利を持っているのか探すのに大変な時間がかかります。よくぞここまで,という感じです。
 駅キオスク小説の王者サン・アントニオ(フレデリック・ダール)のありがたいお言葉から幕を開けるこの新コンピレーションは,15曲,私は知っている名前と言えば,ブリジット・フォンテーヌしかありませんでした。マグマの前身バンドだったゾルゴンヌの,ウィルヘルム・ライヒ(性の絶頂の元,オルゴン・エネルギーを発見した人です)へのサイケなオマージュ(8曲め)も,初めて聞きました。宇宙オペラ系のサウンドをウィリアム・シェレールなんかと作った後でヒット作曲家になってしまうギ・スコルニックの,ワイルドで幻覚的な歌(4曲め)もすごいです。「クー・クラックス・クラン」結社を弾劾する歌でその黒人差別を強調するために鉄鎖を床に叩きつけながら歌うセルジュ・フランクラン(12曲め),ビートルズ・コピーバンド(Peatlesと名乗っていた)から様々な変名バンド(Papyvore, Jelly Roll...)を経て70年代のスターバンド:イレテ・チュヌ・フォワに至る中間課程のセルジュ・クーレンのバンド,バン・ディドン(10曲め)...
 30頁にわたるジャン=バチスト・ギヨーのライナーが素晴らしいです。よい書き手。音楽界の暗がりに生きていた狂気のアーチストたちへの愛情がいっぱいです。
 このコンピレーションは日本でも比較的容易に入手できると思います。サイケデリック&グルーヴィーにしてちょっとエッチものもあり。キノコの美味しい季節にばっちりの1枚なので,ぜひお試しください。

<<< トラックリスト >>>
1. SAN ANTONIO "J'aime ou j'emm..."
2. JEAN ET JANET "Je t'aime normal"
3. BRUNO LEYS "Maintenant je suis un voyou"
4. GUY SKORNIK "Des arbres de fer"
5. CHORUS REVERENDUS "Dans son euphorie"
6. BRIGITTE FONTAINE "Je suis inadaptée"
7. PHILIPPE NICAUD "Bonne nuit Chuck"
8. ZORGONES "Herr Doktor Reich"
9. JESUS "L'électrocuté"
10. BAINC DIDONC "4 Cheveaux dans le vent"
11. ALAIN BOISSANGER "Crazy girl Crazy world"
12. SERGE FRANKLIN "KKK"
13. ISABELLE "Am stram gram"
14. BRUNO LEYS "Hallucinations"
15. NELLY PERRIER "Un soir d'été"

Compilation "WIZZZ! VOL.2"
CD/LP BORN BAD RECORDS BB0013
フランスでのリリース:2008年10月6日



PS 1(10月4日)
ジャン=バチスト・ギヨーのマイスペースで『Wizzz! Vol.2』の5曲を聞くことができます。まっさきにGUY SKORNIK "Des arbres de fer"を聞いてみてください。


PS 2 (10月6日)
 『ウィヅ VOl.2』のリリース記念パーティーが10月25日にパリ8区シャンゼリゼ裏のレジーヌで深夜から朝Mで。面白そうだけど爺は体力がついていかないので行きまっせん。

2008年9月17日水曜日

キース・リチャーズは私だ



 Amanda Sthers "Keith Me"(Dans ma vie de Keith Richards)
アマンダ・ステルス『キース・ミー』(わが内なるキース・リチャーズ)


