2008年6月15日日曜日

流行作家はお好き?



 『サガン』2008年フランス映画
 "SAGAN" ディアンヌ・キュリス監督
 主演:シルヴィー・テスチュー


 日はフランスでは「父の日」だったので、娘が映画代をおごってくれました。
『ディアボロメント』や『世紀の子供たち/Les enfants du siecle 邦題「年下の人」』の女流ディアンヌ・キュリス監督による、フランソワーズ・サガン伝記映画です。昨年ピアフ伝映画『ラ・モーム』でピアフを演じたマリオン・コティヤールが、お嬢ピアフにうり二つの容貌の鬼気迫る演技で観る者を圧倒したのですが、このサガン映画も封切り前から、シルヴィー・テスチューの極似した容姿と、早口でボソボソボソっとしゃべるサガン独特の口調で、ほとんど馮依にしか見えないような迫真演技が話題になっていました。
 フランソワーズ・サガン(1935-2004)は爺たちの世代の作家です。高校時代、文学少女と呼ばれる子たちはみんなサガンを読んでいて、それがエスカレートして、サガンを学ぶために大学仏文科を目指す、という女高生たちは日本にゴマンといたはずです。男の子たちがカミュ/サルトルを読むのに対して、女の子たちがサガンを読む、というのがよくあるパターンでした。また女の子の中にはサガンと倉橋由美子を合わせ読むというくせ者もあり、ブルジョワとアンニュイの粉を青森くんだりでばらまいていたのでした。青森高校は昔から切れやすい人たちばかり...。(関係ないか)
 かく言う爺は、フランソワーズ・サガンは何読んでも皆同じ。アンニュイの日にはやっぱりアンニュイ、無関心でありながら孤独、シニック、不信、不倫、スポーツカー、ギャンブル、性的スキャンダル...これらをホテル・リッツやホテル・ラファエルや、ニューヨークや...ジェット・ソサエティー環境でミックスして書けば出来上がり、という一連の作品だと思ってました。18歳の時に書かれた「悲しみよこんにちわ」は最後まで読みました(日本語)が、「ブラームスはお好き?」は途中で投げました。
 なぜ売れる? ー これは女心は女でなけりゃ、の領域なのだろうと爺は逃げるようにしました。
 映画は裕福な事業家の娘フランソワーズ・コワレが18歳で処女作「悲しみをこんにちわ」を書き、未成年であるために、印税が父親宛に入ってくるのですね。父親は作品を読んでショックを受け、その父親の情事というところに当惑して、モデルが自分と思われたらかなわんから、筆名を使って出版せよ、と命じます。筆名はプルースト『失われた時を求めて』の登場人物からとって、フランソワーズ・サガンとします。爺も筆名を使うのは親家族に迷惑をかけないためですが、世にはそういう迷惑をかけるような作品を発表していないと思われていますけど、実は若い頃のは...。まあ、それはそれ。
 文芸批評家賞を受賞してから、「悲しみよこんにちわ」は飛ぶように売れ、フランスで社会現象となり、世界主要国で翻訳され、地球規模のベストセラーになります。ノルマンディーに邸宅を買い、派手なスポーツカーを買い、取り巻き連中と連夜のパーティーとカジノ遊び。巨額の収入を一夜で使い果たす、極端な遊び好きで、サガンと共同生活する取り巻きサークルは、ある日超金持ちになったかと思うと次の日は超貧乏に陥るという、ジェットコースター型の浮き沈みを生きていました。落ちたものを再上昇させるのが、サガンの新作小説というわけで、それは60年代70年代頃までは機能するんですね。その頃までは出せば売れるという流行作家でいられたのです。その間に自動車事故を起こし、危篤状態まで陥ったのに、奇跡の生還。しかしこの入院中に痛み止めのモルヒネの中毒になり、これは一生直らないんですね。これはエディット・ピアフもそうでしたね。そしてアルコールとドラッグ。それがサガンの創造活動になくてはならないものなんでしょうが、シルヴィー・テスチューはよく演じてますねえ。
 何のために書くのかということを何度も自問自答します。結局ひとりでいるのが恐すぎるから、人と一緒に居続けるために書いているという、人間関係ほしさという傾向が強調されています。しかし流行作家サガンも落ち目になるのです。取り巻きがひとり、またひとりと消えていきます。
 死はボロボロですね。死に目に会いにきた息子にも会わずも追い返し、家を売って無一物貧乏隠遁者となったあとの鷹揚な態度の介護婦(最後には涙をながすおばさんになります)だけが、死の床にいます。

 極端な一生を1時間50分映画で。やはりピアフ『ラ・モーム』のような過度な脚色はさけられないんですが、小説で読むより、ずっと実像のはっきりするバイオグラフィー映画だと思います。凄絶な女一代ですけど、スピード狂の失速というのは命取りなんですね。

(↓)ディアンヌ・キュリス映画『サガン』の予告篇です。


PS.

パリの地下鉄で配布されている週刊フリーペーパー A NOUS PARIS6月16日号で,シルヴィー・テスチューがこんなこと言ってます。
 「日本語を習得するより,サガン語を会得するほうがずっと難しい」
この人はかのアメリー・ノトンブ小説の映画化(アラン・コルノー監督)で,日本商社OLアメリーさんを演じて日本語を話していたのでした。日本語ってそんなに簡単じゃないですよ。なめてもらっては困る。私は日々日本語で悩んでいるというのに。

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