2008年1月28日月曜日

9月に会いまっしょう!



 ザ・ハプニングス『シー・ユー・イン・セプテンバー』
 The Happenings "SEE YOU IN SEPTEMBER"

 「バイバイ,ソー・ロング,フェアウェル...シー・ユー・イン・セプテンバー...」まあなんと米国カレッジっぽい歌詞なのでしょうか。本来ならば,夏休みが楽しみでしかたないはずなのに,違う田舎から大学に来てる彼女と彼は,夏休みには別れ別れになってしまうのです。夏にはそれぞれ違う夏休みを過ごして,それぞれ違う体験をして,9月になったらまた会いましょう,という歌なんですが,60年代では彼女も彼もひと夏の「みさお」を保つことができたんですよ。これが今日びには絶対不可能でありましょうに。
 1966年全米3位のヒット曲です。ザ・ハプニングスは60年代の男四声のコーラスグループで,ファルセット・ヴォイスも使うので,よくフォー・シーズンスの亜流のように言われます。でも,ビーチボーイズをはじめとしてあの頃の米国のコーラスワークって,みんなこんなでしたよね。「シー・ユー・イン・セプテンバー」はこのバンドのオリジナルではなくて,1959年ザ・テンポスというグループの曲のカヴァーです。
 ウィキペディアの記述では,この曲「シー・ユー・イン・セプテンバー」は2001年9.11テロのあと,なぜか全米放送自粛曲のひとつとしてリストに載っていた、とあります。9月に会いましょうというのが,テロリストの合言葉に聞こえたのでしょうか。

 フランスのレコード復刻の鬼職人マルシアル・マルチネー(Magic Records/MAM Productions社長)による,ザ・ハプニングスの1966年アルバム(仏盤Vogue)のCD復刻です。デイヴ(バリトン,バス),ボブ(リード,テナー),トム(テナー,ファルセット),ラルフ(バリトン)の4人によるソフト・コーラス・ポップで,ザ・トーケンズ(ライオンは寝ている)がプロデュースしています。必殺の「シー・ユー・イン・セプテンバー」の他に,1962年スティーヴ・ローレンスのナンバーワン・ヒット「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」(ジェリー・ゴフィン/キャロル・キング作)のカヴァーや,夏が過ぎればの永遠のスタンダード「シールド・ウィズ・ア・キス(邦題:涙のくちづけ)」なども注目です。そしてエディット・ピアフ「愛の讃歌」の英語カヴァー「イフ・ユー・ラヴ・ミー,リアリー・ラヴ・ミー」も,驚きのソフト・ポップ仕上げです。

<<< Track List >>>
1. See you in September
2. Tonight I fell in love
3. Girl on a swing
4. If you love me, really love me
5. What to do
6. You're coming on strong, Babe
7. Go away little girl
8. The same old story
9. Sealed with a kiss
10. You're in a bad way
11. Girls on the go
12. Tea time
13.(bonus track) He thinks he's a hero
 
CD MAM PRODUCTIONS 3930641
フランスでのリリース:2008年1月24日


PS :
Youtubeってほんとに何でもあるんですね。ザ・ハプニングスの「シー・ユー...」の画像がありましたので下に貼付けます。陽光あふれる白黒画面です。いいなあ,水上スキー。リード・ヴォーカルのボブのやる気のない振りもいいですが,ほかの3人の左腕の振りがたまらないですね。

2008年1月22日火曜日

Allain Leprest is alive and well and living in Paris




 1月21日,朝10時半,メニルモンタンのカフェでランデヴー。フランスはこの1月1日からカフェやレストランの店内でも喫煙が許されなくなったので,ルプレスト氏はまず寒いカフェ・テラスに座って,生ビールを頼んで「煙草一本吸ってから中に入るから,ちょっと待っててくれ」と。
 こうして煙草(両切りゴーロワーズ)1本の甘美な時間を終えて,当代最も重要なシャンソン詩人は爺の前にゆっくりと腰を下ろしたのでした。私の最初の質問は,フランス語初級会話の最初に教わる質問。これは難しい質問です。私はいろんな答の可能性を待っていて,とても気が重い質問でした。

Comment allez-vous ? 

