2008年5月27日火曜日

自分はナチスだったと一生告白せずに死んだ父



 ブーアレム・サンサル『ドイツ人の村 - あるいはシラー兄弟の日記』
 BOUALEM SANSAL "Le Village de l'Allemand - ou Le Journal des frères Schiller"


 ブーアレム・サンサルは1949年生れのアルジェリア人作家です。今もアルジェ近郊に住んでいます。経済学博士号を取得後,教職,企業経営者などを経て,アルジェリア政府経済省の官僚となりますが,2003年にその政府に対する批判的な言動のために解任されています。作家としてのデビューは遅く,初長編『蛮人たちの誓約 Le serment des barbares 』(1999年)はフランスの権威ある文学賞で処女作品から選考されるプルミエ・ロマン賞(Le prix du premier roman)を受賞しています。この『ドイツ人の村』はサンサル5作目の長編小説です。その前に短いエッセイ「局留め郵便 - わが同胞への怒りと希望の手紙」(2006年)は,その直接的な権力批判のためにアルジェリア国内では発禁になっています。フランス語で執筆するこの作家は,アルジェリア国内ではかなり難しいポジションにあるようです。

 小説は1990年代が背景で,91年の普通選挙失敗(イスラム原理派FIS党が選挙で多数派を獲得した時点で,政府は軍事クーデターを起こし,選挙無効を宣言しFISを武力的に解散させた)以来,過激化した旧FISはGIA(武装イスラムグループ)となって報復テロを繰り返し,10年間にわたって内戦状態が続いていました。そのなかで,1994年,内陸部の小さな村アイン・デブでGIAによる無差別虐殺が起こり,多くの村民たちが残虐なやり方で殺されます。村の長のように尊敬を集めていたひとりのドイツ人ハンス・シュラーもそのアルジェリア人妻共々非業の死を遂げます。
 このドイツ人とアルジェリア人の夫婦には二人の息子がいました。二人とも早くからフランスに渡り,在フランスの叔父夫婦のもとでフランスの教育を受け,成人していました。兄ラシェル(Rachel。アルジェリアとドイツの二つの名,RachidラシッドとHelmutヘルムートを短縮した愛称)は学業成績も良く,エリート校を出て,多国籍企業に入社して世界を飛び回るエグゼキュティヴ・ビジネスマンとなり,フランス国籍を取得,ロシア人女性オフェリアと結婚,郊外の一軒家に住む成功者でした。それに対して弟のマルリッシュ(Marlich。兄と同様に二つの名 MalekマレックとUlrichユーリッヒの合成短縮の愛称)は出来が悪く,郊外のシテ(低所得者集合住宅)で,ダチとつるんでその日の風まかせで行動する,典型的なバンリューの若者で,地区の警察署長にも目をつけられる存在でした。
 小説は二人の兄弟の日記という形式を取ります。つまり話者は二人です。そして出来の悪いマルリッシュは冒頭のはしがきで,自分の文章を添削校正してくれた彼のリセの先生に謝辞をのべ,正しいフランス語でこの日記が書かれているのは彼女のおかげであるとしています。マルリッシュはこの二人の日記が公に発表され,本として出版されることを切望して,その日記を終えています。
 マルリッシュの日記は1996年10月から始まります。これがこの小説の始まりです。4ヶ月前に兄ラシェルが自殺します。その2年前に父母がアルジェリアの村で虐殺されてから,2年間にわたってラシェルは自分の日記を書き綴り,彼がなぜ死を選んだかを弟に説明しています。自殺事件のあと,その遺品としてラシェルの日記を顔なじみの警察署長から受け取ったマルリッシュは,その日記を何度も何度も読み返し,愕然となります。エリート・ビジネスマンだった兄が,父母の死の真相を知るべく単身アルジェリアに旅立ってから,仕事も妻も顧みないようになり,ある調査に没頭して地獄に落ちて行きます。理解できない妻はラシェルのもとを去り,多国籍企業はラシェルを解雇します。
 ラシェルは亡き父ハンス・シラーの軌跡を追っていたのです。1994年内戦の危険の中,アルジェリアの故郷アイン・デブを訪れたラシェルは父の遺品の中に,ナチス・ドイツ軍の身分証明書を見つけます。生前周りの誰にも,家族にもそんなことは一度も言ったことがなかったのに,父はナチ親衛隊の士官であったのです。化学技師だったと聞いていた父は,実はユダヤ人根絶計画の行動班の中にいて,収容所とガス室でホロコーストを実行していたのです。その事実を確かめにラシェルは,その当時父がいた場所(ドイツ,ポーランド,トルコ)に行き,父の人道に対する犯罪を立証していきます。何百万人という人間の命を奪った,有史以来の大罪の張本人のひとりが父であった,と確信していきます。ラシェルはこの2年の調査で精神的にも肉体的にもボロボロになってしまいます。そしてその父の子として,自分は何をするべきか,自分は父に代わって人類に償うべきか,と葛藤します。
 ラシェルの日記は一種のロードムーヴィーのように父の軌跡を追って移動し,町から町にさまよい,人々に出会い,自分が背負ってしまった秘密(原罪)をどんどん重いものにしていきます。1996年2月,ラシェルはその旅の最終地としてアウシュヴィッツに赴きます。そこで出会った犠牲者の生き残りの老婦人と穏やかに話をしたあとで,その別れ際にラシェルは,抑えがまったくきかなくなり,意識も無意識も越えて,口から赦しを乞う詫びの言葉が出てしまうのです。ラシェルは救済されずに死を選びます。
 この日記を読んだ弟のマルリッシュは,最初は全く兄の行動と死が理解できず,子が父の過去のために償わねばならないという道理を拒否しようとします。ナチズムが絶対の悪とすると,父を残忍な方法で殺したイスラム原理主義とは何なのか,それらの悪はどうしていつの世にもはびこるのか,ということを,今自分が生きるバンリュー(郊外)の現実に投射して考えます。アルジェリアで血腥い蛮行があとを経たないように,フランスのバンリューでも,神アッラーに対して不誠実な者たちを成敗せよというディスクールがまかり通るようになりつつあるのです。
 マルリッシュの日記は,ラシェルの精神の葛藤とは別の次元の,場所的今=現在を問いつめていきます。バンリューは今や,諸イスラム国の外交権力にも結びついたイマムたちが若者たちをじわじわと包囲し,戒律と理想で洗脳していきます。マルリッシュはナチズムとイスラム原理主義の違いをほとんど認めません。弟は兄が父の過去の大罪のために自殺するという,過去方向での清算を拒否し,迫りつつある疑似ナチズムと対抗していくという,未来方向での清算を選択します。そしてマルリッシュ自身もアイン・デブの村まで行って,自分がシラー家最後のひとりであることを確認するのです。