 また「ピポル」と思われましょう。既に3編の小説と2編の戯曲を発表している若い女流作家アマンダ・ステルス(1978年パリ生れ)は,作家としてよりもフランスの大人気男性歌手パトリック・ブリュエル(1959年アルジェリア,トレムセン生れ)の夫人として有名でした。この二人は2004年に結婚し,男児二人をもうけ,2007年にブリュエルに新しい恋人が出来たために別離します。この辺はパリ・マッチ誌などをまめに読んでいないとついていけない部分で,こういう「ピポル」世界にいる人たちに対して,私は一様にネガティヴなイメージを持っています。アマンダ・ステルスはもともとテレビ脚本やテレビ芸人(アルチュールのことです)のコントを書いていた経歴があり,今日テレビを全然怖がっていない顔でテレビに出てきます。才能ある人なのでしょう。小説,児童書,戯曲(ジャック・ヴェベールみたいな一流どころが演出してます),そして2009年公開予定で映画監督としてデビューします。音楽アーチストとしても俳優としても私にはあまり才能があるとは見えないパトリック・ブリュエルには,不釣り合いな才媛だったのかもしれません。凡庸な男から見れば可愛くない女です。この本でも「私の悲しみはキース・リチャーズの悲しみ」と等価する時,多くのストーンズ・ファンは「自分を何様だと思ってるんだ」と思うに違いありません。
 さて,この本は小説です。ローリング・ストーンズ読本やキース・リチャーズ評伝ではありません。果てしない悲しみを背負った男キース・リチャーズ(1943年ケント州ダートフォード生れ)を,その内側で共有しようとする話者=作家(アンドレア・スタイン)によるキース・リチャーズ乗移りトリップのようなフィクションです。文中の一人称「Je = 私」はアンドレアであったりキースであったりを行ったり来たりするのですが,やがてどちらともわからないキース=アンドレアになったりもします。一度ならずアンドレアは「キース・リチャーズは私だ」と宣言もします。
アンドレアにとってキース・リチャーズとは悲しみそのものです。この男は世界一のロックバンド,ローリング・ストーンズのナンバー2です。絶対にミック・ジャガーを越えることができない二番手です。そのミック・ジャガーとの関係においても,仲の良い幼なじみや,長年の腐れ縁的ななれ合いの関係ではありません。二人は顔を合わせれば大声で口論するしかないし,この口論において常にリチャーズはジャガーに負けるしかないのです。それはこの小説の描写では,バイセクシュアルのジャガーがキースを肉体的にものにしてしまった時から勝負が決まっているのです。しかしローリング・ストーンズはこの二人の結合がなければ無に等しいのです。ジャガーもリチャーズもソロ活動を試しますが結局失敗します。この二人はジャガー+リチャーズとしてローリング・ストーンズを続けるしかないのです。だが二人は対等ではない。ジャガーが上でリチャーズは下なのです。これをリチャーズは引き受けてしまったわけです。この大いなる悲しみがブルースとなってキースのギター,キースの作曲となっていき,この大いなる悲しみを耐え忍ぶためにあらゆるドラッグが必要だったのです。
 イングランド,ケント州ダートフォードという何もない町で生れ,キースは暴力的な父親に虐待されて育ちます。この父への怨みは,後年,父の遺骨の灰をコカインに混ぜて吸い込んだという伝説的エピソードとなります。母親方の祖父オーガスタス・デュプリー(通称ガス)はジャズマンで,キースは彼から音楽の手ほどきを受けます。やがて両親が離婚し,キースはサイドカップ・アートカレッジに送られ,その日から20年彼は父親と一度も会わないことになります。生きている間に和解することがなかった父子の関係をこの小説もキースの大いなる悲しみのひとつとして描きます。ジャガーの父親はまだバンドが有名になる前からミックに「スター」の姿を見ていて,労働者階級ではたいへんな贅沢である自動車をミックに貸し与えます。これをキースは猛烈に嫉妬するというくだりもあります。小説の終わりに近いところで,キースは父への怨恨を祓うために,その火葬した骨灰をコカインと一緒に鼻から吸入するのですが,作者はここでひとつの悲しみからキースを解き放つような文章になります。どうでしょうか。これをクライマックスに持ってくるというのは,ちょっと安直なのでは。
 ブライアン・ジョーンズから奪い取った恋人アニタ・パレンバーグとは,この小説では3人目の子供タラが生後2ヶ月で窒息死したことが引き金になって破局を迎えています。アニタとキースの関係は長々とは描写されません。その代わり,アンドレアが3年間生活を共にし,二人の子供をもうけた夫との別離のこと(つまりアマンダ・ステルスの私生活)がもうひとつの大いなる悲しみとしてこの小説に溶け込んでいきます。
 この小説で私が最も気に入ったパッセージは83頁から86頁にあり,それは鼻高々のロックスターとなったキースがコンサートのあとでひっかけたイギリスの田舎の純朴な少女(名前はウェンディー)が,性交のあとで相手がキース・リチャーズだと知り,一晩一緒にいたいとせがみます。それをキースはセキュリティーの人間を使って無理矢理外に放り出します。翌朝ウェンディーはキースのホテルの前で死んでいます。その時からキースは,呪いで自分の両手がウェンディーの両手に変わってしまったという妄想を持つようになります。この両手は愛されることなく捨てられた少女のものが乗り移ってしまった。人の目を避けて,小さくか細に見えるその両手でこわごわギターを弾いてみると,それはたしかに弾けているのですが,なんと以前よりもうまく弾けるようになっているです。ここでキースはおいおいと泣いてしまいます。いい話ですね。ただし話でしょうけど。
 こういう悲しみがある度にコカインやヘロインの量は増えていきます。映画『ギミー・シェルター』にもなった69年アルタモントで,目の前で黒人が殺された時,ステージの上でキースは何を思っていたのか。作者が書くように,この時にロックは愛と平和の幻想を失ったのでしょうか。ミック・ジャガーはスーパースターになりたがったが,俺はミュージシャンになりたかったのだ,と作者はキースに言わせています。ローリング・ストーン=転がる石は,苔のむさない石のことではなく,シーシュポスが何度山の上に押し上げても必ず転がり落ちてくる岩のことなのでしょう。キースとミックはその岩を一生押し上げ続けなければならないのでしょう。通常の神経ではそれはやってられないことだから,悲しみだけが増していくことだから,キース・リチャーズの顔面の皺は,ヘロインの注射針の数ほどに増えていくのです。
 極端な生を生きるこの男はなぜ死なないのでしょう?これだけの悲しみを背負い込んで人間はなぜ死なないのでしょう? 端的に言えば作者の問いはそういうところです。自分を傷つける勇気がないという理由で麻薬に手を出さないアンドレアは,キースが自分の分まで注射針を打込んでくれている,と思っています。
 この気分的な大いなる悲しさだけは,たいへん良くわかる小説なのですが,キース・リチャーズという実在する著名人を自分の都合で限りなく自分に近づけようとするのは,どうにも感心できない部分があります。アンドレアも血を流すのですが,キース・リチャーズの血の流し方はそんなもんじゃないでしょう。「私はキース・リチャーズそのものである」とアンドレアが書く時,それは音楽になっていないのです。第一,こんなに音楽が聞こえてこないキース・リチャーズ小説というのは,やっぱり違うんじゃないの,と思わざるをえません。
 英語に詳しい人のご意見を伺いたいのですが,タイトルの『キース・ミー』というのは,英語を知らない私から見てもとてもチープなセンスの地口だと思うのです。なんか日本人の考えそうな...。