 詩人はにっこり笑って,8ヶ月前の脳腫瘍手術後の経過がとても良いことを話し始めました。脳外科医も信じられないほどの回復力だそうです。実は私は違うこともたくさん聞いていたので,とても構えていたのです。しかし目の前にいるアランは元気そうでした。よくしゃべるし,よく笑うし,話し上手。ノルマンディーでの少年時代のこと,下町と郊外のこと,シャンソンのこと,アコーディオンのこと,アルチュール・ランボーのこと,ブレルやフェレのこと,アルバム『シェ・ルプレスト』の第二卷と第三巻のこと....30分の予定で会ったのに,気がついたら1時間半いろいろ話してくれました。
 このために先週末オリンパスのディクタフォーン(ヴォイス・レコーダー)を買ったのですが,きのうの夜,帰宅する車の中で録音を聞き直してみたら,爺の何年たってもあいかわらずの下手なフランス語にはあきれてしまうけれど,すごく濃い話をしていたのだなあ,と詩人の言葉に改めて感動したのでした。Mille merci au poète。
 このインタヴューはまとめて「ラティーナ」次号に寄稿する予定です。ぜひ読んでみてください。

PS : (↓)に貼付けたのは TACETレーベルから出たアラン・ルプレストのトリビュート・アルバム『シェ・ルプレスト』のプロモーション・ヴィデオです。
CHEZ LEPREST 

 

2008年1月20日日曜日

明日アラン・ルプレストに会う。



 急な話で、明日の朝、アラン・ルプレストに会うことになりました。自分でインタヴューを申し込んでおいて、こういう言い方はないんですが、ものすごい重圧を感じています。フランス最後の酔いどれ詩人かもしれません。資料を読み返すたびに、われわれが毎日ラジオやテレビで流し聞いている音楽と、血と涙しか相手にしていない大衆詩との大きな距離を思いますし、人知れずこういう詩が生まれ人知れずこういう詩がゴミ箱に捨てられることに、私はひとりの音楽業界人として、それもしかたないんじゃないですか、ダウンロードの時代ですから、とは絶対に言いたくない「音楽を愛する者の心根」みたいなものが試されることになるような気がするのです。
 今夜はこれからインタヴューを準備して、なんとか心と心で(ルプレストの好む言葉では L'ame魂なのですが、私は自分の魂がどこにあるのかわからないので、魂と魂の会話はできないのです)語り合えるようにしたいです。魂と魂ということでは、(↓)このジャン・コルティ(アコーディオン)とルプレストの魂と魂の競演の姿を見てください。2007年6月11日、パリ、バタクラン座でのジャン・コルティのコンサートでのシーンです。

Jean Corti & Allain Leprest (Bataclan 11/06/2007)

2008年1月17日木曜日

パパユーの悲しみ



 小児科医/精神分析家でラジオでの育児相談や児童心理相談などでフランス中のお母さんたちと子供たちの心のガイド役だったフランソワーズ・ドルト(1908-1988)は,私が父親になった時(1994年)子育ての参考になるからとある人からその著書をプレゼントされたことがあります。さまざまな事情があって,娘(Cécile-Yu Castor)の教育には私たちが人一倍の苦労をするはずとみんな心配してくれたのですが,実際はそんな苦労があまりなかったので,その本も読んでません。その子育ての権威であったフランソワーズ・ドルトにひとりの息子がいて,それが巨体を揺らしながらトロピカルでコミカルな歌を歌っているカルロス(本名イヴァン=クリゾストム・ドルト)だと知った時は,ちょっとびっくりしました。民放ラジオRTLの名物トーク番組「グロス・テット Grosses Tetes」で,下半身系の小咄をやらせたら他の追随を許さないカルロスは,聖人みたいな母親から反動として生まれた超一級の猥談テラーでした。爺が嫌いなわけがないじゃないですか。
 まあ,それはともかくとして,娘Yu が保育所や幼稚園に行っていた頃,娘の友だちや保母さんたちが,私が行くと「Yuのパパ」と言わずに「パパユー」と呼んで,「パパユー,パパユー」という歌で私を迎えてくれたのでした。その "Papayou"という歌は1983年のカルロスの大ヒット曲でした。(↓に「パパユー」のユーチューブ画像貼付けます)。

PAPAYOU (CARLOS)

 その頃からずいぶんあとにわかったのです。この「パパユー」は子供向けの歌のようですが,実は男の子の股の間についてあるものを歌っているんですね。なるほど世界的精神分析学者の息子と言いましょうか。歌詞の中で,ある日学校の女の先生に「きみは大きくなったねえ」と言われて,「僕のパパユーも大きくなったよ」と見せたら,先生がまあっ!と叫んだ,という一節があります。あの頃私は何も知らずに子供たちから「パパユー!」と呼ばれて,にこにこ笑って,そうとも,おじさんはパパユーだ,とおどけて見せていたのでした。あとでワケを知って,かなり青ざめましたが。
というわけで,この歌1曲の縁で,カルロスに私はちょっと親しいものを感じていたのでした。
 2008年1月17日,カルロスがガンで亡くなりました。64歳でした。パパユーは合掌します。

2008年1月15日火曜日

時計じかけの心臓(サントラ)



 ディオニゾス『時計じかけの心臓』
 Dionysos "La Mécanique du Coeur"