 この小説は2008年3月に出版され,書評誌LIREとラジオ局RTL主催の文学賞「RTL/LIRE大賞」を受賞し,現在ベストセラー上位にあります。実話にインスパイアされたと言われるこの小説は,古今東西の文学の主題である父と子,罪と罰,といったことを熱く激しい文体で問いかけてきます。
 ラシェルは会社に行かず倉庫にこもって,ナチ文献を読みふけり,ナチズムが自分の精神に浸食してくることを体験しようとします。すべてのセオリーを把握してもナチズムは遂にラシェルを侵害することはありません。しかしこれは勝利ではないのです。たぶん普通の(優秀な)ドイツ人であった父は,当時のドイツ人としての義務を遂行したのです。ここで「人間として」という倫理を差し挟めるか。ラシェルの旅は「人間として」父の見た風景を再訪したがゆえに,自分が生きられなくなってしまったのです。
 ラシェルもマルリッシュも,それについてひと言も言わずに死んだ父,というのを恨む文章を何度も書いています。独立戦争の時にアルジェリア民兵を指導して村人たちから尊敬されていたハンス・シラー。父親像をよく知らずに外国で育ってしまった息子ふたり。私はこの家族は最初から壊れてしまっているような印象を持ちましたが,亡き父親に執着し,その大罪まで被ろうとしている息子たちは,この世に珍しい「父の子」と言えるかもしれません。
 何も言わなかった父親は,父親として最低じゃないか,と思われる人たちには,この小説は成立しないのです。これは若い日に自分の親に対して「あんたは親として最低だ」と何度も言ってきた私が書いているのです。

BOUALEM SANSAL "LE VILLAGE DE L'ALLEMAND - OU LE JOURNAL DES FRERES SCHILLER"
(Editions Gallimard刊。2008年2月。265ページ。17ユーロ)

2008年5月26日月曜日

クリスタル爺



 『インディアナ・ジョーンズ - クリスタル・スカルの王国』2008年米国映画。
 "Indiana Jones - Rayaume du crane de cristal" スティーヴン・スピールバーグ監督。
 主演:ハリソン・フォード,ケイト・ブランシェット,ジョン・ハート...