Amanda Sthers "Keith Me"
(Stock刊 2008年8月24日。142頁。14.50ユーロ)



PS 1 (9月22日)
きのうおととい(9月20-21日)とフランスでは2日間「第25回文化遺産の日」(Journées du patrimoine)で,議事堂,大統領府,首相府,各省庁,博物館や歴史的建造物が無料で一般開放されて,ガイドつきで見学ができるという催しがありました。ロワール川の古城巡りの白眉のひとつ,シャンボール城では,この日に合わせて,庭園の緑芝を刈り込んで,こんな形にしてしまいました。赤ではないのでよくわからないかしら,ローリング・ストーンズのロゴマークです。別にこの城がローリング・ストーンズゆかりの地というわけではありません。


PS 2 (9月28日)
今年の8月に出版されたフランスの女流作家の作品でこんなのがあります。『ミック・ジャガーと朝食を』(ナタリー・キュペルマン著)。アマンダ・ステルスと同じで,ストーンズ本でもジャガー伝でもない,フィクションです。読んでみましょうか。

2008年9月15日月曜日

パンクの祖と長時間話した



 9月15日と19日の2回にまたがって、マルク・ゼルマティに話を聞きました。
 ゼルマティの会社スカイドッグとはつきあいこそ長いけれど、そんなに大した仕事は一緒にしていませんでしたが、それでもよくうちの事務所に来てくれて、「俺はフランスに絶望した」とか「くだらない音楽を捨ててロックを聞け」とか、一方的にいろいろなヨタ話をトゲのある言葉をたくさん交えてひとしきりしゃべって帰っていく、という説教オヤジ的な訪問を毎回楽しみにしていました。最初はBrute(ブリュット。粗のまま、むき出し、乱暴)なロック中年と思っていましたが、身なりはいつもスタイリーだし、教養と繊細さも匂わせるもの言いが、そんじょそこらのロック業界人とは違うということがだんだんわかってきました。ゼルマティがこの世界で伝説の人物であり、特に70年代半ばにパリのレ・アールから(ロンドンに先駆けて)パンク・ロックをプロデュースしていた、言わば「パンクの父」であった、ということを私が知ったのはずいぶん最近のことで、特にこの2−3年、音楽もファッションも「ロック」が大復古してしまってから、メディア上でゼルマティの名前をたくさん見るようになったのがきっかけでした。お見それしやした、親分、という感じでした。
 マルクはアルジェリア、アルジェ生まれです。父親はユダヤ人医師、母親はフランス人でカトリック信者。マルク自身は無宗教者ですが、人からはユダヤ人と見られ、幼い頃から反ユダヤ感情(アンチ・セミティスム)の標的となっています。ピエ・ノワールの子ですから。しかしゼルマティ家はもともとはスペインの大富豪家で、1492年のユダヤ人追放で一族はヨーロッパに四散していて、そのうちのフランスに逃れた部分が、マルクの直系の先祖だそうで、誇り高い大ブルジョワ気質はマルクにまで引き継がれます。「俺は金には興味がない」と言う彼は、ゼニ勘定ばかりする輩を軽蔑し、たとえ自分が無一物になっても高慢であり続けることができると思っていて、それはこの血筋だから、と説明します。
 アルジェリア戦争のために62年にフランスに逃れますが、両親が離婚。父親はニースで開業医として人生をやり直します。マルクはパリ圏の母親の下で暮らすのですが、夜は「ドラッグストア族」(La bande du Drugstore)となって遊びまくります。このラ・バンド・デュ・ドラッグストアとは、シャンゼリゼに出来た当時としては画期的な24時間営業のマルチストア(薬、食品、本、レコード、カフェ...)だったドラッグストアという店にたむろする若者たちの一団で、主に高級住宅街16区から出て来る金持ちの子女たちが、ビシっと決めたファッションで不良遊びをし、盆百の若い衆がイエイエなんぞを聞いている時に、この連中はモッズなロックンロールとStax系のリズム&ブルースを輸入盤で聞いていたのです。そしてセックスですね。性の解放なんてまだまだ遠い先だったド・ゴール時代のフランスで、この若者男女は7区や16区や17区の高級アパルトマンで毎週末開かれるプライベートパーティーでご乱行の限りを尽くしていたのです。
 マルクは「フランス人金持ちの愚息たちはセックスを恐怖し、金持ちの娘たちはセックスに飢えていた」と言うんですね。13歳14歳で男になって当り前というアルジェリアで育ったゼルマティをはじめ、非「純系」フランス人の男たち(ボリス・ベルグマン、セネガル大統領の息子ギ・サンゴール...)がモテモテ性豪となっていったそうです。当時のドラッグストア族ではジャラール・マンセ、フランソワ・ジューファ、ジャン=ベルナール・エベイ、ブノワ・ジャコ、ロナルド・メウ(後のロニー・バード)などが後の有名人です。
 なお、2002年に映画"La Bande du Drugstore"(日本公開タイトルが『好きと言えるまでの恋愛猶予』。恥ずかしいなあ)というのがあって、60年代ドラッグストア族をファッション青春もので描いてましたが、実在したドラッグストア族とはかけ離れているので、参考にはなりません。
 さてゼルマティはその後麻薬で監獄に入り無一物になったのですが、知人から金を借りて72年にポンヌフの近くに「オープン・マーケット」という店を開きます。最初はただの広いスペースに蚤の市のような台を並べた複数の店子が、レコード(海賊盤)、インドものの衣類やアクセサリー、Tシャツ、ポスター、ファンジャン、地下出版物などを売っていたのですが、パリで唯一のアンダーグラウンド/カウンターカルチャーショップとして知られるようになり、他の店子を追い出して、マルクだけの店になります。74年に店はレ・アールに移り、約200平米の広さを持ち、1階がショップ、2階がゼルマティのレコード会社スカイドッグの事務所、地下が彼がプロデュースするバンドの練習スタジオとなったのでした。このレ・アールのオープン・マーケットが、事実上フランスと世界のパンク・ロック発祥の地となるのですが、ゼルマティは「いつが最初で誰が始めたとか、そんなことはどうでもいい、ただロンドンやニューヨークよりも先に俺たちはここでもうやっていたのだ、ということはレスター・バングスが証言している」と言います。72年に立ち上げたスカイドッグで、フレーミン・グルーヴィーズ、MC5、イギー&ザ・ストージーズ(『メタリックKO』)などを売り出し、最初の英パンクバンド(とマルクは断言した)ザ・ダムドをレコード・デビューさせます。
 オープン・マーケットの早くからの常連にイヴ・アドリアンがいて、ゼルマティはアドリアンの鋭い感性からほとばしる流星のような文章に「アントナン・アルトーの再来」を見ます。さらにリベラシオン紙で退廃ダンディー的なクロニクルを書くアラン・パカディスが加わります。ゼルマティ+アドリアン+パカディスのトリオは、「ゼルマティが発見し、アドリアンが理論化し、パカディスが俗化する」という三つの歯車として機能していました。アドリアンはフランスの音楽雑誌ROCK & FOLK1973年1月号に"Je chante le rock électrique" (俺はエレクトリック・ロックを歌う)というマニフェストを発表し、その中にこういう1行が出て来ます。