 リーダー,マチアス・マルジウ作の同名小説にインスパイアされたオリジナル・サウンド・トラックアルバムです。原作ストーリーについては昨日の拙ブログを参照してください。ディオニゾスはヴァランス(中南仏。リヨンとアヴィニョンの中間)で結成され,今年で結成15年,スタジオアルバムはこれが6枚めで,多くの人たちは2005年の"Monsters in Love"(あるいはその前の2002年の"Western sous la neige")からこのバンドになにかとてつもないものを感じたと思います。葡萄の酒の神,ディオニシウスからそのバンド名を取っただけあって,その強烈な酩酊状態は,どんな音でも大丈夫という抜け方に昇華します。ブリティッシュなスーツ姿で登場する小柄なマチアス・マルジウ(1974年生れ)は,ちょっと前まではパンクでデストロイでピーターパンな,新時代のマニュ・チャオ/ベルトラン・カンタでした。それがもう2005年頃にはマルジウは唯一無二のマルジウとなって,カリスマ様に昇格してしまいます。怪物(フリークス,モンスターズ)とウェスタン(西部劇),このマルジウの世界をマルジウの思うままに表現してきたバンドがディオニゾスでした。それが2006年の "Metamorphoses de Mister Chat"あたりからでしょうか,マルジウと伴侶の関係にあるオリヴィア・ルイーズをはじめ,たくさんのバンド外の人たちがマルジウ・ワールドに協力してきます(カリ,ベルトラン・ブラン,キム,マジッド・シェルフィ...)。ライヴではシンフォニック・オーケストラと共演したりします。大変なレンジの広がりです。
 で,この小説サウンドトラックです。もはやこれはロックオペラ『トミー』(ザ・フー版ではなく,ケン・ラッセル映画サントラの方)のおもむきです。ゲストにその役を演じてもらっています。これではもうバンドのアルバムではないように聞こえますが,マルジウは頭からこういうキャストでやりたかった風の布陣です。

 リトル・ジャック(マチアス・マルジウ)
 ミス・アカシア (オリヴィア・ルイーズ)
 女医マドレーヌ(エミリー・ロワゾー)
 乞食のアーサー (アルチュール・H)
 娼婦アンナ (バベット from DIONYSOS)
 娼婦ルナ (ロシー・デ・パルマ)
 ガキ大将ジョー (グラン・コール・マラード)
 手品師ジョルジュ・メリエス (ジャン・ロッシュフォール)
 切り裂きジャック (アラン・バシュング)
 大人になったジャック (エリック・カントナ)

 ガキ大将・乱暴者・いじめっ子・恋敵のジョーのところだけ,グラン・コール・マラード作のスラム(もちろんマルジウ作の小説に即した内容)になります。他は全部マルジウの作詞で,フランス語,英語,スペイン語です。アルチュール・Hの「聖者が町にやってくる」(マイナー変調で「ベラ・チャオ」のように聞こえる)や、名優ジャン・ロッシュフォールがドン・キホーテ然と奮闘する「アンダルシア」など、ゲストの持ち味がよく出た曲がある一方で、声も歌い方も似た女性歌手たち(エミリー・ロワゾー、バベッド、オリヴィア・ルイーズ)の起用というのはいかがなものでしょうか。どっしりと落ち着いてスラム・リーディングをしてしまう恋敵のジョー(グラン・コール・マラード)は、小説中のジョーよりもずっと手強い重さを持ってしまいました。大人になったとたんに恋に破れ、エピローグを語らされるエリック・カントナ(元フットボール不遇の天才)はその役の重さを支えているんだか、どうだか...。
 いずれにしてもこの作品は「劇作品」としての完成度が要求されている一種のロックオペラで、一曲一曲はその完成図のためのジグソーパズルとなるわけですが、爺にはどうも学芸会的に聞こえてしまいます。
 映画サントラの場合、その映画を見なかった人にはありがたみがずいぶんと減ると思いますが、この小説サントラは(たとえ小説からずいぶんと改変したアイディアを盛り込んであっても)小説を読んでいない人たちにはいったいどうやって聞こえるのだろうか、という疑問が出てきてしまいます。説明的にならずに音楽がこの世界を表現してくれたら、すごいですよね。

<<< トラックリスト >>>
1. Le jour le plus froid du monde (with EMILY LOIZEAU)
2. La berceuse Hip Hop du Docteur Madleine (with EMILY LOIZEAU)
3. When the saints go marchin'in (with ARTHUR H)
4. Flamme à lunettes (with OLIVIA RUIZ)
5. Symphonie pour Horloge cassée
6. Cunnilingus Mon Amour (with BABET & ROSSY DE PALMA)
7. Thème de Joe (with GRAND CORPS MALADE)
8. L'Ecole de Joe
9. L'Homme sans trucage (with JEAN ROCHEFORT)
10. La panique mécanique (with ALAIN BASHUNG)
11. King of the ghost train
12. Mademoiselle Clé (with OLIVIA RUIZ)
13. Candy lady (with OLIVIA RUIZ)
14. Le retour de Joe (with GRAND CORPS MALADE)
15. Death song
16. Tais-toi mon coeur (with OLIVIA RUIZ)
17. Whatever the weather
18. Epilogue (with ERIC CANTONA)