 昨日はフランスで「母の日」だったので,娘と二人でタカコバー・ママに高価な贈り物を買い,おまけにこういう超豪華映画にご招待するという,普段ではありえないことをしたのでした。
 その前夜がユーロヴィジョン・コンテストで,数年ぶりで最初から最後まで見るという疲れることをしたのですが,ロシアの人が優勝してしまったのですね。ディマ・ビランという男性歌手の Believeという英語の歌です。フィギュアスケートの元世界チャンピオン(エフゲニー・プルシェンコ)まで舞台に乗せて,国の威信をかけて,みたいな気迫が感じるステージでした。数年前からユーロヴィジョンは「ゲオポリティクス」による点数奪い合い戦争になっていて,大国も小国も同じ持ち点があるので,旧共産圏の新独立小国がこぞって旧宗主国ロシアに高い点を投票しているような政治力の勝利みたいな印象も否めません。
 これは知らず知らずのうちに私たちが蓄積してきたロシアや旧ソ連に対する偏見でもあります。『インディアナ・ジョーンズ』新作も,設定が1950年代ですから主人公の行く手を阻むのはソ連KGBであり,冷血で残忍で狂信集団的に登場します。こういう映画ですからしかたありません。アマゾンの奥地で野営するソ連兵が夜に火を囲んでコサックダンスを踊っている,というのもすごい視点でありますね。
 良い国と悪い国という民の価値観はこういう娯楽スペクタクルの集積によって作られます。国がアプリオリに良い悪いではなく,そのリーダーシップを取る人間や多数派政党の良し悪しで日々変わっているのだから,ということを娘には教えるようにしています。日本は20世紀前半と後半ではずいぶん変わったでしょうし。またダブリュー・ブッシュやサルコジやベルルスコーニがリーダーとして牛耳っている国家が,良い政治を行う国であるはずがない,というのもはっきりしていると思うのですが。ロシアはあの大統領選挙を見たら,自由な国であると信じろと言う方が無理でしょう。われわれ人民はみんな苦闘していますよ。
 それからネバダ砂漠での核実験が出てきます。われらがインディア・ジョーンズは冷蔵庫の中に隠れて,核爆発の超高熱から身を守ります。核実験というのはこうなるとギャグですね。被爆したインディーはシャワーで体を洗って,それで平気なんですから。1950年代のアメリカ人の核兵器観(アトミック・ルックとかアトミック・ヘアーが流行ったり)なんでしょうが,2008年にこれを持ち出すのは許されるでしょうか?この部分は日本の皆さんに注意深く見て欲しいと思います。

 と,まあ,かたい話は置いといて...。
 この映画の中で,インディー・ジョーンズは自分に息子がいることを知らされます。自分の前に唐突に出来の悪い息子が現れてしまいます。娘は,もしも私にこんな隠された息子がいたら,ということを考えてニヤニヤします。「ひょっとして,わたしにお兄ちゃんがいたりして....」と。タカコバー・ママは,1980年代以前のあんたのことは何も知らないんだから,と娘の想像を増長するようなことを言うのです。私は頭部がクリスタル化する思いがしました。
 

2008年5月22日木曜日

ノワール・デジールの噂



 先週からいろいろ情報が飛び交っています。
 まずギタリストのセルジュ・テッソ=ゲーが,自分のインストルメンタル・バンド ZONE LIBRE(元ヤン・ティエルセン・バンドのギタリスト,マルク・サンス,元SLOYのドラマー,シリル・ビルボーとのトリオ)でスイスのビュルでコンサートを行った際,地元新聞のラ・グリュイエール(LA GRUYERE。そうあの有名な穴あきチーズの名です。トムとジェリーに毎回登場します)紙のインタヴューに答えて,「ノワール・デジールは活動を再開した。次の冬にアルバムを録音する予定だ」と発言したのですね(日付は5月8日)。
 これに対して所属レコード会社バークレイ(Universal France)は,そういう予定はない,と否定。
 昨日5月21日,ドラマーのドニ・バルトは「予定されているものは何もない。今日の時点で新曲は1曲も作られていない。毎度のごとく俺たちは多くの曲のアイデアを持ち寄っているが,一緒にそれを完成させようとするといつも4分の3は捨てられることになる。俺たちはいつまでにそれ(=次のアルバム)を完成させなければならないという義務は何もない。」と語っている。
 まあ数ヶ月前から,一緒に集まって練習を再開したことは確かなようです。ベルトラン・カンタは昨年10月に,刑期8年のうちの4年を過ぎて,仮釈放されています。
2008年のユマニテ祭(フランス共産党主催。毎年9月にパリ北郊外クールヌーヴで開かれる大フェスティヴァル)にノワール・デジールが出るという噂もあります。ユマニテ祭2003年に,ノワール・デジールとゼブダのジョイントコンサートが組まれていたのですが,その数週前にベルトラン・カンタがマリー・トランティニャン殺害事件を起こしてキャンセルになってしまったのですね。この雪辱コンサートがある,という話なんですが,まだ出演者発表されていません。