   Et soudain... PUNK, c'est l'orgasme électrique
  そして突然.... パンク、それは電気的オーガズムである


 賽は投げられた、という感じですね。72年から74年までイヴ・アドリアンはROCK & FOLKの記事署名を "Eve Sweet Punk Adrien"としています。パンクはこうやってゼルマティのオープン・マーケットから電気的に世界に伝導していったのです。
 76年、ゼルマティは南西フランス、モン・ド・マルソンで初の「パンク・フェスティヴァル」(Damned, Count Bishops, Nick Lowe, Gorillas, Sean Tyla, Eddie and the Hot Rods, Shakin Street, Bijou...)を開きます。77年、世間一般では「パンク元年」にあたる年、同じくモン・ド・マルソンで第2回の「パンク・フェスティヴァル」(Clash, Damned, Police,Doctor Feelgood, Bijou, Little Bob Story, Asphalt Jungle...)が開かれます。どうしてこんなことが可能だったのでしょうか。
 そして同じこの公式パンク元年に、レ・アールのオープン・マーケットは閉店します。なぜなんでしょうか? それは別原稿で開陳します。

 伝説のオープン・マーケットは写真が1枚も残っていないのです。それがまた伝説性を増大させていくのですが。

 

(←)なおゼルマティはこの12月4日から1ヶ月間、オープン・マーケット当時からコレクションしていたロックコンサート・ポスターのエキスポ(兼即売会)を開きます。成功すれば、ロンドンと東京でも開きたいと言ってます。Rock is our life。死ぬまでロック。






PS 1(9月19日)
爺とマルク・ゼルマティは Facebook友だちになったことから、縁が戻ってきました。


PS 2(9月29日)
雑誌用になにか面白い写真ちょうだいよ,とゼルマティに頼んだら,こんなのが2枚来ました。1枚めはなんとアニタ・パレンバーグです。これは珍しいですね。歳とってもキース・リチャーズとうり二つなんですねえ。
2枚めはシナロケのシーナさんです。


 
 

