2008年5月11日日曜日

爺も見たり野なかのバラ



 『15歳半』2008年フランス映画。
  "15 ans et demi"。フランソワ・ドザニャ&トマ・ソリオー監督。
 主演:ダニエル・オトゥイユ、ジュリエット・ランボレー、フランソワ・ダミアン、リオネル・アブランスキ...


 タイトルが示すように「アド」ものです。アドは日本語では広告関係(advertising)になってしまいますが、フランス語では adolescence(アドレッサンス、英語のアドレッセンスと同じか)の略語で、もろに"ado"と書き、思春期の少年少女を指し、複数形は adosとなります。ADO FMというアド専門の音楽FM局もあります。またアド向け文化を網羅的に紹介していて、音楽アーチスト調べなどで爺も頻繁に参照している www.ados.fr というウェブサイトもあります。
 大雑把に言うとコレージュとリセに通っている年代(日本では中高生か)の子たちで、爺たちはこの種の映画では『ラ・ブーム』(1980年。クロード・ピノトー監督。ソフィー・マルソー主演)という大古典を経験しています。というわけで、この「アド」ものの世界は、『ラ・ブーム』の似非もの、二番三番四番...X番煎じであることが、定石とされていたのです。さしずめこの『15歳半』は21世紀版ラ・ブームであることが、おのずと要求されて、期待もされていたわけですね。中身は相も変わらず思春期の性の問題があり、学園生活があり、子たちの世界を全く理解できない親たちのまじめな当惑の滑稽さがあるんですね。この場合、観客ターゲットはアドたちになりますから、親たちの苦悩というのは滑稽であればあるほどよろしいのです。
 この映画は、シングルマザーで育てられた娘(15歳半。ジュリエット・ランボレー)のところに、実父でありアメリカ(ボストン)で生物化学研究者として世界的な権威となりつつある有能なフランス人学者(ダニエル・オトゥイユ)が、やむをえない実母の3ヶ月の不在の間、その世話を見るために帰ってくるという話です。フィリップ・ル・タレック(ダニエル・オトィイユ)は、この3ヶ月で、これまで疎かだった父娘関係を一挙に回復させよう、という、言わば失われた時を取り戻すという希望を持ってくるのですが、娘は父親の機嫌を取るなどということは一切できないどころか、自分の15歳の日常だけで満ち満ちてアップアップの状態なんですね。それは性やボーイフレンドへの興味だったり、ゴシック・ロックのバンドだったり、おへそにピアシングすることだったり、携帯メールやチャットで自分が所属する世界とつながっていることだったり...。父親のことなどかまっている時間などないのです。

J T KIF GRAV
(Je te kiffe grave "ジュ・トゥ・キフ・グラーヴ"と読む)
 (アド言語で Je t'aime を意味する)
 
 こういうアドの世界を全く理解できない親たちがフランスや日本だけでなく世界にゴマンといます。アドたちの使う言語(さかさま語や省略語といったアド語や携帯メールの字句省略法)が全く理解できないということです。親たちとは違う言語を使う子供たちは、それをわからない親たちの方が遅れていたり無能であったり、という自分たちの優位を感じています。大人は分かってくれない、という被害者感覚はなく、大人は分かるわけがない、という侮蔑感覚ですね。
 この和解はありえるのか、というと、まあ、軽い感覚の映画ですから、その場合、親の涙ぐましい努力によって初めてありえるのです。親の愛というのは21世紀的には滑稽ものでないと子供には通用しないのかもしれません。というあたりで、爺は13歳(もうすぐ14歳)のアドの娘を持つ父親として、本筋のところでは、受け入れがたい映画であり、世のすべての親たちが子供たちにへつらって道化になるわけにはいかないとマジに怒ったりすることもできるわけですが、和解のための努力というのは当然親の側が子の数倍も数十倍もする必要があるというのは言わずもがな、なことでしょう。(ああ、真剣に見たという証拠でしょうね、こういうことを書くのって)。
 内容は特に説明の必要もない、21世紀的に15歳の生を力いっぱいに生きている少女と、それを最初は絶望的に理解不能だった父親が必死の努力で徐々にその差異を埋めていき、最後に和解するというハッピーな映画で、わが娘も最後はなんじゃいなこれは、という反応の、困ったクオリティーの作品です。
 それはともかく、ジュリエット・ランボレー演ずる主人公15歳半少女、この名前がちょっと気になりました。Eglantine エグランティーヌというのです。私はこのファーストネームはこれまで一度も聞いたことがありませんでした。キリスト教聖人の名前ではなく、植物の名前です。エグランティーヌはバラの名前です。スタンダード仏和辞典には「野ばら」という訳語が出ていました。皇太子妃に因んでつくられたバラ「マサコ・エグランティーヌ」というのもあるそうです。フランスのファーストネームには流行り廃りというのがあって、エグランティーヌは20世紀初頭にはたいへん流行っていてたくさんこの名前をつけた女性がいたそうですが、その後すたれて、21世紀になってから再びア・ラ・モードな名前になっているようです。
 エグランティーヌ、優美な名前に聞こえますか?爺にはどうも鼻についてしまう響きです。映画はそういうことで好き嫌いが決まったりしますよね。(例:『シェルブールの雨傘』って、ジュヌヴィエーヴという名前だけで勘弁してくれ、って思ってしまうところがあります)。


映画『15 ans et demi』オフィシャルページ

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