2008年5月19日月曜日

ジェーンB、カンヌでミャンマー救済を訴える



 この人はやっぱりすごいです。心から敬服します。
 ジェーン・バーキンがカンヌ映画祭開催中のカンヌで行われた、ミャンマー・サイクロン被災者救済のためのデモ行進(ACAT=拷問に反対するキリスト者行動会、ミャンマー情報の会、人権擁護会などの主催)に最前列で参加しました。2百万人の生存者たちが救援を待っているのに、軍政はそれを無視しようとしています。
 《 Les acteurs et les réalisateurs présents à Cannes sont extrêmement réceptifs, comme tous, des souffrances du monde. La Birmanie est en danger. Il faut tout essayer, tout faire. Il faut remuer. Ne pas nous mobiliser à Cannes, c'était passer à côté d'une opportunité. Je ne me tairai pas. Il faut agir! 》
《 カンヌに来ている映画俳優や監督たちは、私たちと同じように世界で起こっている惨事に対して非常に敏感です。すべての方法を試み、あらゆることをしないといけません。人々を動かさなければいけません。私たちがカンヌで行動しないことは、大きなチャンスを逃してしまうことです。私は訴え続けます。今行動しないといけないのです!》 とジェーンBは語りました。
 爺はこの人、本当に尊敬します。
 

2008年5月17日土曜日

1年ぶりでマルク・ゼルマティと電話で話す



マルク・ゼルマティは伝説の人物です。最初のコンタクトは92年頃だったと思います。ヴァージン・フランスの人から紹介されて、彼のレーベル「スカイドッグ」と仕事するようになったのですが、ものすごく荒いしゃべり方をする人で、おまえなんざロックのことなんか何にもわかっちゃいない、と何度もボロクソに言われたことがあります。それに比べたら同じフランスのロック系独立レーベルの老舗「ニューローズ」のパトリック・マテなんか本当にジェントルマンで、仕事もしやすかったのを覚えています。ゼルマティとマテは志向性や方法は全然違うのですが、70年代から独立系のロックを支えてきた二大人物で、プライベートではとても親しくつきあっています。爺は一緒に食事する回数はマテとの方が多く、電話で長時間しゃべるのはゼルマッティとの方が多いというつきあいでした。この話せば話すほど面白い二人のロック人間と、途切れずにつきあいができていた爺は果報者と言えるでしょう。
 それが去年の今頃でしょうね、ゼルマティもマテも私も、ビジネスの方がもう話もできなくなるほど悪くなっていて、それ以来疎遠になっていたのでした。
 きのう思い切って電話してみました。開口一番、ゼルマティは「おまえはもうこの世からいなくなったもんだと思ってた」という、彼一流のきつい口の聞き方で安心しました。まあ、悪いのはどこも同じで、おまえも俺もいつこの世から消えてもおかしくない時代だから、とますます私の望むゼルマティ調で...。
 マルク・ゼルマティは今年63歳になります。1972年、「オープン・マーケット」というレコード店をパリ(レ・アール)で開いたことから、ゼルマティの伝説は始まります。つまりロンドンでパンク・ムーヴメントが本格的にはじける1976年よりも前に、パリのアンダーグラウンドシーンではゼルマティらが動き回っていて、ストージーズ、フレイミン・グルーヴィーズ、キム・フォーリー、ニューヨーク・ドールズなどを呼んで大騒ぎしていたわけです。イギーとストージーズの「メタリック・KO」、MC5の「サンダー・エクスプレス」などの歴史的レコードがゼルマティのスカイドッグ・レーベルから出ていくんですね。さらに76年欧州大陸初のパンク・フェスティヴァル(ザ・ダムド、エディー&ホットロッズ...)を南仏モン・ド・マルソンで開き,翌年の同じフェスティヴァルにはザ・ダムド、ザ・ジャム、ザ・クラッシュなどのメンツを集め、セックス・ピストルズを除いてすべてのブリティッシュ・パンクスが一堂に会した最初で最後のイヴェントを作ってしまったのです。
 それ以来さまざまなロック武勇伝を生きてきた人物ですが、日本とも縁が深く、こちらのロックアーチストたちを日本に送り込んだり、ギターウルフやミッシェル・ガン・エレファントといった日本のアーチストたちをヨーロッパに売り込んだりということもやっていました。
 まあゼルマティの半生はいつかちゃんとした原稿で紹介したいと思っています。すごいエピソードがいっぱり出てきますから。特に70年代のパリのロックシーンの話はゼルマティに語らせたら、何晩聞いたって興味を尽きないでしょう。