CD BARCLAY 5302677
フランスでのリリース:2007年11月


PS
アルバムからいろいろとヴィデオクリップは発表されているようですが、下に貼付けたYOUTUBE動画はクライマックスシーンのひとつで、リトル・ジャックが時計じかけの心臓を取ってしまったら、ミス・アカシアはもうリトル・ジャックの姿を認めることができない、という歌です。きれいでドラマティックなアニメで涙をそそります。
TAIS-TOI MON COEUR(with OLIVIA RUIZ)

2008年1月14日月曜日

時計じかけの心臓(小説)



マチアス・マルジウ『時計じかけの心臓』
 Mathias Malzieu "La Mécanique du Coeur"


 売れているというのは聞いていました。FNACの書籍/文学書コーナーで売上6位だそうです。今日フランスで最もクリエーティヴなロックバンド、ディオニゾスのリーダー/ヴォーカリスト/作詞作曲のマチアス・マルジウの3冊めの著作で、180頁の中編小説です。簡単に読めます。爺のフランス語力でも4時間で読めました。ポップのフィールドの人が書いたものだから,というわけではありません。これは夢の起爆力だけで書き続けたような,早読みを余儀なくされるようなリズムで展開するからです。
 19世紀後半,スコットランド,エディンバラ,その一番寒い日にリトル・ジャックは生まれますが,あまりに寒いため生まれたとき心臓が凍りついていました。取り上げた女医師マドレーヌは,この子の命を救うためにカッコウ時計を胸に取り付け,リトル・ジャックの心臓はチックタックチックタックチックタックチックタック音を立てて動くようになります。この女医はエジンバラのアーサーズ・シートという丘の上に住み,住民から魔女と呼ばれながら,娼婦や貧乏人の私生児を取り上げたり,奇怪な外科手術をすることで知られた,心優しいマッド・サイエンティストで,子供のいないマドレーヌは私生児リトル・ジャックを我が子のように育てます。彼女の常連患者には元警官のアル中乞食のアーサー(だめになった脊柱の代わりに女医マドレーヌは鉄琴を移植し,それ以来デキシー曲「聖者の行進」が体から離れない),娼婦のアンナとルナ(ふたりは幼いリトル・ジャックに「クンニリングス」という言葉をローマ皇帝の名前のように覚えさせ,この言葉を好きになった少年はもらったハムスターにクンニリングスと名付けます)がいて,このフリークス的な環境の中で,リトル・ジャックは幸せに育ちます。
 少年の10歳の誕生日に,初めてアーサーズ・シートの丘から降りてエディンバラの町を訪れたリトル・ジャックは,目がよく見えずあちこちにぶつかってばかりいる可憐なフラメンコ少女歌手ミス・アカシアのステージを見て,これまで体験したことのない心臓の高鳴りを覚えます。チクタクのリズムが早くなり,カッコウ鳥が興奮して鳴き続け,時計システムが高熱で赤くなります。女医マドレーヌはこの変調は致命的な危機になる可能性があると察知して,リトル・ジャックに恋はおまえの命取りになると,さまざまな禁止事項を押し付けます。しかし禁止されたら,ますます燃える恋心...。
 世界をもっと知りたいと学校に行くようになった少年は,そのチックタック鳴り続ける胸のためにみんなから苛められます。その苛めの先頭に立つガキ大将がジョーは,リトル・ジャックがミス・アカシアを探し求めて学校にやってきたことを知った時から徹底的に少年を痛めつけるようになります。ジョーも少女歌手に恋をしていたからです。しかし少年が学校に入った時はミス・アカシアは故国アンダルシアに帰ってしまったあとでした。4年間のイジメ地獄の学校生活の最後の日,ジョーの執拗な挑発に我慢のならなくなったリトル・ジャックは,大乱闘の末,胸の時計の針でジョーの片目をつぶしてしまいます。
 この刃傷沙汰に町は騒然となり,アーサーズ・シートの丘から女医マドレーヌはリトル・ジャックを逃亡の旅に出させます。マドレーヌは少年に「病気になったり調子が悪くなったりしたら,医者ではなく時計屋に診てもらいなさい」と言いつけます。少年は汽車に乗り,南へ南へと向かいます。(ロンドンに向かう汽車の中でリトル・ジャックは"切り裂きジャック"に遭遇します)。海峡を渡ってパリに着いたリトル・ジャックは変調を覚え,時計屋を探しますが,時計屋たちは少年の心臓にまったく手出しが出来ず,ただひとり,恋に破れたロマンティスト手品師がその器用な手先でリトル・ジャックの心臓を調節してくれます。この手品師ジョルジュ・メリエスは後年に世界初の活動写真を発明することになりますが,医師マドレーヌに似たマッド・サイエンティストでもあり,恋人のために月世界旅行の機械を作ろうとして,果たせずに失恋しています。そしてこのイカサマ手品師は,リトル・ジャックのミス・アカシア探しのストーリーに心打たれ,二人は一緒にアンダルシアまでの旅に出ることになります。ゴー・ウェスト。ここから小説はウェスタン的でドン・キホーテ的なロード・ムーヴィーのようになります。西遊記的でもありましょうか。