2008年9月13日土曜日

私は岩、私は島



『ある島の可能性』2008年フランス映画
  "La possibilité d'une île" 監督ミッシェル・ウーエルベック
  主演:ブノワ・マジメル


 見出しの出典は「アイ・アム・ア・ロック」(サイモンとガーファンクル)です。「私は岩、私は島、岩は苦痛を感じない、島は絶対に泣かない」という歌詞で終わる歌です。2005年にミッシェル・ウーエルベックの小説『ある島の可能性』が出た時に、以前やっていたホームページでそれを紹介した時も、このサイモンとガーファンクルの歌を引き合いに出したのでした。どれだけ売れたでしょうか。賛否両論あれど、仏文学界21世紀最初の大問題作でしょう。私は絶賛しました。若い人たちの間ではカルト的に読まれたでしょう。この「カルト」というのがクセもので、予言的であることや人類の終末後(環境の大破壊によるものです)の可能性を「新宗教」で展開しているのが多くの否定的な意見を招いたのでした。この小説が、大旱魃期や氷河期や核戦争期のあとでも生きられる永遠の生命を持ったネオ人類たちが、死や情動の世界に回帰してくる、つまり不死を捨てて人間に戻るという可能性を見ようとしている、光年のかなたのロマンティスムが小説の最後の最後の救いであるわけです。こんな小説書いてしまったら、あとは何も書けなくなってしまうのではないか、と思われるほどの黙示録型の作品でした。
 ウーエルベックは、次作を書かず、この作品を映画にしてしまいました。『アキラ』を描いてしまった大友克洋のようだ、とも思いました。自分の作品を自分で映画化する場合、往々にして映画化作品は原作にあまり忠実ではありません。この映画『ある島の可能性』に至っては、小説からの翻案と言うよりも、小説のヴァリアント/ヴァリエーション、ジャズ的に言うなら主題をわかる程度に残しておいてアドリブを重視して、という感じの映像作品です。
 ウーエルベックにおいては既に『闘争領域の拡大』と『素粒子』という二つの作品を他人の映画監督によって映画化されていて、ウーエルベックはどちらにも好意的な評価はしていませんでした。自分でやるしかない、と思ったのでしょう。この『ある島の可能性』は、作者としては小説での評価と映画での評価は全く別ものであって欲しいと願ったと思います。映画監督ミッシェル・ウーエルベックはこれまで誰も知りません。こんな男に映画が撮れるのか、と思った人も少なくないでしょう。村上龍映画みたいなものでしょう。また『ある島の可能性』のようなこれまで自分が書いたものの最高のレベルに達したような作品は、たとえ映画化されても、この小説を読んだ者しか映画を見に来ないだろう、とウーエルベックは予測していたと思います。
 しかし映画化が困難と思われた小説で、ウーエルベックがこの話を持ちかけた映画会社、プロデューサーたちは、みな一様に二の足を踏み、資金の出どころがない状態になり、ウーエルベック自身が「ミッシェル・ウーエルベック株式会社」を設立して、予算の半分をこの会社で負担することにして、やっと制作が始まったのでした。
 この500ページ(小説)の黙示録的SFは、2時間くらいのフツーの映画時間では、とうていおさまるわけはない、と私は思っていました。ところが、なんと上映時間1時間25分。小説を読まなかった人たちを全く無視したような、切り捨て編集の映画です。
 ベルギーの地方都市をライトバン車で回って、異星からやってきた叡智と永遠の生命を説く新興宗教エロイム、それははじめは郊外の空き倉庫を伝導会場にして、時間の有り余っているホームレスや老人たちが数人寄ってくるような規模のものだったのに、3年後には世界に支部を持ち、先端生物学の研究者を有して、永遠の生命をクローン再生によって実現しようとする「危険カルト」に成長します。この映画では主人公ダニエル(ブノワ・マジメル)は、教団の創立時からの教祖助手ということになっています。ダニエルはある日「普通の人生」を送りたいと教祖に告げ、教団から別れシャバで暮らすようになります。数年後、ダニエルは教祖から呼び出され、その本山(超高層ホテルが林立するトロピカルなリゾート島の人里離れた岩山部の洞窟の中にあります。初期007映画の秘密基地のようです)に行くと、教祖は死につつあり、後継者はおまえだ、と告げられます。永遠の生命を約束する教団の教祖はその夜、自らを実験第一号としてクローン化の機械の中に入ります。映画はそこから数十世紀先に飛び、クローン化を数十回繰り返した後のネオ人間ダニエルが、核戦争や環境大変動を越えて、培養洞窟の中でひとりで棲息しています。ネオ・ダニエルは数十代前の人間ダニエルの書いた手書きノート(電子的に非物質化された状態で保存してあるのですが、「手書き」体の文字で残されてるというのがミソですね)の熱心な読者で、ネオ人間にはあり得ない人間状態とか愛情への強烈なノスタルジーを育んでいきます。そしてネオ・ダニエルは培養洞窟を抜け出し、破壊されつくして久しい地球表面に足を踏み出します。地球のどこかで同じように覚醒して外界に歩き出したひとりのネオ人間女がいます。この二人が果たして出会うことができるか、という可能性でこの映画はエンドマークです。
 無駄も余計なもの(例えばアリエル・ドンバルの友情出演)も陳腐なものもたくさんあるのですが、この映画、大筋のところで私は脱帽しました。小説とは別ヴァージョンであると納得できます。なぜならこの映画の後半のロマンティスムは小説にはない異種のものだからです。この出会いの可能性はキャラックス『ボーイ・ミーツ・ガール』と同じで、その男はその女と出会う前から愛してしまっている、その以前出会った記憶というのははるか何十世紀も離れたものかもしれない、という種類の果てることのない想像の恋慕のように見えます。気の遠くなるような恋物語が、ネオ人間を人間に戻す可能性になるかもしれないのですね。