 そのゼルマティがきのうポツリと言ったのは、もう30年間毎夏欠かさず日本に行っていたのに、今年は行かないんだ、と。もうマルク・ゼルマティは日本から用なしと宣告されたようなものでしょう。どうしてなのか。日本人は困った時にどんどん閉鎖的になっていく、困った時こそオープンになってリレーションシップの中で解決策を見つけていくというマインドがない、とゼルマティは言ってました。ロックの人間関係を(良くも悪くも)「マフィア」的に考えている彼からすれば、これまで日本との関係を義理人情的にも理解していたわけですが、「おまえの日本はもうおまえが考えている日本とは違っているんだぞ」と私に言うのです。
 もうちょっと突っ込んだ話を来週会って聞くことにしています。中高年世代の愚痴とはわけが違うはずです。マルク・ゼルマティですから。



PS : マルク・Zとジョー・ストラマー

2008年5月11日日曜日

爺も見たり野なかのバラ



 『15歳半』2008年フランス映画。
  "15 ans et demi"。フランソワ・ドザニャ&トマ・ソリオー監督。
 主演:ダニエル・オトゥイユ、ジュリエット・ランボレー、フランソワ・ダミアン、リオネル・アブランスキ...


 タイトルが示すように「アド」ものです。アドは日本語では広告関係(advertising)になってしまいますが、フランス語では adolescence(アドレッサンス、英語のアドレッセンスと同じか)の略語で、もろに"ado"と書き、思春期の少年少女を指し、複数形は adosとなります。ADO FMというアド専門の音楽FM局もあります。またアド向け文化を網羅的に紹介していて、音楽アーチスト調べなどで爺も頻繁に参照している www.ados.fr というウェブサイトもあります。
 大雑把に言うとコレージュとリセに通っている年代(日本では中高生か)の子たちで、爺たちはこの種の映画では『ラ・ブーム』(1980年。クロード・ピノトー監督。ソフィー・マルソー主演)という大古典を経験しています。というわけで、この「アド」ものの世界は、『ラ・ブーム』の似非もの、二番三番四番...X番煎じであることが、定石とされていたのです。さしずめこの『15歳半』は21世紀版ラ・ブームであることが、おのずと要求されて、期待もされていたわけですね。中身は相も変わらず思春期の性の問題があり、学園生活があり、子たちの世界を全く理解できない親たちのまじめな当惑の滑稽さがあるんですね。この場合、観客ターゲットはアドたちになりますから、親たちの苦悩というのは滑稽であればあるほどよろしいのです。
 この映画は、シングルマザーで育てられた娘(15歳半。ジュリエット・ランボレー)のところに、実父でありアメリカ(ボストン)で生物化学研究者として世界的な権威となりつつある有能なフランス人学者(ダニエル・オトゥイユ)が、やむをえない実母の3ヶ月の不在の間、その世話を見るために帰ってくるという話です。フィリップ・ル・タレック(ダニエル・オトィイユ)は、この3ヶ月で、これまで疎かだった父娘関係を一挙に回復させよう、という、言わば失われた時を取り戻すという希望を持ってくるのですが、娘は父親の機嫌を取るなどということは一切できないどころか、自分の15歳の日常だけで満ち満ちてアップアップの状態なんですね。それは性やボーイフレンドへの興味だったり、ゴシック・ロックのバンドだったり、おへそにピアシングすることだったり、携帯メールやチャットで自分が所属する世界とつながっていることだったり...。父親のことなどかまっている時間などないのです。

J T KIF GRAV
(Je te kiffe grave "ジュ・トゥ・キフ・グラーヴ"と読む)
 (アド言語で Je t'aime を意味する)
 