 はたして二人はアンダルシア,グラナダまで辿りつき,リトル・ジャックは夢にまで見たミス・アカシアに会うことができたのですが....。

 モンスターやフリークスや見世物小屋などが出てくる19世紀末のファンタジー物語で,ティム・バートン映画やピノキオ物語風でもある,白黒画面ストーリーです。フランスのポップ/ロック界のアンファン・テリブルであり,ピーター・パンでもあるマチアス・マルジウが,奔放な想像力を用いて,目の前にいるひとりの女性,オリヴィア・ルイーズ(マルジウの実生活での伴侶)からインスパイアされたラヴ・ストーリーを書き上げました。少年少女・冒険・怪奇・空想科学・悪漢・恋愛・心理小説とも言える盛り沢山さで,本の発売時期(2007年10月刊行)からもこれはクリスマス向けと納得できる内容です。
 リタ・ミツコが歌ったように Les histoires d'amour finissent mal en général 恋物語は通常結末は悪いことになっています。この物語も最後にリトル・ジャックとミス・アカシアは結ばれません。小説の中盤ぐらいからその兆候はあり,リトル・ジャックとミス・アカシアはとても親密な関係になるのに,リトル・ジャックは自分の時計仕掛けの心臓が破裂することを最後の最後のところで恐れているし,ミス・アカシアはその時計仕掛けの心臓がからくりであって本物の心臓ではないと確信しているのです。少年はこの時計の針が折れて仕掛け機械が動かなくなったら,自分は死んでしまうと信じ込んでいる。ところが少女はそんなものまやかしであると見抜いている。少年はこれが100%の恋だと思っているのに,少女は70%までしか感じることができない。その限界を越えるには,少年は自分の時計仕掛けを壊してしまうしかない。もしもそれが恋の証しだとしたら,少年は自分の心臓を破壊するしかない,死ぬしかないと思っているのですが....。
 リトル・ジャックはそうやって一旦死んでしまい,ミス・アカシアは死んだリトル・ジャックに永遠の恋人の姿を見るわけですね。ところが,リトル・ジャックは長い眠りから覚めて生き返るのです。ミス・アカシアが見抜いていた通り,時計仕掛けは心臓ではなく,弱って生まれた子に生命を暗示させるために医師マドレーヌが取り付けた飾りにすぎなかったのです。これがそのままピーターパンのメタファーなのですね。つまり時計仕掛けで動いていれば永遠の子供でいられたのです。大人になること,それは時計を破壊することなのです。----- こうやって説明する必要なんかないんですが,爺が書いている以上にこの小説の後半がやたらと説明的なのが,ちょっと興ざめです。
 そして,結末をばらしてしまうと,ミス・アカシアは生き返って大人になってしまったジャック(リトルじゃなくなってしまった)など,何の興味もないのです。ロジック!

 ポップな小説として読むことができましょうが,ピーターパン顔をしたマルジウの無彩色の夢の数々はたいへんな魅力に富んでいます。黒く残酷なのも少年期ですし,怪奇にわくわくするのも少年期です。爺は十分に魅了されました。この小説のサウンドトラック盤よりも,小説の方がずっと説得力あります。

Mathias Malzieu "La Mécanique du Coeur" (Flammarion刊。2007年10月。180頁。17ユーロ)


PS
下にリンク貼付けたのは,マチアス・マルジウ自身の朗読による『時計じかけの心臓』の最初部「いちばん寒い日」と,ディオニゾスのライヴ演奏による「いちばん寒い日」の映像です。
Le jour le plus froid du monde (Inrockes Session 13)

2008年1月11日金曜日

今朝のフランス語「アクロバット」




 (←)フランスのニュース週刊誌ル・ポワンの1月10日号の表紙です。ル・ポワンは70年代に中道左派系週刊誌レクスプレスの造反ジャーナリストたちが創刊した中道右派の週刊誌で,現在は元フィガロ編集長だったフランツ=オリヴィエ・ジスベールがトップになっています。2006年から2007年の大統領選挙戦の頃は,3週間に1回はサルコジがル・ポワンの表紙になる,と言われたほど,親サルコジ雑誌のように思われていました。レクスプレスやエルや多くの雑誌同様,マトラ/アシェット(ラガルデール・グループ)が株主です。