 島は大陸から離れているから島なのです。

 ネオ人間ダニエルが外界に出て間もなくして、一匹のジャック・ラッセル犬と出会います。わが家のドミノ師と酷似したその犬は、ダニエルの地上彷徨の良き道連れとなり、その果てに現れた海に向かってうれしそうに吠えまくります。笑っちゃいましたけど、この感じ、とても良くわかります。

PS
 ミッシェル・ウーエルベック映画『ある島の可能性』の予告篇です。

La possibilité d'une île - Bande Annonce par lapossibiliteduneile

PS2
 この7月リリースのカルラ・ブルーニ=サルコジのアルバムに「ある島の可能性」という歌があります。これは2005年の小説『ある島の可能性』に含まれていたウーエルベックの詩に、カルラ・ブルーニが曲をつけたものですが、彼女もこの小説に衝撃を受けた人間のひとりと自認しています。そういう彼女がどうしてこういうことになるのか、ということはまた別の機会に書きましょう。

PS3
 島がほかの世界と隔絶されて進化するイメージは「ガラパゴス島」です。今日の日本の携帯電話を「ガラパゴス島」と評する人たちがいますが、故木立玲子氏は日本のシャンソンを「ガラパゴス島」と言いました。別進化をとげています。
 「私は岩、私は島」という歌のあとに「私は岩下志麻」とあの顔がにゅ〜っと出て来るヴィデオクリップ誰か作ってくれないでしょうか。

2008年9月9日火曜日

今朝の爺の窓(2008年9月)



 9月9日午前8時。まだ朝映えの色が建物の白壁に見えます。素晴らしい晴天です。今日は気温が27度まで昇るそうです。
 マロニエはずいぶん茶色になりました。川のこちら側のポプラも黄色が少しずつ増えています。
 向かいのサン・クルー緑地公園では,この土曜日9月13日に,ルチアーノ・パヴァロッティへのオマージュの大コンサートが開かれます。CONCERT HOMMAGE PAVAROTTI  9月6日が一周忌なんですね。かの階段状の滝の前に大ステージが組まれています。70人のフルオーケストラ,ロベルト・アラーニャ(テノール),ナタリー・マンフリノ(ソプラノ)などの「クラシック」の第一部があって,そのあと第二部はパトリック・ブリュエル,フローラン・パニー,ガルー,クリストフ・ヴィレム,ラウラ・パウジーニ,ルーチョ・ダルラによる「ヴァリエテ」パヴァロッティ・トリビュートです。最後に花火大会つきです。これで入場料がたったの5ユーロ(760円),12歳以下無料。入場者数は4万人を見込んでいるそうです。主催がオード・セーヌ県(92県)。県会の多数派は大統領派保守党UMPで,県会代表はパトリック・ドヴェジャン(UMP党総書記)。ありがたいことにわが家の向かいでやってくれるので家族で行ってきますけど,同じ時期(9月12-13-14日)に北郊外クールヌーヴで開かれる共産党機関紙ユマニテ主催の「ユマニテ祭り」FETE DE L'HUMANITE (ロジャー・ホジソン ex SUPERTRAMP,アラン・バシュング,カリ,ティケン・ジャー・ファコリ,N.E.R.D.,トマ・デュトロン,フェミ・クティ...3日間で入場料17ユーロ=2600円)の客奪いをしているようなキライもありますね。まあ,私たちが住んでいるところは保守が圧倒的に強い地盤なのでしかたないところもあります。それにしても5ユーロは安いです。