 こういうアドの世界を全く理解できない親たちがフランスや日本だけでなく世界にゴマンといます。アドたちの使う言語(さかさま語や省略語といったアド語や携帯メールの字句省略法)が全く理解できないということです。親たちとは違う言語を使う子供たちは、それをわからない親たちの方が遅れていたり無能であったり、という自分たちの優位を感じています。大人は分かってくれない、という被害者感覚はなく、大人は分かるわけがない、という侮蔑感覚ですね。
 この和解はありえるのか、というと、まあ、軽い感覚の映画ですから、その場合、親の涙ぐましい努力によって初めてありえるのです。親の愛というのは21世紀的には滑稽ものでないと子供には通用しないのかもしれません。というあたりで、爺は13歳(もうすぐ14歳)のアドの娘を持つ父親として、本筋のところでは、受け入れがたい映画であり、世のすべての親たちが子供たちにへつらって道化になるわけにはいかないとマジに怒ったりすることもできるわけですが、和解のための努力というのは当然親の側が子の数倍も数十倍もする必要があるというのは言わずもがな、なことでしょう。(ああ、真剣に見たという証拠でしょうね、こういうことを書くのって)。
 内容は特に説明の必要もない、21世紀的に15歳の生を力いっぱいに生きている少女と、それを最初は絶望的に理解不能だった父親が必死の努力で徐々にその差異を埋めていき、最後に和解するというハッピーな映画で、わが娘も最後はなんじゃいなこれは、という反応の、困ったクオリティーの作品です。
 それはともかく、ジュリエット・ランボレー演ずる主人公15歳半少女、この名前がちょっと気になりました。Eglantine エグランティーヌというのです。私はこのファーストネームはこれまで一度も聞いたことがありませんでした。キリスト教聖人の名前ではなく、植物の名前です。エグランティーヌはバラの名前です。スタンダード仏和辞典には「野ばら」という訳語が出ていました。皇太子妃に因んでつくられたバラ「マサコ・エグランティーヌ」というのもあるそうです。フランスのファーストネームには流行り廃りというのがあって、エグランティーヌは20世紀初頭にはたいへん流行っていてたくさんこの名前をつけた女性がいたそうですが、その後すたれて、21世紀になってから再びア・ラ・モードな名前になっているようです。
 エグランティーヌ、優美な名前に聞こえますか?爺にはどうも鼻についてしまう響きです。映画はそういうことで好き嫌いが決まったりしますよね。(例:『シェルブールの雨傘』って、ジュヌヴィエーヴという名前だけで勘弁してくれ、って思ってしまうところがあります)。


映画『15 ans et demi』オフィシャルページ

2008年5月8日木曜日

ワニが出てくると思っていたらサメに出くわした



 トニノ・ベナクイスタ『続マラヴィータ』
 Tonino Benacquista "Malavita encore"