 見出しの言葉は L'acrobate

 大修館新スタンダード仏和辞典には次のような説明が載っています。

acrobate アクロバット(名詞)1.軽業(かるわざ)師,アクロバット。〜 du volant ハンドルの軽業師
2.[俗](目立とうとして曲芸的なことをする)おかしな奴。
acrobate アクロバット(男性名詞)[動]ふくろももんが


すばらしい辞書ですねえ。またひとつ勉強になりました。

2008年1月9日水曜日

今朝のフランス語「エスカモトゥール」



 (←)1月9日付けリベラシオン紙第一面。
 よい写真とよい見出しです。
 昨日の大統領記者会見のもようを報じるものですが、このなんともくせ者っぽい左手の手首に大きなローレックスが露出します。この人物のエッセンスが見事に現れている瞬間をとらえた優れた写真だと思います。(写真をクリックすると拡大します)
 国民の購買力の上昇を第一にうたっていた新大統領は、それについての質問に答えるかわりに、これから展開する「文明政策 politique de civilisation」(↓拙ブログ1月2日参照)の話や、カルラ・ブルーニとの関係はマジである、という話をします。

 大見出しの文字は L'escamoteur

エンジンつきのかたつむり、という意味ではありまっせん。
大修館新スタンダード仏和辞典にはこういう訳語がついています。

escamoteur エスカモトゥール(名詞) 1.手品師 2.掏摸(すり)3.[話](困難・問題などを)ごまかす人、はぐらかす人

 (↑)すべてはここに説明されている通りです。新スタンダード仏和辞典はすばらしい辞書です。

2008年1月6日日曜日

バラ色の都トゥールーズ



 毎日の天気予報の最後に "Deux minutes du soleil en plus"(明日は日照時間が2分増えます)と聞くのがうれしい今日このごろです。1月6日、メテオ・フランス(フランス気象局)はパリの日の出が08時43分、日の入りが17時07分と言っています。冬至から2週間ほどなのに、ずいぶんと明るくなった気がします。さて、これが南西のトゥールーズとなると、同じ1月6日で日の出が09時25分、日の入りが18時34分。まあこの季節で午後6時半の日没ですから、こことむこうでは気分も事情も違ってあたりまえでしょうね。
 トゥールーズはオクシタニアの都です。ガロンヌ河から採れる砂が赤い色をしているので、町全体の建物の色がバラのような色をしているので、バラの都とも呼ばれます。(↑)の航空写真ではその色がよくわかると思うんですが、真ん中に見えるのがトゥールーズのランドマーク、カピトル広場で、その大きな建物がトゥールーズ市庁舎です。(写真をクリックすると拡大します)
 2001年地方選挙で、このトゥールーズの市庁舎バルコニーには、計算どおりに行けば、左翼新市長が手を振っているはずでした。しかし第一次投票で善戦した左翼やエコロジストや市民団体(ゼブダの『レ・モティヴェ』が12.38%の得票率)が、第二次投票で大同団結した統一左翼リストになったら票を大きく失い、結局保守統一候補のフィリップ・ドゥースト=ブラジーが当選して、1971年以来続いているトゥールーズの保守市政は崩せなかったのでした。
 ところが、このトゥールーズはオクシタニアの都だけあって、中央(すなわちパリ、北側、旧フランス王国、オイル語文化圏...)に対しては伝統的に批判的&不服従的な土壌です。そのせいか、国政選挙の際にはずっと左翼得票率が保守よりも上位にあったのです。これがトゥールーズのパラドックスで、国政選挙には左翼に投票し、地方選挙では保守に投票する、という現象が70年代からずっと続いているのですね。これが2001年には変わるはずの勢いがあったのに、結果として、やっぱりトゥールーズはトゥールーズ、ということになったわけです。
 あれから7年、再び地方選挙の年がやってきました。下馬評では社会党ピエール・コーエンのリストが最有力とされていて、今年こそバラの都にバラ(社会党のシンボル)の市長を、と同党は息巻いています。そのコーエンのリストの最下方に....マジッド・シェルフィの名前が見えます。比例代表リストなので、得票率で上の方から市議として当選していくわけですが、マジッド・シェルフィのリスト位置では絶対に市議当選はありえないポジションです。元ゼブダのリーダーが、2001年に地方政界に大地震を起したレ・モティヴェのリストではなく、どうして社会党系のリストに載っているのでしょう? しかも最下方のポジションというのはどうしたわけでしょう?