2008年9月8日月曜日

アンゴ便りは片便り



Christine Angot "Le marché des amants"
クリスティーヌ・アンゴ『愛人市場』


 8月末の刊行の前に,リベラシオン紙とル・モンド紙を除いて,一斉射撃を浴びるように多くのプレスから酷評されていた小説です。その攻撃は「ピポル」と「下ネタ」に集中します。ピポルとは近年フランスで特殊な使われ方をしていますが,もとの語は "people"で,フランス人発音の英語では「ピポル」に聞こえ,最近はメディアでも "pipole"と綴られ,芸能やスポーツやマスコミなどのセレブリティーを指す言葉です。ロックスターのような振舞いをする共和国大統領が誕生してから,そのピポル世界との密接な関係や,セレブ中のセレブたる元トップモデルとの結婚などが,大統領の政治と大きく関与してくることを指して「政治のピポリザシオン(pipolisation =ピポル化)」と言ったりします。
 アンゴの最新小説に登場するピポルとは,ブルーノ・ボーシール,音楽アーチストで芸名を「ドック・ジネコ」と言い,90年代にパリの北郊外サルセルで名を馳せていたハードコアラップ集団ミニステール・アメール(ストーミー・ブクシー,パッシ,ケンジー...)を経て,ソロアーチストとしてヴァージンと契約して1996年ファーストアルバム"Premiere Consultation"を大ヒットさせたことで知られている,ヒップホップ/レゲエ/ラガの自作自演歌手で,1974年生れ,グアドループ島系のムラートル(黒白混血)です。既に十代の時につけられたドック・ジネコ(産婦人科医)というニックネームは,若くして女性征服テクニシャンだったことに由来するとされています。音楽的にはミニステール・アメールやNTMなどのハードコア路線と袂を分ち,ソフトかつエロティックな独自の道(だからドクジネコ)を進んだわけですが,70万枚を売ったファーストアルバムの後,セカンド,サードと売れ方がどんどん悪くなり,10年目でヴァージンから放出されます。しかし,その女たらしのジャンキー風なキャラクターは,テレビのカナル・プリュスの看板番組「ギニョール」にも登場し,ガンジャ常習者のようなヘラヘラ笑いとゆったりとした口調で出てくる下卑たボキャブラリーで戯画化され,このギニョール・キャラの人気によって,本人もテレビのトークショーなどに「ボケ役」で出演するようになりました。ミュージシャンからタレントへ,アーチストからピポルへ,とこの男は変身したのです。
 そして2006年,大統領選挙戦が始まるやいなや,あらゆる郊外系ヒップホップ/ラップ/レゲエなどのアーチストたちに逆らって,ひとりニコラ・サルコジ支持を表明したのです。郊外派アーチストでサルコジ支持に回った者の代表がこのドック・ジネコとライのフォーデルで,この二人はサルコジ自身から大変重宝がられ,支援集会ではお立ち台が用意されるVIPとなって「郊外サルコジ派」のシンボルにさせられたのです。多くのフランス人たちは,このことに郊外の若者たちに対する背信だけでなく,売れなくなった歌手の奇を衒った宣伝売名行為ということも見抜いています。
 フランス人がこの小説を読む前に既に持ってしまっているドック・ジネコのどうしようもなくネガティブなイメージがあります。好色で,インテリジェンスに乏しく,信念がなく,裏切り者で,計算高く,ぶよぶよに肥ってしまった男なのです。これが彼が持ってしまったパブリック・イメージです。ここから既にこの小説は多くの人々に(読む前から,あるいは読むまでもなく)嫌われてしまっているわけですね。多くの書評も同じように,このどうしようもない人物像は文学になりようがない,と決めつけているのです。