 1年前までHPを11年間運営していたのですが,その本紹介のページにはトニノ・ベナクイスタは常連中の常連でした。新刊が出れば必ず紹介する,という爺のごひいき作家です。1961年生れ,イタリア移民の息子,トニノ・ベナクイスタは学生の頃映画と文学を専攻しますが,途中で投出し,さまざまな職業を転々とします。飲食店関係,ガードマン,私立探偵助手,寝台列車の世話係...これらの体験はのちのちの小説やシナリオ(映画,劇画)に,日常生活者からは見えないダークサイドの驚くべきディテールとして,ベナクイスタ作品の魅力のカギとなっていきます。とにかくこの細部の面白さが,読者を目には見えないけれど実在するワンダーランドへと連れていってくれるわけですね。
 『マラヴィータ』は2004年に発表された長編小説で,フランスで23万部を売った大ヒット作でした。FBIに捕われたニューヨーク・マフィアの最高首領のひとり,ジョヴァンニ・マンゾーニが改悛し,家族の保護を条件に,FBIにマフィア組織の重要な情報を少しずつ分け与えていきます。FBIはこの超重要証人がマフィアに暗殺されることを避けるために,マンゾーニ一家をフランスの田舎(ノルマンディー)に移住させ,FBIの隠密護衛をつけ,名を変え,地方社会に順応した新人生を送らせようとします。『マラヴィータ』は,フレッド・ブレイクと名前を変えたジョヴァンニ・マンゾーニとその一家(妻,娘,息子,愛犬マラヴィータ)が,フランス田舎に溶け込んで平和に生きようとして,途中まではうまくいくのですが,やはり黙ってはいられないさまざまな問題が起こってきて,それを穏便な方法で解決することができなくなった場合,やむにやまれずマフィア的方法が出てしまい,最後には大ドンパチをしてしまうという物語でした。
 このノルマンディー移住の最初にフレッド(旧ジョヴァンニ)は納屋から出て来たブラザーのタイプライターと運命的な出会いを果たし,それ以来,フレッドは職業を著述家と名乗るようになります。
 さて『続マラヴィータ』。時は移り,このノルマンディーでの騒動以来,同じようなトラブルのために何度かフランスの違う田舎に引越し,その度に名前を変えてきた旧マンゾーニ一家は,今は南東フランス,ドーフィネ地方ドローム県マザンクに,ウェイン家と名乗って生きています。フランス移住以来十数年,娘も息子も大きくなり,それぞれ恋もし,生涯の伴侶などという古臭い概念が若い二人にも真剣に迫ってきます。ここにはマフィアとは旧ヨーロッパの道徳観を頑に保持した人たちであるという伏線がありますね。親よりも子たちの方がルーツ固執があるところも。
 フレッドは「ラズロ・プライヤー」という筆名で,人名/地名などを巧妙に変えた元ギャングの回想小説という形式で既に2作の小説を発表し,内容よりもその冷血的で残忍な殺しの手口が一部悪漢小説ファンの話題となり,小出版社の出版物にしてはかなり好調な売れ行きで,日本の出版社からも版権取得のオファーが来ているという。ヤクザに受けそうというわけですね。
 ところが妻マギー・ウェイン(旧リヴィア・マンゾーニ)も,FBI担当幹部のトム・クイントもフレッドの文才というのを信じていなくて,本はもの珍しさだけで売れているだけだと思っています。つまりフレッドの新人生での職業を軽視しているのです。そしてフレッド自身もある日筆が続かなくなって,つらい枯渇状態に陥ります。だいたい文学などとは全く縁のなかったジョヴァンニ・マンゾーニが,一朝一夕にステファン・キングになることなどできるわけがありませんでした。このスランプ状態のフレッドが,意を決して生まれて初めて文芸作品を読むのです。『続マラヴィータ』の前半部で最も核心的なシーンのひとつです。その本は米文学の最高峰と言っていいハーマン・メルヴィルの『白鯨(モビー・ディック)』です。50男が生まれて初めて読んだ文学に,フレッドは奥の奥まで吸い込まれていくのですが,この時のベナクイスタの筆致の素晴らしいこと。ディズニー・ワールドの中でメルヴィル/モビー・ディックの世界を再訪しているような明晰な平易さと,その前で立ち尽くしてしまう読者(フレッド)のふたつを同時に描写する二元中継の面白さ。元マフィアのフレッドは文学に打ちのめされるのですよ。
 妻マギーは,子供たちが大きくなって手がかからなくなったこと,夫が文学ごっこで手がかからなくなったことをよいことに,徐々に家庭に不在がちな,独立した女性の姿に変わっていきます。倦怠期の女性像とも言えます。マギーはポジティヴかつナイーヴにひとつのユートピアを築こうとします。それは自分の貯金を使ってパリに開いたテイクアウトの一品料理屋です。パルメザンチーズを使った茄子のグラタン(melanzane alla parmiggiana),この一品だけが店のメニュー。昼に300皿,夜に300皿。これだけしか作らない。彼女が選んだ最良の茄子とパルメザン・チーズを仕入れ,そこから利益が出るか出ないか程度の良心売価,気心の知れた二人の常勤スタッフと二人の助手で,店は背伸びせずに毎日の600皿を売りさばくだけ。ところがこの茄子グラタンはその美味しさが噂となって,昼前から行列ができるようになります。1年ですっかり町の名物うまいもの屋になり,ユートピアが現実のものとなった頃,向かいにある米国系の世界展開のピザレストラン・チェーンの店が,マギーの商売をあの手この手で妨害します。仕入れ先が買収され,原材料費が暴騰し,困窮したマギーに巨大ピザ企業はマギーの店の売却を迫ります。このあたりはグローバリゼーションがもたらす悪食と,正直と良心の小店舗の優良食材との,まるで勝ち目のない戦いとして描かれます。マギーは夢破れて,夫フレッドのもとに帰るのですが,フレッドは違うように考えたいわけです...。
 アメリカという二度と帰れない故国,ピザというイタリア起源の食文化,フレッドの思いは複雑です。そしてマギーはフレッドの文学的スランプに,とんでもないヒントを与えてしまうのです。数々の犯罪の回想はいつかは尽きてしまうもの,回想描写が終わってしまったら,次は今だったら主人公はどうするか,ということを想像すればいいのだ,と。ジョヴァンニ・マンゾーニの現在を想像すればいいのだ,と。十数年前にアメリカから忽然と姿を消してしまったジョヴァンニ・マンゾーニは,こうしてやむにやまれぬ文学的創造欲求と共に,フレッドの中に再び命を燃やすことになるのです...。