 1月4日の「リベ・トゥールーズ」(リベラシオン紙トゥールーズ版)は『俺はブリンブリン候補ではない Je ne suis pas un candidat bling-bling』というタイトルで、マジッド・シェルフィのインタヴューを掲載しています。この"ブリンブリンbling-bling"という言葉ですが、辞書になんか載っていない新語です。実際爺もよくニュアンスがつかめていないのですが、たぶん華美な飾り物みたいなことだと思います。もともとは米国のラッパーたちが首からいっぱい下げているでかくてギラギラのアクセサリーがぶつかり合う音の擬音語だったそうです。例えばサルコジのローレックス腕時計コレクションや、目立つためのでかめのサングラスみたいなものを、ブリンブリンと言い、目立つ新恋人の報道以降は、サルコジはブリンブリンのチャンピオンとなってしまったわけです。
 非社会党系左翼やレ・モティヴェを支持していた人たちの一部は、このマジッド・シェルフィの社党候補支持を「ブリンブリン」行為として批判しました。大きな飾りものになるためにやっているにすぎない、と。このリストの最下方にあることと、ブリンブリン批判に対してマジッドは:

 「俺は過剰に忙しい男だ。市議に当選して、そのあとすぐに辞職するなどということはしたくない。俺は前もっての取引などなしに、ピエール・コーエン候補のスタッフにコンタクトを取った。俺は彼らに、俺の存在が候補にプラスになるのであれば、俺の名前をリストに載せてほしい、と言った。俺は理想の市長などを夢見るのではなく、俺はキャピトル広場市庁舎に左翼の市長を見たいのだ。これまでの第一次投票であったようなたくさんの左翼のリストで迷うようなリスクを負わずに。この左翼の市長の誕生という喜びは俺には抗しがたい。俺の周辺の人々の幾人かはそれを批判するのだが、俺はもう誰が真正の左翼かということで論争するような遊びはしたくないのだ。俺がこのリストにあるのはひとつの象徴である。それは極左にもなりたくないし、社会党にもなりたくない多くの人たちに、勝利は果てにしかないんだ、と言うことなのだ。これは歴史的なチャンスであり、逃してはならないのだ。」

 と答えました。というわけでこれまで見たことのない、社会党系支持のマジッド・シェルフィの顔があります。ピエール・コーエン当選の時には、バラの花を手にしたマジッド・シェルフィの姿があるかもしれません。さあ、3月の地方選挙が楽しみです。


(↓)はピエール・コーエンの地方選キャンペーンサイトですが、ヴィデオ画面の上から6番目にマジッド・シェルフィがいて、そこをクリックすると、短いマジッドのコーエン支持表明(13秒)があります。「今度の選挙はトゥールーズで左翼が勝つという歴史的なチャンスがある。俺はそれを逃したくない。」と言っています。
Bonjour je suis Magyd Cherfi...

2008年1月2日水曜日

民の上に雨ふりませ (Shower the People)



 2007年12月31日午後8時,共和国大統領サルコジは恒例大晦日テレビ演説でこう言いました。
 J'ai la conviction que dans l'époque où nous sommes, nous avons besoin de ce que j'appelle une politique de civilisation.
 (われわれが生きる現在時に応じた,私が呼ぶところの「文明政策」が必要である,と私は確信している)
 Notre vieux monde a besoin d'une nouvelle Renaissance.
 (われわれの老いた世界は新たなルネッサンスを必要としている)

 2008年にはフランスに新文明が誕生するらしいです。それを大統領は約束したわけですね。古い文明にしがみついこの旧大陸に,21世紀に対応した新しい町づくりをしよう,新しい学校を作ろうと大統領は訴えました。旧文明の世界に新しいルネッサンス運動が始まるそうです。その運動の中心的な担い手を果たすのがフランスである,と大統領は誇らしげに言いました。では,その「文明政策」というのを爺は注意ぶかく見守るようにしますが,い っ た い 何 を 夢 見 て い る の で す か , こ の 人 は ?