 クリスティーヌ・アンゴの小説は「オート・フィクシオン(autofiction)」と呼ばれ,自己の実体験を創作として小説化したものです。それは自らの父親との関係を描いた1999年発表の『近親相姦』以来,実名でその体験が綴られるので,アンゴと関わりを持ったあらゆる人たちがその小説世界に登場することになります。私生活のあることないことが包み隠さず文章化されます。露悪趣味的です。その体験された性の描写だけでなく,実名であの人物とこの人物がこういうことをしたと書かれてしまうので,アンゴの小説が出る度にその私生活を暴露される被害者が出てきます。アンゴはそこまでのディテールを書かずにはいられない衝動とスピードで書いています。早口でヒステリックな高音を思わせる文体です。ずいぶん早くから語り口がラップ的であるという指摘をされていました。
 小説は47歳の話者「私」クリティチーヌ(小説家)が,32歳の音楽アーチスト,ドック・ジネコことブルーノ・ボーシールの出会いと,恋愛関係,そして別れを軸にした320ページです。私はこれをほとんど地下鉄通勤で読みました。ひとりの空間で読んでいるのではなく,地下鉄の車両の中にいる時,私はこれは人に見られては恥ずかしい種類の本を読んでいるのだということに気づき,2日めからカヴァーを外し,日本の本屋さんがしてくれるような包装紙カヴァーをして著者名書名を隠して読みました。他人の視線が気になる,そういう本です。いつもなら一気に読まねば気がすまないようなアンゴ小説でも,今回は10日かかってしまいました。
 それまで「私」は文筆家というステイタスを持ったパリの左岸的世界の一員でした。アートと文学と出版に関係する人間たちが馴れ合って作る世界の中で,友人関係を構成し,ハイブロウであり,気分的に左翼を支持する,そういう空気を吸っていました。そこにブルーノが闖入してきます。パリ18区,ラップ/ヒップホップ,スクーター,ケバブ・サンドウィッチ...。クリスティーヌの世界にいる人たちは,上に説明したようなドック・ジネコのネガティヴなイメージによって,一様にブルーノを白眼視します。クリスティーヌとブルーノが急激に惹かれ合って恋愛関係に至っても,その世界の人たちは「長続きするわけがない」という予想で,真に受けません。なぜなら二人は「世界が違う」からなのです。
 この二つの世界の境界を,「私」はブルーノによって越境するわけです。パリ18区と郊外の「ブラック」社会,暴力,ドラッグ,売春,音楽(ボブ・マーリー),シンプルで厚い兄弟愛のような人間関係,そういうものをクリスティーヌは新しい世界を見るように体験していくのです。たった地下鉄数駅を隔てたところに,違う世界は広がっていた,と。またブルーノにも境界線を越えてもらおうと,コメディー・フランセーズの演劇に招待したりします。こうやって書くと,なにやらおとぎ話的で,階級の違う男女が恋によってその差をどんどん取っ払っていくようなストーリー展開ですが、あちらこちらにかなり極端な性描写が出てきます(アンゴですから)。「私」は境界の向こう側に発見を繰り返し,そこに友人たちさえ作っていきます。最後にはその新しい友人たちのひとりシャルリーと新しい恋の芽生えまで用意されているのです。
 はっきり区別されているのは,長広舌を弄してくどくど説明しなければならないのが「私」の世界で,ブルーノの世界はショート・センテンスで少ない語彙でシンプルに事足りるのです。これって,すごいステロタイプ化ではないか,とあきれてしまいます。
 ブルーノがクリスティーヌの世界に入ろうとする最初の努力が,クリスティーヌの友人宅の夕食パーティーで,ブルーノはこの時「高級ラム酒」を少し飲み過ぎてしまいます。行きはスクーターで二人乗りで来たのに,帰りは不安になってクリスチーヌがタクシーに乗り,ブルーノのスクーターがその後を追うという方法を取ります。カタストロフはここでやってきます。事実かどうか怪しいものですが,この小説のヴァージョンでは,後をつけるスクーターを不審に思ったタクシー運転手が急ブレーキをかけ,追突事故を故意に誘発させます(この小説では追突の接触すら起こっていない)。コンコルド広場に近いリヴォリ通り。人だかりが出来,セレブリティー(ピポル)である二人は通行人たちのデジカメや携帯電話で写真を撮られ,警察がやってきます。ここでタクシー運転手の証言が全面的に信用され,ブルーノは被疑者として警察に一晩勾留されます。ブルーノは自分ひとりだけが勾留されたということに,二つの世界は絶対に混じり合えないのだ,と確信してしまうのです。
 小説は単純ではなく,この他にクリスティーヌの世界に属する男を恋人候補として登場させます。50歳,著名なカルチャー週刊誌の編集長,子持ち,現在交際中の恋人あり,という男マルクは,クリスティーヌに恋心を抱いたということを告白してしまいます。この男はインテリ的パリ左岸的見識と,深いところでのクリスティーヌ小説への理解によって,クリスティーヌを深々と包み込む力を持っているのですが,クリスティーヌが求めているにも関わらずそれは現実化せずに,マルクは恋人と別れることもできず,何も起こらないのです。
 向こうの世界のブルーノは帰ってくるか(帰ってこない),こちらの世界のマルクは自分を迎えられるか(迎えられない),クリスティーヌは両世界に見捨てられることになるのですが...。

 小説の題名の『愛人市場』は,アンゴの父親が語った人種差別的な発言から取っています。「愛人を売る市場では白人の方が黒人よりも価値があるのだ」と。小説が進むにつれて,こういう作者の中に根強く潜んでいる両世界論がどんどん顔を出してきて,それがマルクという「こちら側」の人間に落ち着きたいというさもしい欲求となって表出してしまいます。だから,ブルーノとは最初から長続きするわけはないのだ,という「こちら側」のロジックに最終的に飲み込まれてしまうのですね。私はここの部分で,この小説はどうしようもない,と結論したのでした。


Christine Angot "Le marché des amants"
(Seuil刊 2008年8月24日。320頁。19.90ユーロ)



PS 1
ル・モンド紙のサイトに載っている「クリスティーヌ・アンゴ『愛人市場』を読む」のヴィデオです。もうほとんどラップかスラムの乗りです。Chritine Angot lit "le marché des amants"


PS 2(9月9日)
やっぱり後味(読後感)がとても悪いのは,私も巷に流布されているドック・ジネコの人となりに大きく影響されているからで,メディア上と実像は多少の違いがあるとは言え,アンゴがこの男に惹かれ,この男を「わが子のように」愛し,この男に共感するというのが,説明のできない情動ということだけでは,あんたはしょうもないことをしたにすぎないんだ,これに320頁もつきあって,アンゴが突き抜けていくのを待っていた私はしょうもないことをしたにすぎないんだ,と納得するべきなのでしょう。
よせばいいのに,この項を書くのにドック・ジネコ関係の資料をネット上でいろいろ見てしまいました。ウィキペディアの記述によると,10月に出るドック・ジネコの新アルバム "Peace Maker"は,国民歌手ジョニー・アリデイ(サルコ支持者)とのデュエット1曲入りで,アレンジャーがモーゼイMosey(本名=ピエール・サルコジ。大統領子息)だそうです。小説の中でも出てきますが,2007年春のジュネーヴでのコンサートの時,スタンドに「サルコ・ファッショ,ジネコ・コラボ」の横断幕がかけられ,ヤジ怒号に加えて,ステージに様々なものが投げられ,ドック・ジネコはショー途中で退場しなければならなくなります。コラボはきつい言葉です。第二次大戦時のナチ協力者への蔑称です。ドック・ジネコはコラボの道を選択したのですが,これは戻り道なしです。