 大人になった息子ウォーレンの,恋愛/結婚/家庭作り/職人としての仕事...などなどの「夢のカタギ生活」は最終的に成就することなく,すべてを捨てて汽車をいくつも乗り換えてシチリア島パレルモに向かう図も泣かせます。美貌の娘ベルが,優柔不断の恋人を発奮させるべく,FBI作戦のおとりとなって高級エスコートガールに扮して,パリ訪問中の現役マフィアの超大物二人の接待をして,その血に流れるマフィア的貫禄によって二人からまんまと秘密情報を聞き出してしまうところも,これだけで十分に1本の映画が出来てしまいそうな,とても濃いパッセージです。その他,この345ページの本には,濃いエピソードが10ページにひとつぐらいの割でたくさん詰まっています。こんなに詰まってていいのか,という感じです。これだけの材料があれば10冊以上の作品数になってもおかしくないでしょうが,ベナクイスタは惜しみなく大サーヴィスです。
 そして,作家ラズロ・プライヤーは3冊目の小説を書き上げるのです。

 「俺の大アメリカ小説は今,ここに始まるのだ。そしてその最初の文章は,俺が今この大洋の縁に立ちながら,ことごとの流れについて思いをめぐらす奇妙な省察になるだろう。ワニたちに出くわすと思っていたら,しまいにはサメに出会ってしまった。人生なんてだいたいこんなもんじゃないか。俺にはそれが何を意味するするのかよくわからないが,俺にはそれがまぎれもない真実だと思えるんだ」。(337ページ)

 ワニが出てくると思っていたらサメに出くわした。小説内小説の最後で,ベナクイスタはこういうこと書くんですよ。ここだけ読んでも何とも思わないでしょうが,この小説がここまで進行した果てに,ぽつりと出て来たこの感慨,爺はこの数行で膝を何度も打ち,天を仰ぎ,ため息をつき,頬がとても熱くなったのでした。私たちが文芸本を読み続けるのは,何冊か何十冊かにひとつ,必ずこういう感動に出会えるからでしょうに。

TONINO BENACQUISTA "MALAVITA ENCORE"
(Editions Gallimard刊。2008年4月17日。345ページ。20ユーロ)


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2008年5月4日日曜日

今朝の爺の窓(2008年5月)



 5月4日午前8時の爺の窓です。気温は12度、日中の最高気温は24度予想です。
 いつもよりちょっと引いて、ベランダのリラの花(白)と植え替えたばかりのゼラニウム(赤)を画面の端に入れてみました。対岸に見えるマロニエの大木群が砂糖粉をまぶしたようにたくさんの白い花をつけています。セーヌ川のこちら岸のポプラもプラタナスもしっかり緑の葉になってしまいました。これからわが窓からはセーヌ川が木々の葉のために見えなくなってしまいます。
 いつもだと5月中旬以降でないと飛来しないツバメが、今年はもう先週くらいから見えるようになりました。夏が早く来るのかもしれません。今日は一日Tシャツで過ごしてみましょう。

2008年5月2日金曜日

バシュングが肺がんと闘っている



 この頃ニュースを全然追っていない証拠ですね。
 テレビ(カナル・プリュス)を見ていたら,午後7時の日本のワイドショーみたいな番組(ミッシェル・ドニゾ司会)が,春期休暇シーズンのために生録がなくてこの春のベスト・オブだったのです。4月11日の映像でアラン・バシュング(60歳)が新アルバム『ブルー・ペトロール』のためにその中の曲「レジダン・ド・ラ・レピュブリック」(近年のバシュングでは群を抜いて好きな曲です)を歌っていたのですね。黒めがね。まあ,あることでしょう。黒帽子。まあ,これもあることでしょう。ただすぐにわかったのは,眉毛,頭髪,ヒゲ,指毛,その他あらゆる体毛がなくなっているのですね。これはシミオテラピー(化学療法)の脱毛現象です。アラン・ルプレストも同じ状態でした。
 Googleで検索したら,4月21日に雑誌TELE STARで,肺がんであることが初めて報道されていました。その進行状態については触れられてませんけれど,今のところ新アルバムのプロモーションは予定通り続けることになっていて,6月のオランピアでのコンサートも予定通りだそうです。
 近々『ブルー・ペトロール』をここに登場させますね。


PS :
 DAILYMOTIONに載ってた4月11日のカナル・プリュスでのバシュング「レジダン・ド・ラ・レピュブリック」です。