 明けて2008年1月1日,3人と1匹で穏やかに新年を迎え,午後には新年準備で疲れてしまったタカコバー・ママは午睡してしまうし,娘は友だちの家の新年会に行ってしまったので,しかたなく爺はドミノ師と向かいのサン・クルーの森に散策しながら,新しい文明のことをあれこれ考えていました。新しい文明政策は爺たちの考えているフランスとは違うフランスを作ろうとしているのだろうな,と。サルコジは中国にも行ったし,新恋人とエジプトで休暇も過ごしたし,その少し前には砂漠文明の権化の大佐もフランスに招いたし。この数ヶ月でサルコジは旧文明からインスパイアされたものがたくさんあったのでしょう。ある種の本物志向と言いましょうか。時計はローレックスでないといかん,みたいな。恋人はトップモデルでないといかん,というのもそうでしょうね。
 もう一度フランスを一流の国に,もう一度フランスに栄光を,という言説はド・ゴールのものでした。戦後,フランスというのはちっとも一流の国ではなかったのです。爺たちが子供の頃も,フランスって全然目立った国ではなくて,インドやソ連の方がずっとえらい国に見えていました。爺の世代の男の子たちは自動車やら戦闘機に夢中になったものですが,フランス製というのは稀でした。その点で言ってもフランスは目立たなかったし,あんまりがんばっているような国には見えなかった。それでも「お芸術」みたいなものは得意そうだし,ファッションは知られていたし,長いバゲットパンを食べているし,がんばってなくてもある種存在感のある変わった国だったわけです。それがド・ゴールの栄光志向で,NATO脱退したり,原水爆持っちゃったり,というのが始まってしまうのです。
 その後も超音速旅客機コンコルドが飛んだり,日本新幹線よりも早いTGVが走ったり,なんだか,えらくがんばってる国フランスが目立ってくるんですね。インターネットの元祖みたいなミニテルが家庭に普及したり,とか。このがんばりが顕著なセブンティーズからエイティーズの時代に爺はフランスに移住しているのです。変わったものもありましたよ。圧縮空気システムをつかった地下管を通って書簡を瞬時にして町の端から端まで届けてしまう「プヌーマティック」なんてね。ほんとびっくりしました。
 私が初めてフランスの地を踏んだのは1976年6月のことで,まだ学生で,ノルマンディーの大学で外人向け夏期語学講座を受講するためにやってきたのでした。その夏は200日雨が降らないという記録的大干ばつがあり,日本にいた時から情報通から給水制限があるぞとか,シャワーが出ないぞとか脅かされたものでした。たしかに町に着いた時,芝生は茶色に枯れていて,人たちも犬たちもへたばり気味の様子でした。しかし町の中心の歩行者広場には大きな噴水があり,勢い良く大量の水を噴き出していましたし,周りの花壇には水をたっぷりすった花々が咲き乱れていて,その泉の周りや木陰で市民たちが涼を取っているのが見えた時,若い私は「すんげえ国に来たもんだ」と実感したのでした。大干ばつの時に噴水の水を出すことはたいへんな無駄だと思いますか? 私はそうは思わない。市民たちはこの噴水を必要としているのだ,と私は思いました。
 ちょうどその年,フランスにサマータイムが導入され,6月末から7月には22時まで明るいという夏の夕を楽しめるようになったのです。暑く乾いた夏の夕に,私たちは噴水のある歩行者広場に集まってビールを飲むというのが日課になりました。
 語学講座には外国人しかいないのですが,アメリカ人,カナダ人,豪州人はやっぱり生ギター持ってきて,件の歩行者広場やキャンパス学食前はにわかにフーテナニーと化してしまうのでした。「ホテル・カリフォルニア」の1年前のことですから,あの頃英語圏新大陸人たちが一緒に歌う歌というのは,「テーク・イット・イージー」(ジャクソン・ブラウン)とか「うつろな愛」(カーリー・サイモン)とか「ハート・オブ・ゴールド」(ニール・ヤング)とかそういう歌が多かったですね。
 そんな時に,日本から私の友人がいろいろカセットテープを送ってくれて(あの頃はラジカセしか持っていなかったのです),その中にミスターJTのアルバム「イン・ザ・ポケット」のコピーもあったんですね。高校生の頃にジェームス・テイラーをコピーしていたという隠された過去を持つ私は,さっそく豪州人たちのところに行って,このカセットを聞かせたら,これは雨なしの夏を生きるわれわれの歌だねえ,と "SHOWER THE PEOPLE" をすぐに覚えてくれて,歌うようになったのでした。

Just shower the people you love with love
Show them the way that you feel
Things are gonna work out fine if you only will
Shower the people you love with love
Show them the way that you feel
Things are gonna be much better if you only will
(....you'll feel better right away, Don't take much to do, Sell you pride, They say in every life, They say the rain must fall, Just like pouring rain, Make it rain, Make it rain, Love love love is sunshine....)

 あれから31年,ミスターJTの最新ライヴアルバム『ワン・マン・バンド』(CD+DVD)を12月に買って何度も何度も聞きました。一種の過剰なノスタルジー病に陥いりました。他のライヴアルバムでもみんな同じで,ミスターJTは何年経とうが同じギター,同じ声で歌える不思議なアーチストであります。最初期からノスタルジーしか歌っていない(「思い出のキャロライナ」,「ファイア&レイン」...)人なので,DVDではノスタルジーの大納言のようなお姿でありました。MCも昔ばなしばかりですし。慈愛の歌「シャワー・ザ・ピープル」は,やっぱり,いかに陳腐な言葉のように聞こえようが,「愛」って大事にしないといけないもんなんだ,と思わせてくれます。 Shower the people you love with love... あなたの愛する民の上に愛の雨を降らせましょう。
 われわれの世界に必要なものはルネッサンスや栄光ある新文明ではなく,民の上に降る雨ではないのか,民の上に降り注ぐ太陽ではないのか。フランスはそんなにがんばってくれなくてもいい。ただ,日照り続きの夏にも噴水の水を絶やさず,民のために咲く花を大事にする国であってほしい。爺はそういう国に長いこと住んでいたという記憶があったのです。

 年の初めです。同志の皆さん,今年もよろしく。
 同志の皆さんの上にも雨ふりませ。